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展望記憶:予定・目的・期待・予測

展望記憶:予定・目的・期待・予測



 
未来に向かっての記憶。簡単に言えば「予定の記憶」。また、必要なタイミングで自然と思い出し、その内容を実行する能力を含める。
人間の社会生活に必須であると言える。これがなきゃ時間通りに動けない。約束なんてできない。決め事も守れない。
 
重要な点だが、「人間はこれを元からできる」。まぁ思った通りにできるかどうかはそれぞれだろうが。
 
◆目次
◆展望記憶とは
◆エピソード的未来思考
◆期待と予測の違いは?
◆フラグ管理
◆展望記憶のプラス効果
◆明晰夢/覚醒夢と展望記憶と脳の可塑性
◆誤作動
◆取り掛かりやすさの増減
◆完璧主義と展望記憶
◆メモ
 

 

◆展望記憶とは

・展望的記憶とも。「意図」の記憶、とも。これが一番わかり易いか。
 
・展望記憶である条件としては、
行動を伴う意図の記憶である
今すぐやるのではなく、「待た無くてはならない期間(待機期間)」がある
一度頭の中(ワーキングメモリ)から消えた後、適切なタイミングで「自発的に」思い出す。予定の「存在想起」機能。
 
・そこから思い出す「きっかけ」の種類で2つに分かれる。
「事象ベースの展望記憶」= 何かしらの条件で思い出すタイプ。
例:「あの人に会ったら」あの話をしよう
 
「時間ベースの展望記憶」= 特定の時間、あるいは特定の日時で思い出すタイプ。
例:「一時間後に」あれをやろう
 
要はトリガーかタイマーか。
 
・記憶の一種として扱われるが、内容的には「予定」の概念に近い。簡単に言えば頭の中のカレンダーやtodoリスト。そして適切なタイミングで思い出し(アラーム)、内容(メモ)を実行するする能力。Googleカレンダーか。
 
・展望記憶の内訳は、「この時間に(あるいはこのタイミングで」という記憶と「何をやるか」という記憶の2要素がある。どちらかがエラーを吐くと、「タイミングを逃した」という失敗あるいは「この時間に何か予定があったと思うが思い出せない」となるだろう。
 
また、これらが自動的に発動しなければ意味がない。思い出そうとして思い出すのではなく、「適切なタイミングだから」自動的に思い出し、「今からこれをやる」という形。時間に限らず誰かに会ったらあの話をしよう、という場合にはその人に会うことがトリガーとなり自然と頭に話のネタとして思い浮かぶこと。
 
……「なにか話そうと思ってたんだけど会ったら忘れた」とか言う人、多い気がするんだが。もちろん意識は常に周囲を認知し、補足し、想像しているわけだ。展望記憶のみに脳が使われているわけではない。こういった他の要素で「埋もれる」こともあるだろう。
 
・補足するツールとしてメモやカレンダーなどが挙げられているが、これだけでは実行できないとされている。適切なタイミングで「本人が自動的に」思い出す役には直接は立たないからだ。あくまで補足、せいぜい反芻などの「強化」くらいか。
 
・どうも展望記憶は「出来て当たり前」みたいな位置づけで研究されているようで、その「当たり前」を失った脳損傷患者と健常者との比較の話が多い。そして結構展望記憶は脳損傷で機能不全になりやすいようだ。ただこの場合、訓練で精度は回復するらしい。
 
・展望記憶の対となるのは追想記憶。簡単に言えば「思い出す」こと。
 

◆エピソード的未来思考

・展望記憶に類似した概念として「エピソード的未来思考」がある。過去エピソードを想起するのと同様に、未来に起こるであろうことを思い描く思考。
 
その際に手順や予定を考えたりはするが、こちらのほうが「シミュレーション」の意味合いが強い。展望記憶は「行動を伴う意図」であるので、この点が違う。つまり「やる」と決まっているか、まだ未定かの違い。エピソード的未来思考の結果「やる」と決めたのなら、それは後から展望記憶となるだろう。
 
・余談となるが、過去でも未来でもこのような想起/思考は実際には「記憶の再生」ではなく、「記憶の再構築」に近いとする声が多くなってきているようだ。そしてそれに「没頭/没入」、つまりは「再体験」する傾向が人間にはあると。
 
要するに想起の際は「仮想現実」を脳内に作り、そこへ「自己を投影」してロールプレイをしている。
 
再構築である故にその記憶/思考はバイアスが掛かっている可能性があり、その上で没入し「現実のように体験/追体験している」。辛い記憶や不安になる想像などは、それを「再体験」する毎に精神に負荷をかけるだろう。また実行/現実での対応の際にそのイメージに「引きずられる」可能性もある。
 
・締切として
締切とは「その時までに完了しなくてはならない」という圧迫感のある展望記憶と言えるだろう。ただしいきなりゴールのみをイメージしているため(「手順」がない)、締切を気にするだけでは展望記憶として具体的に何か役に立つわけでもない。タスクの細分化なりマイルストーンなりのスケジュール管理、そこら辺はライフハックの分野となるか。
 
 

§展望記憶の考察

・高齢になるほど展望記憶を思い出しやすいという意見もあるのだが……。社会生活を長年やってきて時間を守る、約束を守るというのが身についているからだとする説がある。まぁ高齢と言っても限度があるだろう。展望記憶の実行機能(準備状態の維持を含む)にはワーキングメモリが関わっている。今までの身につけた習慣ならともかく、新しい指示、目的、予定に対しては高齢であることは不利だと思われる。
 
・研究対象とされている展望記憶は意識的なもの、あるいは他者からの指示であるなどの「具体的な目的」として扱われている。では、人間の平常時の自発的な意思決定に対してどの様に働くか。
 
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180215025712.pdf?id=ART0009131777を読んだ限りだと、どうも予定がある時点で(つまり展望記憶がある状態)、「ヒント・トリガー」になりえるものに対しての気付く能力が上がっている。まぁ対象5名だからあれだが。そうだとするならば展望記憶は常時稼働で作動していることになる。認知したものがトリガーか否かのチェックや、「今」が定めたタイミングか否かのチェックをしている。これは「予定があるだけで負荷になる」ことを意味する。
 
特別難しい話じゃなくて、煮物でも作ってて30分鍋を煮込む必要があった場合、その30分間は別のことをやろうとするだろうが時計を自然とチラチラ見るだろうという話。キッチンタイマー使うんだったら知らんが。
 
キッチンタイマー使う場合にはタイマー終了のアラームが「トリガー」となる。これにしたって鍋煮込んでることを忘れている場合には「いきなり鳴ったけどわけわからん」とかそんな感じになるが、普通はそうはならないだろう。「なぜ鳴ったのか」を瞬時に理解/想起して自然と火を止めるはずだ。
つまり、予定が立った時点で備えている状態になる。意識の中の即座に利用可能な部分に予定が「準備」されている。
 
それが「負担/ストレス」になっている可能性もある。例えば遊びに行く予定を友人としている時はノリノリで、だんだん行きたくなくなってきて、実際行ったらやっぱり楽しかった、なんて話。これ、意識しすぎて途中で脳が疲労状態になってるんじゃないだろうか。
 

◆期待と予測の違いは?

展望記憶というよりはエピソード的未来思考の話になるが、これらが直観レベルで展開されることがある。
 
期待とか予測とか言われているこれらはどのような違いがあるか。まず直感的に(つまり意識的な思考ではない)「閃いた」状態からスタートするものとしよう。はい、結論が出ました。イメージが出来上がるね。それに対して当人が「どう思うか」だろう。
 
期待は「それを望む」、予測はそのまま「予測しただけ」という違いに過ぎないだろう。ついでに言えば「不安」は「それを望まないがそうなると思っている」となるか。
 
フラットである分「予測」の方がいいだろうね。勝手に期待して勝手に裏切られたと騒ぐ連中を見れば、ああなりたいとは思わないだろう。
 
また前述の通りイメージに「引きずられる」可能性もあるため、冷静でいるためにも「予測」と認識したほうが良いだろう。
 
・調べた限りは「予測」は展望記憶に含まれていない。実行目的がない限り展望記憶とは呼ばないのだろう。経験は「記憶」であり、それが頭に広がるのは「想起」であり、そこから感情的反応あるいはスキーマによる対応の実行となる。これらを持って未来を「予測しようとする」のはエピソード的未来思考と呼んだほうが正確だろう。
 
逆を言えば展望記憶は計画的ではあるが、それでも直感的/認知的なものである印象を受ける。
 

◆フラグ管理

展望記憶のエラーとして「もう一度やってしまう」ことが挙げられている。普段はそうでないことから正常に働いている展望記憶の機能の一つとして「予定」を「完了済み」にする機能があると思われる。
 
服薬などの日課的なタスク、つまり「毎日行うタスク」なども、今日はやったかどうかは当然ながら覚えていなくてはならない。一日に何度も飲んだら倒れるだろう。これは今日は完了済み、明日に未完了状態にリセットされている必要があり、実際に人間は大抵はそれが行えている。
 
「展望記憶」の内には「フラグ管理」の機能があるのではないか。タグ付けと言ってもいいが。既にある予定などのカプセル化された記憶、スキーマに対しての完了、未完了のフラグ付け、繰り返す場合は一日なのか、一週間なのか、一ヶ月単位なのかなどを管理する機能。Googleカレンダーか。
 
薬を飲んだ後に、いちいち「薬を飲まなければ」と思い、直後に「さっき飲んだ」といちいち想起するだろうか?
むしろ「薬を飲んだ記憶」自体がその展望記憶を「オフにする」ような、「抑制」の効果があるのかもしれないが。
 
・これだとツァイガルニク効果(未完了のタスクを覚えていやすい傾向)の説明もつくな。一度手を付けたタスクだから展望記憶としては頭の中にすでにあるはずだ。これが中断されたのだから「準備状態」は続くだろう。
 
 

◆展望記憶のプラス効果

決めたとおりに行動できる、というのは当然として。それ以外に。
 
・アイデンティテイの一部である
アイデンティティってのは、まぁ自分らしさだとか、自分はこうだとか。意味は広い。例えば人種、例えば所属、例えば経歴。家族もマイホームもマイカーもアイデンティティに成り得る。
プラスかマイナスか微妙だが。要するに何を目指しているのか、何をやろうとしているのか、そういったものも「自分」を構成するパーツである、ということ。
・・・やっぱり口だけの奴が量産される理由じゃないのかこれ。マイナス効果でよくね。
 
逆を言えば何かを目指し、それに向かって生きている間は地に足がついた感覚を味わえるだろう。目標達成後の燃え尽き症候群の理由の一つとしても説明がつくか。「アイデンティティが1つ消失した」とも言えるのなら。「新しい目標を見つける能力」を既に持っていることを忘れぬよう。
 
この上で重要なのは、「その内容を自分で選べる」って点だ。過去はどうしようもないにしても(実は心理的にも後から意味/価値を変えることは可能なのだが)、「自分は何を目指している人間だ」というのは、自分で決められる。尤も、日頃忙殺されていて目標を持つどころじゃないって人も多いだろうけれどね。この場合はまず「自分の時間」を作るしかないと思うが。
 
また、繰り返し行い習熟している展望記憶を所持することは「それができる/そう振る舞える」という自覚/自信ともなる。
 
・イメージトレーニングの効果
展望記憶自体が脳内リハーサルとも言える。また、イメージトレーニング自体がプログラムの作成、つまり展望記憶の「実行部分」の作成とも言える。
 

◆明晰夢/覚醒夢と展望記憶と脳の可塑性

・えらい畑違いな話だが、覚醒夢/明晰夢と呼ばれる夢がある。夢の中で「これは夢だ」と気付き、自由に振る舞うことができる夢だ。空飛んだりとかね。
 
これを意図的に経験しようとする試みは色々あるわけだが、シンプルな方法として、
1:起きたら夢を振り返ること
2:眠ってから5時間後に一度起き、すぐにまた眠ること
3:起床時から「次に夢を見たら、夢を見ていることを自覚する」のようなフレーズを繰り返すこと
 
などがある。オーストラリア、アデレード大学がボランティア169名に対してこの3つの方法での成果を試してみた。
 
実験前の明晰夢率が8%。2週間の実験後、明晰夢が見れたのは17%前後。ただし3を実行後、5分以内に眠れた者は46%が明晰夢を見れたとのこと。
 
3をMILD(mnemonic induction of lucid dreams/明晰夢の記憶補助誘導)と呼ぶそうだが、この方法が展望記憶を構築し、フレーズを唱えることでそれを起動、「心に準備させる」ためだ、とこの実験の研究者は結論づけたそうだ。
 
参照:外部リンク:明晰夢を見るための科学的テクニック(オーストラリア研究):http://karapaia.com/archives/52248043.html
 
気になることをいくつか。
・展望記憶は構築、待機、実行の3フェイズに分かれている可能性。
 
・「二週間」というのは、「脳の可塑性」の一時的変化/適応が元に戻らずに定着しだす期間と同じ。内容にもよる可能性もあるが、「心がけ」が身につくのは2週間くらいかかるのかも知れない。
 
・似たような話で「自己覚醒(決まった時間に自然に起きれる)」という技術もあること。
 
・明晰夢は当たり前だが「寝ている状態」だ。その状態で展望記憶が作動している。つまりMILDにより「待機」状態がスタートしてから入眠、夢を見るまで作動し続けていることになる。つまり、「無意識レベル」で。
 
また、入眠時は一気にノンレム睡眠(深い睡眠)に入る。この状態では夢は見ないとされている(異論もあるらしいが)。90分位のサイクルでノンレム、レム睡眠(夢を見るような浅い眠り)と繰り返すため、90分間は待機状態が持続しているか、トリガー(夢を見たこと)により一気に再起動しているかのどちらかになるか? 後者だった場合、展望記憶の待機状態というよりは「条件反射をプログラムした」ことになる。
 
これは自己催眠やアファメーションなどの精神の変容を目的とした物などに効果がある可能性を示唆するが、副作用の件もあるので慎重になるべきだろう。
 
・MILDも「イメージ」ではなくて「フレーズ」。つまり言葉だけ、のようだ。前述の自己覚醒も脳のそれを行う部分は「言葉を理解できる」とされていた。まぁこの「言葉を理解できる」ってのが裏目に出てるのが、インナーゲーム自責の念による「自分イジメ」で心身や世界観に影響がある理由なのかもしれないが。
 
・ちなみに明晰夢は精神の健康に良い、とされているようだ。恐らく補償夢(現実では満たされないものを満たす夢)として機能するからだろう。ちなみに逆補償夢ってのもある。ありえそうな嫌な夢などを見て、一度嫌な目に合うことをリハーサルすることで心を備えるんだとか。
 

§展望記憶の注意点

・長期記憶は過去、短期記憶は近距離の過去、そして展望記憶は未来を向いている記憶と言える。ワーキングメモリはそれらを頭に並べて思考/判断する領域。
記憶と言っても、「その時どうするべきか」、「どうするつもりだったか」の記憶だ。目的や思考の記憶と言えるだろう。
 
余談となるが、一部のネイティブアメリカン達の感覚では時間は二種類しかない、という話を聞いたことがある。通常は三種類、即ち過去、現在、未来だ。だが彼らの場合、「今とそれ以外」という区分とするらしい。
 
イメージトレーニングなどで見られる脳の現実と仮想の混同、展望も実際に経験した事もどちらも「記憶」として脳が扱っている点から、これはこれで正しいのではないかと思える。
 
・「予定や計画を立て、それを実行する能力」と言い換えても良い。
この点からヒューマンエラー(特にやり忘れ)や認知症、ワーキングメモリーなどとの関連が特に研究されている。
 
人間は「未来」を「記憶」として扱う、という点。これについて考えてみる。
これは自動的な機能に近い。勝手に、自然に、予定・計画・未来を思い描く。もしかしたら後天的に社会生活上必要だから身につけたのかもしれないが。そしてトリガーによって思い出し、実行する。これに拠る「悪影響」を並べてみよう。
 
・「口にする」というのは、他人に影響を与え、自分の耳へ改めて言い聞かせる効果がある。これが裏目に出て、言っただけで満足する。GRITについて書いた際にあったが、「目標を口にした人間は、口にしなかった人間に比べて少ない努力でやりきった気分になる傾向が高い」となっている。
 
だって「やり遂げた"記憶"」を強化したのだから。別に不思議じゃないね。ゴールした気分を味わったのにそれ以上走ろうとなんてしないだろう?
 
もちろん、普通は現実に消化したか未消化のタスクかの区別はつく。だが、上記のような傾向が実際にあるし、それ以上にわざわざ他人に自分の夢やら何やらを言い聞かせ、実際にはなんにもやらん奴はいる。他人への指図や支配に夢中になる者もいる。あれはもう、そういった「気分」を味わうことだけが目的に成り下がっているんじゃないのか。その「未来」が遠ければ遠いほど、他人にばれないし、進んでないことに自分も気付き辛くなるだろう。
 
要するに自分が実行するべきはずの「予定」を「やったこと/終わったこと」と混同する可能性。そしてあえて混同することにより「やり遂げた感覚のみ」を味わっている可能性。仮想現実の中毒者。
 
・強迫性障害的な「べき論」と認知的不協和
思ったこと、考えたことを「記憶」として扱うことは夢想、空想、想像、要するに「思い込み/思いつき」を事実と混同する可能性があるということだ。簡単に言えば「思いついた」と「思い出した」の区別の話。
展望記憶と混同した場合には「こうなるはず・こうであるべきこと」だという認識を持つ可能性。コアビリーフとかべき論そのものだ。予測と期待と展望記憶の混同。
 
これにより「誰も(自分も)出来たことがないこと」がいつの間にか「出来てアタリマエの常識」に成り上がる。後知恵バイアスがエスカレートしがちな要因ではないのか。あれは理想論+結果論であり、無理があることも多い。だが自分や他人を責める際に「出来たはずだ」、「気づけたはずだ」と言うじゃないか。
 
要するに、「全て自分が悪い」と思う人に特に言えることだが、「不必要な自責の念」に繋がるのではないか。空想レベルに美化された次はこうしようという「理想」と、「出来るはずのこと」の区別がつかなくなるのなら。
あんまり人間の意識はクリアじゃない。人間の一日の半分は「頭の中の世界」に行ってるとも言われている。「区別」を意識してつける必要は、あるのではないか。
 

◆誤作動

展望記憶と「ただひらめいただけ」のこと、つまり脳内の予定と提案の区別もまたついていないように見える。例えば集中するべきことに対して取り組んでいる際に思い浮かぶあれこれだとか。別にそれをやっても対して報われもしない、緊急性もないことだ。
 
確かにそれから逃れたいという心理と、それを動機とした「別のことを探す」というモジュールの脳内検索、その検索結果の表示/展開なのだろうが、それは勝手に探して勝手に見つかっただけで、少なくとも「意志」じゃない。
 
いつの間にやら展望記憶という「席」にそれが座るからこそ、取り組むべきことに対して注ぐべきエネルギーで部屋の掃除とかやっちゃうんじゃあるまいか、と。つまり完璧雑念で意味とか全くないんじゃないのか。ともかく「思いついたから自分はこれをやりたいはずだ」というのは全くの間違いの可能性がある。というか、悪い方向かおめでたい方向かしらんが、割と人間、極端なことをまっさきに思い浮かぶものだ。
 

◆取り掛かりやすさの増減

積み本あるいは積ん読とか言ったりするが、買うだけ買って読まずに部屋においてある本がある状態。だが本と言っても漫画がこの状態であることは少ないだろう。何気なく開いたら勝手に読み進める。
 
では小説はどうだろう。まぁ好きで買ったり興味があって買ったら何気なく開いて勝手に読み進んでもおかしくない。取り掛かりやすさにはこの時点で漫画に軍配が上がっているのだが、小説だってそこそこいい線いってるのではないだろうか。まぁ好きなら、って前提付きだが。
 
では「かかる時間」はどうだろう。漫画は単行本でせいぜい30分くらい? 小説だったら数時間か。京極夏彦だったらもっとかかるだろう。ラノベなら2~3時間とかの意見も見かけるけど、どうなんかな。ペラいのもあれば分厚いラノベもあるからなんとも言えんね。
 
これを「読む前」に無意識に「予測」しているとしたらどうだろう。つまり時間的な「コスト」や心身の「疲労」を予測/計算しているとしたら。小説のほうが「難易度が高い」ことになる。だから尻込みするのではないか。
 
楽しみにしているなら尚更だろう。まとまった時間で万全の状態で堪能したいはずだ。楽しみにしていたことを「スキマ時間で効率的に消化しよう」などとは思うまいよ。「まとまった時間」が取れず、「万全の状態でもない」から手を付けられないのではないか。
 
考えただけで疲れるというのは展望記憶的に考えていくつか原因が挙げられる。
 ・過程・工程や目的達成の瞬間をすっ飛ばして「終わった後の疲れた自分」か「一番やりたくない瞬間」を想像している
 ・過程・工程が詳細過ぎて頭がパンクする
これはどちらも「意識しすぎ」と言える。まぁどこまで考えてしまうかは脳のクセだとして、コントロール自体は可能なはずだ。前者では終わった瞬間までで考えるのを切り上げるか、いっそ先に手を付けてしまうか。後者も同様。それと意識を向ける範囲を「今」と「次」くらいに抑えること。思考範囲の再設定。

◆完璧主義と展望記憶

展望記憶の最終目的のイメージを「青写真」と捉えれば、完璧主義との関係性も考えられる。
 
まず展望記憶が完璧すぎる。実行不可能あるいはそこまでやるために時間や周囲との連携に不都合が発生するほどに。
 
次にそのイメージに強迫性がある。「やらなければならない」「できなければいけない」と感じるほどに。
 
つまりやろうとしていることそのものに、既に何らかの「不適切さ(間違いとは限らないが周囲との齟齬など)」があり、その上でやらねばならぬと思いこんでいる状態。これらは自分が完璧主義者だと自覚があるタイプには該当するのではないか。

◆メモ

・後悔から展望へ 例えば後悔を「次からこうしよう」と認識すれば、それは展望記憶となる。考え方や使い方の問題。というか、本来こういう使い方をするべきものなんじゃないのか? じゃなきゃ後悔する「価値」が全くないじゃないか。
 
前向きに考えることを何らかの「逃げ」や「嘘」と感じる人がいるが、少なくともこの件は「こちらのほうが正解に近いんじゃないか」くらいは言えそうだ。まぁ何でも使い方だろう。心に浮かぶものを「受け取る」ばかりじゃなくて「利用」するつもりで見てみれば、何か見つかるかもね。
 
展望記憶が「待機」している限り、脳のメモリを使用するとしたら。「さっさと終わらせてメモリを開放する」のは集中力増加や意欲増加として有効だろう。もちろんそれを消化する時間的労力的リソースも看過することはできないのだが。このためそもそも「無駄に予定を立てない」ことから意識したほうがいいのかもしれない。
 
・人間は結構「目的の迷子」になることを恐れる。なのであれやこれや頭の中に手順並べすぎてパンクしがちに見える。大抵の場合は慎重に越したことはないのだが。
 
問題はワーキングメモリの容量、「頭の中に並べられる数」の方だ。チャンク4つしかないぞあれ。一度にアクティブにできる数は「1」だし。なので紙に書き出すなりで整理して、ワーキングメモリは「今やること」のために使ったほうが良いと思われる。
 
・展望記憶の少なくとも「青写真」の機能は条件反射的な物に見える。なので各々固有の認知の歪みが投影されやすいのではないか。極端ではないか、雑ではないか、細かすぎやしないか、そして「その青写真にこだわりすぎてはいないか」つまり執着度合いなど。一番最後のがまぁ、完璧主義だよな。
 
・特に危険性を感じるのが、展望記憶はその時点で「やるつもり」でいることだ。これが反射的に頭に浮かんでいるってのは、やるかやらないかの判断をすっ飛ばしてることになる。自然と、勝手に、既に「やること」として話が進んでいるような、詐欺まがいの営業テクみたいなものを感じる。
 
この「青写真」を「予定」ではなく、「今、その場で」実行したらどうだろうか。それは「衝動的」「衝動性が高い」と称されるのではないか?
状況に応じて軌道修正や中断するだけの心の余裕はあったほうが良いだろう。
 

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