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全て「自分のせいだ」と思ってしまう罪悪感の強い人

全て「自分のせいだ」と思ってしまう罪悪感の強い人





実際にいるんだが、全く関係ないことでも「自分のせいだ」なんて気にしている人がいる。

実際の所、確かにその人に責任があるような場合でも、「そこまで気にしなくていいだろう」という落ち込み具合だったりもする。

簡単に言えば、「罪悪感を感じすぎる人」だとか、「悪くないのにすぐ謝っちゃう人」。

これが「誰にでも当てはまるようなこと」だった場合、周りには当てつけがましくも見えたり、調子こいた変質者に付きまとわれたりして、まぁ難儀なことになる。

彼らはなぜそこまで「自分が悪い」としか思えないのか。

■目次

「自分が悪い」に関する漢字・四字熟語
全て自分が悪い、全部自分のせいだと思ってしまう心理
全部自分が悪いと思ってしまう病気
寄生虫が寄ってくる










■「自分が悪い」に関する漢字・四字熟語

ちょっと遠回りと思われるかもしれないが、イメージを固めたい。
自責の念にかられている様子を指すような言葉は、不思議な事に見つからない。

社会的なイメージ

自業自得、因果応報、悪因悪果

全部悪いことやったら悪いことが返ってくるぞ、という意味で使われることが多い。
因果応報は本来中立なはずだが、自業自得で痛い目にあった奴に大してドヤ顔で言うのがテンプレになっている。

天網恢恢疎にして漏らさず

てんもうかいかいそにしてもらさず。
まぁ、悪いことしたら必ず(漏らさず)罰があるよ、ということ。

要するに、社会的な「悪いこと」に対するイメージは「必ず発見され、罰があるべき」というものである。
これは所詮イメージであり、世の中が悪人に対して「期待していること」に過ぎない。

自己イメージ

じゃあ自分は「どっち」だ、という話に当然なるわけで、大抵の人間は漠然と自分が善側に所属していると思ってはいるが、時々「そうじゃない」ことに気づいている。

城狐社鼠

じょうこしゃそ。城の狐、神社のネズミ。
何らかの賢威を盾にして悪事を働くもの。
簡単に言えばパワハラ上司とか。

阿諛追従

あゆついしょう。
簡単に言えばおべっか使い。ゴマすりって言ったほうが早いが。

一言居士

いちごんこじ。余計な口出しをせずにはいられない人間。
居士は戒名に使われるから知っている人も多いが、それに加えて「こじつける」という意味もこの場合は持っている。

巧言令色鮮し仁

こうげんれいしょくすくなしじん。
口先は立派で他人に愛想が良い。が、上っ面だけであり仁、即ち徳は少ないということ。

事大主義

じだいしゅぎ。これは古典ではないようだ。
簡単に言えば「長いものには巻かれろ」。
保身に走ること。

内柔外剛

ないじゅうがいごう。
豆腐メンタルなのに強者として振る舞うこと。
ハッタリ人生。
キョロ充が代表的か。

八方美人

はっぽうびじん。
本来はパーフェクト美人を指していたらしい。
今ではまぁ、相手に対して態度を変えて、上手いこと取り繕うことを指す。



でまぁ、色々上げたがどうせ誰もが何かしら「当てはまる」よね、と。
つまるところ、大抵の場合誰しも心当たりはある。

見てわかったと思うが、基本的に他人の「言動」を指摘したものであり、内面を表現したようなものはない。

自分が悪いだなんて悩んだ人間はほとんどいない、というわけじゃないだろう。
逆に「悪いんだったら許さない」というメッセージが溢れているんだから、そう思っていてもあんまり口には出せなかっただけじゃないのか。

要するに、「心当たり」があり、「それは世間に許されない」と思っている。だが不安になる。

「バレなきゃ良い」とか思っている連中より圧倒的にマシだが。










■全て自分が悪い、全部自分のせいだと思ってしまう心理

客観的に見て「いやお前関係ないだろ」というような立ち位置なのに全て自分のせいだと思いこむ人もいたりする。

■■罪悪感を感じるタイミング、トリガー

自分の価値観ややり方が通用しない時。
そしてそれらを「実行できなかった時」。
要するに「対応できない時」。

ピンとこないかもしれないが、言い方を変えてみよう。
罪悪感とは言うものの、それは大抵、無力感、後悔と言い換えることができる。
対応できないという無力感、やらなきゃよかった(つまり対応をしくじった)後悔だ。

厄介なことにただ単に居心地の悪さを感じたと言うだけで「この空気は自分のせいだ」なんて思ってしまう人もいるんだが、それは後述する。

また、親しい人が不幸である場合、自分が幸福であることに罪悪感を抱くケースも有る。

まぁ今回はこっちは関係ないだろう。






■■刷り込みとスキーマ

心の底から自分が悪いと思う場合でも、悪いと思って無くてもとりあえず謝っちゃうくせが付いている場合でも、ここをまず疑ったほうがいいだろう。

人間の思考も行動もスキーマという単位で考えることができる。

簡単に言えば頭の中のプログラムであり、人間は状況に合わせてどのプログラムを使うかを無意識に決めている。
「どのスキーマを使うか」というスキーマもある、とここではしておこう。

一般的な言葉で言えば「思考回路」ってやつだが、今回は数式だと思ったほうが良いかもしれない。

状況認識 = 入力で、スキーマでの演算の結果を結論や行動という形でアウトプットする。
で、入力する数値は当たり前だが正確じゃなきゃいけない。じゃないとエラーを吐く。

「どのスキーマを使うか」というスキーマがエラーを吐いた場合(つまり対応できないと判断した場合)、その者の反応は慣れきったスキーマが選択される。つまりかなりワンパターンになる。

泣くか怒るかみたいなヒステリー的な反応が代表的だが、そういった慣れきったスキーマが「自分のせいだとして全部自分で背負って自分で何とかすること」だった場合には、まぁよくやることになるね。

じゃあエラーを出さなきゃ良い。状況判断だけはしっかりやったほうが良い。
本当に自分が悪かったのだとしても、何が悪かったのか自覚した上でそれを認めるべきだ。

「わからないからとりあえず謝る」というのは、周りからしてみればそれで一種の「解決」になる。そうじゃないとは思っていても、誰もかばわないだろう。都合がいいから。
言い方を変えれば、「こいつのせいにすりゃいいや」という認識が必ず育っていく。

また、本当に自分が悪く、そしてすぐ謝るくせに何も全く治そうとしない人間も結構いる。この場合自分すら「自分のせいにして謝りゃいいや」と思っているということになる。

これらは長い目で見て決して良いことではない。

刷り込みについてだが、こっちは簡単だろう。
今言ったような「解決」の生贄になり続けていればそういったスキーマがそりゃ育つ。

ただ、本人が悪いとは言い切れない。そうさせる人間はかなりの数いるし、それしか認めないと追い詰める人間も居るからだ。

大抵の場合親が容疑者としてあげられるが、実際親とのコミュニケーションで獲得したスキーマは人生単位で影響を与えやすい。

親は子供にとってかなりの発言権があるというのが原因の一つ。
もう一つは単純にそれらは幼少期のことであり、対抗するような知識や経験がないからだ。

つまりは「刷り込み」。






■■「怒ってはいけない」

子供ってのは、まぁ理性的というよりは感情的な生物なわけで。

躾やら教育やら道徳やらで理性を培ったり、感情を抑える必要性を学習するものだ。

で、基本的に「怒る」ということは最も推奨されない感情だ。大抵の場合。
暴れられたら迷惑だからね。まぁ周りは禁止するね。

教訓めいた話でも、つまりは「教材」として使われる話の殆どは短気だったり欲が深い奴が痛い目にあい、そうでもないやつがおいしい目に遭うような構成になっている。

今でこそアンガーマネジメントなどの「怒り方」のノウハウが輸入され始めてきて入るが、基本的には今でも「怒ってはいけない」、それどころか「怒りを感じてすらいけない」という概念のほうが強い。

出口のない怒りが、自分自信をはけ口にすることがある。
その結果、なんでも全て自分のせい、とする思考、そして自分自身へ罰を与えようとする傾向になる。

対象が自分に向いているから気づきにくいが「嫌いな奴のせいにする」のと本質的には変わらない。
要するにイジメに近い。

怒れないというより我慢の仕方が下手というか極端なんだと思うが。






■■そのほうが楽

一見おかしいが、「そういうことにしたほうが気が楽だから」というケースも有る。

人間には厄介な思考の「クセ」がある。
ヒューリスティクスと呼ばれる、精度を犠牲にしてスピードを優先する傾向だ。

何らかのトラブルが発生した場合、対処しなくてはならないことになる。
本来この場合状況把握からしっかりやらなければいけないのだが、大抵の場合軽いパニック状態になっている。

認知的不協和と言って、人間はこの状態からは一刻もはやく脱したい。そのためにかなり雑な結論を付けたがる傾向がある。

だから今回のような「すぐに自分のせいだとする人」が居る一方、同じように「すぐに他人のせいにする人」もいるだろう。

こういった雑な「決めつけ」は日常的なものだ。そして繰り返すうちに悪い意味で「上達」していく。

・別の大きな理由として「戦わなくていいから」というのがある。前述したが、意見が別れたりした際に自分から真っ先に折れるタイプに多い。
道を譲れば争いは起こらない、と。

処世術として考えればアリなんだが、これがどんなときでも発動するただの「クセ」になっているのなら、貧乏くじを自ら引き続けることになるだろう。

また、他人のせいだった場合、そいつが何かしら対応をしなくてはならないわけだが、あてにならないと思ったり、自分がやったほうが早いと思った場合に「手を出していい理由」として責任を感じるケースも有る。






■■自分が悪いと思い込むと、自分に対する「攻撃」が始まる

簡単に言えば自分に「罰」を与えようとし始める。

自分に対する認識が「嫌い」だとか「許せない」というレベルになる。

大抵の場合、人は自分に対してだけは容赦がない。
人に向かって使ったら人間関係壊滅するような言葉を自分に対しては平気で使ったり、「罰」としてわざわざ自分が苦手とする環境に身をおいたりする。

要するにセルフ虐待をし始める。

■全部自分が悪いと思ってしまう病気

人のせいにするのならいっぱいあるんだが、自分が悪いと思う「病気」というのはあまりない。
病気として、と言うよりは「そう思い込む」「そう思わされる」ことでそうなることが多い。だからそういう妄想を抱えやすい病気ならいっぱいある。

カサンドラ症候群

妻や夫がアスペルガー障害の場合に、その伴侶、家族がなるとされる症状。

家の中でははっちゃけるくせに外では良き夫、良き妻を演じるパートナーのせいで「自分の言うことは誰にも信じてもらえない」との認識が強まり、心身を病む。

自分の「当たり前」がパートナーに通じないため自信喪失となり、無力感にさいなまれる。

結果、自分が至らないからだ、自分のせいだ、自分が我慢すればいいとなりがち。

パラノイア(妄想性障害)

分類がいくつかあるのだが、2つに分ける分類で解釈妄想病と復権妄想病がある。
この内の解釈妄想病、つまり「あれはああいうことだ」「こういうことだ」という部分への妄想が今回は該当するっちゃ該当する。

復権妄想病は、「昔自分は偉かった、その地位を取り戻す」的な妄想。損害の保障とかを「妥当な取り分」として請求して騒ぎ立てたりする。
あれ、なんか身近にいたな。

パラフレニー

20代で多いとされる。
パラノイア同様何らかの妄想を抱えるが、トラブルなどはあまり起こさず、感情的になることも少ない。
統合失調症の一つとされてはいるが、症状は比較的軽い。その分長期化しやすいらしいが。

多くは被害妄想にとらわれる。
誰かが自分の悪口を言っている、危害を加えようとしていると言った形。
妄想の中でも「自分を攻めるようなこと」の幻聴というのは、こういった話ではポピュラーなものだ。

加害妄想/罪業妄想

言葉通り自分は人に害をなしてしまったのではないか、やってしまうのではないかという妄想。
アメリカ人の文化依存症候群がこれだとも言われている。

文化依存症候群は病気というよりは伝承や文化由来の国民的特徴のようなものだが。
「ウェンディゴ」の人を食いたくなる症状みたいな厄介なのもあるにはある。

無力妄想

自分は無力だ、とする妄想。
つまりは「自分は無力だから周りに迷惑をかける」 = 「自分のせい」 となりやすい。

微小妄想

自分を過小評価する妄想。
要するに自分のことを「足手まとい」だと思いこむ。

強迫性障害

症状の一つに加害恐怖がある。自分は人を傷つけたのではないか、傷つけてしまうのではないかという恐怖。

この「やっちゃったかもしれない」とか「やっちゃうかもしれない」と考える理由として確信のなさが挙げられている。

要するに、ハッキリ認識してないからそういった可能性がいつまでも頭にこびりつく。


簡単に言えば、例えば「鍵をかけたかどうか異様に不安になる」という症状が実際にあるのだが、まぁたいてい鍵はちゃんとかかっている。
だが鍵をかけた時は別のことに気を取られているので自覚/認識があまりない。この状態でもやり慣れたことなら体は勝手に動く。で、後からやったかどうかわからなくなる、と。

妄想にせよ心配にせよ、「頭の中」に注意が行っていると外界の認識は疎かになる。つまり「次の心配事」を呼び寄せやすい。

また、これらの症状を体験した場合にそういったスキーマが形成されることは否めないだろう。






■■うつ病でも「全部自分が悪い」と思う事がある

うつ病になると、ではなくて、「うつ病になったこと」が自分のせいだと思う人が結構いる。

うつ病になるのは「恥」だとするイメージは、有形無形を問わず世の中に結構ある。


まぁこいつらは悪質なマウンティングをしているチンパンジーだろう。

うつ病になる人のほうが忍耐力があるって話を知っているだろうか。
普通なら我慢できないようなレベルのことを我慢して耐えてしまうから、心より先に自律神経とか脳とかそっちのほうがおかしくなってしまう。

あと、ぶっちゃけ自分勝手な迷惑なヤツのほうがうつ病にならない。ストレスを与える側、つまりはその場で発散しているのだから。

人としてまともであればあるだけうつ病にはなりやすいなんて意見もある。

別にうつ病になったって悪くはないだろう。
むしろ周りのキチガイどもにやられた「外傷」である可能性のほうが高い。

通り魔に切りつけられたとして、「自分の皮膚が柔らかいのが悪い」なんて考えるやついないだろう。そんなレベル。





■寄生虫が寄ってくる

さて、視点を変えてみると「人のせいにする人間」の方が圧倒的に多い。本気で自分は悪くないと思っていたり、慌てて話を捏造したり。

自己愛ボーダーブレーマーメサイアコンプレックスもそれぞれの目的で積極的に他人に難癖をつける。

こういった人間たちは、言い換えれば「人のせいにしたい」わけだ。メサコンは活躍の場の捏造だが。
で、都合よく「全部自分のせいだ」と勝手に思ってくれる人間がいたら、どうなる?

大人気だろうね。もちろん悪い意味で。

第三者の視点で見ると、完全に自分の責任を相手に押し付けようとしているバカと、なぜか「そのとおりでございます」と平謝りして受け取る人間、という構図が結構ある。


まぁ上下関係やらなんやらあるんだろうが、さっきも言ったが処世術なら(つまり自分で割り切れるなら)それでもいいだろう。だが本気で自分が悪いと思ってるような、「誰からも」押し付けられるような人が、ちょっと気になる。

この手の寄生虫たちは仲間同士で寄り集まる。そして少数のスケープゴートを設定し、その犠牲の上に集団を維持する傾向がある。


笑える話だが、こんな「スケープゴート」が有給とかとると、その日一日他の連中同士じゃ会話がほとんど成立しないことすらある。

「おかしい」と思ったら違う所と見比べるくらいはした方がいいだろう。集団単位で腐ってるということは結構ある。
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