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コンフォートゾーンについて

コンフォートゾーンについて


 

◆目次

◆コンフォートゾーンとは
◆ラーニングゾーン・ストレッチゾーン
◆パニックゾーン
◆ヤーキーズドットソンの法則
◆変化する「安全地帯」
◆予見性
◆コンフォートゾーンから抜け出す
◆メモ
 

 

◆コンフォートゾーンとは

コンフォート(comfort)は、楽、快適さを意味する。
脳科学、心理学の分野で使われていた言葉。後述する、とある実験が元になっていると思われる。
 
その人の「不安にならない行動範囲」のこと。日常、普通、自然体。
挑戦するような心境のときは、コンフォートゾーンの外にでていることになる。
総じて「躊躇せず、自然と行える行動範囲」と捉えていいだろう。
もちろん物理的な範囲ではなく、アクションの内容の話。
 
同じ行動内容でも状況によりコンフォートゾーンの内か外かは変わる。友人と焼肉食べに行くのと、一人で焼肉食べに行くのとのハードルの違い。夜は寝たくなくてベッドに入りたくないのに、朝は起きたくなくてベッドから出たくないのも状況・心境に拠る変化だと言える。
 
人は潜在的にコンフォートゾーンの中にいたがる性質がある。命のかかった動物時代の名残か、基本わざわざリスクは冒さない。特に必要がないのなら、別にそのままでも問題ない。大抵は刺激がなさすぎて退屈し、自分から何か始めるけれど。
 
安全、安心、変化なし。平和だね。平和なのだが、人間は成長欲求なんてものを手にしてしまったわけで。退屈さを感じるのなら、そこは間違いなくコンフォートゾーンだろう。
 

◆ラーニングゾーン・ストレッチゾーン

ラーニングゾーンはミシガン大学教授、ノエル・M・ティシーが整理した概念。人材育成、能力開発の分野の人。
コンフォートゾーンを出ると、ラーニング(学習)ゾーンに入る、と言われている。
 
ストレッチゾーンとも。「背伸び」という意味でのストレッチ。もちろんちょっと無理をしてみるとかそういった意味の背伸び。
ちょっとした負荷。些か緊張を伴い、注意をはらい、集中し、学習・習得・あるいは達成しようとする心境。
 
適度な緊張、注意深さ、意識的な行動。
端的に「慣れないことをやるときの、ちょっと緊張した状態」と言えばわかりやすいか。
この段階では「適度な緊張と集中」が見られ、パフォーマンスは上がるとされている。
安全な領域からはみ出すので、緊張に拠るストレスや、失敗のリスクが発生する。ただし耐えられる程度の。
 
知ってることと知らないことが程よいバランスであるとも言える。知ってることが下地となり、知らないことに的を絞って学習することが出きる。
単純に、勉強していて一箇所だけわからない状態をイメージすればいい。そこだけ調べればいいし、調べたそれはすぐ覚えられるだろう。
 
フロー状態に一番近いのがここだろう。フローに入る方法の一つとして「今の実力+1程度の難易度のタスクに取り組む」事が挙げられている。
少し苦手や未知を感じる領域。ちょっと無理をして、それに慣れて、新しく出来ることを増やす。
 

◆パニックゾーン

ラーニングゾーンと同じく、ミシガン大学教授、ノエル・M・ティシーが提唱した概念。
ラーニングゾーンよりもさらに未知の世界に入った状態。緊張、焦燥、萎縮。
過度の緊張によりパフォーマンスは落ちる。負荷が大きすぎる状態。
 
ラーニングゾーンと同じく勉強で例えれば、こちらはほとんどわからん状態。調べるにしても量が多すぎる、何処から手を付けたらいいのかわからないなど。当人的には「できない(かもしれない)・わからない」気持ちが強くなっている状態。
 
未知・恐怖の分野。できないかも知れないと不安を抱えながらやる。アウトプットできるものが少ない、あるいは無い。簡単に言えば「わからなすぎ」の状態。緊張・混乱が何より優先し、出来ることもできないか、出来そうなことがない状態。長くこの状態にいれば、当然自信喪失や苦手意識の発生につながるだろう。
 
 

◆ヤーキーズドットソンの法則

他のサイトでは「1908年のマウスを使った実験」を根拠にコンフォートゾーンが語られていることが多い。これは「ヤーキーズ・ドットソンの法則」と、その際の実験のことだと思われる。
 
「ヤーキーズ・ドットソンの法則」としての結論は、「学習に於いて、罰が無いよりあったほうがいい、ただしやりすぎると逆効果」という話。
簡単に言えば、作業と罰との相関関係についての実験。マウスに単純作業を行わせ、失敗時の罰としては電流。
 
  • 罰がない→普通(コンフォートゾーン)
  • 適度な罰→少しパフォーマンスが上がる(ラーニングゾーン)
  • 過度な罰→パフォーマンスが下がる(パニックゾーン)
 
まんまだな。これを整理したのがコンフォートゾーンの概念だろう。
 
こちらは他罰というか他者操作に重きをおいている。コンフォートゾーンの場合も、実はここのマウスの扱いと変わらなかったりする。
全てがではないが、前述の通りラーニングゾーン・パニックゾーンの考えは人材育成、能力開発の分野であり、
「ラーニングゾーンに常に居ろ」、
「パニックゾーンに放り込めばもっと成長早くなんね?」
などの、人を潰すと言うか、やっぱりそう言い出す輩も湧くようで。
 
逆に主観的、自主的なモチベーションのために意識的に捉えるなら、有用な面もあるだろう。少なくとも上記みたいな加虐趣味はいらないことは、あとで説明する。
 
「法則」から使えそうな情報をピックアップするとしたら、「厳しい罰は単純作業で、弱い罰は複雑な作業で、それぞれパフォーマンスを上げる」とされている点か。
といってもあれだ、「単純作業」の定義が白か黒か見分ける作業(言葉通りの)だし、そいつマウスだし。人間のやるようなことは全部「複雑な作業」に捉えておいたほうがいい気もするが。
 
wikiにあるグラフを見れば一目瞭然だけどね。罰の強度のグラフで Simple task (簡単な作業)は右肩上がり、Difficult task(難しい作業)は中央が山で、罰が強くなると落ち始めている。
 
まぁ、楽しんでやれるならそれに越したことはないと思うのだけれど。短期的なパフォーマンスが大事なのか、長期的なモチベーションが大事なのか、各自判断されたし。まぁ自身の成長を期待し、その努力を楽しめるのが一番いいんだろうな。
 
それにしてもマウス達はいつでも電気流されてるな。その怨念がピカチュウなんだね。違うね。
 

◆変化する「安全地帯」

これら3つのゾーンは当人とタスクとの「関係」の描写と捉えたほうが早いと思う。人間関係に例えよう。
 
あなたに異性の友人が居るとする。話が合って、気が合って、リラックスできる関係(コンフォートゾーン)。
 
異性として意識しだしたとしよう。ちょっといい所を見せようとして背伸びしてみたり。それが身について成長したり(ストレッチゾーン)。
 
意識しすぎて緊張し、普段どおりの振る舞いができないこともあるかも知れない(パニックゾーン)。
 
注目すべきは、「相手は同じ」点だ。違うのは当人が対象をどう捉えるか、または「どうなりたいか」だ。つまりは認知。認知は物事の捉え方という意味で構わないが、これは「思考」ではなく「直感的な確信」に近い。なかなか頭で考えて書き換えるというのは難しい。
 
或いはもっと単純に、いつもの仕事で大ミスをやらかした。それを気にして次からは緊張する、って状況だとか。
 
疲れているからいつもやってることがしんどいだとかもある。コンディションでも左右されるということ。メンタルでもフィジカルでも。ストレス管理として考えれば、この様にコンフォートゾーンが「縮んでいる」状態では、休息したほうがいいだろう。
 
 

◆予見性

「不安が大きくなるに連れ、コンフォートゾーンが小さくなり、そこから出ることが怖くなる」とされている。不安とは、「何かがあるかも知れない恐怖」。予見性がない状態。
予見性とは字面の通り。何が起きるかわかるかどうかってこと。
 
要するにそのタスクがコンフォートゾーン内にあるためには「何が起きるかわかっている」ことが必要。つまり安心、見通しが立つ、トラブルは起こらないと確信している状態などが前提条件になる。
 
これはそのまま「つまらない」「刺激がない」「退屈」であることに直結するのだが。慣れたら飽きる。飽きたら刺激が欲しくなる。結構自然と、ラーニングゾーンに踏み出す、ということはあるだろう。
 
疲労やストレス状態でコンフォートゾーンが縮まるのは、自身のスペックが低下している事による相対的な難易度の上昇(=予見性の低下)だと思われる。
 
退屈な時は何かを始めるには良いタイミングだとも言える。刺激を求めている時、つまり自分からラーニングゾーンに行きたい時。自然と集中できるだろう。
 
一方、既知のタスクの予見性が失われることに拠って「出来ることが出来なくなる/辛くなる」ことも十分にある。
 
パニックゾーンの状態からタスクを切り崩し、細分化/明文化/可視化することによりパニックゾーンからラーニングゾーンに取り込むことも可能だろう。ティムフェリスがTEDで語ったものがまさしくそうだ。
 
 
 
これはパニックゾーン特有の、タスクに対する「不透明感」を解析、明確化し、不透明である理由を「やったことがない」ことの一点だけにまで落とし込む。ティムフェリスはこの点も「このタスクは既に、自分より能力が下のやつが成功させたことがあるだろう」と考えることでクリアし、最終的には「後はやるだけ」にまで分解している。
 
この時点で難易度は下がる、というか今までが誇張された恐怖であることに気づく。セネカの「我々は現実よりも想像の中で苦しんでいる」とはこういうことだ。恐怖に万全に備えるため、恐怖のイメージは拡大される傾向にある。
 
錯覚を破壊して、ラーニングゾーンに取り入れる作業と言える。まぁ彼が動画で語っていたとおり、実際にやべー案件も多々あるだろう。それでも、いやなおさらか。恐怖が拡大状態になりやすいからやったほうがいいとは、まぁテンプレな正論としては言える。やろうと思っただけで脈拍が早くなるとかなら止めといたほうが良いと思うけどね。
 
シェイクスピアでもこんなのが。
Each substance of a grief hath twenty shadows.
(悲しみは一つの実体が二十もの影をもっています)
― 『リチャード二世』 第2幕第2場

 
究極だとあれだな。「死にはしない」。冗談でも何でも無く、これはネガティブな思考の上限を設定することで歯止めをかける効果があると思う。
 

◆コンフォートゾーンから抜け出す

「コンフォートゾーンから抜け出す」なんてキーワードがサジェストにあったが、ラーニングゾーンに入りたいってことらしい。これの解決の一つは、限界的練習だろう。
こちらのページで紹介している動画では、コンフォートゾーン、ラーニングゾーンの他に、実力を発揮するべき場面として「パフォーマンスゾーン」を加えて成長する練習である「限界的練習」について語られている。
 
限界的練習の概要としては、
具体的な目標を設定する:かなり小刻みに。漠然とした大きな目標では意味はない。それを攻略していく。スモールステップ。
フィードバックすること:改善点や反省点を探ること。「ひたすらの努力」ではなく、研究・開発のようなつもりで。
 
大げさな「猛特訓」ではなく、今よりも高いクオリティを目指して、緊張感を持って行うということ。言い回しがどうしてもベタになるなぁ。
能力成長は「出来ることを増やす」ことであり、コンフォートゾーンの「拡張」と表現したほうが適切だと思う。
 
また、コンフォートゾーンを「ぬるま湯」と表現することもあるなんて話もあるが、多分違う。どちらかと言えば「安全な休憩場所」と捉えたほうが良い。旅行から我が家に帰ってきたらホッとするだろう。充電器みたいな立ち位置。
 

◆メモ

・総じてコンフォートゾーンとは自然体での活動領域ということでいいだろう。だからこそ、「そこにいてはいけない、抜け出せ」的なことばっかりが検索に並ぶんじゃちょっとな。今のままで居ることに対して無駄に罪悪感や焦燥感植え付けようってのは、好きじゃない。そんなわけで1つくらいはこんなページが検索にひっかかってもいいだろう。
 
・はっきり言っちゃうと、ノエル・M・ティシーがリーダーシップ育成だとかそっち系の人なので、言ってることが自己啓発の匂いに満ちているし、結局の所「チャレンジ精神って大事だよね!」で話が終わる。
 
まぁそれ自体は悪くないんだが、嫌いな人もいるよね。内容っつか雰囲気が嫌だとか、お腹いっぱいだとか。実際コンフォートゾーンに入り浸るのは怠惰だとか平和ボケだとか遠回しにそういうことを言ってるところもあったり。
 
ちなみに3000文字くらいでまとめようと思ったこの記事はこんなんになったので「チャレンジ精神って大事だよね!」で終わっときゃ良かったと思ってる。
 
・改めて言うが、これは状況や体調、過去の経験などを織り込んで主観的にタスクをどう認知するのかにかかっている。コンフォートゾーンに筋トレがあれば勝手にムキムキになるだろう。要は、コンフォートゾーン=怠惰ではない、ということ。
また、流動的に可変するものであることも強調しておきたい。まぁ単純に「いつでも必ず楽勝なわけじゃないから調子が悪いなら寝ろ」とかそういうことだが。
 
ただ、時間泥棒というか、現状からみて「負債」のようなタスクもコンフォートゾーンにあるかも知れない。悪習って言ったほうが早いか。心理的には苦じゃないから意外とスケジュールのリストラ対象に上がらなかったりする。そういったものはカットすることを検討する方がいいかもしれない。
 
逆に言えばコンフォートゾーン内のタスクで「忙しい一日」が完成してしまっている状態だと、何か成長したいことがあったとしても一切挑戦する余地はなくなるだろう。その必要性を、おそらく感じなくなる。
前述の通りその中に必要なものが入ってるなら何も問題はないが、何かになりたい、何かをやりたい、そういった願望を叶えるには、見直す必要が出てくるかも知れない。時間だけではなく、意欲も消費するのだから。
 
・comfortには、苦しみや悲しみからの慰めという意味もある。また、「自信」の概念に於いて、自信とは挑戦するための掛け金であり、足りなくなったら「出来ること」をやって自信を取り戻し(掛け金を再び稼ぐ)、それが溜まったら再び挑戦する、なんて考え方もある。これまた可変するものだ。
 
総じて、「コンフォートゾーンからとにかく出よう」、ではやっぱり枯れ果てるんじゃないのか。この場合で言う「掛け金が稼げない」状態になる。その上で回復する気がないのなら、消耗し続けることになる。
 
・「コンフォートゾーンの拡大」も十分にありだろう。ラーニングゾーンにあるタスクを「開拓」して、コンフォートゾーンに整地する。まぁそれ「成長」っていうんだが。
 
どのみち成長に於いてパニックゾーンは必要ない。ここに入るのは極力避けるべきだと私は思う。リスク云々以前にパフォーマンス落ちるんだし、苦手意識や自信喪失に繋がる。「自信」は精神状態であり、意識的に管理するべきだ。
まぁ「自分の限界を知りたい」とかそういう燃えてる人は好んで行くかも知れないが。そういうのも見る分には嫌いじゃない。近場でいたら、心配してしまうかも知れないね。
 
・コンフォートゾーンにあることは得意・完璧、とは限らない。単純に自分が「できる」「余裕」と思えるかどうかというだけだからだ。例えば下手なままで満足して成長が止まる、ということはあり得る。
 
TEDの「限界的練習」でも述べられていた通り、一定のラインまでは自然と成長する。これは今まではラーニングゾーンであり、習得・適応が完了してコンフォートゾーンになったということだ。それ以上になる気があるなら、コンフォートゾーン内にあるスキルを再びラーニングゾーンの心持ちで当たる必要がある。
 
ゲームで言えば簡単か。クリアまでは余裕なアクションなりシューティングゲームなりがあったとして、それ以上に「上手に」なるとしたら、ハイスコアを狙うとか、スピードクリアを狙うとか、コンボつなぐとか、ノーボムクリアとか、「自分からハードルを上げる」だろう。なんか極めすぎて人間超えちゃってる動画とかたまにある。
 
・「特に意味もなく休日の朝に、平日と同じ様に起きられるか。できたとしてその時に必要な意志力は、平日と同じだろうか」とか考えると、目的や動機、「理由」も可変させる要素だろう。
 
・コンフォートゾーンから出たくないと長期間感じるなら、無意識にストレスを溜め込んでいるか、精神的に疲労している状態かもしれない。
 
・今回の概念は、物の考え方というか、基準や視点の一つとしては使えるだろう。特に「できて当たり前」という思い込みは、パニックゾーンのタスクをコンフォートゾーンだと無理やり捉えるという行為だ。これはストレスを相当貯め込む行為。
 
むしろストレス管理に一番使える気がする。「今の自分にとってこのタスクはどのゾーンに該当するか?」
 
・パーソナルスペースにちょっと似てる。「タスクとの精神的距離感」と捉えれば同じか。
 
・ブランケット症候群/ライナス症候群、または「ライナスの毛布」と呼ばれる症状がある。大人になっても毛布だとか、ぬいぐるみだとかが手放せないという症状。
 
無いと不安にかられるわけだが、逆にある限りは落ち着いていられる。コンフォートゾーンを持ち運べる、と考えると便利かもしれない。まぁ狙ってなれるもんでもないが。ちなみに別に治す必要がないものとされている。なんかの選手でもいなかった?
 

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