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【後知恵バイアス】結果論、後出しの指摘。

【後知恵バイアス】結果論、後出しの指摘。




◆後知恵バイアスとは

・言葉通りに物事が起きた「後から」これはわかっていた、分かるべきことだった、と認知するバイアス
 
・別に自分に対してだけじゃなく、他人の失敗に対して「そうなると思ってた」、「だからそういったのに(言ってない)」、「だろうね」、などなどなんかこうイラっとくるような感じの発言に繋がる。
 
・全体的には前述の通り「これは分かるはず/べきことだった」と事が起こってから「直感的に」思う。ぶっちゃけて後出しのこじつけの結果論。
 






◆後知恵バイアスの原因の種類

どうもこう、後知恵バイアスという言葉は更に幾つか分けれそうな気がする。
 

1:自分を追い詰める

なんかやらかした場合、当事者には大抵「説明責任」がある。なんでこんなことになった、誰の責任だ、何が原因だ、とまぁ、たいてい問い詰められる。
 
その上で、別にやろうと思ってミスするやつなんて大抵いないわけで、つまりは「気づいたらこうなっちゃった」とかそんな状態から「原因探し」はしなきゃいけないことになる。
 
槍玉に挙げられている環境下で、心当たりはなく、しかも確実に自分の責任であり、ベストな精神状態とはいえないだろう。ベターですら無い。「思考をするには向いていない状態」で尚且つ「結論を速やかに提示しなければいけない」という最低の環境だ。
 
で、自分ひとりの頭の中でこの状況を作り上げてるタイプ。テンパって、すぐに原因は何かという結論を出そうとして、短絡的な答えが出る。「アレが原因だ!早くなんとかしなくちゃ!」
 

2:後から「自分は初めからわかっていた」と感じる

一般的に後知恵バイアスと言えばこれになる。
 
多元草稿モデルは現状の認識において「仮説」を幾つか立て、その中で正解っぽいものを「採用する」。後からわかったこと、或いは何らかの結末を迎えた出来事に対しても同様に仮説を立て、「採用」していないか。そうだとすると、その「選択」には何らかのバイアスがかかる余地がある。
 
例えば殺人事件があったとして、
・犯人は被害者の家族でした→ああ、やっぱりな
 
・犯人は被害者の恋人でした→ああ、やっぱりな
 
・犯人は職場の同僚でした→ああ、やっぱりな
 
・犯人はストーカーでした→ああ、やっぱりな
 
・犯人は通り魔でした→ああ、やっぱりな
 
・実は事故でした→ああ、やっぱりな
 
こんなん。既に分かっている情報からこれ以上に絞れもするだろう。
 
これらが頭の中で「候補」としてまず挙がる。ここから別れる。
 
まず、その中から何かしら決め打って「正解発表」になった際、あっていたら「ああ、やっぱりな」、間違っていた場合答えを正解だった候補、或いはそれに一番近い候補と「すり替えて」、「ああ、やっぱりな」と言う形。
 
次に「何も選ばない」タイプ。または正解発表後に問題を知った時。正解発表の後ですかさず候補の中から「正解」を両手で掲げ、「ああ、やっぱりな(初めからわかってましたよアピール)」と言う形。アピールと言っても他人に向けてとは限らず、自己認識に向けてかもしれない。これらは確証バイアスや自己奉仕バイアスの一種と言える。
 
簡単に言ってしまえば「はじめから分かってたよ」って言うくせに何かが起こる前に何か言ったり対策をした試しがなければ後知恵バイアスだと決め打っていいだろう。
 




3:時間感覚の異常

初めは何も考えていない、何も思いついていない状態で答えを知った時に「はじめから分かっていた」と「本気で」思うタイプ。
 
とんでもない馬鹿に見えるかもしれないが、デジャヴ(既視感)と言われる記憶の順番の錯誤は昔から言われている。
 
どうも脳は時系列が苦手っぽい。エピソード記憶と言われる流れを覚える能力とかもあるはずなんだが、対象によっては時々このように短絡的にAとBを「結びつける」。この上でメタデータである「情報取得の順番」を忘れてる。要するに並び順がおかしい。
 
当人の主観では 理解・推測→正解 のつもりだが、現実には 情報を知る→へぇそうだったんだ ってこと。
 
簡単にいえば初めからわかっていた「気がする」だけ。その「気分」が非常にリアルなタイプ。
まぁ、私たちは現実世界ではなく脳の中に生きているからね。こういうこともあるかもね。頻繁にこんなんだったら問題だけどね。
 

◆後知恵バイアスの問題点

・間違ってる可能性もある

当たり前だが、ミスや問題の「心当たり」が的はずれな可能性もある。というか、バイアスである時点であまり信じたくない。
 
ヒューリスティクス(早くて雑)なので間違う可能性は十分にある。簡単にいえば「短絡的に決めつける」。意識に浮かぶのは、つまり当人が「思いついた」と感じるのは決めつけた後だ。
 
この上で、このタイミングで見つけた「答え」にしがみつく傾向が人によってはある。もう頭は「それに対する対策」に使われてしまい、スタート地点を人はあまり疑わない。
 
そもそも、「結論をバイアスが出す」って字面だけでやばいだろう。一番考え事に向いてないやつ(速度優先で雑)に任せてるんだから。名推理(笑)が思いついたところで「そうかもしれないね」程度の扱いでよくないか。
 
まぁ、無視するのももったいないか。後知恵バイアスの可能性も意識して本当に正しいか自分で精査すれば直感のセンスも上がっていくかもしれない。
 

・自責の念

はっきり言っちゃうと、改善点が見つかったところで改善できるとは限らない。特に感情にまつわるものは他のバイアスが原動力となって「やってしまう」事もある。
 
そうなるとどうなるか。「わかっていたのにやってしまった」となる。何度も同じことを繰り返し、何度も同じ原因に思いあたり、次こそはと心に決め、そして何度もやらかすわけだ。
 
はい。自分のことだいっきらいになるだろうね。
 
もちろん、「考えれば分かるはずだったのにわからなかった自分はなんてマヌケなんだ」みたいな責め方にも繋がる。こっちのほうが多いだろう。良く見る。
 
まぁ実際そうかも知れんが、その状況でそれが可能だったのかどうか、別の人間でも同じことになったんじゃないかくらいは考えたほうが精神衛生上いいんじゃないか。
 
インナーゲームのセルフ1、つまり自分の中の「批判者」が人によってはかなり攻撃的な傾向があるのもこのためだろう。結構「自分の性格が心の底から嫌い」って人はいたりする。まぁ誰も表立って口にはしないけれど。意外な人がそうだったりするから、結構びっくりするよ。
 
また、後知恵バイアスによる結論そのものがこじつけである可能性もある。無理に探せば「無いものでも見つかる」ことはある。
 




・投影

例えば自らの失敗において、後知恵バイアスで「発見されたもの」、あるいは「作られたもの」である「原因」は、当人の中では「やってはならないこと」あるいは「やっておかなければならないこと」とされる。
 
では、それをやっている他人を見て、その者はどういった行動に出るか。
まぁ、どうでも良いことに対してヒステリー起こしながらやめさせよう/やらせようとする奴がいるのが現実だ。
 

・ジンクス化

「こうしたからこうなった」という単純な因果関係を脳は好む。パブロフの犬とかの条件反射の刷り込み具合からも分かるだろう。
 
短絡的なこじつけで前述の「状況をコントロールできる実感」を捏造するということ。「こうしたから大丈夫」「これさえしなければ大丈夫」と。
 
まぁ逆にそれを守っている限りは安全だという思い込みのお陰で上手いこと行くケースもあるんだが。
 
ただ、この上で他人にそれを押し付けるようになったら大分イカれてる状態になる。迷信深い人間やジンクスに拘る人間を見た時の、そうじゃない人間が思う「不気味さ」を感じるからだ。ただのマイルールと現実との区別はついたほうが良い。
 

・現実逃避

過去、つまり「変えようのないこと」に対して「たられば話」を持ち込むので一種の現実逃避だと捉えることもある。後悔するような目の前の「現実」から目をそらし、もしあんなことがなければこうはなっていないのに、と夢想する。その思い浮かんだ原因が他人だった場合、強く責めるかもしれないね。
 
確かにそう見れば自己高揚バイアス自己奉仕バイアスのような「自分を盛り上げる/現実から守る」タイプの認知バイアスだと取れなくもない。
 
人間の傾向として、「状況をコントロールできる」という実感を好む。これは、うまくいかなかった、何かに失敗した、もっと根本的にそれが「わからない」という恐怖感の正反対にある。
「未知」は恐怖であり、「理解」は安寧だ。後知恵バイアスは理解という名の安寧を捏造する。
 
確かに「原因」がわかって対策が思いつけば、少なくとも頭の中では「未知の難関」ではなくて「対策可能なこと」にまで落とせる。本能的な学習システムなのかもしれない。
 
原因追求/考察し、次は改めようと思う所を思いつく、と言えば聞こえは良いし、実際にそうするのなら問題はないと思われる。
 
ただ、現実にいるんだが、その場で大げさに後悔し、反省し、また同じことを繰り返すタイプの人間はいる。こういった人間に限って言えば、後知恵バイアスはただの「その場限りのストレス処理」で終わっている。この際ギャラリーを意識している気配が甚だしいので、一種の処世術と化しているのかもしれない。
 
何れにせよ、人間が後知恵バイアスについてできることと言えば「その後どうするか」の部分だ。思いつくことは脳が勝手にやるし、やらなかったらやらなかったでちょっと怖いだろう。
 




・責任転嫁

「他人が後知恵バイアスでケチを付けてくる」ことは多いだろう。特に上司が部下にって構図で。客観的に見れば「自分のせいじゃない」ということのために屁理屈こねて責任転嫁していることになってるんだが、本人は本気でそう言い張ってたりしてね。
 
実際「後知恵バイアス」で検索してみると「後知恵バイアスを知らない上司はクソバカ野郎だ」的なことを言ってるサイトもちらほら見かける。怒りや憎しみが熟成されていますな。まぁ、大体は知っていても人のせいにすると思うけどね。
 
つまり「他人に何とかさせよう」、「他人にこの責任を背負わせよう」としか見えない言動に繋がる。そうじゃなきゃ自分の責任、自分の無能に繋がるからだ。この場合やっぱり認知的不協和からの自己奉仕バイアスに近い。頭の中がどうであれやってることがこれなので、まぁ嫌われるだろう。
 

・やられたらムカつく

そりゃそうだよね!
 
誰だってそうだが、自分が失敗したり間違えたりした時に他人にドヤ顔で指摘されたら普通にムカつく。そういうタイミングを「待ち構えている」のもいるが、まぁ今回は置いとこう。
 
ただ、他人の失敗や問題点に対してもこのバイアスは発生すると思われる。
 
「だから言っただろう(言ってない)」
「そうだと思ってたよ(じゃあ言えよ)」って状態。
 
他人のやったことが失敗に繋がる、または悪手だったと「後から」気づいたのなら、まぁ口を閉じたほうが良いだろう。多分そんなこと当の本人も後知恵バイアスで思いついてる。要するに、他人の失敗見かけると余計なことを口走りやすくはある。
 
このタイミングでこういう奴が湧くってのは昔かららしく、「馬鹿の後知恵」、「下衆の後知恵」なんて言葉があったりする。同じことを指す英語で Hindsight is 20/20 (twenty-twenty). ってのがある。20/20は視力が良好であることらしい。後からならよく見える、良く分かる、ってね。
 
「火事場の跡の賢者顔ほど間抜けで厭味なものはない」って表現を昔偶然見かけたのだが印象に残ってる。
 
まぁ、楽な立場で言いたい放題ってのはヘイト稼ぐだろうねということ。みんな似たようなことやるから、大して目立ちやしないけどな、実際。
 
落とし所としては、加減くらいは考えるべき、ってところになるか。言わなきゃならん時ももちろんある。
 




◆メモ

・まぁ要するに、その後悔、或いはその反省、或いはその他人からのダメ出しは本当に的を射ているのかという話。
 
・後知恵バイアスは生存者バイアス(成功者は皆正しい)の対となる存在だろう。「失敗には必ず原因がある」と。だが、いつも言ってるが「探せば見つかる」。無いものでも。
 
これは生物としての生存欲求かもしれない。即ち「何か対策法を獲得したい」という心理。ある意味前向き?
 
これのせいで無理やり見つけたかなり「弱い理由」が諸悪の根源的な扱いを受ける。つまり「気にしなくて良いレベルのことを気にしだす」と考えると、強迫性障害に繋がる余地もありそうだ。ジンクスをやたら気にする者とか。
 
・或いは馬鹿の一点張りで「お決まりの解釈」のパターンがあり(つまりヒューリスティクス)、何でもかんでも同じような結論をつけるか。
 
現実に何もかも自分のせい、或いは何もかも他人のせい、或いは自分の顔のせい、性格のせい、太っているせいとやたらと1つの「シンボル」にこじつける傾向がある人間はいる。この場合尚更フラットな判断ではなくて決めつけと思い込みになる。
 
深度、というか後知恵バイアスの強さもパターンもかなり個人差があるかもしれない。どのみち、「脳のクセ」になる前に気づいたほうがいいか。
 

◆関連リンク

 
 

◆文中のリンク

認知的不協和:後出しの「つじつま合わせ」
 




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