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嫉妬の感情との付き合い方

嫉妬の感情との付き合い方

■目次

■誰にでもある嫉妬の感情
■嫉妬している本人も不快感を感じている
■嫉妬に拠る行動
■嫉妬する理由
■嫉妬に拠るポジティブな行動
■嫉妬の理由は本当にそれか?
■まとめ

■誰にでもある嫉妬の感情

嫉妬は恐らく本能に準じるものだ。
生後五ヶ月の乳児にも確認されるし、犬にも猫にも確認される。
多頭飼いで一匹だけ可愛がると、他が虐めたり、可愛がられなかった連中がグレて部屋を荒らしたりするそうだ。

某宗教では七つの大罪の1つであり、旧約聖書ではカインが弟アベルを嫉妬の為殺したのが人類最初の殺人であり、その後アベルの行方を問われ「知らない」と答えたことが人類最初の「嘘」だとされている。

…まぁ、あの宗教で彼らの親であるアダムとイブが創られたのがBC4000年ころであり、日本では縄文時代だったらしいんだが。オカシイネ。

兎にも角にも誰にでもあり、頻繁にあり、とても身近なものが「嫉妬」である。
そして多くの道徳的価値観に照らして言えばこれらは「醜いこと/悪いこと」であり、嫉妬を感じることそのものに対して自分を攻める者もいる。



■嫉妬している本人も不快感を感じている

教育的、道徳的に「嫉妬」の感情は歓迎されない。
また、それらによって培われた本人自身の「美的感覚」からみても。
これは自分自身の感情に対して「こんなことを思ってはいけない」と思いがちだが、これは抑えすぎると心身を侵す。

事実として嫉妬は感じているのだ。気にせずにはいられないほどに。
それ自体を封殺、あるいは黙殺しようとすると何処かで「噴き出る」ことになる。

要するに嫉妬を感じることそのものがストレスであり、問題はその解消法が(本人からしてみれば)見つからないことだ。

そのストレスの根本的な解決法(つまり嫉妬の理由とその克服)は時には実現不可能、時には長期に渡って時間がかかる。
だが「居ても立ってもいられない」レベルのストレスを嫉妬するものは感じる。一刻も早くこれを解消したい。

この場合の結論が、例えば相手を何らかの形で貶めて「自分より下だ」と認識する行為であったり、八つ当たりであったりする。

そしてこんなことをする(あるいはしそうになる)「自分」の人間性を疑って自己嫌悪に陥ったりもする。

まぁフォローしておくと、思いつくのと実行するのでは天と地ほどの差だ。
とりあえず言っておきたいのは嫉妬と人間性について。
嫉妬を感じる、良からぬストレスの発散方法を思いつく、これだけでは別に悪くはない。

このあたりは自動的に行われる。その結果の「答え」だけがひらめきの形になって頭に思い浮かぶ。

その後その「碌でも無いアイデア」を採用するかしないか。実行するかしないか。人として問われるのはその部分だ。






■嫉妬に拠る行動

基本的に「今すぐなんとかしよう」とするか、「無力感」にとらわれるかのどちらかが多い。

前者の場合、不快にさせた相手の否定、時には「お前は私を不快にさせた」と相手を攻めるというわけのわからないことをする。本人からしてみれば辻褄はあっているつもりらしい。

あるいは徹底的に嫌い、避ける。攻撃と逃避は同質のものだ。脅威を感じ、それをなんとかしようとしている状態。

大抵は相手の悪い部分を見つけて陰口のネタにして憂さ晴らしをするとかそんな感じだが。

これはよくある光景だろう。その上で不快を感じている「日常」でもあるだろう。

要するに姑息的(間に合わせの)対処。

後者の場合は厄介だ。落ち込んだり、被害妄想をしたり。
これらは頭の中の出来事であり「アクション」がないことが多く、深刻化しやすい。

これは敗北による自信の喪失とも言える。

前者には「大人しくしてろ」、後者に対しては「少しは相談しろ」というのが周りの本音だろうが、このように極端に偏る。

バランスを失っている。言い方を変えれば「自分を見失っている」状態だ。
ストレスである劣等感はどちらにもある。

■嫉妬する理由

嫉妬は理不尽な感情であることも多い。
例えば勝手に落ちぶれた人間が成功者を妬むなど。

この場合は「まともな自分」が実は「落ちぶれた自分」であることを嫌でも認識させるような、対となるような成功者を否定したい欲求がある。

嫉妬の本質とは認知的不協和、つまり「自分はこうだ」という自信を崩す現実と直面した際のストレス反応だ。
このストレスはかなり強く、人間は「今すぐなんとかしたい」衝動に駆られる。

認知的不協和そのものは様々な要因で発生するが、それが「他者との比較」に於いて発生した場合、それは嫉妬となりやすい。

厄介なことに他人と自分を見比べるのは本能に近い。
だから“比べるのをやめれば楽になれる”なんてアドバイスは実行は難しい。

あなたが「自信を持っていること」と「気にしていること」に対しては絶対に無意識に比較をしている。

そして比較の結果負けていた時、「相手がいなければそもそもこんな気持にならなかったのに」と考える。これが大抵の「嫉妬」だ。
前述したカインとアベルの話、あれもそうだ。

カインは農耕をし、採れたものを神に捧げた。
アベルは狩猟をし、捕れたものを神に捧げた。
神はカインの捧げ物を無視し、アベルの捧げ物のみを受け取った。

カインが「アベルがいなければ」と思ったのも自然だろう。
神が悪いな。野菜を食え。

こんな話があるので、兄弟間の葛藤を「カインコンプレックス」なんて言ったりもする。

「比較」が問題な点からもう一つ見えてくるものがある。
大抵の場合、対象は「自分よりちょっと上」であることが多い点だ。

圧倒的にボロ負けしている場合、比べるまでもない。そうなれば「自分が劣っている」と言う認識には至らない。
逆を言えば自己評価が高い(つまり自惚れが強い)人間は、圧倒的な格上に対しても勝手に比較し、勝手に負け、勝手に嫉妬する。うざい。
つまり嫉妬による「暴走」をさせるのは、比較そのものではなくそれによって生まれる劣等感だ。

ただ、この劣等感は「相手に対しての」とは言い難い。

「相手」と「比べた結果」発生する劣等感なのでそう思いがちだが、本質的には自分の理想と現実とのギャップだ。相手との比較はそれらを思い知るトリガーにしかならない。

このギャップを感じるタイミングが「相手を見て」という点から、そもそもの自分のイメージ、自分の理想像自体が「他人との比較の上でしか成り立たない」ものなのが諸悪の根源といえるだろう。

極端な例を挙げるが、自分の理想像、完成像が「他者の賞賛を浴びている自分」である場合、やたらと嫉妬に駆られる人生が待っているわけだ。


これは理想像が「幼い」ことを意味している。
何を頑張ればいいのか、どう成長すればいいのかがわからない、言うなれば「具体性が全くない」者の理想像だ。
素人の考える「漠然とした成功者のイメージ」と言えば分かりやすいだろうか。

アイデンティティそのものが他者承認欲求から成り立っている場合、認めてもらうため、つまりは「一位じゃなきゃならない」となる。
あるいは上位陣に食い込んでいれば安心なのかもしれない。

その「ランキング」に参加している者たちが低レベルなゴミの集まりだったとしても、上位あるいはトップである限り何の問題意識も成長欲求も感じないのだとしたら、根本的にその人間の価値観が悪いといえる。

さて、そうじゃなく、自身の成長を尊び、これからも頑張っていきたいと思っていても劣等感を感じることはある。
この場合は理想と現実のギャップは既に認識しているわけで、理想像に自分より近い「他人」に大して嫉妬するわけだ。
この場合、むしろ相手は自分に取り込めそうな物を持っているかもしれないわけで、チャンスと言ってもいいだろう。
まぁこっちの場合は言われるまでもなく成長欲求高く、前向きであることが多いのだが。

■嫉妬に拠るポジティブな行動

「嫉妬によってしか人は成長できない」とする心理学者もいるのだとか。
つまりは嫉妬は何か「今よりも良くなろう/成長しよう」と思えるきっかけになり得る。

認知的不協和によるストレス、つまりは「今すぐ何とかしたい」という衝動を、暴走させずに方向を与え、制御しつつ「努力」に転換できたなら。
「コンプレクスをバネに成長した」と言う話と同質のものだろう。

先程言ったとおり、自信を持っている部分、気にしている部分に対して人は嫉妬しやすい。

これはそのまま、長所を伸ばし、短所を克服/補うことが人はできるということだ。
他人の足を引っ張ることを頑張ったり、何もかもやる気を失うほどに落ち込んだりしてはもったいないだろう。

ストレスは必ずしも悪ではない。嫉妬においてはご丁寧に「何をするべきなのか」という課題とそのための「エネルギー」(つまりなんとかしようとする衝動)まで用立ててくれている。

短絡的な解決法に陥らず、この道を選ぶのならば成長は出来るだろう。本能が短絡的な方法を取らせたがるのでかなり難しくはあるのだが。

ちょっとした小技として、比較対象を「過去の自分」にすることで幾らか自信を取り戻せるという方法がある。まぁ成長してるなら、の話になるが。








■嫉妬の理由は本当にそれか?

嫉妬の理由が「すり替わる」可能性について言及しておく。
特に「自分が気付きたくない部分」と、「長く嫉妬し続けている対象」のどちらかの場合に起きやすい。

自分が気にしている部分を刺激するような「正反対の成功者」である場合。
例えば絵の道を諦めた場合には絵の成功者に難癖をつける、スポーツの道を諦めた場合にはスポーツの成功者に難癖をつける、そういったケースも有る。

「自分が諦めた/失敗した」ことを認識したくなければ無いほど、ケチの付け方が遠回りになる。

だが、これは周りの人間からは速攻で気づかれる。
ケチの付け方が「どうでもいいこと」か「明らかな難癖」であり、その指摘を「異常な執着を持って」行うからだ。
反対意見も全く耳に入らず、壊れたように同じことを指摘し続けることも多い。前述の通りエネルギーは有り余ってるからね。

ここまでやらかした上で本気で自分が嫉妬しているという認知ができない者がいる。手遅れかもしれない。

長期的な嫉妬で理由を見失うというのは、要するにアラ探し歴が長く、見つかったケチの付け所も多く、最早どれが本当に気に食わなかったのかわからんという状態。
だが、長いこと嫉妬し続けるというのも裏を返せばその間自分には目を向けなかったわけで、手遅れかもしれない。

少なくとも「自分は成長できる」と言う認識を持っていなさそうだ。
こうなるとマウンティングするくらいしかアイデンティティを守る方法はなくなる。「怪物」の誕生だ。

特に前者、つまりは「気づきたくない場合」が厄介だ。嫉妬している自覚があるのなら幾らでもなんとかなるし、全然「まとも」だ。
だが、その自覚が全く無い場合(例えば特定の人物にだけ自分はキツイが何故だろうとか思えればいいのだが)、容赦も躊躇もない。
確実に周りからはその態度は「浮く」のだが、それに対しては何らかの理由をつけて正当化したがる。
大抵の場合、相手が悪いということにして、相対的に自分は正しいのだということにする。

ハッキリと言っておくが、正義の味方(あるいは被害者)を名乗る悪人もいるし、そう名乗るクズも多い。都合のいい立ち位置だからだ。
そしてそいつらのやり口とは、「相手がどれだけ悪いのかを力説する」事に終止する。ここが捏造であるケースも珍しくはない。
まぁとりあえずはそういった連中に取り込まれないようにして欲しい。

もちろん本当の被害者も中にはいるのだが、嘘つきのせいで痛くもない腹を探られ、またそうせざるをえないのが現実だ。

■まとめ

・人間が嫉妬を感じる際、以下のプロセスがある。
1.対象を認知する。
これはその人物そのものではなく、その人物の何らかの「持っているもの」である。

2.相手の「持っているもの」と自分の「持っていない/足りないもの」を比較する。

これは「憧れ」あるいは「自信があるもの」である。

3.その結果自分の「負け」あるいは「失敗」を自覚する。
これは「劣等感」か「不安」になる。

4.認知的不協和が発生する。自分の「普通」が揺らぐ。
このストレスは「一刻も早く解消したい」と感じるほどに不快なものだ。だから手段を選ばなくなる。

例えばそれは、何とかして相手を貶めようとする。
例えばそれは、全く関係ない「相手の弱点」を好んで突く様な真似をさせる。
例えばそれは、相手を単純に苦しめようとする。
例えばそれは、相手を支配しようとする。

・例えば恋愛での嫉妬はこれに当てはまらないのではないか、と思われるかもしれないので少々補足する。
恋愛における対象は大抵恋人か恋敵である。

恋敵の場合は簡単だろう。恋愛対象の興味、関心、好意を得ることが1、そうでない自分が2であり、3の劣等感は生まれる。
また、自分が恋愛において有利であった場合にも、例えば独占したい、相手の関心はすべて自分に向けられるべき、など考えている場合、「自分が得るべきはずだったものを他人が得た」という点で1と2は発生する。
この場合の3とは即ち「全て自分のものなのに一部を盗られた」と言う意味での敗北である。
完璧主義タイプ/の人間はよくこれになる。
が、まぁ、色恋沙汰だとみんなそんなもんよな。

恋人相手の嫉妬の場合、1は相手が「誰を好きになるか」の自由を持っていること(義務や責任とは違う)、2は「それを自分に向けるよう強制する方法がないこと」だ。
この場合の3は「不安」になるだろう。その結果の行動が結構手段を選ばない。
「逃さないために」子供を作りたがるだとか。こういった夫婦の将来的な離婚率が高い気がするのは気のせいかね。

以上から突き詰めれば「比較の上での勝ち負け」の価値観であり、時には支配権への願望であり、それによる各種本人でも自己嫌悪をするような行動というものは、マウンティングに近い。

・劣等感までは自然なものだ。これに拠る成長も在り得る。
問題は1~4までの流れをメタ認知できるケースはかなり稀であり、酷い時には自覚がない。
つまり1→4にいきなり飛んだ挙句、その理由に心当たりも無く、「相手が悪いから自分はこうするのだ」と言い張る人間もまぁ結構いる。

これを止めるにはプロセスを自覚すること、つまりメタ認知が必要だが、それだけでは嫉妬のエネルギーのやり場がない。嫉妬による行動を自制するだけではストレスはなくならない。

これは何故嫉妬しているのかを自覚しているのに問題行動をやめられない(おそらく多くの)人間に当てはまる。
嫉妬によるストレスは認知的不協和であり、つまりは「居ても立ってもいられないレベル」だからだ。
自覚したとしてもどのように昇華するのか、どのように克服するのか答えが見つからない限りは緊急処置としての発散方法を再び自ら選ぶだろう。即ち、短絡的な方法を。

何らかのポジティブな行動への昇華/消化、つまり自分は劣等感や不安を感じているからこその

「だからもっと成長しよう」
「だからもっと相手を思いやるようにしよう」

まぁ、なんでもいいんだが、「自分にとって生産的な行動」になるような誘導を、自分でする必要はあるだろう。
そこは本人の意志と思考によってのみ成される。

他人に指摘されたら恐らく顔真っ赤になって否定するだろう。
他人に「こうするべきだ」と言われたら、反発して逆のことをやりかねない。

ハッキリと言ってしまえば、嫉妬にとらわれている状態の人間は「腫れ物扱い」されやすい。
周りは正直関わりたくないから指摘もアドバイスもあまり期待はできない。

自分で自覚し、自分で「だからどうするか」の舵取りをしなければならない。

・劣等感を感じるタイミングとは、解釈によっては「自分がもっと良くなれる/なりたい部分」に気づいたタイミングでもある。
課題を発見した、とも言える。

単純に成長すればいいのか、「変えられない/変えたくない」部分でありそれに対して折り合いを付けたり別の何かで補うのか、対処法は課題による。頭の使い所だろう。

少なくとも何でもかんでも相手に勝てばいい、というものでもない。それは下手をしたらどうでもいいことで一生を無駄にしかねない。
自分に向き合う時期が来たのだ、と捉えたほうが前向きだろう。
誰か、何かを見て「居ても立ってもいられない自分」が居る。

どうして気になる?
どうしたらいい?

これらはあなたにしかわからないことだ。

何れにせよ、他人の足を引っ張ることに終止するのがナンセンスであることは多い。
ただし理不尽にマウンティング仕掛けてきたバカに対しては一泡吹かせてやれ。それは社会の健全な自浄作用というものだろう。

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