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自分で考えない人/思考力がない人の特徴と問題
最終更新:2018/04/09 加筆:「不安だから」
よく聞く話が、先輩が新入社員に「困ったことがあったら何でも聞いて」といったら、新人が何もかも聞いてくるようになって、最終的には「それくらい自分で考えろよ」と言われるというオチのもの。
なぜ彼らは自分で考えようとはしないのか?
なぜ思考力が彼らにはないのだろう?
そもそも本当に考えていないのか?
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自分で考えない【思考力がない】人の特徴
同じミスを繰り返してしまう
思いついた事を片っ端から聞いてくる
何度同じ説明をしてもらっても理解できない
思い込みと勘違いでとんでもないことをする
限度がわからない
言われたことしかしない
自分からは何もしようとしない
当事者なのだがどこか第三者的な立ち位置を確保しようとする
何かを極端に盲信する
なぜ自分で考えないのか?
なぜ彼らは自分で考えようとはしないのか。そのことに対して問題意識はないのか。
一口に「あいつは自分で何も考えない奴だ」と言われていても、全く何も考えていないケースと、理解できていない/知らないだけというケースがある。
大抵こう言われる時っていうのは、人に何かを聞いた時や、なにか発言をした時だ。
新入社員や、何かを新しく始めたばかりの人間は、特にこうなる傾向が多い。不安だから。ただ、従順だとか慎重はいいとして、最終的には自分が覚える/身に付けるという考えを捨ててしまっているのなら、いつまでもこのままだろう。
本当になんにも考えてない奴なのか、他に理由があるのかから考えてみよう。
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暗黙知
大前提となる話だが、暗黙知というものがある。
わかる人間にとっては当たり前のレベルの「身につけた」知識であり、わからない人間にとっては存在すら知らない知識だ。
詳しくは別ページで。:
暗黙知について
特徴として、暗黙知は熟練すればするほど自然体となり、重要性を見落としがちになる。
簡単に言うと「これ知らないと覚えようがない」という点ほど教えることを忘れやすい。
要するに、相手に暗黙知がないのなら、その人は考えていないのではなくて、そのことについて何も思い浮かばず、気付かず、考えられないということだ。「根本的なことを知らない」状態。
どの暗黙知が相手にはあって、どれがないのか?
相手が、自分があたりまえだと思っている知識を知っているかどうか確認しなおしてみると、何か勘違いをしていたり、必用な知識がすっぽり抜け落ちていたりすることも。
その辺りが把握できるとこう思うわけだ。「ああ、そりゃ分かるわけ無いな」と。
ジグソーパズルのピースがいくつか欠けているようなものだから。完成するわけがない。
他人に教えることは、自分が覚えることよりも難しいと言われる原因の一つだ。
教え方が優しくだろうが厳しくだろうが、理解に必用な材料をちゃんと提供しなくてはいけない。そんな筋合いがないとしても、少なくとも必要な材料を持っているのかどうかを確認しなければ、せっかく教えたとしても徒労に終わる可能性がある。
このあたりの「確認作業」を「聞く側」が鬱陶しがるケースがあるが、大人しくやりなさい、としか言いようがないな。「早く教えてくれ」は甘えでしかない。本人が「教えてもできない」状態なのだから。
逆に、思いつく限りなんでも聞いてくる人間に対して感じる
ストレスとは、そのしつこさと共に「暗黙知を言語化する苦労」というのが挙げられる。
関連ページ:なんでも聞いてくる『考えない人』
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頭が固い
聞いてない、知らないと言ってやらなかったり、質問してきたりする。
だがその内容は知っているはずのこと、教えたはずのこと、つまりは「聞くまでもなく自分でできるはずのこと」である。それなのに彼らは「知らない」としている。
覚えてないとかそういう話でもない。教わったこと自体は頭に入っていることが多い。
ただ、現実には「教わったことと似たようなこと」なのに、「全く違うこと」だと認識している。だから「知らない」、つまりわからない。
知識を応用するつもりがない、とも取れる。そういった発想そのものがない場合もある。こういった要領が悪いだとか、「頭が硬い人」。
完全に理解して「これで大丈夫」と確信できないとやりたくない、という傾向が強かったりする。
参照:
要領がいい人、飲み込みが早い人 頭の硬さと柔らかさについて
後述していくが、思いついてはいるが「勝手なことをしたら怒られそう」だから「知らないこととする」判断をし、そう振る舞っている場合もあるのだが。
やりたいことをやった挙句、責任を他人のせいにできるから
さて、本気で自分で何も考える気がない人間の場合、
「誰かが言ったから」
「どこかに書いてあったから」
「やれといったじゃないか」
といったように、自分以外の誰かのせいにできる立場が、楽であるからこのままでいたい、というケースが有る。
誰かが言ったとおりにやっている限り、「自分は言われたとおりにやっただけだ」とする
言い訳を準備できる。
自我状態モデルで言えばFC(自由な子供)。一応大人だからやりたい通りにやる「方便」を欲しがる。
多いのが、わざと曲解して「やっていいと言った」という言い訳にしようとするタイプだ。職場では(それほど)いないだろうが、それ以外では見かけることができるだろう。
スマイリーキクチの誹謗中傷事件で起訴された多くの者も、「ネットに騙された」「本に騙された」と責任転嫁が見られた。
誹謗中傷はかなりエスカレートしていて、被害者は「襲撃されるのではないか」と危惧し、知人に会うことさえ避けていた。
犯人の1人なんて「離婚で辛かった」というのが動機で「スマイリーキクチよりも自分のほうが可哀想だ」というような内容を話していたという。
アドラーの目的論で解釈すれば、「やりたいからやった。責任は他人が取る。」という相当迷惑な人間。
まとめると、責任を他人に押し付け、幼稚な考えを行動に移す。
この考え、生き方は非常に楽なんだろう。きっと。一生こういった生き方をして、誰かの真似をして、誰かのせいにして生きていたいというのなら、止めはしない。
注意点として、事前情報というか、暗黙知というか、そういうのが足りない状態、例えば入社直後の新人などはこれらと似ているが違う。だが、第三者からは区別がつかない。
「アレだけ説明してやったのになんでわからないんだ」と言ってる側の説明が必要な情報を含んでいなかったり、ヘタだったりすることも実際あるので簡単に決めつけはできない。
詳細はこちら:
考えない人のやってる処世術
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話を聞いていない
同じことを何度も聞いてきたり、その環境では当たり前なことを聞いてくるケース。
基本的に集中力がない。
自分から聞いてきたくせに質問に答えている時によそ見をしているようなら可能性は高い。
メモを取らない(記録しない)
話を聞いていないタイプもメモを取らないが、聞いてないんだから当然だ。
それとは別に、変な自信を持っていて「一度聞けば自分なら覚えられる」と思い込んでいるタイプ。
これは何も形として残らないので高確率で聞いたことすら忘れる。
このタイプは「当たり前のこと」をかなり軽視する傾向がある。『当たり前なんだから忘れるわけがない』と。
現実には、その環境における「当たり前」というのは、身についていることが必須ということである。つまり最重要だ。義務や責任に近い。出来ないのならその場にいてはならない程の。
先程の暗黙知そのものだ。まず「当たり前」を身に着けなければ話にならない。職場では尚更当たり前なことを「共有」しておく必要がある。逆を言えばどんなに当たり前のことでも身についていなければ、そいつにとっては当たり前になってない。
これらを軽視することはかなりの「不真面目な態度」となる。
【自分なりに考えて答えを出す】という発想がない
「どこかに既に答えはあり、自分はそれを覚えればいい」という発想が根本にあるケース。
こういった考えなので、聞いて回ったり、調べて回ったりは自分ですることが多い。
ただ、自分で考えるということはやはりしないので、調べ方が【どこかにあるはずの答え】を探すことに終始している。
それ故に個人的な考察などは非常に軽視する傾向がある。まぁ確かに玉石混交だが。
簡単に例えると目的のキーワード一語のみで検索して、Googleの1位に表示しているサイトの情報だけ丸暗記し、それ以外の情報は「あのサイトに乗ってなかった。だからそれは間違いだ」と言い張っちゃうレベルの人間。
また、人に質問をするときも、【丸暗記できる答え】を欲しがる。人が【理解するための説明】を始めると、早く「答え」を教えてくれと言う事が多い。
結局理解も思考もしていない、つまり何も身につかず、成長をしていないので、すぐにまたわからないことができて、また振り出しに戻る。
・この手のタイプは『答えは一つ』だと思い込んでいるので、融通が利かない。客商売だったらトラブルの元だろう。
何かを『完璧にマスターした』と本人が思った時が最も危険となる。それ以外の答えは全部『NO』だからだ。まぁ事務処理なら向いているかもしれないが。上記の傾向も、まるで公務員みたいだ。
このケースは子供に多いが、せっかちな性分の人、また厳しく躾けられて「誰かの言われたとおりにしなくてはならない」と思い込んでいしまっている人もいる。
そしてこのタイプは、ある程度体系が出来上がっている理論は疑うことなく鵜呑みにしてしまう。
結果的に疑似科学・陰謀論・差別主義・インチキ宗教などに簡単に染まる傾向がある。オウム真理教の信者に高学歴の者が多くいたことは知っているだろう。
なんにせよ、幼少期や環境などの不可抗力の部分もあるのかもしれない。だがそれで困るのは本人だ。親のせい・周りのせいだとしても、自分のために疑い・考え・判断する習慣は身につけよう。
◆
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◆「勝手にやるな」と言わなかったか
新入社員の話に戻るが、上司や先輩に「余計なことを勝手にしないでまず聞いてからやれ」と言われて律儀にそれを守っているケースもある。
言った方は大体次の日には忘れてるから、かなり温度差が生まれることに。言われた側は後々こう言われることになる。「いちいち聞いてないで自分で考えろ!」。理不尽だね。
この場合は不可抗力というか誤解だが。新人が「やってもいいか」という確認のために質問しているのを勝手に【分からないで聞いている】と思っているだけだ。
こんな部下に悩んでいるのなら、考える機会を与えているかどうか、自分の考えを言う機会が存在しているかどうか、そもそも1人での判断や決断をするなと言わなかったかを一度自問自答してみたらどうだろうか。
どの道、知識も技術もアウトプットしなければ成果確認ができず、身につかないから、これらの機会は必要だ。
一生世話したいなら話は別だが、教育の最終目標は「自立」だろう。
あまりにも「絶対に言うことを聞かなきゃいけない」と思っている相手だと、親や上司などがその場の思いつきで言ったことをいつまでも守り続けて奇妙なことになることがある。
要するに「それがルール」だと認識しているということ。
口を挟む時はそれがルールなのか、アドバイスなのかははっきりさせておいたほうがお互いのためだろう。
逆にルールを「要らないアドバイス」だと思って聞き流されてもたまらんし。
指示待ち症候群
「言われるまでは何もやらない」タイプの者を指してこう呼ばれることがある。
基本的に自分からは動かない。言われたら指示されたことだけやる。「言われた」部分だけやるので、その前後のついでにやって当たり前なことをやらなかったりする。
こんな話がある。
居酒屋の話。
後は焼くだけの料理をオーブンに入れ、バイトに「オーブンを見てて」と言って別の料理にとりかかった。
そちらが一段落ついてバイトの方に目をやった。
バイトはオーブンをずっと見ている。
オーブンの中の料理はもはや黒焦げだ。
それでもバイトはオーブンを「見ている」。
なんで料理を出さないのか、と叱ったらバイトが一言。
「オーブンを見ててって言ったじゃないですか」。
ははは。ホラーにしか思えない。
原因は色々言われている。発達障害だとか、子供の頃の親の躾のせいだとか、テンプレな物ばかりだが。
その中で目立つ原因が後天的な理由、前述のとおり上司や親が、本人がタスクに取り組む前に「先回り」しまくって指示をした結果、「言われたとおりにだけしてればいい」と自分からは動かなくなったというものがある。
アカウンタビリティ(責任感)がない、と言うよりは、それを「奪った/潰した」結果とも言える。つまり責任感が「育ってない」。
自分の問題、自分の担当の仕事なのだということ自体が分かっていないようにみえる。要するに「手伝っている」立ち位置のつもり。
長年この状態だと、本気で言われるまでは何もしない(時には忘れてる)。
つまり指示待ち人間に頭を悩ませている本人が原因だったというケースも在り得る。
・こういった問題は社会に出た直後に発覚することも多い。今までのように学業だけではなく、理解力やコミュニケーション能力などの総合力が問われるようになってくるからだ。
この場合、その新人の「初めての上司」の胃に穴が開く。
こういった事態を防ぐには、
- 1:「自分の仕事」だと認識させる。当たり前だと思うだろうが、その「当たり前」が彼らにはないことがある。
- 2:達成条件を明確にし、計画やペース配分から本人にやらせる。親や上司の仕事はその進捗のチェック。
- 3:「期限」を設定する。責任は自分にあり、尚且つ「自分から動かないと間に合わない」と思わせる環境を作る。
多分だけれど、指示待ち症候群の殆どは「自分で考えて自分でやる」ということの経験自体があまり無い。つまり加減がわからない。迂闊に「自分で考えてやれ」というと、今度は思いつきをやりまくるだろう。チェックは必須と思われる。
が、監視されてると思われたら今度はそれに甘えそうだ。この手のタイプは見張られていたほうが安心する。何よりも一人でやるのが不安なのだから。
だが自分の責任で物事を行う緊張感は必要であり、慣れなきゃいけない。できれば本人から定期報告するようなルールにしておきたい。
あなたが親や上司で、教育や社員教育に情熱を注ぎたいのなら、この辺りは意識したほうがいいだろう。これらの目的は「自分で判断、行動できる人間」を育てることであり、決して操り人形を作ることではない。
「言うことを聞け」という言葉通りに相手がなったとしたら、その人間を「操作」しなきゃいけないのは指示を出す側になる。自分の仕事まで手が回らなくなるだろう。
結局のところ、どんなことだって「自分の仕事」を「自分で考えて」やっていけるようにならなきゃいけないのだから。
◆思いついたことを片っ端から聞いてくる
目的がコミュニケーションなので質問内容はどうでもいい。
そして質問は答えてもらったら同じことを聞くわけにはいかないだろう。
質問したくせにその回答を聞いていないと思われたなら、そのうち答えてはもらえなくなるからだ。
さぁ、どんどんネタがなくなっていく。だから探す。そうして「ネタ」を見つけて思いついたことを片っ端から聞いてくるタイプ。
たちの悪い事にこの場合ネタを「ストック」する。疑問を持っても調べない。「話題」じゃなくなるからだ。
自然学習の類(要するに悪癖)なので本人が問題意識を持たないかぎりは治らないだろう。
原因として「沈黙が怖い」「話が途切れるのが怖い」という強迫観念があげられる。雑談できなきゃ居ちゃいけないわけじゃないよ。もう少しリラックスしてくれ。
単純に口と頭が直結しているタイプもいるが、まぁこれはスルーでいいだろう。
◆パラダイム
・これらのいくらかはパラダイム(価値基準)の問題だったりする。
つまり彼らの幾らかは
「聞かなきゃいけない」
「自分で決めちゃいけない」
「自分で考えるという発想がない」など、「基準」が違うだけであることが多い。
知能指数の問題であることは殆ど無い。簡潔に言えば、バカではない。まぁ使わなきゃ衰えるから鈍ってる可能性はあるが。特に表現能力が。
・「考えない人」を分析すると、大抵最終的には2つに別れる。
1つは「ズルいやつ」。
もう一つは「パラダイムが違う」。
ADHDの疑いがあるとか、そういった「それ以外」もあるのだが、まぁ大抵のこの2つ。
ズルいやつとは距離を取ったほうがいい。彼らは改善するつもりが最初からない。
パラダイムが原因の場合、本人は考えたりはしている。ただ、言動だけ見ると「ズルいやつ」と変わらない。
◆
◆
◆けんかを売っている
・まぁ、ぶっちゃけてケンカを売っている可能性もある。今まで述べてきたように、出来ることでも言語化出来るとも限らない。そこを徹底的に付けば、どんな無能でも有能な人間に煮え湯を飲ませることができるからだ。
・そんなことを考えつくような人間は、まぁ実際能力がなく、人に聞くことも多かっただろう。故に経験上「出来ることでも説明できない」ことは学習する。
・また、
心理的リアクタンス、つまり「反発心」からの可能性もある。相手に対してと言うよりは、「出来ない自分」に対しての苛立ちやその克服のための感情的エネルギーなのだが、それを「溜飲を下げる」ための攻撃行動に転嫁するのは結構いる。まぁあれだよ、「八つ当たり」。
・経験あるんじゃないだろうか。自分ができないことを半ギレになって聞いてくるやつとか。あまつさえそれでも出来なくて「あいつの教え方が悪い」みたいな態度であちこち色んな人間に聞いて回るやつ。
あれは単純に「同じ人間には恥ずかしくて聞けない」事に対しての
認知的不協和/合理化だろう。自分への言い訳、口実。まぁ、嫌っちゃっていいんじゃないかこんなのは。こっちがなんとかできることもないし、普通に助けたくないような奴だし。
◆不安だから人に聞く
最初に述べた通り、考えない奴だと思われる/言われる場面は「聞いた時」が多いだろう。それも何度も、同じことを。
同じことを何度も事ある毎に聞く、というのは「確認」と言える。だが何度もそうしていれば、そろそろ覚えるはずだ。それなのに、また聞く。
もしかしたら、とっくに覚えてはいるのかも知れない。大抵の場合そうだろう。何度も繰り返せば嫌でも覚えるものだ。つまり記憶力の問題ではない。そして「思考力」の問題でもないだろう。考えることは別にない。「思い出せばいい」だけで。
思い出せばいいだけの話で、思い出そうとする前に人に聞く/聞いてしまうタイプ。これは不安を感じている場合が多い。「初心者」の例の様に「わかるけど、自信がない」状態に近い。つまり「判断」に対して不安がある。
「そう」するべき場面に見えるが、何か見落としているかも知れない。それをやったら見当違いで、とんでもないことになるかも知れない。そういった漠然とした不安。ここまでは誰でもありえる話だ。ここまでは。
そのうち「自信」というか「慣れ」というか、そんな感じのもののおかげで自分一人でやれるようになる。だがそれはどこかのタイミングで「自分ひとりで判断する」ということをしなければならない。
それが早い者もいれば、遅い者もいる。実力と釣り合っていなくてはならないから、これだけで優劣はつけられない。そして。最初から自信満々でやらかす者もいれば、いつまでも一人でやることに不安がある者もいるわけだ。「考えない人」とされるとしたら、この二名だろうね。
後者はつまり「自分の判断に自信がなく、何度も人に聞いてしまう人」。相手からは「考えないですぐ聞く人」に見える。
心の病として似ているものがある。例えば、カギを掛けたかどうか何度も何度も確認する。確認した後でもすぐ不安になり、また確認する、といった症状だとか。強迫性障害とよばれるものだ。強迫性障害は、潔癖症だとか完璧主義だとかもこれに入る。もちろん、病的なレベルのものがだが。
強迫性障害の場合は「自分はこうしなければならない」と自分に「強く」「迫る」症状。「何度も同じ確認を」「やらずにはいられない」「居ても立ってもいられない」心境になる。
もちろん、何度も聞いたら精神病だ、とかそんな話ではない。そもそも不安状態になったら誰だって似たようなことをするだろう。初めて海外旅行に行く時に何度も荷物を確認したりは? 病気となりえるのは、この状態が場違いに頻発する時に限られる。
例えば職場においてはミスする可能性はリアリティがあり、不安を感じる原因がはっきりしている。「聞かなきゃいけない」という思い込みにしたって上司が「やる前に聞け」と言ったのを自分で忘れている可能性もそこそこある。
まぁ何れにせよ、この場合当人が目指すべきは「巣立ち」だろうね。
◆
◆『自分の考えがない』と言われてしまう人へ
『自分ではこう思う』、そういう結論は出ていたとしても、『自分が理解していないこと、見落としていることがあるかもしれない』、そう思い念の為に人に聞いてみる。
これは用心深く、真面目な行動だといえる。
だが、こういう考えの人が『お前は何も考えていないな』と言われてしまうこともある。これは可哀想だ。それでうんざりして自分で勝手にやりだすようになってしまうとも限らない。
批判する側が間違っている可能性というのも、ここまで読んでくれたならもう把握していると思う。
こういった誤解やら偏見やらを我慢して受け止めてやる筋合いもないので『自衛』をしよう。
確かに聞く時点で相手の時間を奪う。思考力、注意力もこちらに向けさせることになる。そして相手にとっては当たり前のことを言語化するのは相当な
ストレスになり、得られるものが少ない。簡単に言うと質問に答えることは大抵は『割にあわない』。
なので、ちょっと聞き方というものを考えてみよう。なるべくスムーズに、負担なく相手が答えられるように。「聞く側は一切何も考えないで疑問を口にしていい」と思っているのなら、それは最悪の質問者だ。質問者は何を聞きたいのかをしっかりと相手に伝える必要がある。
そうじゃなければ、答えを知っている人間すら答えられない。相手が「察してくれる」ことには、あまり甘えないほうがいいだろう。
答える側がOKかNGか、それだけの答えで済む質問が理想。
例えば『○○について、現在○○な状況で、自分は○○だと思い、○○してみようと思いますがそれで構いませんか?』など。
長くなりがちだから省略できる所はしたほうがいいが。
間違っていればNGを出される。そうしたら誤解があったのか、見落としがあったのか聞けばいい。質問者の状況や知識量が分かればその辺りは教えやすいから、サクッと教えてもらえるだろう。
この際、あまりにも「状況を正確に伝えなくては」と必死になると時間泥棒になる。話が長い上に、不要な情報が多すぎて何が言いたいのか相手には逆に伝わらなくなってしまう。
正解ならOKが出る。聞いた側も安心してタスクに取り込めるし、当たっていたなら自分に自信もついていくだろう。
まとめると、質問者は
- 自分の疑問を言語化する(相手に伝わる質問が大前提)
- OKかNGかで答えられる聞き方をする(相手の時間を極力奪わない)
これをするだけで理不尽と感じることは減るだろうし、正解だったら「自信」の成長にも繋がる。簡単に言えば「時間がかからない答え合わせ」ならそれほど邪険にされることもないだろう。
つまり相手には
「あなたがどういう状況なのか」
「あなたが何を聞きたいのか」
「自分(聞かれた側)は何を答えればいいのか」
が伝わればいい。簡潔に。
幾らかは相手の「察する力」を当てにする他ない。だが前述の通りそこに全部頼ることは相手にとってかなりの負担となる。
一応、(空気が読めるなら問題ないかもしれないが)その回答は「今回だけに通用するのか」「今後同様のケースでもそれが正解なのか」ということの確認もしたほうがいいかもしれない。
特に「自分で答を出せるのに不安になって上司に聞いてしまう」と言う人。
その性分は、「同じ質問を何度もする」という最も嫌われる行動をあなたにさせることだろう。
「今後同様のケースが有っても同じようにしても良い」と言う「証拠」を手に入れたのなら、もう聞かなくて済む。
と言うか、最終的には聞きそうになったらそういった記録(証拠)を見て、聞くのを我慢し、自分で勇気を出してやるしか無いだろう。
いつかどこかで踏み出さなければ、ずっとそのままなのは確実なのだから。
成長するしかない。
参照:
→
自分で考える力がない理由とその鍛え方
もう一つ。コンディションは万全だろうか?
水分や酸素、食事や睡眠などの不足により人間はかなり判断力が落ちる。その上で殆どの場合「自分のスペックが落ちている自覚がない」。
生活習慣などによる慢性的なこれらの不足は、恒常的に自分の判断力や集中力を落とし、「わからないから人に聞く」という行動になりかねない。
参照:
→今すぐできる 頭の回転を早くする簡単な方法
■文中のリンク:
→
自分がない/自分の考えを持ちたい人へ
→嫌われない、呆れられない「質問の仕方」とは?
→今すぐできる 頭の回転を早くする簡単な方法
◆関連リンク 関連記事:
自分がない/自分の考えを持ちたい人へ
成長するためにPDCAサイクルを回す
ライフハック
考える力とは何か? その1
言い訳がましい人間の心理
http://embryo.blog.shinobi.jp/psychology/166
ストレスについて 目次
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