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人が自己愛を満たすために行う3つの方法

人が自己愛を満たすために行う3つの方法

   
 
自己愛と言えば聞こえが超悪いが、要は漠然とした不安や寂しさ、自信を失った時、自己評価が下がった時に人はどうやってそれを解消しようとするのかという話。
 
コフートは自己愛を満たすために人間が行っている方法(特に患者が治療者に無意識に行うこと)を3つに分類した。
 
ハインツ・コフート 1913-1981 両親はユダヤ人。自己心理学の提唱者。
 
今回はそれを「人は何に拠って自己愛が満たそうとするか」として書く。
 
・前提として、自己愛やその欲求自体は誰にでもあるし、日常においてそれを満たそうとしている。ここで言う自己愛は「ストローク」だと思えばいいだろう。
 

◆目次

◆鏡転移
◆理想化転移
◆双子転移/分身転移
◆融合転移
 
 


 
 
・用語解説。
「自己対象」は自分の自己愛を満たしてくれる「相手」のことを差す。
「転移」は他者に向けられる非現実的態度を差す。愛着したり、敵視したりなど。
 

◆鏡転移

・簡単に言えば「他者承認欲求」に拠って満たされるモノ。
 
自身に向けられる他人からの称賛、注目などを元に自分の存在価値が満たされる。
 
自分へ向けられる「リアクション」が根拠なので、「鏡」と呼ばれる。鏡に写ったものは自分だから、それが好ましければ自分は好ましい、と。
 
コフートによればこれは幼少期の無条件の愛情・関心を自分に注いだ「母親のイメージ」だとされる。それを現在の自己対象に投影し、同様のものを求めること。
 
・他人なら誰でもいいというわけでもない。「期待通りのリアクション」、つまりは称賛や注目などをしてくれる人が必要となる。
 
そんな相手を選ぶ、若しくは「作る」ところまで行く者も。どのみちこれだと少数の人間にかなり依存することになる。執着し、最終的には潰してしまう可能性。
 
自己愛性人格障害が「精神の吸血鬼」と呼ばれることもあること、忘れないほうが良いだろう。なんか最近じゃ似たような振る舞いしてる者を「エナジーヴァンパイア」なんて呼ぶとかなんとか。
 
「人間関係焼畑農業」とか呼ばれるのも居る。
 
・他者のリアクションを期待する、そしてそれに拠って自己の評価や根拠を得る、というのはオーバーにとられるかもしれない。承認欲求という言葉もそうだが。
 
これは実際には些細な、例えば挨拶し合うだとか、そういったものでも補充できるようなレベルの話を含めると強調しておく。この場合は挨拶をする/返すに足ると認めているということになる。
 
まぁこれはこれで挨拶しろとは言うものの、自分からは絶対にしないおっさんとかいるわけだが(嫌われ者が礼儀やマナーを義務化したがるのはこれが得られるからだろうね!!)。
 
・ちなみに他者承認欲求は更に上位・対等・下位承認の3つに分けられる。意味は言葉通り。偉くなりたいか、仲間と思われたいか、守られたいか。
 
つまりナンバーワンじゃなくても鏡転移で満たす方法はこれだけあり、基本的には些細なものでも十分であり、結構身近にある光景だったりする。
 
どれにしたって「みんなと居ると楽しい」なら今回問題はないだろうが、「一人だと不安になってくる」のなら、何かしらが枯渇している状態かもしれない。
 

◆理想化転移

・鏡転移と対照的と言えるだろう。
 
何か・誰かを尊敬、注目、憧れを抱いている自分に対しての充足感。
 
・例えば好きなものを語っている時の誇らしい気持ち。憧れの人が称賛されているのを見て喜ぶ気持ち。競技に於いて応援している選手が勝利を収めた際の、我が事のような喜び。
 
・一見するとファン心理のようなものだが、もうちょっと詳しく言えばそういった「上位の存在」に尽くす・協力・応援などで「貢献」し、これによりいくらかの一体化を得ている。
 
「まるで自分のことのように喜ぶ」というのは、この一体化により実際にある意味自分のことだからだ。
 
これまたちょっと聞こえが悪いけどね。基本的には別に問題ないだろう。ライブとかはむしろ一体感を感じるもの、らしいよ。
 
実際度を超えたらよろしくないのは確かだけれど、これまた程よければ「良いファン」「良い応援者」足り得るだろう。
 
・「私は完全ではないが、あなたは完全である。そして私は、あなたの一部分である」との形での自己愛の充填とされる。幼い子供が、自分の親は凄いんだと自慢するかのような。
 
・「自己犠牲」に繋がる可能性。また、一体化が度を越して対象の「独占・私物化」または「コントロールを奪おうとする」ところまで行く可能性もあると言えばある。
 
特にメサイアコンプレックスなどの自己犠牲兼相手にとって余計なお世話みたいなのはあり得るだろう。
 
・加えて「理想化」が強い場合、対象を神格化する危険性もある。元から「完全なる理想像」を相手に投影しているとも言われている。
 
これは自分が相手の付属品として振る舞うことになる可能性の他に、相手に完璧であることを求める可能性もあるということ。
 
有名人の襲撃事件は枚挙に暇がないが、そのうちのいくつかは、犯人にとって「裏切られた」のが動機である。これは「相手が自分の理想通りではなかった」ということだ。大抵それまでは大ファンとして周知されている。
 
実際、対象が完璧でないとわかると自己愛憤怒を招いたり、激しく落胆するとされている。結構、恋愛絡みでこういう話も多いな。
 
 

◆双子転移/分身転移

・結構言葉通り。「自分と同じ/似ている」人間を通して自己愛を満たす。それまでは鏡転移と理想化転移の2つだったのだが、晩年になってコフートが追加した。
 
「自分と同じような他人を確認したい」という心理だとされる。
 
・これも日常でよく見られるだろう。例えば同じ制服を着ていたら、相手の所属は自分と同じだと思える。その者に対して思うところは、無関係の誰かとはまた違うものとなる。
 
もっとわかりやすいのだと、趣味が同じ人。すぐに打ち解けられたり、会話が弾んだり。これは「自分」を出せる相手であり、つまりは自分を肯定してくれる相手である。
 
「仲間」を見つけた時の安心感。心細さからの開放。自分と同じような人が、他にも居るということ。
 
逆を言えば、そうじゃないと不安感じるってことだよね。割とベースとして孤独や孤立を人は感じているのかも知れない。
 
さらに言えば、「心細い時に自分と似たような人を探す」というのもあるだろう。あとは、人と打ち解けたければ共通点を探せ、みたいな話は聞いたことないだろうか。
 
・他と比べて比較的問題なさそうに見える。ただ、この心理は人が集団となりやすい。人間が集団で同じ方向向いてるってだけで一種の「力」がある。このため、部外者からはちょっと警戒されるかもね。あとはローカルルールが発展しやすい。業界用語とか、象牙の塔とか、それ系の話。
 
あとはまぁ、ニワトリとかもそうだが、「自分たちと違うから」でイジメ・排除に繋がる、とかはありそうだねぇ。少なくとも「自分たちと同じかどうか」を逐一チェックするようならやばいかもしれない。つまりは集団心理や同調圧力に繋がるのではないか。
 

◆融合転移

・番外。上記3つに転じる前の、自己と他者の区別のない、融合している状態。
 
・自他の区別がない、というのが想像以上に異常であり、「他人の心理・行動を自分と同じように操作できるはずだ」と錯覚する状態。「太古的な」転移の状態、とされる。
 
できるはずだ、ではなくて自分の言うことを聞くべきだ、自分に従うべきだ、とすれば途端にそこら中にいることになるんだが。正当性を持たせるためにここでの「自分」を世の中の常識とか正義とかルールとかに差し替えてるのを含めれば数は凄いことになるだろう。
 
これはもう、元から暴走状態だろう。実際にも鏡、理想化、双子転移は融合転移が「緩和された」状態だと表現されることもある。
 
・ただ、局所的というか、限定的にこのような言動が発症する例は結構ある。
 
例えば母が子を私物化して「完全なコントロール」を目指す、つまり「一人の人間としていつまでも認めない」だとか。これは老母と中年になるまで続いているケースも結構ある。
 
あるいはよく聞くが、親の夢を子に叶えさせようとする、だとか。まぁ実際それに拠る成功例もあるにはあるが。
 
サバイバーバイアス、つまり成功例のみが生き残ってるだけとは思うけどね。現実には、それにより「潰された子どもたち」がたくさんいると思う。
 
これらは「あなたのため」と言いながら「自分のために他人にそれを強制する」代表的な例と言えるだろう。何よりも、「相手を意思ある一人の人間として見ていない」。
 
操作対象とすら見ていない場合もある。「自分の作品」みたいな目だとか。「自分の作品」が評価されれば、満たされるのはそりゃ「自分」だろうね。
 
この点は、特に親子については難しい話だとは思う。教育・保護の対象から一人の人間として扱う切り替えなんてのは。そもそも言葉も知らない状態から育ててんだからまぁ、そりゃ難しいだろう。
 
 

◆メモ

・いつもどおり。「程度の問題」。程よければ日常の風景に過ぎない。
 
・自己愛は大体が「他者を通して自分の価値を確認/上げる」ことに終止している。他人が必要。この上でがっついてると嫌われる言動をすることになり、寂しがり屋のアッパー系コミュ障というめんどくさい状態になる。
 
・面白いのが、3つの他者承認欲求とコフートの3つの自己愛を満たす方法が似ている点だ。
上位承認欲求 = 鏡転移
下位承認欲求 = 理想化転移
対等承認欲求 = 双子転移
だからなんなのかは知らない。
 
ただ、ここで言う「自己愛」を、「承認欲求」と「ストローク」という言葉に差し替えると、結構しっくりくると思うんだよね。
 
・自己承認欲求が完全に置いてけぼりなのも気になる。元より自己愛を満たすのは他者が絶対に必要なものであるとされるから当然かも知れないが。はっきりといってしまえば、初めから最後まで他人の目しか気にしていない。だが、現に人間は「自己評価」にこそ苦しみ、急き立てられているではないか。
 
裏を返せば、「自己愛を満たす」必要そのものがちょっと怪しくなってくる。それは本当に「自己愛の枯渇」なのかと。「自己愛という形で満たすべきものなのか」、と言ったほうが良いか。そもそも自己愛って呼んじゃっていいのかこれ、とか。
 
本当に「他者」に認められたいのか? 本当に「他者」に好かれたいのか?
 
だからなんなのかは知らない。ただ、誰にだって、自分を許す・信じる・育てることが必要で、大体はそこら変で苦労しているように見える。自分にそれができないから、他人にそれができないのか、と。
 

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