「勉強」がしたければ教科書でも読むべき。ここにあるのは「私見」。
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・記事未満のメモが400超えててやばいので水子供養。
・他人の走り書きのノート勝手に読んでるようなノリでどうぞ。
・基本うろ覚えで書いてるので悪しからず。 ソース? 中濃派。
 



・内向的と外向的
 世間一般で通じる内向/外向的という言葉はユングの外向内向の話が元だったりする。だが意味は歪んで広まっている。明るくフレンドリーな内向型とか根暗で陰険な外向型とかはありえる。流石にこれはしっかり書くか。そのうち。
 

 

・内向型の課題は「自分の世界」を如何に守るか、だと思う。
 
・EQ、心の知能指数。相手の心情を察する/自分の感情コントロール。研究者に拠って仕切りはゆらぎがあるようだが。
 
・ユングあたりの時代の心理学者の説によくある、心の成長のゴールである「完成された人間」に対して感じる不安とは、「全員が同じ人間になるのではないか」、つまり個性の消失という不安だろう。実際、欠点を個性と言い張り後生大事にしている者はいる。
 
が、これ多分論点がずれてる。例えばユングのタイプ論でのバランスが取れた状態やエリック・バーンの自我モデルの「大人」が「親」と「子供」を制御している状態などは、要するに「理性的かつ人間的」な形となるもののはずだ。
 
つまり人間の素の状態が思った以上にキチガイなだけで(上っ面取り繕えてりゃ十分だろ?)、上記のようなタスクの果てにようやく内面も込みで「自分はまともだ」と言えるレベルになるってだけな話じゃないのこれ。個性目指すのその後でいんじゃね。好き嫌いとかは作ったり決めるまでもなく元から自然と出来たりあったりするだろうし。
 
つまりこのタスクは、完全に「自らのために」行われるべきものである。内なる平穏のために。
 
・ツァイガルニク効果
考えただけで疲れるだとか、先のことの手順や心配事が頭のなかで繰り返されてやかましいだとか、そういったのもツァイガルニク効果だとされている。
要するに未消化のタスクが「雑念」になり得る。が、中和法もある。具体的な計画として書き出すことだ。
 
ユビキタス・キャプチャーの価値が長らく腑に落ちなかった。アレは明らかに書く量が多すぎて整理が追いつかない。だがこの視点から見るに、アレはある意味「ゴミ箱」なんだろう。邪魔な思考の捨て場所。拾う必要はない。同じものがどうせ勝手に湧いてくる。
 
・書くのは「忘れるため」という意見は昔からある。上記の例も加味すれば、そういう意味合いは確かにあるのだろう。
 
私自身、長いことこうやってブログ記事をごちゃごちゃ書いてるわけだが、確かに書けばそれについての思考は少なくとも「反芻思考」ではなくなる。同じテーマについて考えたとしても一歩進んでいたりする。だから基本的に記事に拍手コメついてて真っ先に思うのが『補足させて』とかなんだが。
 
逆に書かない限りループとかもある。
内容を忘れるということではなく、何らかの「実行」を伴うと多分その記憶や思考スキーマの「置き場所」が変わる。 
 
処理済みタスク保管所とかそういう場所が意識内にあるんだろう多分。じゃなきゃ展望記憶と普通の記憶の区別が人間に出来るのがおかしいわけだし。たまに区別がついてないやつもいるが。
 
私の場合はどの道何かしら考え事はしているので、そういった「席」があるのだというイメージなのだが。
 
・逆を言えば、反芻思考である限りは「todo」として脳内にあり続けている可能性。いつまでも頭のなかで繰り返し、「はやくやれ」「なんとかしろ」と駆り立てる。ああ、ドライバーなのかもな。
 
つまりこれは、アウトプット欲求であり、何らかの行動として昇華・発散しない限りこのままか?
それだけってこともないか。「あ、なんかもうどうでもいいわ」みたいな消え方もあるし。ただ、集中しようとしたり雑念が収まるのを待つ以外にも方法があるということで。
 
ただし欲求や反芻思考を「その通りに実行しなければならない」ということは決してない。やべーのだったらまともな形に昇華することを考えるべき。
 
・「アイデアは枯れる」なんて言うが、まぁそういうこともある。出しすぎて枯れたんだから何かしらまた詰め込むか、触媒となるようなイベントにでも遭遇するか。
 
・スタンフォードの監獄実験:ツイッターで教えてもらったんだが、ジンバルドーはTEDにも出ていた。普通に例の監獄実験のことも語っていた。嫁自慢しだすとは思わなかったが。
 
内容的には、やっぱり「環境が人を変える」ということだった。スタンフォードのようなことが軍でも起きていたらしい。
 
思うのが、自身が善良かつ無害であると信じて疑わず、また疑われることもないであろう人間があのようなことを行い、それでもなお自信を善良かつ無害であると信じて疑わず、また疑われることもないであろうということ。自然に歪む。あくまでもそれは当人にとって「普通」の、ありえることのままで。
 
「腐っているのはりんごではなく、樽なのです」とは上手いこと言う。
 
人数が気になる。wikiに記載されているのとTEDで述べていた実験参加者数が違う。
 
一応リンクは置いておくが、人間の業的ななかなかショッキングな写真とか出てくるので覚悟の上で。
「普通の人がどうやって怪物や英雄に変貌するか」
 
また、この中で語られる「英雄」は「勇気ある行動」の後に三年間身を潜めなければならなかったことも忘れてはならないだろう。
 
あとすげぇ早口。早口だったり歩くの早い人は頭の回転も早いって話もある。
 
善悪なー。3段階というか三層あって同時に機能してるかなと思ってるけど書いてもいいことなさそう。
 
 
・「若者は戦いたい。でも表立って戦える『敵』がいない。だから探す。だから作る」……若者に限らんな。
 
・自主性とか自己コントロール感。なんぞ適切な用語でもありそうなものだが見当たらない。とにかく「自分の意志で行動している感覚」とでも定義しておこう。なんか既に用語があったりすると助かるんだが。
 
シジフォス然り、賽の河原然り、刑罰でも無駄に穴掘って無駄にそれ埋めるのが一番精神的にクルなんて話もあるのは、無価値且つ「やらされている」からだ。
 
アンダーマイニング効果がかなり腹立つのも(恐らく大抵は不幸なすれ違いやタイミングの問題なのだろうが)せっかくの「自分がやりたくてそれをやっている感覚」を損なうものだからだし、人は根本的に「内側」からのものを自らの意志で「外側」に出したい欲求があるのだろう。字面がエロい。内面にあるものを外界に表現したいのだろう、とかに言い換えておこう。
 
そもそも自己実現、あるいは自己表現は人間が夢見る割と大きな目的でもあるのだろうし。「隠れて生きよ」を地で行ってる者でもそれは変わらないと思う。
 
・ネット上の性格判断系のサイトについて:ああいうのはピンキリで、実際に精神科医監修なんて書いてあるのもある。バーナム効果に気をつけて、参考程度に留めておけば割りと何かしらのヒントにはなり得るかもしれない。
 
ただ昔私が見た光景なんだが……。まぁちょっと言葉にしておきたい事があって。
 
ある遅刻魔がこの手の性格判断テストを私の前でやりだした。なんとなくぼーっとそれを見ていた。よくある「全く当てはまらない」から「よく当てはまる」まである5段階の選択のやつだった。
 
そして「私は待ち合わせの時は時間を絶対に守る」という問題が表示された。遅刻魔さんは全く、一切、一瞬の躊躇すら見せずに「よく当てはまる」を選択しおった。
 
ものすごくツッコミたかったが我慢してことの成り行きを見守っていた。ようやくテストが終わり、結果が表示された。
 
それは私から見たその人と比べれば確かに傾向としては当てはまってはいるが、些か美化され過ぎだろうといった結果だった。まぁそのテストはスコアではなくパラメータ間のバランスが重要なタイプ(確かPAC)だったので、結果に対して影響はなかったはずなんだが。
 
要するに、当然ながらテストは回答を元に結果が出る。回答者の「自己イメージ」というバイアスは必ずかかるということ。結果は美化されるか醜悪なものとなるかのどちらかに傾いているのではないかという可能性。
 
つまり表示される結果はいくらかは「理想の自分像」か「嫌いな自分像」が織り込まれているのではないか。そういった意味では逆に「価値がある」と言えるだろう。自分のことを自分がどう思っているのか、またはどうなりたいのか可視化や明文化がされるのだから。
 
そもそも自分のことはっきり分かってるんだったら性格判断なんぞやらんだろうし、そういった意味ではこの可能性は高い。その影響が強いか弱いかはそれぞれだろうけど。
 
これに気づいてから何人かで試してみたが(単純にそのテストやらせてみて結果を見せてもらっただけだが)、自分に厳しい性格ほど微妙な結果を出しやすく、お気楽な性格ほどおめでたい結果になる傾向が確かにあった。正直おめでたい結果になったほうが精神衛生上よろしいかと思うが。
 
表示された結果そのものはそれほど間違っているとは感じなかったが、なんて言ったらいいかな、パッと見で見れば「大体合ってる」。ただ、どこかしら大きく実像とズレる場合がある。そしてそのズレてる部分が、本人が問題視していたり愚痴ってたりしてる部分だったりすることが多かった。遅刻魔さんのアレも、気にしているが故の反射的な嘘だったのではないか、と思っている。
 
・で、私がこういうのやると探索者だとか論理学者だとかそれ系の結果にばっかりなる。理想がまざってそうだよなーと。
 
・そもそも、なぜ多くの人がこの手の自己分析テストに惹かれるのか。自分が何者かわからない、わけでもないだろう。的外れな答えが出たらふざけんなってなるだろう。じゃあある程度予測している答えが、すでに頭のなかにあるわけだ。つまり自己イメージが有り、それを漠然とでも既に認識している。
 
思うにこれはその「漠然とした」ものに形を与えたい願望、自己表現の方法なり言葉なりスタイルなり、何かしらの具体的な指針のヒントを求めてではないだろうか。だからこそ結果に満足し、我々はこう言うわけだ。「ああ、自分はこれだ」と。
 
つまりこれまたアウトプット要求であり、「何をどうアウトプットしたら良いかわからない」からそのヒント探し、ではないだろうか。
 
……だとすると、診断すっ飛ばして結果だけ見て選んでよくね? とか思った。最近のは50問とか100問とかあるからな。結果が知りたきゃメルアド登録しろ系は嫌い。しかも回答させた後でそう言い出すというね。
 
・診断結果について。実際に「言われてみれば思い当たることが」って部分もあるよねと。私の場合は感情的な人間が超嫌い、ガバガバで丸投げな質問されるの嫌い、とか当たってるなと。でもこれ皆そうじゃないのバーナム効果じゃないのとはやっぱり思うけど当たってるから別にいんじゃね。
 
翻って考えるにバーナム効果は内容自体は元から誰にでも当てはまりはするが、少なくとも当たってはいるわけで、そこ自体は別に嘘を信じさせるというわけでもない。バーナム効果は「これは自分を『指定して』言っている」と思ってしまう心理、つまり「範囲」に対する誤解だ。
その答えを「出した奴」あるいは「その答えに至る方法」を信じてしまう傾向が問題なわけで。要するに、結果は信じても理論を盲信するなと。
 
繰り返しになるが、それでもなりたい自分やら治したい自分やらに気付くヒントになるのなら、それでも良いと思う。間違っても「その通りであり続けなければならない」とか思わない限りは(つまり暗示や強迫観念にならなければ)、別に自由でいいんだろう。
 
 
・バーナム効果と言えば、「あなたは人間関係で悩んでいますね」って言えば大体当たるわぼけーって話がある。人間の悩みの殆どは人間関係だ、と。
 
人間関係が思った通りにいかず悩みのタネになるのは、「相手」がいる話だからだ。
で、距離感の好みが違う場合や人間的な相性が悪い場合はまず期待通りにはならない。つまるところ方法論や力加減に相手が誰だろうがこうやってりゃいいよ的な「最適解」が存在していない。
 
ヤマアラシのジレンマ、まぁハリネズミ的なのが暖を取るために寄り添うが、自らの針で相手を傷つけてしまうというそういう話だが、そもそもそれぞれが「針の長さが違う」。自分が「温かい」と感じる距離で既に相手は血まみれだったりする可能性があるわけだ。
 
……実際にはあいつら、針しまえるんだけどな。人間も見習うべきだろう。自分や相手の針を折る必要はなく、それぞれ「しまう」。まぁしまってるって言いながら竹槍みたいなノリで突撃してくるのもいますが。
 
・そういや昔知人が「自分の『仕様』を理解しておくと人生が楽だよ」とか教えてくれたわけだが、まぁその通りなんだろうね。考え方、覚え方、ライフスタイル、好み、コーピングリストみたいなものからやる気が出る方法まで、自分の仕様を理解しようとする「研究」は誰でもやったほうが良いのかもしれない。自分にしか出来ず、自分のためになることだし。
 
ADHDの努力家ってのは多いようで、集中力やワーキングメモリに関して検索した時には彼らの文章が目に入ることが多い。彼らの克服の方法は「『普通』を身に着けた」と言うよりは「『自分』の使い方を理解した」と言ったニュアンスを感じるものが多い。要はゴールは「普通」だとしてもやり方はオリジナル感がある。あとは根性論クソ食らえってのが多い。まぁ、察する。
 
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