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同化と調節から見る認知 認知について2

同化と調節から見る認知 認知について2


 
・ピアジェの「同化と調節」を元に、既存の認知がどのように作動しているかを考える。
 

§目次

■「同化と調節」
■シェマ
■■スキーマと同じか?
■同化
■調節
■均衡化
■エラー
■鏡と猿
■どうあるべきか
■メモ
 





■「同化と調節」

・スイスの心理学者ジャン・ピアジェが提唱した概念。
「人間には物事を認識する共通の認知機能がある」とする説。
認識における、教育や経験などに左右されないシステム的な機能。
 
内訳としては物事を認識する際に、
・それが受け入れられるように対象を変質させる「同化」と、
・それを受け入れられるように自分を変化させる「調節」がある。
・それ以前に持っている知識を「シェマ」と呼ぶ。既に自分の中にある知識やイメージ、概念。
 

■シェマ

・それを認識する以前に既に持っているイメージ。
 
・無意識に構築、修正される物事の「定義」。大抵は「当たり前」だとか思うこととなるだろう。例えば鳥は羽があり、嘴があり、二足歩行だ。当たり前だね。こういったそれがそれであるための「条件」群。
 
・すべての情報が同列に扱われているとは思えない。例えば上記の鳥のシェマに「飛ぶ」ことを私は入れなかった。ダチョウやペンギンは飛ばないからだ。だが、大抵の人は真っ先に鳥は飛ぶと思い浮かべるだろう。鳥的な何かを「鳥」だと言っていい必須条件に該当していなくても、特徴として認識している。恐らくシェマは「よくあること」の集大成に近いのだろう。実例が多い(飛ぶ鳥を多く見かける)場合、「ああいうもの」とする条件に成り得る。
 
・物事を「理解」できるのは、その事象に符合するシェマが活性化するから、だそうだ。例えば見たことのない生物を目の前にした時、それに羽があり、嘴があり、二足歩行だった場合には鳥だと認識する。要は特徴をキーワードとして、シェマを検索する。
 
・例え話のコツは「身近なものに例えること」なんだが、これは「具体性」、つまりイメージのしやすさがあるために既存のシェマを元に後述する同化・調節を起こさせやすいからと言える。まぁ私は語れるほど例え話上手いわけじゃないが。
 
例えば「物事には限度や適切なバランスがある」ということを伝えたい場合、「風呂の湯加減のようなものだ。熱湯に浸かったら火傷する。氷水に浸かってもやばい。適温じゃなければ風呂じゃないだろう。少なくとも浸かってられる温度じゃなければ」とか言うとか。
 
この場合伝えたいことをそのまま伝えるだけだとシェマの「新規作成」になるところを、例え話に拠って「風呂」のシェマをベースに作る分、理解する側は楽とかそんな感じになる。欠点としてわかりやすければわかり易いほどかっこ悪い点が挙げられるがどうでもいいか。
 
ともかく、簡単に言えば「イメージ」。これはそういうものだ、というような。
イメージと言っても頭に思い描くのではなく、認知として初めからある知識ようなもの。というか認知レベルの知識と言っていいだろう。
 
・フォルムだとかニュアンスだとかの茫洋としたシェマもあるだろうし、必ず言語化出来るとも限らない。暗黙知に近い、というか暗黙知としてカテゴライズすることも可能だろう。
 
・気づいたかもしれないが、シェマが対象と食い違っており、尚且つそれに気づけない場合には、もうそれだけで偏見だとか決めつけになり得る。シェマそのものがまともかどうかも他人からは見えない。というか、本人にとって不具合が起きない限りはそれが正解として扱われ続けるだろう。
 
・シェマの獲得・構築が「理解」のゴールだとするならば、その過程のプロセスは何か。シェマが既に頭にあるとして、それが更新する必要があったり、または全く未知のものに対してどうやって「理解」をするのか。
 




■■スキーマと同じか?

→少なくともスペルは同じだった。発達心理学ではシェマ、認知心理学ではスキーマと呼ぶ。ただ、ピアジェの原文では「シェム」「シェマ」と2つに分かれていたらしい。
 
・「シェム」=行為を伴うもの(スキーマはこちらに近いか。思考スキーマも入れていいだろう)。動的なイメージ。つまり時間の流れがある。
 
・「シェマ」=記憶、印象など。静的なイメージ。静止画のような。
今回はシェマで統一する。
 
・頭のなかにWikipedia(シェマ)とYouTube(シェム)があると思えば良いんじゃないかな。雑だけど。これらを参照して「今見ているものは何か」「次にどうしたら良いか」を人間は察知する。
 
これらは更新されることがある。丁度wikiが加筆修正されるように。更新され、常に「使える」ものである必要がある。・・・・あるのだが。
 
・ピアジェの同化と調節は本来幼児期の認知能力の発達についての話。シェマの例えには「物をつかむことを覚えた赤ん坊」がよく例にでる。・・・・全ての大人のシェマが問題ないとか本気で思ってるんならまぁ、このページは役に立たないだろう。
 

■同化

・簡単に言えば、「シェマの使用」。対象に対してのシェマの適用。発表されたばかりの最新のスマホを見ても「それでなにができるか」は分かるだろう。それ見てスマホだって分かるのがシェマの適用、即ち同化。
 
・「同化」なのはシェマを用いて外界の情報を「取り込む」から(これには恐らく実行/活用も含める)。シェマを用いて「理解をする」こともこれに含める。上記の例えの場合、発表されたばかりの「初めて見たもの」のはずなのにすんなり分かるのはシェマを適用し、既に知っている利用可能なものとして「取り込んだ」から。
 
ただ、精密とはいえない。すべての条件をクリアしたらそうであるとして採用するというのではなく、「適合率」がある程度あったらそうであるとして「暫定する」と思っておいたほうが良い。基本ヒューリスティックなものだ。このため、勘違いの余地はある。
 
・いくらかの差異はある程度黙殺される。通常はそうであるとして「見続ける」維持する機能を持つ。 それが出来ない場合は「飲み込めない」。
 
最近目にした話だと、救急隊員が病人を搬送した直後に飲み物を飲んでいたのを見た、と。それが許せないとかで騒ぎになったとかなんとか。これは「救急隊員」=「公務員」かつ「職務中」というシェマを適用して「同化」をしていた(見ていた)のに、休憩中っぽい要素である「飲み物を飲む」という要素で消化不良起こしたということになる。
 
当然通常はまともな判断をするだろう。即ち「休憩中かもしれない」だとか「水分補給をしているのだ」とか。「そういうこともある」として、後述の「調節」、つまり自分のシェマ側の修正を行う。
 
それが出来ない場合には、こうやって認知的不協和のような状態になる。取り込めない上に調節も出来ないのなら「あってはならないこと」となるからだ。まぁサボってることもあるかもしれんが。
 
実際にはこの話、水分補給できる時にやらないと体力が持たないとかそういう真相だったらしい。ランナーに向かって給水所で水飲むなって言ってるような無茶振りだったわけだ。だが騒いでいた者にとっては「サボっている」以外には見えず、本気でそう思っていたことになる。
 
このケースは認知の歪みの一つであるコアビリーフ/べき論/強迫観念だろう。まぁもちろん、その騒いでいた人間は「普通の人間」であり、別に精神病院に通院しているわけでもないだろう。それが逆に怖いんだよ。こんな理不尽はいくらでもある。誰だって加害者や被害者になるかもしれない。
 
・適用の部分はユングの「イメージの投影」だとも言える。対象に手持ちのシェマを「当てはめて」、「それであるという前提で扱う」。言い方を変えれば「適切な思い込み」。もちろん、間違えたらただの思い込み。
 
・どうもピアジェの理論は認知そのものが根本的に間違っているようなケースは扱っていないように思える。まぁシステム的な話であり、病気やその治療などとは別物のはずだから当然だが。
 
が、正直人間の認知は歪んでるのがデフォルトと言うかなんというか。なので「投影」の方が自分を信じ込まずに距離を取れていいだろう。
 
・もしも未知の存在や概念に対して「自分は知っているはずだ」という前提で「同化」を起こすならば、シェマの「新規作成が起きない」。これは後述する「調節」をするべきタイミングで「同化」を行っていることになる。
 




■調節

・シェマの新規作成と、自分側のシェマの修正・更新。
 
・例えば1人の子供がいたとして、「鳥は空を飛ぶ」というシェマを持っていたとしよう。ニワトリとかペンギンとかダチョウとかは鳥じゃないことになる(実際飛べないから鳥じゃないと言い張る子供はいたりする)。が、親はこれらを鳥扱いしている。つまり自分のシェマと他人のシェマの差異にここで気付いたとする。
 
・ニワトリやペンギンやダチョウも鳥であり、その上で飛ばない。と気づき、少なくとも既存の鳥のシェマに「飛ばない鳥もいる」と加筆されるだろう。こういった自分側のシェマを変化させることが調節。
 
・全く新しい未知のものを知った場合はシェマの新規作成となるがこれも調節に含められる。既存の類似したシェマをベースにしたりすることは多い。バイクを初めて見たとしても、自転車を知っているなら理解は容易いだろう。
 
・調節には弱点がある。「嘘や間違い」に極端に弱い。嘘に対して調節を行った場合、既存のシェマが損害を受けることさえありえる。
 
・だが調節が全くされない人間がいたとしたら、それは例えば50年前の辞書を根拠に「そんな言葉はない」とか言い張るレベルで異質となるだろう。どの道適切なバランス感覚がいる。
 

■均衡化

・きんこうか。なんでか「きんしょうか」って読んじゃうんだよねいつも。調節ができてないね。多分雑に見て「衝」の字を幻視しているね。ヒューリスティック。
 
・釣り合いが取れていること。バランスが取れていること。もちろんこの場合は同化と調節の。更にこれらを経て、より高次の認知に至ること。簡単に言えば、シェマを適用したり再定義したりを繰り返して「より理解を深める」こと。
 
同化と調節が正常に機能しているなら勝手に理解は深まるだろうが、どういう状態でどっちが機能しているのが正常なのかが全くわからん。対象にも依るだろうし、状況にも依るだろう。
 
例えば信用ならない相手と思った場合は既存のシェマとの同化を試み、相違点を指摘するだとか。この際に新情報だからと「調節」を行う=騙されるとなる。結果論でしか語れない気がするな。となると次善の策としては自分があってるかどうかを気にしろってあたりになるか。
 
・どう考えても同化と調節が適切か否かを監視、修正する「視点」が必要になるのだが。メタ認知がこれにあたるのか。
 
・同化と調節は同時には行えない、とされている。
 

■エラー

・例えば偏見や思い込み、決めつけなどは「調節」が機能していないと言える。同化一点張り。該当しなければ「違う」とし、情報として取り込まれない。
 
・例えば年配に良く見られる新しいものに対しての拒絶、嫌悪感などは手持ちのシェマでは同化ができない不快感、そして調節をしない(できない?)事に拠るとも言える。
 
・恐らくだが、人間は同化か調節かのどちらかに偏る。極端な話、同化一点張りだったら「頭の固い頑固者」、調節のみだったら「優柔不断な臆病者」となるだろう。どちらも不名誉だから遠慮したいところだ。バランスが取れている状態が均衡化。どの道苦手分野の方を意識して行っていくしかないだろうか。
 
これは対象に依って変化するケースも有る。ジェンダーの話題に対しては均衡化出来ているとしても政治の話に対しては思いっきり偏っているだとか、そういうのはありえるだろう。対象+同化/調節で見る必要があると思われる。
 




■鏡と猿

・TVとかで動物に鏡を見せてその反応を見るみたいなのをたまにやるが、大抵は自分と同種族の別個体だと認識してビビる。まぁ今回は猿としよう。距離を取って威嚇するのが多いか。これはその猿が「鏡のシェマ」を所持しておらず、鏡に映ったものを「猿のシェマ」を使って認識したためと言える。そもそも「鏡」を認識できていない。だから「何もないところから知らないやつが突然現れた」という反応を見せる。
 
一方人間は「鏡のシェマ」を持っているので、見たものは「鏡」であり、映るものが「自分」であり、それは本物ではないことが分かる。逆に、例えば映画なんかでそうだが自分のクローンなり悪霊が化けてるなりで自分と全く同じ姿格好の別個体が自分と全く同じ動作をしたとしても(部分的な鏡のシェマとの一致)、鏡と認識してスルーするだろう。
 
・穿った見方をすれば、正解しているというだけで実質「思い込み」や「決めつけ」自体は普段からしているとも言える。大体の場合はあっているから問題はない。ただ、無意識的な判断のため自分が「そういう決断を下した」自覚がない。このため間違っていた場合の軌道修正が困難となる。
 
勘違いや思い込みが周りにとって迷惑となるのは、根本的に「自分が勘違いや思い込みをしていることを理解していない」からだ。つまりこれは同化に失敗しているのにそれに気づかないから調節が起きていないと言える。
 
・同化や調節は自動的に行われるだろう。意図的に行うことも可能だとは思うが。だがそれ以前に「それが必要だと気付けるか」が問われている。自分がどのようなシェマを持っているのか、対象に対して同化をしたのか調節したのかを認識する必要がある。つまりメタ認知。
 
・「言わなきゃわからない」ような人間が嫌がられるのは、こういった直感レベルのものを言語化しなくてはならないというのが大きいと思う。簡単に言えばシェマの共有が出来ない。
 
その上で伝えるとしたら直感レベルのものを言語化しなくてはならない。これには豊富なボキャブラリーと伝えるための客観性、そもそも言語化対象たる自分のシェマに対するメタ認知、表現能力そのものなど、相当に高レベルなスキルが要求されることになる。素で全部持ってるのなんて俳句が趣味の僧侶くらいじゃないかこれ。
 

■どうあるべきか

・シェマの均衡化を維持して「今」に常に適応しておくことだろう。進化論で言えば、適応できなければ自然淘汰の候補になるわけだし。これが可能ならば適応能力が高い、柔軟性が高いということになる。
 
ただ、知らないことが許される子供と違い、大人になると知っていること前提なことがほとんどだ。つまり初手は手持ちのシェマを用いての「同化」になる。だがまぁ、現実には既存のシェマだけでやっていけるほど楽でもない。新しいものも生まれるし、既存のものが変化することもある。つまり「調節」はどの道必要なのだが、出番が少ないため劣化しやすい。
 
道楽でもなんでもいいから「新しいことを学ぶ」ことそのものはやっておいたほうがいいのだろう。「調節」のトレーニングとして。まぁあれだ、どうせボケ始めてきたら脳トレとか言って慌ててそういうことやるんだろうから。若いうちにやっておいたほうが人生楽しめるんじゃないのか。
 
恐ろしいことに認知能力は20代から落ち始めるなんて説もあるので、殆どの人間にとって他人事じゃなかったりする。





 

■メモ

・ピアジェは生物学から心理学に転向した。好意的に見れば、人間の「動物の部分」に対しては理解が元から深かったといえる。
 
・ところであなたの「鳥のシェマ」はどんなだろうか。
嘴がある、足は二本、羽がある、翼がある、大体飛ぶ、飛ばないのもいる、大抵オスは派手でメスは地味な色、卵生、巣を作る、何が目的かわからんがよく鳴く、etc。まぁ思いつくだけ並べても結構ある。
 
つまり正確なシェマほど情報量が多く茫洋としていく。これらを直感レベルで一瞬で想起、適用可能かどうかの判断、修正などをしていると考えたらまぁ、たまには間違えてもしょうがない気がしなくもない。
 
・ニワトリは頑張ればちょっと飛ぶ。
 
・直感的かつ自動的なものであり、精度は体調や精神状態に左右される。体感だがこれらが芳しくない場合暴走しやすい。恐らくメタ認知能力が落ち、間違いに気づき辛くなる。
 
・スキーマは入れ子構造になっている。スキーマの中にスキーマが入っているということ。シェマも同様に扱っていいだろう。鳥のシェマで言えば嘴のシェマ、羽のシェマ、足のシェマなどがないと成り立たない。
 
・性格や行動パターン、或いはトラウマだのにこの概念は適用できる。例えば犬に噛まれたから犬が怖いというトラウマがあったとして、これは「噛んだ犬のシェマ」をそれ以外の犬に同化させていると言える。これを抑えるなら「噛まない犬もいる」というシェマの調節が必要となる。つまり噛んだ犬には用はない。犯人は役に立たない。噛まない犬が必要だ。
 
・また、例えば何か見てフラッシュバックするだとか。これは悩みのタネのシェマが常に「同化」しようとしているといえる。全てではないが。
 
同化と調節は同時には出来ない。裏を返せばこの状態だと調整、つまり嫌な記憶の再定義や上書き、更新ができない。加えて同化を試みるということは、見たもの聞いたものにそれを重ねるということ、つまりは「追体験」となる。
 

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