■目次
■「アイデンティティ」が指すモノは
■与えられるアイデンティティ
■アイデンティティが与えられない環境
■アイデンティティの混乱
■アイデンティティの危機
■まとめ
■「アイデンティティ」が指すモノは
「アイデンティティ」は大抵の場合、「自己同一性」と訳される。
だが、一般的な使われ方の説明としては、「自分はこうだ」という「自己イメージ」であるとするのが一番手っ取り早い説明だろう。
アイデンティティとなる範囲はかなり広い。
最もアイデンティティとして採用されやすいのは、
・思考パターン:どんな考え方をするか
・感情パターン:どんな感情が出てきやすいか
だろう。
次に、これも多くの者がアイデンティティとする要素として「自分の肉体」が挙げられる。
それは例えば顔だったり、身長だったり、体重だったり、肌の綺麗さかもしれないし、体力・筋力かもしれない。
物理的な実体としての肉体に付随するとして「社会的な要素」もここに含められるだろう。近所で評判がいいだとか、職場で偉い立場だとか。
長所として捉えられるものとは限らない。短所であるケースもある。
例えば自分は不細工である、背が低い、デブだ、肌がガサガサだ、体力がない、ひ弱である、など。
この内身長と体重は世間の価値観が暴走しているだけじゃないかという気がしなくもないが。
この時点でアイデンティティは「あればなんでもいいってものじゃない」事がわかる。
良いも悪いもない、純粋に「自己イメージ」である。
最期に「自分以外の何か」もアイデンティティとなり得る。
それは例えばマイホームかも知れないし、マイカーかもしれない。
優秀な我が子かもしれないし、誰もが羨む理想の恋人かもしれない。
あるいは、例えば親が殺人犯だとか、人格障害であり、「自分はこの親の子供」であることを気にするだとか。
そういった何かを所有している(マイナスなケースでは"背負っている”)自分。
要するに、なんでもアイデンティティに成り得る。
何が好きで何が嫌いだ、とかの話になればその対象の数だけアイデンティティは発生することになってややこしい。
だからか、心理学的にはアイデンティティは認知を統合・一括した群体のような意味合いを持つ。
それらは「自己認識」の集合体であり、中身の数は誰にだって百も千もあるはずだ。
そしてその内の「自信があること」「誇りに思うこと」あるいは「気にしていること」「嫌いな部分」などが「芯」となる。
それらが「自分のイメージ=アイデンティティ」を形作っている。
ここで強調しておきたいこと、勘違いされそうだから注意しておきたいこととは、
「これは自分だ、という要素を1つしか決めてはいけない」というわけでは全く無いということ。
特にモラトリアムな年頃だと何か1つに絞りたがるが、それはちょっと現実味のない想像だ。
その集合体の中ではそれぞれが矛盾していることもある。
そしてその中のどれかは、ひょっとしたら勘違いかも知れないし、今後更新される可能性もある。