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何が普通か、普通はあるのか。何が異常か、正常はあるのか。

何が普通か、普通はあるのか。何が異常か、正常はあるのか。




投稿日:2017/06/28
最終更新日:2017/07/03
人格・性格にまつわる病気や障害の特徴一覧を見て「自分にも当てはまる」と感じて少し気にする人は多いと思う。その対極である「普通」に自分がいるかどうかがわからないからだろう。

結論から言うと、普通とそうじゃない人間との境界もあいまいであり、違うのは確かだがじゃあ「どこからどこまでが?」というのは無い。


言い方次第で普通の人間であることが病気である気がしてくることすらある。後述するが、仮に正常だったとしてもそれを他人に証明するのがかなり難しい。

この上で言うが、これはどこまでも解決しない疑問だと思う。だがそれを気にするのは、それこそまともであろうとしている証拠だとも思う。







◆自分が「普通」の範疇なのか自信がないのは

特に「自分が正常なのか自信がない」と気にする人がいるようだ。ここに来る人の検索ワードが幾らかがそうだし、まぁそんなメッセージも届いた。

人それぞれだろうけれど、どうも自分が「やったこと・言ったこと・思ってること」が、何らかの「普通とは違う」とされる人間たちと一致する、という点からスタートしている発想に見える。

例えばそんな病気や障害の部分部分を切り取って「特徴」として挙げれば、病気や障害じゃなくても当てはまることがあるわけだ。そりゃそうだろう。同じ人間なんだし。意識が本能というOSの上に成り立っている以上、被るところは多い。特に感情的な場面は。

その上で相手が意図的に怒らせようとするというのもある。
交流分析の「ゲーム」や「ストローク飢餓」、巷で言われる「マウンティング」などを鑑みれば、挑発したり攻撃するのが本能レベルで言えば「自然」ですらある。

極端な話、やろうと思えば自己愛じゃない人間に自己愛と同じことをさせることは「できる」。

特に自己愛関係は、元から被害者加害者を逆転させようとするし、第三者から見たら多分に誤解の余地がある状態に仕立てる。当の被害者が自分が加害者だと思っていたり、加害者が被害者だと思っていたりはある。

ADHDにしても、例えば時間通りに動くのが苦手とする特徴(朝遅刻ギリギリだとか)があるが、出来るできないは置いといて大体は朝早く起きるの嫌だろうと。じゃなきゃなぜ多くの人間の休日は、前日夜更かしして起床時間は平日よりも大抵遅れるんだと。大抵は本当はみんな二度寝したいだろうと。

自分が正常だという確信を持つ方法はあるのだろうか。少なくとも私は知らないし、そもそも普通や正常といった概念事態があまり固定されていない。後でちょっと面白いものを紹介させてもらう。

病気や発達異常かどうかの検査なら医者に行けばいいし、逆にそれしか無いだろう。ネットのチェックリストは医者が使っているのと同じレベルなのもあるらしいが、そのチェックリストを見て「判断」するのはやっぱり医者じゃないとできない、と思っておいたほうがいい。


少なくとも「○の数であなたのことがわかります^q^」とかを鵜呑みにしちゃいけない。まぁおかしな結果が出た時に医者に行くきっかけとかにはしていいと思うが。






◆「普通・常識」は2つある。

いつもどおりの言い方をすれば、普通やら常識やらはカジュアルとフォーマルの2つの物がある。

簡単に言えば、フォーマルな普通=ルール、カジュアルな普通=みんなやってる、あるいは自分が慣れてる自然体、みたいなところになるか。

まぁその「みんな」ってのも象牙の塔というか、井の中の蛙というか、「知ってる限りは」であって全く通じない場所もあるんだろうが。

フォーマルな「普通」とは、実は大抵の場合ちょっと無理をしないと届かない事が多い。車の免許を例に挙げよう。車の免許持ってること前提で話すので、そうじゃなきゃ何らかの資格と差し替えてもらいたい。頭の中で。

運転免許の資格勉強というのは、まぁ色々幅広く教わるわけだが、例えば車に乗る前に車の前と後ろと車の下とチェックするとか、ライトは全部ちゃんと付くのかチェックするとか、めんどくさいのがあるわけだ(知ってなきゃいけないフォーマルな普通)。


で、実際日常でそれやってる奴がいるのか、といえば地方にも依るんだろうが※ 少なくとも私の周辺じゃやらないね(実際にやっているカジュアルな普通)。


ライト片方つかないままとかたまに見かけるし。まぁネコがいるかもしれないので車の下くらいはチェックしてください。

※ 四国のどこかと東海のどこかでは曲がる時ウインカー出さないって噂。
ここでダブスタ※1 になっている。「あるべき姿(普通免許取れる知識量と技術)」と「実際のスタイル」は離れたまま並行している。


実際のラインというのは「あるべき姿」よりはもうちょっと下にあり※2 、必要に応じて「背伸びする」感じになる。これが実際に機能する「普通」のラインだ。


これら資格というのは、所詮合格時に「その時はできた」程度の証明にしかならない。まぁだからこそ運転免許は期限があるんだが。

1.ダブルスタンダード。簡単に言えば二枚舌。
2.意識して維持しない限りはほぼ確実に数を重ねる毎に簡略化されていく。実行する時の手軽さを求めた無意識レベルの「最適化」。場合によっては「上達」でもあるので一概に否定はできない。






◆I see you

じゃあ、おはようからおやすみまで白バイが日常的に車使う奴1人にターゲットを絞って粘着したらと考えてみよう。

まず間違いなく、見張られてる側の「普通」はカジュアルからフォーマルにシフトする。そうじゃなきゃ呼び止められる。

似たような経験は珍しくもないはずだ。だってほら、車の運転中にパトカーやら白バイやら見かけたら、特に悪いところは無いはずなのに「気を引き締める」ってことを、自然とするだろう?

フォーマルな意味での普通、常識、つまりは「まとも」であるかどうかを四六時中監視されるというのは、朝から晩まで「背伸び」し続けなければならない、ということになる。完璧主義の傾向がある人がうつになりやすいのもこういったことだろう。普通に疲れる。
で、背伸びし続けて足つって、それで転んだりした時に、


「おや、普通が辛いのかい? 
じゃなきゃ転ぶはずがないもんね? 
・・・じゃあ君は普通じゃないんだね。」


なんて言われるのは冗談じゃないと思うね。ADHDの苦労はこのあたりだろう。
ちなみに、「白バイが事故を起こした」という話が結構多い。検索するとわんさか出てくる。挙句警察が庇うから被害者が加害者に仕立て上げられるなんて話も。


要するに、見張る側が「見張られる側」になった時、大抵アウト。自分でもできちゃいない。パトカーが駐車違反の切符もらうとかの話のほうが身近か。

これが殆どの場合の「見張る側」に当てはまることは、覚えておいたほうが良い。
「見張る側」の目で自分を見続ければ、まぁそりゃ当たってる所見つかるだろうと。
障害や病気の特徴を見た時に「当てはまる」と思うのは、やりはしないが思ったことはあるだとか、実はやりたいと思っていたことだとか、怒った時はそうだとか、そういったレベルの「心当たり」が多いのだろう。

で、前述の白バイのようなことを自分に対してやった場合には、そればっか目につく。
物事にはハレとケがあるのです。気を引き締めたり、緩めたり。
それができれば普通で、できなきゃ浮く。

まぁ、自分のフォーマルが相手にはカジュアルに見えるというのも多く、その点でなんやかんや言われたりもあるだろう。不真面目だー不謹慎だーとかね。






◆実験

ちょっと実験しよう。「左利きの人間の特徴」を幾つか挙げてもらいたい。多ければ多いだけ良いし、個人的なイメージでも一般的なものでも経験に基づいたものでもいい。
いくつ挙げられただろうか。まぁそれが多ければ、関心があるか、よく観察してるかのどちらかだろう。

じゃあ次。「右利きの人間の特徴」を同じように挙げてください。
はい、で、どっちが多くの要素が出たか、と言ったら左利きの方だろう。右利きのほうが多いはずなのにね。というか右利きの人間の特徴で思い浮かぶものってあるのだろうか。左利きの人から見た右利きならまぁ、右利きのマジョリティ具合に恨みつらみがまぁ。

どんなイメージでも良いとしてハードルをかなり下げたわけだが、殆どの場合は右利きの人間の特徴なんて大して浮かばなかっただろう。「当たり前」になってると、「見てない」からだ。


いくら目の前にサンプルが転がってようが見てない。数が多いとそれらの共通点は気にされなくなる。もう知ってるから、それ以上は見ない。「わからない」とは違う。

人間もそう。同じ部分は気にしない。だから違う部分だけが目立って見える。障害や病気の特徴もどちらかと言えば誰にでもあってそれが自然で、問題視されるほどに「度が過ぎている」点で特徴としてわざわざ挙げられている。


それ以外の人間にそれらの特徴が皆無なわけではない。元からいくらかある。気にし始めたら、「見えるようになってくる」。この場合、本来気にするべきは頻度や強さだ。






◆「普通」と「正常」は違う

実は世の中、「ニューロティピカル症候群」という特定の思考形態、価値判断をする人間が結構な数いるそうな。

・ニューロティピカルは全面的な発達をし、おそらく出生した頃から存在する。

・非常に奇妙な方法で世界を見ます。時として自分の都合によって真実をゆがめて嘘をつきます。

・社会的地位と認知のために生涯争ったり、自分の欲のために他者を罠にかけたりします。

・テレビやコマーシャルなどを称賛し、流行を模倣します。

・特徴的なコミュニケーションスタイルを持ち、はっきり伝え合うより暗黙の了解でモノを言う傾向がある。しかし、それはしばしば伝達不良に終わります。

・ニューロティピカル症候群は社会的懸念へののめり込み、妄想や強迫観念に特徴付けられる、神経性生物学上の障害です。

・自閉症スペクトラムを持つ人と比較して、非常に高い発生率を持ち、悲劇的にも1万人に対して9624人と言われます。



はい。


生まれつきかもしれなくて、偏見を元に世の中を見たり、都合に合わせて嘘をついたりする上、自分のためになるなら他人を平気で害するサイコパスのような面もあり、テレビを鵜呑みにするくらい頭が悪くて、流行りものにはとりあえず飛びつく薄っぺらさがあり、相手が自分の言いたいことを汲み取ってくれると思いこんでいるが実は伝わっていない、と。大変だね。

これはアメリカの自閉症協会が作ったらしい「定型発達者の症状」、要するに「普通の人間の特徴」だ。まぁあれだ、普段言われてる分やり返したかったとかだろう。


注目したいのは、「大体合ってる」ってことだ。もう一つ、「こういう言われ方でリストアップすると確かに異常っぽい」ってこと。

更に考えていきたいのは、大抵の場合、「全部が当てはまるわけじゃない」。加えて、「そうだけどわざわざ言われるほどじゃない」場合も多いはずだ、という点について。要するに「普通」の中にも揺らぎがある。


この揺らぎの許容範囲の内、自分がどこにいて、そこからどこまでが許容範囲なのかが人それぞれだから、まぁ普通の人間見ておかしいって言い張る奴もでてくるわけだ。






◆正気の証明は可能か?

本当のことだからといって証明できるとは限らない。一部の人間は事実ならすぐに証明できるはずだ、という信仰を持っているが。

◇精神病院への潜入実験
数名の心理学者が,どこからともなく人の声が聞こえるというウソを理由に,それぞれ別の精神病院に入院した。

入院した後,今度は正常にふるまい,自分たちは実は心理学実験のためにわざとウソをついて入院したのだと話した。

しかし,一度入院したあとで自分たちが病人でないということを医師たちに信じてもらうことは,きわめて困難であった。平均3週間かけて,彼らはようやく病院から出ることができた。

医師たちは精神病患者のスキーマにしたがって彼らを精神病と判断し,自分たちは心理学実験のために患者のふりをしたのだという彼らの訴えを,典型的な妄想の一種であると診断した。(Rosenhan, 1973)

http://www.naruto-u.ac.jp/~rcse/m_jugyou_detail.html
簡単に言えば、心理学者が仮病で精神病院に入ったのに、出ようと思って本当のこと言ったら「患者はみんなそんなこと言うんだよ」で片付けられて出してもらえなかった、と。

一度疑われたら、あるいは自らを疑ったら、その疑いを晴らす材料というのはなかったりする。精神病患者の知識などが豊富であったはずの心理学者でさえ自分が病気じゃないことの説得には3週間かかっている。

この話でもう一つ恐ろしいのは、精神病院の患者の退院の基準が全く怪しいということだ。病気じゃない人間見て病気じゃないってわかるのに3週間かかってるんだから。実は現代の日本でも似たような話があるが。

また、上記引用の例は「言動に同じ部分があるからと言ってそうだとは限らない」ことも意味している。これも結構大事なポイントだろう。








「人間」はどこにいる?

まともな人間なんて元からいないんじゃないか、という示唆は昔から幾らかある。

犬の哲学者

犬の哲学者、樽の中の哲学者、自ら進んで「野良犬」と称し、プラトンからは「狂ったソクラテスだ」と評された古代ギリシャの哲学者ディオゲネスは、昼のアテネの町でランプを着けて歩き回った。


「何をしているのか」という人々の問に「人間を探しているのだ」と彼は答えた。
「アテネには人がいなくなった」とも言っていたらしい。

狼の眉毛

そこそこ広範囲に広まっている話で、バリエーションはかなり多いのだけれど。

四方を山で囲まれた村に、昔話の例に漏れず老夫婦が暮らしていた。爺さんは働き者だったが、婆さんは働かずに稼ぎを食いつぶし爺さんにパワハラモラハラをしまくった。

なんか嫌になっちゃった爺さんはいっそ山に住む狼にでも食われようと考えた。


四方の山へ行き、狼が来て、さぁ食ってくれと思ったが、

「お前は働き者だ。食うわけにはいかぬ」

「お前は正直者だ。食うわけにはいかぬ」

「お前は悪いことをしたことがない。食うわけにはいかぬ」

最後の狼は「まっとうな人間を食うわけにはいかぬ(別バージョンでは真人間なんぞ臭くて食えるかとまで言われる)」


と言い、自分の眉毛を一本抜いて爺さんに渡してこう言った。「それをかざして村の者を見てみろ」。

さて、家に帰った爺さんが眉毛をかざして婆さんを見てみると、顔がニワトリの顔に見えた。

驚いて、村の者達に眉毛を使って見てみても豚、猿、狐に狸、果てはカエルに蛇など、1人も人間の顔をした者はいなかった。

彼らの言葉も、顔に見合った「鳴き声」に聞こえたんだとか。
思うにこのアイテムは、「内面にふさわしい姿」に見えるものだったのだろう。で、狼が食わなかった/食えなかったことから爺さんだけがその村で「人間」だったのはまず間違いない。

オリジナルの話では「人なんて元からいなかった」と爺さんは失望し、山で1人で暮らすようになったというラストらしい。

他のバージョンは大抵庄屋に気に入られただとか主人公が若い男で庄屋の娘とくっつくだとか、そんなご都合主義の匂いがするものになっている。

これだと大抵の人間は、元がそんなんで、必死こいて「人間のフリ」をしているとも言える。あるいは人間だと思ってる、か。

どう思うだろうか。世の中に人間がいないんじゃ、「人間」が生き辛くって当然に思えなくもないね。だが「人間」を諦めることが出来るのかと言えば、まぁそれも遠慮したい。

「人嫌い」

人嫌いってのは、本当にそうかな。嫌いなのは「人間」だろうか。自分を人間だと思っているケダモノが嫌いなだけじゃないだろうか。どの道、ないものねだりかもしれないが。

これらの話の定義で言えば、私達もまぁ、何らかのケダモノだろう。でも自分は人間だと思ってる。

だから自分が「正しい」と思うし、そうじゃないやつをありえないから修正しようとする。
「何だその鳴き声は」
「何だその羽根は」
「何だその爪は」と言いはするが、

言ってるそいつもサナダムシかなんかだったりするかもしれないね。

「人間」の基準が高すぎると、そうじゃない自分、またはそうじゃない他人が許せなくなり、苦しくなるだろう。

「普通」という基準やその許容範囲を広げる努力は考えたほうが良いと思われる。自分の精神衛生のために。自他を「許す」というよりは、「諦め」に近いのかもしれないが。

勘違いしちゃいけないのは、個人の問題だけではないことだ。自分だけが「人間」でも、周りの人間が偏執的なバカだった場合には前述の爺さんみたいなことになる。

まぁ実は意外とこの手の話ってのは「通じる」ものだが。相手を選んだ上で一対一なら。それ以外だと表情の読み合いが発生する。

まぁ、ケダモノの「仮面」を普段は被ってるのがベターになるのかなぁ。
ムカつくね。 (´・ω・`)

さて、ケダモノが人間の仮面を被ってるのか、人間がケダモノの仮面を被ってるのか。胡蝶の夢のようになってきた。

まぁどっちでもいいだろう。幸いなことに脳は経験を通じて変化する。心理学者も性格は後から変えられると言っていたりするものだ。色々と諦めるには速いだろう。


もう一つ。人間を諦めて、ケダモノとして吹っ切れた方向の犯罪者やその予備軍に対しての社会の風当たりというのは確実に「人間扱いじゃない」。多くの人間が無意識レベルで想定している「人間」の定義とは、まともになろう、まともでいようとする目標が共通しているかどうかかも知れない。



この上で「まとも」の定義が違うから小競り合いが起きる。目標同じだから。「分かってくれるはず」だから。


もちろん何らかの集団に所属する限りそれぞれの普通が衝突しないような「調整」は必要になる。ここでルールが発生する。どさくさに紛れて自分の普通をルールにしようとする奴だとか、ローカルルールと「フォーマルな普通」の区別がつかない奴だとか、めんどくさいのも発生する。


アドラー曰く、人は理想や目標を体現しようとし、そうである限り「そうじゃない自分」にコンプレックスを抱くもの、だそうだ。だから結局の所、御大層な理想の質以前に自分のコンプレックスとの付き合い方を身につけるのが人間への道なんだろう。

◆そもそも基準が動く

結局の所、まともである証明なんてできない。誰かが保証してくれたとして、そいつのまともは誰が保証するんだよって話になる。


極端な話、アメリカ精神医学会が
「まともな人間の基準を設定しました! これ以外は全員異常だし頭がおかしいです!」
みたいなこと言ってチェックリストでも公表したとして、どう思うか。


まぁストレートに言って何様だよお前はふざけんなと思うよねと。誰が基準を決めたところで絶対に許容はできないだろう。

モノサシなんてないし、そうだと名乗るモノも許せない。そもそも「普通」や「まとも」という概念に実体がない上に流動的に変化するから、それらが固定で永続して正しいということはありえない。でも私達一人ひとりの頭の中に、「正しい普通」のイメージが何故かある。

箸を逆さに持って食事してる奴がいたら、それは「個性的」ではなくて「間違っている」んだ。私たちはそう感じるし、そう指摘するだろう。


箸を逆さに持った理由が「やりたかったから」だった場合、まぁ・・・、こいつ頭おかしいんじゃないかと思ったりするわけだ。


全く関係なく、個人の自由であり、何か害があるわけでもないはずのに、ものすごく落ち着かない。この心理的スキーマコアビリーフとそれと食い違った現実を見た時の認知的不協和に、要するに強迫性障害にかなり類似している。






言い換えれば、「普通の人間」にも「日常が(自分にとっての)普通じゃなきゃいけない」という強迫観念があるとも言える。周りにあるものすべてに対して「あるべき姿」を決めている。そのために時には激高してまで普通じゃないものを「あるべき姿」に修正しようとする。間違っている、悪人だ、あってはならないことだ、として。


ここに道理はない、というか個人の「普通」が道理であり正義になる。そう考えると、少なくともこの点に於いては普通の人間は頭おかしいどころか頭おかしいと言われてる連中と全く同じと言えなくもない。

もしかしたら、頭にある強迫観念が社会にあってるか、あってないかの違いでしかないかもしれない。私には、人々が口にする「当たり前」というものは、強迫観念との同化に見える。「当たり前」じゃないものを前にした時の反応が強迫観念を抱えた者のそれと同じだからだ。


「あってはならない」、「これじゃいけない」とパニックになる。
なんというか、普通の人間ってのは普通ではあるんだろう。でも、まともかどうかとは別の話なのも確かだろう。「まとも」の基準もそれぞれだし。普通が普通である証明とは、結局の所「みんな同じだから」以外にはないのではないだろうか。


でも本当はみんな同じではないわけで。そこに薄々気づいてしまった人は、なんか落ち着かない気分になる。「普通」はどこだ? と。

だからと言って綺麗になりすぎるとほぼ確実に集団から浮くことになる。顔芸・腹芸は必要だ。上っ面は「普通」を維持した方が良いだろう。


もっと綺麗に振る舞えるとしても、「汚い普通」として振る舞う必要があるかもしれない。なんか世の中十分ディストピアな気がするな。

もう一つ、「普通」は固定されていない。流動的であり、短期間で「安全圏」が動く可能性もある。適応力は必要だろう。「覚えた・身につけたからもう安心だ」というのは、翌日崩れてる可能性もある。流行り廃りがいい例だ。あるいは、学生から社会人へ、といった節目などもそうだ。

「普通」にはゆらぎがあり、思っているよりしっかりしたものじゃない。「普通」の概念がガバガバだってことは、例外が数多くあるということだ。「フォーマルな普通」も例外じゃない。


例外の全てを「あり得ない、許してはならないこと」として見るスタンスは「適応する気がない」ことを意味する。叩くにしたって他に理由は必要になる。
で、こんなスキルが必要な世の中だから今度は「自分がない」とか悩んじゃったりするわけだが。まぁそれこそフォーマルとカジュアル使い分けてこうか。
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