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ストロークについて

ストロークについて



交流分析の父、エリック・バーンは「人はストロークを得るために生きる」とまで言ったそうだが……。ストロークとはなんだろうか。

心理的ストローク、これのプラスとマイナスについて。

握手だとか肩を叩くだとか、所謂ボディタッチを指したタッチストロークなる概念もあるのだが、割愛でいいだろう。今時この手のものはなにやってもセクハラだし。触らないでください!!

プラスとマイナスのストローク

プラスの心理的ストロークは褒める、慰める、励ます、共感するなど、相手がそこにいることを認め、尚且つ肯定するようなもの。


マイナスは叱る、悪口をいう、バカにするなどなど。全体的に「否定」のニュアンスがあるもの。ここで指摘しておきたいのが「無視する」というのはストロークがゼロということにはならず、マイナスのストロークになるということだ。

まぁ、プラスのストロークの説明で「相手がそこにいることを認め~」と書いたからわかるとは思うが。

では褒められておだてられて共感されて慰められてで人は幸せになれるのだろうか?
まず間違いなく性格悪い甘ったれになると思うんだが。本人幸せかもしれないが、周りが地獄だろうね。

一部の人間は加害妄想が酷い。要するに「相手に危害を加えてはならない」と言う強迫観念がある。そういった人々がこれだけ読んだら「マイナスのストロークを他人に与えてはならない」なんて考えかねない。

だがそれはどうだろう。前述のとおりプラスのストロークだけ与えていても相手がダメになるだけだと思われる。というかむしろ味をしめて「付きまとわれる」可能性がある。プラスのストロークが欲しければそれに相応しく本人が成長するべきだ。要するに「目標」であり、安売りするものじゃない。

安売りするならその人の周りはそれにたかるような者たちばかりになる。「優しい人」にまとわりつくダメ人間の構図だ。と言うか大体この2種類の人間はセットになっている気がする。需要と供給だね。アブラムシとアリの関係みたいだが。

要するに、自分の言動が相手にとってプラスかマイナスどちらのストロークなのかは、必要以上に気にするべきじゃない。プラスのストロークを振りまけば人には好かれるだろう。それ以上に好かれては困るような人間ばかりが集まってくるだろう。或いはまともだった人間がヘタレになる。「甘やかす」ことそのものだからだ。

かと言ってマイナスのストロークを振りまくのはいただけない。それはただの人格障害に近い。意図的にやる人間はあまりいないだろうが、意図的でなくやる人間はそれなりにいる。


ストロークの与え方

例えばプラスのストロークを相手に向けようとしたとして、実際にどう行動するかは人それぞれである。この辺りは自分が実際に受けたストローク(特に幼児期)を参照して行動選択しているようだ。

だからプラスのつもりでやったことが相手から見たらマイナスにしか思えない、ということも在り得る。

一方、プラスでもマイナスでも、そのストロークを発するために「どうしたら良いか分からない」ような人々もいるようだ。参照データがないのか、それが一般には使えないレベルのものなのだと悟ったのか。まぁこの場合問題はいい表現方法を知らないということだから、色々見たり聞いたり経験したりして埋め合わせよう。

ストロークの得方

大抵の場合、返報性と言う心理が働くのでプラスにはプラスの、マイナスにはマイナスのストロークを返す。まぁ、「お礼」と「仕返し」と考えれば分かりやすい。

その「返し方」が人それぞれなので、良かれと思ってやったことがマイナスにしか受け取られないということも在り得るのだが。悪くとられるのは本意では無いだろうし、やたら良くとられるのも気持ち悪い。「相手がどう受け取るか」は注意を払ったほうがいいだろう。

こうしてみると他者承認欲求とは、「プラスのストロークが欲しい」と言う心理にほかならないことが分かる。また、自己承認欲求から考えれば、「ストロークは自ら満たすことが出来る」ということが分かる。


参照:「承認欲求」:心理学

エリック・バーンはストロークを得るのが人間の生きる目的だなんて言ったらしいが、現実に人間の挙動は確かにそう見える。「それだけでいいのか」と言う疑問は残るのだが。特に他者から得ようとする傾向は非常に強いのは間違いない。ほとんどは他者からしか得られないと認識しているだろう。

結局のところ、ストロークを得ることだけが目的なのでは、死ぬまで他人の顔色をうかがって演技をし続けるのが人という“動物”の「自然体」ということになってしまう。人間はもうちょっと、いい意味で自己完結できる生き物だと思っているのだが。


ストロークの本質

冒頭で述べた「肉体的なストロークはなにやってもセクハラに成り得る」というのもあながちただの無関係な冗談ではない。セクハラかプラスのタッチストロークかはやられた本人がどう思うかだ。

良好な関係を築けているのなら肯定的なタッチストロークだと認識されるだろう。初対面でやれば確実にただの変態だ。嫌われている相手からされたりしたら思いつめることだって在り得るだろう。ちなみに同性同士でもセクハラ訴訟は起こせるので。

薄々気づいた人も居るかもしれないが、心理的なストロークの本質もまた、それを受け取った人間の「主観」だ。ストローク自体は他者から発せられている(或いはそう思い込む)。だが、それがプラスかマイナスか、自分に対して相手がどういった認識をしているのかは、言ってみれば想像/連想にすぎない。本人にとっては「現実」だと思うが。

ストローク飢餓はプラスのストロークを受け取れない、というのも正確には、「マイナスにしか解釈できない」ということだろう。褒められても嫌味に聞こえる。幸せな人間がいたら当て付けに感じる。これらは思考のクセであり、治すことは出来る。尤も問題は本人が「世の中がそういうもの」だと思っていることなのだが。


ストローク飢餓だとこの状態から飢えを満たそうとする。プラスでもマイナスでも構わないと考える。そしてマイナスのストロークを得るのは簡単だ。嫌われればいい。そしてそれを実行する。これほどまでに手段を選ばなくなる。


参照:ストローク飢餓

主観であるからこそ、食い違いも起きる。嫌っている相手に異様に気に入られたりとか、わかりやすく恋愛関係のストーカーなんかもそうだね。あれは全部、被害者がやることが「自分に向けたストローク」だと認識して勝手に浮かれているからだ。


思い込みを助長させるものしか認識できない/そうとしか解釈しないのは病的なレベルでバイアスが強いからか?
流れ自体はバイアスに酷似しているが、バイアスよりももっと意図的だとも感じる。


参照:認知バイアスとは

いずれにせよ、そのうちただの思いこみであり、それが現実ではないと気づく。気づくが、相手が裏切っただとか、自分は騙されただとか、そういったつじつま合わせをして被害者を憎むようになり、トラブルを起こす。要するにブレーマーだ。


参照:何でも人のせいにする「ブレーマー」

ストロークをどう受け取るかは相手が決めていることだ。課題の分離で考えれば、それは私達が必要以上に気にして、無理をしてまでプラスのストロークを与えてやる筋合いはない。

被害者ぶったりして強制的に相手をさせようとする者も居るが、それは所詮交流分析で言われる「ゲーム」であり、尚更相手にするべきじゃない(餌を与えてはならない)。


ただし前述のストーカーのように、勝手な勘違いの挙句トラブルを起こすバカも現実にいる。自衛として「相手がどう受け取ったっぽいか」くらいは気にしたほうがいいだろう。めんどくさいね。



雑感:

巷ではプラスのストロークを稼げだとかなんだとか、そういうことを書いてる所もあるんだが、どうなのかな。まぁ得られる機会はあったほうがいいのは間違いないだろう。ゼロでは恐らくは苦しい。

確かに褒められれば嬉しいし、「ありがとう」なんて言われるのもいいものだ。

だが、ストローク飢餓に近くなると、悪食になったり(マイナスストロークでいいから欲しいという状態)、まるで「どこかに落ちてないか」みたいなノリで安いストロークを欲しがったり、茶番である「ゲーム」を仕掛けたりとロクでもない行動に走る者が多い。個人の人間性と言う話では収まらない程にこういった光景はよく見かける。

以上から、中毒性があるのは確かだろう。だとすると麻薬に近いか。得られれば多幸感、切れてきたら禁断症状。そっくりだね。


どちらかと言うと、ストロークというメカニズムが悪いのではなく、それに中毒になり、それを得るための変な癖がついたり、前後も周りも見えなくなったりするのが悪いのだろう。メタ認知を鍛えればいいのだろうが、その境地は果たして現実的なのかどうかはまだよくわからない。

プラスのストロークで、尚且つ最も無難なものと言ったら「挨拶」が挙げられる。よく見る顔なら誤解の余地もないだろうし、軽い声がけ位なら適度にやった方が得だろう。あーいや、挨拶されただけで自分に気があると思う人間もいるらしいしな……。変な奴はめんどくさいな。

私個人としては受け取ったものについてはあまり拘らないのが一番いいと思う。禁断症状は御免だ。まともな精神でいられるだけのバランスが取れていれば多くはいらない。そもそも勘違いかもしれないし。というか他者承認欲求にあまり拘りたくない。

誰だって自己実現のほうが大切なんじゃないだろうか。それ以上にストロークが欲しいのだろうか。他人に簡単に左右されるのは「個人」としてどうかと。私が我が強いだけだろうか。

与えたものについては「どちらとして受け取られたか」は気にしたほうがいいとは思う。




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