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バロック、共同幻想、昔話。:公正世界仮説

バロック、共同幻想、昔話。:公正世界仮説


 
 

バロックというゲームが有る。世界観が独特で、なんやかんやで世界が物理法則レベルで歪み、人間たちもミュータント化し、そのような世界に精神的に適応するために(元)人間たちは各自の「妄想」を抱え、その中で生きている。この歪んだ妄想がその世界観では「バロック」と呼ばれている。
 
公正世界仮説を鑑みるに、このゲームの世界観、そこで生きる元人間たちのやってることは、そのまま今現在の人間たちと同じことをしていると言える。違いといえば、あの世界では各自の妄想だったが、こちらでは妄想が「共有されている」点か。
 
公正世界仮説を根拠に、そうではない「現実」を否定する人間は、世界は公正で、良いことをすれば良いことが起き、悪いことをすれば悪いことが起き、それ以外はありえない、という「完全な因果応報」のバロックを共有している。
 
まぁ「共同幻想」っていうそれっぽい言葉がちゃんとこの世にはあるのだが。
簡単に言えば、男は強くあれ、女はしとやかであれ、などのイメージだとか、その年なら結婚してるね、その年なら子供がいるね、その年なら年収このくらいあるよね的なイメージだとか。
基本あれだ、多くの人間が「普通・常識・当たり前」だと言って、言われた側は「うぜぇ」と思えば共同幻想ってことでいいよもう。
 
「幻想」と言えばやばい系にも思うかもしれないが、ここでは「価値観」だと思えばいい。共同幻想は個人の幻想と両立し得ず、押しつぶすとも言われている。だから共同幻想の狂信者というよりは、汚染されていると言ったほうがいいかもしれない。
 
後は「カネ」も共同幻想だと言われている。紙幣のほうね。あれは国が価値を保証するから額面通りの金額として機能する。そうじゃない場合はかつてのジンバブエドルみたいな状況になる。トイレットペーパー買うのに札束必要みたいな。戦争が起きると為替の相場が下がり、金や原油と言った実需的な物の相場が上がる一因でもあるらしい。まぁそれだけでもないだろうが。
 
「貨幣」の場合、金属としての価値があるので共同幻想とはあんまり言えない、ってことになってる。面白いのが一円玉だ。アルミニウムの相場にも依るが、大体一円玉の金属としての価値は2円くらいあるそうだ。アルミ買うなら一円玉潰したほうが半額で済むことになる。まぁ貨幣を変形させるのって法律違反だけどな確か。
それ以外の硬貨は金属としての価値以上の金額として取引に使われている。どのみちやっぱりこれも共同幻想だよなと。
 
つまるところ、人間の生活の「基盤」レベルで共同幻想が食い込んでいる。「正しさ」は時として必要ではなく、「こうであるとする」という強制力に従うことで安定を作り出すという側面があるのは事実だ。社会的なヒューリスティクス、ステレオタイプ。
 
公正世界仮説の被害者バッシングの場合、公正世界仮説を共同幻想として見ると問題点がいくつか浮き彫りになる。
 
1.「区切り」が存在していないこと。宗教ならその集団、企業ならその集団、国家ならその集団として共同幻想は基本「区切り」がはっきりしている。未開の部族に万札ちらつかせたところでケツ拭いて終わりだろう。「通用しない場所」が確実に存在し、外部からは奇妙に見え、時に無価値または否定される。
 
これが公正世界仮説だと「ハッキリと明示されておらずそれでいて多くが信じている」ため「押し付け」が多発するし、「例外」を見つけた場合、ご存知の通り袋叩きに合う可能性がある。公正世界に限らず普通常識当たり前ってのはこの傾向が強い。イルカがークジラがー犬がーみたいなな。
 
2.全ての「世界観」に言えることだが(たとえネガティブなものでもだ)、確実に当人の「安定」に寄与していること。言わずもがなだが、上記のカネの話のように多くの者が信じている概念とは大抵の場合「安定・安心のためのルール」として機能する。
 
ネガティブな世界観でも「それ以外の形の不幸はありえない」という意味では「未知」を忘れ、「日常」を演じるために機能している。それだけに警戒していればいいからだ。実際「変わる」ことの方を恐れ、不幸に甘んじるケースも有る。
 
「例外」はそのままその「偽りの平和を乱す者」になる。「例外であるだけで」、犯罪者、悪人、卑怯者と同類の扱い、つまりは「存在悪」のような扱いになる。たとえ理不尽な目にあった被害者だろうと。
 
正直、自分の頭でこの妄想を作り出したようには思えない。それだと共有している理由がないし、彼らは社会に「従順」であろうと少なくとも表面上は振る舞っているように見える。まぁこれは暴れるためにも正義を名乗る必要があるってのもあるだろうが。
 
ともかく、では妄想の元ネタは何処か?
 
例えば昔話。「現代において書店で子供向けとして売っているような絵本」は、悪因悪果、善因善果、勧善懲悪が目立つ。いつぞやの「狼の眉毛」http://embryo.blog.shinobi.jp/awareness/346にしたってそうだ。
あれについての記事を書く際に調べたが、ラストはいくつかパターンが有る。
 
1.老人は「人間」がどこにもいないことに絶望し、山で一人で暮らすようになった
2.老人は唯一見つけた「人間」である金持ちに人となりを気に入られ、裕福に暮らした
3.主人公が青年になっている。正直者の青年は2と同様に金持ちに気に入られ、金持ちの娘と結婚して幸せになりました。
 
「物乞いをして近所からバカにされている若者」という形になっているケースが一番多かったかな。私はオリジナルが1で、2、3と「改変」が進んでいったと思っている。理由としては1にリアリズムが見て取れ、3になるに連れテンプレのような「昔話」になって行ってるからだ。
 
これは落語の「寿限無」でもそうだ。あれは最初は、
寿限無が溺れた。
友人が助けを求めに大人の所に行った。
名前が長すぎて状況を説明している間に寿限無が溺れ死んだ。
といった形だったらしい。
これが「時代に合わずに改作され」、
子供同士の喧嘩で寿限無に殴られコブができた。
相手は親に言いつけに行った。
名前が長すぎて伝え終わる頃にはコブが治っていた、
という形に変わっている。
 
落語の方は金とって聞かせるわけだから大衆向けにカスタムされても不思議じゃない。尤も寿限無はあの名前を噛まずに言える語り部の芸を見るものらしく、初めから結末に拘りもなかったのかもしれないが。
 
大抵の場合「話」には目的がある。伝えること、広まること、理解させること、信じさせること。これらの「目的」に合わせて、どうでもいい部分は足したり引いたりして「感染力」を高める傾向がある。ウイルスのように。
 
狼の眉毛の例に漏れず、今で言う童話、昔話とされている物語はオリジナルに近ければ近いほど残酷な描写、理不尽な結末が多い。逆に現代であればあるほど「お約束」な結末になる。 
正義が悪を倒しその財宝で幸せになりました、お姫様は王子様と幸せになりました、正直者が報われて幸せになりました、欲のない人間が幸せになり、欲を出した人間が不幸になりました。
 
シンプルだね。シンプルで「わかりやすい」。わかりやすさも一つの感染力だ。「洗脳力」と言ってもいい。耐性がないほうが悪いっちゃ悪いが、子供向けでこれは「危険」にも思う。すぐ真似したがるしな。
 
ともあれこれは、幼い頃の因果応報のバロックの「刷り込み」が蔓延している、とも見て取れる。まぁもっとも、ほっといて人格者になってくれりゃ世話ないんだが。こうなってほしいという親の願いもあるだろうし。
 
逆を言えばそれ以外の物語も結構あるのだが、因果応報・勧善懲悪の物語は「教育」的な目的で親が選ぶことは多いだろう。また、何かしらの「世界観」がなければ生きづらいのもおそらく事実だ。ベースと言うか、暫定的なペルソナというか。
 
公正世界仮説においての心理実験で、今すぐ7万円もらうか、90日後に12万円もらうか選ばせる、というものがあった。まぁこの内容自体は珍しくないんだが。チョコレートのバージョンとかあるし。
 
特徴的なのは選択の前に「信号無視の車に巻き込まれ人が死んだ」たる話をした点だ。
その被害者が、
A:一般人
B:違法薬物の密売人
であると話した2つのグループに分けた。
 
Aの「物語」を聞かされた人間は今すぐ7万を選ぶ数が増えた。
Bの「物語」を聞かされた人間は90日後の12万円を選ぶ数が増えた。
 
つまりAグループは「因果応報」の世界観が揺らいでいる。だから「自分もどうなるかわからない」と即物的な選択をする。
311の災害の時、被災地以外の場所では近所のあらゆる店から懐中電灯と電池、その他「防災」に纏わるものが売り切れなかったか? あれがAグループの心理状態だ。「いつ自分も同じ目に合うかわからない」という恐怖。
 
Bの場合は強化されている。「死んだのは悪人」だから「自分には関係ない」として「いつもどおりに」最も利のある選択を選べる。
 
この実験結果自体は事前に吹き込まれた話に選択が影響されたことを物語っているに過ぎない。公正世界仮説による被害者バッシングの話に戻ろうか。
 
もうわかっているとは思うが、公正世界由来の被害者バッシングの場合は「Bを選びたい/自分には関係ないと思いたいから死んだのは違法薬物の密売人で『あって欲しい』」という心理だ。
 
また、探してまで行われる「悪人探し」「原因探し」もそれを見つけて叩くことで「自分が不安を抱えてるから公正世界仮説を強化したい」心理かもしれない。
 
つまるところ、この状態の人間の心理、というか「着地したい場所」は、
 
1:「『理不尽に酷い目に遭う可哀想な人』はいなかった」たる「安心」
2:「悪人がひどい目に合った。やはり世界は正しいんだ」たる「確信」
 
のどちらかになる。どちらかっていうかもうどっちも選ぼうとしてる勢いが見受けられるが。 
 
特に1は、先程述べた「いつ自分も同じ目に合うかわからない恐怖」からも逃れることができる。
そのためには不幸な被害者はおらず、彼/彼女は「そんな目に合うべき奴」でなければ困るわけだ。
 
おそらくこのような「願い」は勝手に心のうちに湧いてしまうものだろう。「人間」ができることは、それに身を任せるか、抑えるか、少々慎重になるか、その選択くらいだろう。大きな違いだと思うけどね。特に被害者にとっては。
 
安心・安全を求めるのは本能だ。だが人間は自分を騙してまでそれを得ようとする。頭良すぎて不安材料が見つかりまくることの対抗策かもしれない。人間は幼い頃、結構な確率でタナトフォビア(死恐怖症)になると言う。「死」を知り、そして自分もいつか死ぬのだと知った時、それと折り合いをつけることに手こずる。人間しかそんな心配しないからな。多分。
 
・公正という概念そのものについて。人はこれを求める。公正世界仮説が暴走するのは「これは絶対だ」という発想由来のものだ。「公正」を求めることそのものは別に善悪はないだろう。
 
また、公正でなくてはならない者たちもいる。警察、裁判、法律、政治関係など。彼らに「公正ではない態度」があった場合の市民の怒りは妥当なものだろう。そうであると誓ってその職業についたはずだから。(あっれおっかしーな)
 
公正世界がもしもあるとしたら、人の手によって今後作られるものだ。また、散々述べたように公正世界を望むことが暴走した際、非常に「公正ではない」ことをこれは妥当だと言って行う可能性もある。先は長いのだろう。
 

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