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「認知の歪み」について:認知について1

「認知の歪み」について


・不安や抑うつを永続させうるとされている。
 
・前提として「認知」である点に注意。思考の果てにその結論に至るのとは違う。「見た瞬間にそうだと誤認する」ことを指す。
 
・簡単に言えば、「世界の見え方」のクセ。
 
・スプリッティング:全か無か、完璧主義、白黒思考
・行き過ぎた一般化
・べき論、コアビリーフ、強迫観念
・心のフィルター/選択的抽象化/選択的抽出化
・マイナス思考
・結論の飛躍
・拡大解釈と過小解釈
・感情の理由付け
・レッテル貼り
・個人化
 





・スプリッティング:全か無か、完璧主義、白黒思考

「分裂」。あらゆる物を2つに分ける。善悪、成否、損得。必ずどちらかに「押し込められる」ことになる。極端化。
 
生憎と現実は多様化、多面化なものだ。スプリッティングである限りは自分で仕分けした妄想の中で生きるのと同じだろう。
 
スプリッティングは境界性人格障害、自己愛性人格障害、抑うつで多く見られるとされている。
 

・行き過ぎた一般化

何か一つを見たり聞いたりして「いつもこうだ」「みんなこうだ」「どこでもこうだ」と認識すること。木を見て森を見ず、むしろ木を見て「森の全てがこの木と同じである」とする認知。
 
拡大解釈や決めつけ、それが永続する傾向がある=刷新されない。
 
トラウマとかは「またああなるかもしれない」と言った形のある種恐怖、予測・警戒だが、こちらは「決めつけ」であり既に世界観となっている。
 

・べき論、コアビリーフ、強迫観念

「こうでなくてはならない」「こうしなくてはならない」「これはやってはならない」「「「絶対に!」」」。
 
経緯は様々だろうが、自分の世界観を社会のルールと混同している。交流分析で言うドライバーとストッパー、アンガーマネジメントで言うコアビリーフ、ぶっちゃけただの強迫観念。
 
口ぶりが特徴的であり、「●●でなければならない」「必ず」「全てが」「絶対に」「完璧に」などが目立つ。
 
これを指してとある心理療法家は「世界を現実と違った形に期待している」といったそうだ。
このセリフで思い出すのが公正世界仮説。あれもまた、これに類するものだろう。実際ヒステリーに繋がるし。
 
言っておくが、私は別に期待する分にはどうでもいいと思っている。ただ「そうでなければならない」と思い込み、そう振る舞うのなら、その言動は時に暴力になり得る。その是非はまぁ、内容に依るか。
 
勝手に思い込む分には当人の問題だが、「世界観」がこれなのでそれに違反するものは「この世に存在してはならない」というノリであることも。故に時々自分から探してまで攻撃する輩も。
 
何よりタチが悪いのは、大抵の場合当人は「これが正しい」と確信していることだ。信じて疑わない。正義を名乗る者は、大抵碌でも無い。
 




・心のフィルター/選択的抽象化/選択的抽出化

フィルタリング。「悪いところしか目に入らない」。逆に肯定的な要素が目に入らない。
 
選択的抽出化と呼ぶのが一番わかり易いだろう。警戒対象をピックアップして認識する。他は見えていない状態。
 
見ること聞くこと、体験することから「自分はダメだ」という要素を抽出し、強化する結果になってしまう。
 
特定の対象に対してだけだったらまだいいが、それが「常に」だとしたら・・・・。現実にどう見ても人並なのに自分のことをあらゆる面で世界ワースト一位みたいに思ってる者は居る。
 

・マイナス思考

この「認知の歪み」の提唱者が言うには認知障害の中で「最もたちが悪い」そうな。
 
フィルターとは違い、良いことがあった場合それを偶然か何かとして「無価値」にする、またはこれから悪いことの起きる前触れとする。見えてはいるんだが、解釈がネガティブ。
 
悪いことは「ああ、やっぱりな」と捉え強化の材料となる。
 
要するに「全てを悪い方向に“つなげる”」。
 
前述のフィルターのように自己否定の強化となるが、それを「ありとあらゆる経験に対して」行うとしたら、確かに最もたちが悪いといえるだろう。
 

・結論の飛躍

カジュアルな意味での「被害妄想」の一言で事足りると思うんだが、二種類が存在するとされている。
 

1:読心(mind reading)

表情や語気、仕草などの非言語コミュニケーション(メタメッセージ)を「悪く取る」。
 
これが推測ではなく認知として行われるので(つまり当人には現実として認識される)、本人に確認することはないだろうし、「対策」を練ることも。
 
例えば、「先手を打って攻撃する」とか、「人に相談する(現実には嘘を元に悪評を広める結果に)」とかね。
 

2:先読みの誤り(Fortune-telling)

「最悪の可能性」を予測し、それが限りなくゼロに近かろうが「現実に起こり得る」レベルに気になる。
 
彼/彼女の言動は、それを元にしたものとなるだろう。
 

・拡大解釈と過小解釈

ご想像の通り、悪いものを拡大し、良いものを過小に捉える傾向。他と比べればいくらかまともかもしれないね。少なくとも良いものを良いと見れてはいるのだから。
 
ただ、「大きさ」を見誤っている状態。これだと100の「良いこと」が、たった1つの「嫌なこと」に負けるかもしれない。メンタルが弱い(たった1つの嫌なことでへこむ)とか怒りっぽい(たった1つの嫌なことで気分が台無しになる)とかの自覚症状くらいはあるかもしれない。
 
(精神病としての)完璧主義者の精神状態は、これかフィルタリングのどちらかだろう。
 
なお、ナルシストはこれの逆をやっているとされている。
 




・感情の理由付け

私が言うところの「感情の奴隷」「感情の信者」。
 
自分の感情を根拠とし、自分が正しいとする。「初めに感情ありき」でものを見るから、それを肯定する要素しか見えない。
 
決めつけが激しいとか、怒りっぽいとかになるだろう。どちらもやっぱり「被害妄想」の一言で事足りると思うのだが。
 
この場合、感情を認識した時点で「方針」が決まってしまう。それ以外はフィルタリングか過小評価される。つまり「状況認識/判断をそれ以上しない」。加えて、感情とは反射的なものであり、即断即決のヒューリスティクスに近い。つまり「雑」で、「とりあえず」の反応だ。
 
まぁ、うまくいくわけないね。
 

・レッテル貼り

一般化の深刻なケース、とされている。
被害妄想3号。
 
何かあった際に雑な解釈で何かのせい、誰かのせいにしてそれ以降「アイツは/アレは そういうものだ」と決めつける。対象は自他を問わないとされている。公正だね。
 
それがただの偶然だったとしても、誰かのせい、何かのせいになる。
 
後知恵バイアスだろこれ。そうだとすると人類皆「深刻なケース」だな。
 
レッテル貼りというより「責任転嫁」に見える。自分の責任を他人のせいにするのとは違い、「どうにもならないことに対して殴れる位置に犯人を作る」ための。それが例え自分でも。
 

・個人化

簡単に言えば、「この結果は自分が作ったものだ」と思い込むこと。もちろん自分に関係ないことに対して。ネガティブな場合で言えば、何かあった際に自分が原因、自分が犯人だと感じること。
 
そうなった経緯はそれぞれだろうが、「自責の念」が強い人間はこの個人化が強いとも言える。関係ないことに対して責任を感じているのに、当人は関係ないということが分からない。
 
これは一種の安心を得るためとも考えられる。自分が原因だというのなら、自分次第で「結果は操作できる」からだ。ある意味「解決・克服の可能性」の取得である。だがこれは都合よく対象を選べるわけでもないようだ。何もかもがそう見えるから大抵の場合、抱えすぎて潰れかけている。
 
前向きと言えばそうかもしれないが、諦めて受け入れるべきものや他人の管轄に対してまでこれをやるのなら。自惚れであり、厚かましく、他人からしてみりゃ大きなお世話だろう。
 
もちろんポジティブな方面にも働く。この場合ただの自己奉仕バイアスだから、どの道うざい。
 




§メモ

・ネガティブというと大人しくて暗い感じをイメージするかもしれないが、攻撃的になる者もかなり多い。もしも他人にこれらの傾向を見いだせるのなら、ちょっと注意した方がいいだろう。
 
・正直小分けしすぎじゃないかという気がしなくもない。
 
・これらは「普通の人間」に大なり小なりある要素だ。まぁ言動に反映されるほど強いとは限らないが。例えば勘違いが多い人間、感情的になっている人間、自信がない人間、自分のせいだと思い込む人間。彼らにこれは当てはまる。
 
その上で「言動としては出さないほうが良い」だろう。これらは認知の歪みであり、どれもが「現実をまともに見ていない」。これらを元にした言動は、全て滑る。
 
まぁ、途中で気付ければ儲けもんってレベルで難易度高いと思うが。誰だって何かしら上記のような「クセ」がある、程度の認識でまずはいいのではないか。気づいた時どうするかは、本人次第ってことで。
 
・どうも人間、「情報の空白」に弱い。わからないだとか、知らないだとか、判断がつかないことに対して急いで何かで埋めようとする。そうすれば行動に移せるから。
これらが認知レベルで起きる傾向があるということは、本能がそうだということかもしれない。
 
で、そうだとするとこれはエラーではなく、脳は「仕事」はしていることになる。即座に行動するために「雑に決めつける」。
 
これらが「心の弱さ」に見えたのなら、恐らくそれは間違いだ。これらは安心を買うためのネガティブシンキングか、ヒューリスティクスかに分けられる。ただのシステムだろう。通常はこの上で改めて判断すればいい。
 
特に「こんなこと思ってはいけない」とか自らに課さないように。それ自体既に極端であり、白黒思考に近い。問われるのは、コントロールできるのは、「その後どうするか」だ。
 
・個性化以外は2タイプに分けれるか。
タイプA:ネガティブの拡大解釈
タイプB:ネガティブのみのフィルタリング
 
・じゃあポジティブなら良いのかというと、例えばポジティブのみの拡大解釈もフィルタリングも度が過ぎれば異常なレベルの自惚れだよねと。
 
・これが意識の管理下にあるならば相当役に立つのだろう。例えば落ち込んでる時にポジティブな世界を、自惚れている時に自制を促すような世界を。通常の精神状態の人間ならばできそうな気もしなくもない。
 
・また、他人がこの内のどれかの傾向が強いようならば、コミュニケーションが「伝えたい通りに伝わらない」可能性が出てくるということでもある。例を挙げると、ベタだがうつ病の人間に「頑張れ」は禁句、とか。
 
ここで挙げられた「マイナス思考」の場合、何をやっても逆効果にすらなり得るわけで、成程確かに最もたちが悪い。
 
・これらの悪い所は、思考や判断が間違いなく偏るということだ。情報収集の段階でベターではない。そこを早々に切り上げてすぐさま行動に移すというのは、全て「軽率」となる。尤も、落ち着いて熟考できる場面ばかりとも限らないが。
 

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