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自責の念について

自責の念について


※工事中
 
「なんでそんな理由で自分が悪いって思えるんだよ」って人がいたりする。なんかもう、むしろそう思いたいんじゃないかってくらいの。なぜなのか。
 

 

 




 

◆後悔

・自責の念は恥や後悔の念だとされている。過ぎたこと、或いはこれから起きる好ましくない出来事に対しての「あの時ああしていればこの状況を避けられたのに」「なぜ自分はあんなことをしたのか」と言った形のループする思考。
  
また、そのような状況に作った自らへの不信、嫌悪。今後の自分自身の言動に対しての不信感。
 

◆ペシミズムからの分析グセ

ペシミズム、つまり悲観主義。その出来事を「問題」と捉えるから、「解決」しようとして「考える」。この考えるが「悩む」であり、その結論として自分が原因だとするなら「自責の念」となる。
 
加えて自分が原因だとの結論に至りやすい。何かしらを体験をする時、その場に必ず「自分」はいるのだから。なにかできたかもしれない、アレをやらなければよかった、そもそもその場にいなければよかった、となりやすい。
 
この場合、そもそも「問題だと捉えていることが問題」というややこしい状況になっている。
 
そういった「悲観的な完璧主義」の状態。確かに慎重・確実を目指すなら悪い可能性を考慮するべきだし、その対処を学ぶためにも実際に起きた問題に対して「どうすればよかったのか」を考えるのは有意義だろう。
しかしこれがクセのように自然な見方・考え方になっているのなら、意識して違う見方※もしないとストレスがたまる。「課題を探す」のと「問題しか見えない」では天と地ほどの差がある。
 
・これは「責任感が強い人」にも通じる話だ。責任を感じる=自分の問題でもあると捉える、だから。拠って真面目な人間はこうなりやすい。また面倒見のいい人間も、どうしても他人の問題を気にしがちになる。
 

◆自己犠牲

・問題を「自分ひとりで抱え込む」タイプ。
 
・視野が特殊な状態になっている。「問題と自分」しか見えていない状態。それだと全部自分のせいになるのは必然だろう。
 
また、本人に問題解決能力があるとも限らない。そもそも一人で片付く問題なのかどうかも。こういった場合、「そもそもこんな事にならなければ」と己の行動を責めたり、「どうして自分にはできないんだ」と己の能力を責めることに繋がる。
 
・一見すると責任感が強く真面目な努力家。だがこれは「自分の問題だから自分でなんとかするべきだ」と言う思考。
 
このスタンスだと、それ自体が問題を発生させることもある。例えば子供の虐待事件などで、児童相談所は数ヶ月から数年前に危険だと判断できる情報を掴んでいたケースは多い。今では近所の人々が結構通報するようにもなってきたようだから尚更だ。
 
警察などとの連携を嫌がり、「自分たちでなんとかしよう」とした結果がこれ、という話がニュースとしては目立つ。これについては「自分たちだけの力じゃ足りないのに当人だけがそれに気づいておらず、意地を張っている」と指摘する声もある。一見すれば「責任感」だが、その結果は無責任と言えるものとなった。
 
もちろん彼らが解決した件も多数あるし、彼らは職務の特性上成功した仕事を宣伝して回るようなことができないそうだ。子供が元の生活或いはそれに準じる生活に戻るために。それらの中で「こぼれた」ケースは大々的に取り上げられてしまうのも内容的にはやむなしだとも思うが。翻ってみれば、上記の抱え込む体質も「今後のことを考えてできれば大事にはしないように解決したい」という考えもいくらかあるのかもしれない。
 

一方、ニュースになるような件が経緯を見てみれば「なんとかできたはず」にしか見えないのも事実だろう。
 
「力不足なのにそれを認めない」という点は、問題解決の姿勢としては不誠実だと言える。それが本当に個人の問題であるなら困るのは当人だけで済むだろう。
だが、なんとかならなかった場合に他人を巻き込んだり、他人ならなんとかできる場合、そもそも他人が主役であるべき問題を何故か他人が抱え込んでいた場合はどうか。問題を抱え込むことは、別の者からしてみれば「隠蔽」の色合いが濃い形になる。
 
重い話になってしまったが、こういった思考は万人共通で持っていると見ていいだろう。
人には、人に頼ること自体が恥だとする価値観がある。
嵐が通り過ぎてくれるのを期待している心理がある。
自分に「試練」を与えたがる欲求がある。
助けを求めても誰も助けてくれず、恥を掻くだけかもしれない。
だがそれでも、ただひたすらに自責の念に苛まれるだけよりも、「違う方法を考える」くらいはしたほうがいいのではないか。
 

◆過去に誰も助けてくれなかったから

・例えば家族全員が発達障害で自分だけそうじゃない、或いは家族全員が価値観が腐っていて自分だけまとも、或いは本人が発達障害の傾向、或いはいじめなどでの登校拒否に対してサボってる甘えるな言い訳だと言われるなど。
 
こういった自身と周囲との齟齬に対してのお前が悪い、お前がおかしい、お前の主張はインチキだ、お前が合わせろ、お前の問題だ、お前が解決しろ、と散々言語非言語において扱われてきた結果として。
 
最後の2つがそのまま答えだ。お前の問題だ、お前が解決しろ。これが「自分の問題だと思い自分で解決しようとして全て抱え込もうとする」気質となる。
 
当人が問題だと思っている/害を受けている状態で、なおかつ誰も何もやらないのなら、自分でなんとかするしかない。この場合、自分が悪いかどうかはあまり関係ない。これに対しての結論として「問題だ、でも解決できない。じゃあ、自分が我慢すればいい」となった場合、その「そうするべき理由」として「自分が悪いから」という偽の結論を捏造しても不思議はない。
「これは『罰』なんだ。自分はこんな目に合うべき人間なんだ」という合理化。そんな「我慢グセ」。
 
この「気質」は思考/記憶/知識的なレベルではなく、認知レベルだろう。端的に言えば世界がそう見えるし、「そうとしか思えない」状態。
 
つまり自責の念が「現状に対しての不満/問題の解決を諦め、甘んじて受け入れ、ただひたすらに耐えるように言い聞かせる」形で機能している状態。
 
例としては、過労死寸前の人間がいたとする。彼/彼女はそのままその状況に耐え続けるとする。
 
彼/彼女の己の境遇に対しての認識はどうだろうか。
 
自分が悪いんだ自分が学生時代に大して勉強しなかったから大した学歴がなかったから就職活動を妥協したからこんなところにしか入れなかったもっと頑張れたのにみんな頑張ってたのにこの仕事だって自分だけがこんなに疲れてこれが辛いなんて自分がおかしいのか自分が弱いのか自分が頑張らなきゃ誰も助けてくれないこれが普通だ当たり前なんだ自分が原因だ自分が悪いんだ自分のせいなんだこれは必然だ耐えなければ
 
とかなんとか言い聞かせてる状態かもしれないね、という例え話。実際にはそんな事考える「余裕」すらなかったのではないか、というケースのほうが多いが。
 
少々悪乗りしすぎた感があるから補足しておくが、「自分のせいだからこれは仕方ない」という形での「納得」をしてその件を片付けるのなら別におかしくはない。それが有効な時もあるだろうし、事実である時もあるだろう。上記の状況で問題になっているのは「我慢するべきかせざるべきか」という判断をすっ飛ばして「自分が悪いんだから我慢しなきゃいけない」となっていることだ。ここが罪の意識、自己評価の低さが原因の部分。
  
「責任転嫁」に見られる他人への憎しみが、自分に向いてるって言ったほうが早いだろうか? 要は自己奉仕バイアス※の亜種。対象が自分になっている以外は変わらない。相手が自分だから容赦がない。
 

・「自分を責めるのは一種の現実逃避だ」とする説がある。確かに、もしも自分を責めることで言葉通り「頭をいっぱいにすれば」、現実問題に対して怯え、苦しみ、悩み、何かを実行せねばならないという義務感やら強迫観念やらは締め出される形にはなる。一時的に。
 
でもすぐまた湧くだろう。逃げ続けるためには、問題が自然消滅するまで自分を責め続けなければならないことになる。
 
これでは現実逃避にしたって効率が悪い。そもそもどのみちストレス感じるようなことを自然と好んでやるというのは不自然だ。現実逃避したいなら、遊びや快楽にでも耽ればいい。でもそうしない。
 
なぜ自責の念が延々と続くのか。あるいはなぜ自らその状態に留まるのか。幾つか考えられる。
 
一つには、仮に現実逃避したいのだとしても「問題から目をそらしたくはない」。これは油断、つまり無防備な状態で最悪な結果に叩き落される可能性を避けるためだ。これだと問題自体は「ある」と、ちゃんと認識している必要がある。でも見たくない。この「落とし所」として現実に問題発生の一端を担っており(つまり問題に関連していることで)尚且つ黙ってサンドバッグになってくれる「自分」に対して八つ当たりが向くこと。
 
二つめは、「解決したいが諦めるしか無い/自分には無理」あるいは「もうやるしかない」、という場合。つまり頭では既に結論が出ており、尚且つそれを受け入れたくない/やりたくない状態。この「これ以上考え様のない状態」で「気に食わない答え」が出てしまった後で、それでも理想的な問題解決を追い求めるとしたら、「あの時ああしなければ/していたら」しかもう無い。
 
こう言うこともできる。この状態は「まだ諦めてはいない」。・・・ちょっと聞こえが良すぎるか。自分が出した結論・結果に対して納得行かないだとか、決断できないだとか、実行に移せないだとか、そんな感じの状態。でも頭では諦めるしか無い、決めるしか無い、やるしかないと分かってる。
 
だからもう、これ以上に考えて「最適解(あるいは抜け道)」を探すとしたら「前提が違っていたら」しかない。だが過去は変えられない。そうなれば「この状態」にならずに済んだのにわざわざそれを選んだ「あの時の自分」に対して、現実に恨みはあるのだろう。
 
朗報かどうかは知らないが、人間は「選ばなかった選択肢」や「自分が持っていないもの」が超気になる心の癖を持っていると言われている。その分選んだもの、持っているものが全く見えてない時がある、とも。「探す場所」を変えてみたほうが道が拓ける可能性はあるだろう。
 





 
三つめ、「問題解決能力を持たない自分」あるいは「この状況に陥る原因を作った自分」に対してのヘイト。2から繋がる。こうなる前に準備ができたはずだ、この状況を避けることは出来たはずだ、ここまで悪化する前にもっともっと早く気付けたはずだ、もっと上手い解決法があったはずだ、とする自責の念。
 
ポイントは、「その時ベストを尽くしたのにこう思ってしまう」ということがあること。これは殆どの場合後知恵バイアスだろう。プレイヤーとしての視点と出来ることと、それが後悔や自責の念に駆られる結果になると知った後からの「神の視点」や「ゲームマスターとしての視点」で気付けることは違う。それが同じだったら誰もが万馬券当てれるわい。私は馬券の買い方も知らんが。
 
まぁ簡単にいえば、ゲームマスターの視点では「どんな馬鹿でもわかるようなこと」だったとしても、プレイヤー視点では「どれだけ頭が良くてもまず気づけないようなこと」だったりする。
後知恵バイアスは当人の立場が入れ替わった後から考えるため、ここがかなり混同される。ついでに時系列もバラバラになりがちだ。
 
簡単に言うと・・・。推理小説や推理ゲームを嗜むなら話は早いんだが、一周目で本気で犯人当てるつもりで読んだとしても、大抵は気づけるのはだいぶ後だろう。だが同じ作品の二週目はどうだろうか。あらゆる布石が見えるはずだ。犯人がわかってる視点で改めて見ればこいつ以外犯人はないって思える。
 
再放送されてるような2時間ドラマはだめです。キャストで犯人がわかります。
 
このように「知ってる視点」で過去を「さかのぼって」物事を見るから、どうすればよかったのか、これをしたらどうなるのかがわかる。そしてあり得なくて実行不可能な解決策が生まれることもある。大抵の場合、「その状況でその発想はほぼできない」のに「名案」だと思えるようなアイデアが。
 
また、人間は見聞きした順番で綺麗に覚えるよりも、印象が強かった記憶を優先させる。
 
つまりこの状態、「もしうまくやるとしたらどういった行動をするべきだったのか」という設問の最適解は出すことが出来るんだが、大体は当事者の立ち位置でそれに気付けるのか、それが実行可能かどうかなどがすっぽ抜けた結論になる。
要するに「部外者が口にする後出しの理想論や綺麗事」になる。そんな結論を自分で出す。
 
何れにせよ、重要なのはプレイヤー視点での気付きと行動だ。ゲームマスターは「プレイヤーとしては参加できない」のだから当たり前だ。後知恵バイアスは大体あってることが多い(あるいは辻褄が合う結論に至る)が、基本的には役に立たない。
 
だが、後知恵バイアスが醸し出す「こうしていればこうはならなかった」という「可能性」に魅力を感じてしまうと、後悔と自責の念に囚われる。「現実にはそうじゃなかったから」だ。
 
そして次にプレイヤーになる際、「行動するのが怖くなる」。「自らの手で破滅した」ことを懇切丁寧に思い知らされたら、まぁおかしくはないだろう。
 





 
四つめ、コントロール感覚。「自分が問題なら自分が解決できるはずだ」ということ。人間はコントロールできない/理解できない状況に対して不安を感じる。逆にコントロールできる/理解できることには安心を感じる。
 
だから小心者のほうが他人に対して高圧的な態度をとることが多い。言う事聞かせている間は「コントロール」しているし、なにが目的でそれをやっているか「理解」しているからね。攻撃的なコミュ障ってのはかなりの数いる
 
問題に対しての主導権の模索。ベタすぎて多分気づいていないと思うが、「努力が足りなかった」というのが代表例だ。「じゃあもっと頑張ればできるよね」と。希望があるね。
 
でももうチャンスがなかった場合には「どうしてあの時もっと頑張らなかったんだ」となる。この場合でも「自分には成功できる余地があった(過去形)」との慰めにはなる。つまり、実力がなかった/どうあがいても不可能という結論を避ける。
 
これはある意味ネガティブな努力万能主義、根性論で、やり方をしっかり考えたり別の道を模索するより下手な努力をひたすら繰り返す方向に人を誘導させることもある。厄介なことにこれを崇める人間も多い。報われると信じて。
 
やれること見つけようって所は気持ち的には前向きといえるが、二つめと4つめのこれを無限ループするケースが多い気がする。そして繰り返すたびにハードルは上がり続け(もっと努力を! もっと注意を!)、最終的には無理になる。
 
また、この「希望」を守ることに必死過ぎて逆に何もしないようになるケースも有る。セルフ・ハンディキャッピングと呼ばれる「最初から手を抜いて失敗の言い訳を用意しておく」行為にも繋がる。簡単に言うと勉強しようと思ったら部屋の掃除したくなるアレ。
 
彼らは基本的に「自分はその気になればできる」と心底思っている。「その気になれない」のが問題なのにだ。そして、「その気になればできる」と信じ続けていたいから、全力で挑戦することはそれが壊れる可能性があるから、ずっと「その気になれない」。
 
これと同様に、自分のせいにし続けていれば、その問題に対して「自分がなんとか出来るかもしれない可能性」が自分の中にあると信じることが出来、尚且つ「それだけを」守り続けている可能性。多分それ生き地獄だから、その考えは忘れるか逃げるかした方がいいと思う。
 
考えたくないけど目をそらしたくない、あるいはやりたくないけどやるしかない、理想と現実が食い違っている、そういった葛藤を解消しようとした無意識的な情報処理ではないか。合理化と呼んだほうが正確かもしれない。
 
書いたあとで気づいたんだが、1~4で自責の念が無限ループする可能性がある。無限ループと言うか「全部混ざってる永久機関」になり得る。
 
1の「目をそらしてはならないけどそらしたい」と3の「問題解決能力がない自分への嫌悪」をベースに2の「たられば話の現実逃避」と4の「自分のせいだから自分がなんとかできるかも」を行ったり来たりで。
 
5つめ。アイデンティティ。これ以上書いても蛇足な気がするが。本人がそれに悩んでいる自分、悔やんでいる自分こそが「自分らしさである」と定義している場合。まぁ悩みなんて後からやたらと湧くからさっさと割り切るなり克服する方向で動いていい。「悩んでいる自分」より「乗り切ろうとしている自分」の方が、よほど好きになれるだろう。
 
何よりもこれでは他のものが一切見えなくなりがちだ。これはもっと自分らしくなれるかもしれないことを見逃すってことでもある。
 





 
6つめ。「他人を憎まなくて済むから」。意外と多いんじゃないか。でも本質的には1つめと似ている。争うためにはエネルギーが必要だ。無限に湧いてくる連中もいるが、大抵は疲れる。相手がどう考えても悪いって時でも気持ち的にはノーリスクってわけにはいかない。やられ損なのが実際のところだろう。
 
争いを避ける理由は色々ある。良き人でありたい、そう振る舞いたい。前述のように「割に合わないから」。相手が日本語通じる知能を持ち合わせていないから。逆ギレが甚だしいから。etc。
だがこの「我慢」の代償としての自分イジメは、最後まで自分をいじめ抜くということである。それこそ割に合わないだろう。
 
「犯人」に心あたりがあるのなら、もうちょっと周りを見てみるといい。他の者たちがそいつを嫌い、避けて、あるいは縁を切ったり逃げ回っているようなら、別に自分だけが我慢して代わりに自分をいじめることもないだろう。それは「そういうやつ」であり、あなたも離れたらいい。
 
相性の問題もあるが、そいつが居るだけで、見るだけで心身に実害があるってこともある。善人悪人といった道徳の話とは限らず、良いも悪いもなくお互いの「自然体」が絶望的に噛み合ってない時など。まぁ、「住み分け」って言葉を贈ろう。
 
どうもこう、こうして並べてみると「思考だけで解決しようとすることの限界」が見えてくるね。結局の所は「そういうこと」にして、脳内で済ませるだけであり、現実の問題は変わらないか、実質放置だから悪化する。
 

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