■目次
コアビリーフ、あるいは「べき論」とは
自分の常識を押し付ける
コアビリーフはどのようにして形成されるのか
無自覚なコアビリーフに気付くためには
コアビリーフをどのように修正するか
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■コアビリーフ、あるいは「べき論」とは
・コアビリーフ、あるいは「べき論」とは、自分で考える「こうであるべきだ」という考えを指す。
簡単に言えば世界観や人生観、対象に対するこうであるべきだというイメージ。
・「そうじゃない場合」に人はストレスを感じる。その後の反応としてはパニックになるか怒るかのどちらかが多い。
簡単な例だとあれだ、麦茶に砂糖が入ってると悶絶する人がいるだろう。あれ。
ちなみに海外ではグリーンティ(緑茶)に砂糖いれて飲む所もあるそうな。
・1人で複数持っている。というよりも、事の大小を一切問わず、物事の数だけ「これはこう」という認識を持っている。
それが「こうじゃなきゃいけない、それ以外は有り得ない」という場合には「怒りの元」になるわけだ。
・ちなみにビリーフでもビリーブでも意味は同じだからどうでもいい。名詞と動詞の違い。
・「怒りの理由」だけにとどまらず、自分の人生やセルフイメージ/アイデンティティの根底になる。逆を言えば「根深い」。
・めんどくさいことにコアビリーフはスローガンやイデオロギーと言った形で「共有」が可能だ。そしてその集団をまとめるための「コア」にもなり得る。
こうなると最早、宗教の教義のようなものになる。
・別にコアビリーフが必ずしも悪いわけじゃない。ただ、自分で自分のコアビリーフにドン引きするようなことは在り得る。
自分のコアビリーフの「発見・理解」をすることは誰しもやったほうが良いだろう。
相手にどうなって欲しいのか、それを自覚せずにただ怒るという構図が多い。怒りには目的があるのだから、それを果たさなければ疲れるだけだ。
・人生脚本と似ている。
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■自分の常識を押し付ける
・アンガーマネジメントとしてみれば、コアビリーフは「怒りの理由」の中核をなす。
というか、自分や他人、そして世間を含んだあらゆるものに対して「コアビリーフに一致するかしないか」の判断
スキーマ(頭の中のプログラム)が実行され、その結果「NO」だったら怒りを感じる。
思い込みや決めつけが激しい人間ほどこの傾向は強い。
一部の過激派の相手が何であろうと気に食わないものは「存在しているだけで許さない」という態度は、存在を認識した時点で上記の「コアビリーフスキーマ」が実行され、その結果が「NO」であり、それが「ありえない」から「許せない」。
テレビで見かけただけで「こいつが気に入らない」と騒ぐ奴もいるだろう。要するに沸点が低い。これはそれだけコアビリーフを「絶対的なもの」だと認識しているということだ。反転して、そうじゃないものは許せない。
当然、「自分に怒りを感じる」事もありえる。自罰的な、つまり「自分を苦しめるようなこと」を人生単位で自ら選び続ける者もいる。
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■コアビリーフはどのようにして形成されるのか
・大抵の場合、幼少期に自然学習する。
そのうち殆どが家庭内での経験や親の言動による。
よく性格や価値観の問題は親のせいにされることがあるが、ある意味大体あってる。些細なことを子供側がずっと気にしているという話も多いが、まぁきっかけという意味では。
ただ、成人したら自分の面倒は自分で見なきゃいけなし、人生は元から自分の物だし、親が親としては実際にバカか役立たずだったにせよ、もう自分の問題だと割り切ったほうが良いだろう。
別に許せとは言わないが、多分解決能力は親にはない。
・コアビリーフは一種のスキーマであり、新しく脳内に作られることもあれば、更新や改良されることもある。
ただ、本人が絶対視している場合、全く更新されないこともある。
特に幼少期のほぼ刷り込みのような学習で得たスキーマは残りやすい。
だから親にされたことを、大抵は自分の子供に同じことをする。良かれ悪しかれ。
・また、何かを「新しく知った」場合には年齢を問わず作成される。スマホが新しく発売された時に「スマホってもんはこうじゃないんだ!」とか騒ぐやつなんていなかっただろう。未来人でもない限り。
・「無意識的な学習による対象へのイメージの構築」だと思えばいいだろう。
コアビリーフ自体は合ってるか間違ってるかの問題はあるが、アンガーマネジメントとしてみれば結構どうでもいい。
問題はそうじゃない場合に対して「許せない」ことだ。
別に麦茶に砂糖を入れて飲んでも誰も困りはしないのに、人によっては「やめさせようと」まですることもある。
「信仰」はその者を、他者に対して狭量にさせる。絶対視していればしているほどに。
・ちなみに私は麦茶も緑茶もコーヒーも砂糖入れないが。
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■無自覚なコアビリーフに気付くためには
・自分のコアビリーフに気付こうとする行為は、自分の
スキーマに対する「研究・分析」だ。
・アンガーマネジメントとしては逆説的な話になるが、「自分が何に対して怒り/ストレスを感じるか」がヒントになる。
例えば誰かと待ち合わせをしたとして。
相手が時間ぴったりに来たら、怒る人と怒らない人がいる。
時間より前に来ている「べき」だ、とする「信者」なら怒るだろう。
そうじゃなければ怒らない。怒る理由がないからだ。
・もう一つ、これはちょっと難しいかもしれないが、「自分がなぜそうしたのか/そうしようとしたのか」を時々逆算したほうがいい。
先程の待ち合わせの例だと、時間ぴったりに相手が来て怒る人は100%自分は時間よりも早く来ている。
当たり前だと思うかもしれないが、さらに言えば100%「時間より確実に早くつくために」予定をして、準備をして、家を出ている。
まぁ世の中こっちのほうが「普通」だとは思うが。
もうこの行動自体が答えみたいなもんだろう。
即ち「待ち合わせの時間より先に到着しているべき」。
・別にそうしたきゃそうすればいい。先程も言ったがコアビリーフ自体は(今回は)結構どうでもいい。
このケースの問題は時間通りに来た相手に対して理不尽に怒ることだ。
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■コアビリーフをどのように修正するか
・無闇に怒らないようにしたいという目的の場合、コアビリーフの修正というよりもどちらかと言えば「許容範囲」の拡張が主題になる。
後述するが、それなりに今までの自分の「指針」であるものだから、真っ向からの否定はあまりよろしくないだろう。
それよりは「緩和」に専念したほうが捗るはずだ。
・厄介なのは、些細な事でも怒るようなコアビリーフは前述の通り幼少期の刷り込みが原因な事が多く、本人が「絶対視している」点だろう。
これは即ち「少しのズレも許さない」という狂信者的な態度であり、ぶっちゃけて言えば「心が狭い」言動を本人にさせる。
で、絶対視するほどの根拠があるかというと、大抵の場合無い。
単純にレジスト出来るような知識や能力がない状態で自分の中に出来上がってしまっただけの話だったりする。
ゲーム風に簡単に言えば「雑魚い攻撃力だったとしてもこっちの防御力が紙だったから致命傷を負った」ということ。
逆を言えば、だからこそ親の些細な言動をいつまでも恨みに思っていたりする人もいるわけだ。
その「信念」は理性的なものではなく、感情的な、どちらかと言えばトラウマに近い。
・逆に「成功体験」をいつまでも引き摺っているケースも有る。
分かりやすいのは特定のことをやった時に親に褒められたから「これはいいこと」だと学習するケース。
これがねじれて「これを守らないと褒められない/認められない/愛されない」という強迫観念になることが、結構多い。
・これらの記憶は本人のコアビリーフから派生する「怒るスキーマ」の肯定要素となる。
・許容範囲の拡大の話に戻るが、まず初めに「自分が正しいんだから相手は自分の言うこと聞かなきゃいけない」という態度はよほどのことがない限り「普通は」取らないということを理解すること。
本人は気づいているのだろうか?
これは「親が子供をしつける時の態度」だということ。
そしてそれをトレースしているということを。完全にトラウマになってるじゃないか。
これが自然体になっているのなら、まぁ、年季入ってるね。
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・もう一つ。「正義」の内の大体は、単純に「我慢しなくていい理由」にまで腐れ落ちていることを知ったほうが良いだろう。
本当に許せないから怒っているのか。違うね。こういう人は大抵、許そうとすることすらしない。
客観的に見て、怒りたいから怒ってる。単純に「相手に言うことを聞かせようとする」ことに執着する。
個人的な持論だが、「怒り方」は大抵親に似る。
一部の人間は確実に、「怒っていい理由を探すスキーマ」が頭の中にあり、常にそれを走らせている。どうでもいいことでしょっちゅう怒り、その理由は様々な奴とかはこれだ。
要するに、初めから我慢するつもりがない場合と、我慢する力がかなり退化している場合、元から我慢する能力が皆無な場合がある。
そしてそうであればあるほど許容範囲は狭まっていく。
そしてコアビリーフに「違反」するかしないかが、ただ単に「怒っていい理由」として使われている。
・単純に「2回目までは我慢する、3回目は怒る」くらいのハードルを自分に設定してみるくらいのことは挑戦した方がいいだろう。
・コアビリーフの修正が成功しつつある場合、心に穴の空いたような感覚、自分がないような感覚に陥ることもある。また、不安を感じるようなこともあるらしい。
それだけそのコアビリーフが今までの「指針」として居座っていたわけだ。
・注意するべきは、自分が所属する集団がそのコアビリーフを元にした集団かどうかという点だ。
そうであった場合、コアビリーフを手放したことがバレたら恐らく「追放あるいは処理」されるだろう。
簡単にいえば、今までキチガイ集団にいて1人だけまともになったら周りのキチガイたちに袋叩きにされるだろうねという話だ。
チンピラ集団や暴走族なんかでよくある話だろう。チームから抜けたいと言ったらリンチだとかカネもってこいだとかそんな話。
これは極端な例ではあるが、誰しも大なり小なりこういったことはあるだろう。
他人の悪口で盛り上がるグループに所属してはいるが、いい加減嫌気が差してきた、でも抜けたら次のターゲットにされる、みたいな話とか。
この場合はそれでもコミュニティ単位で彼らと縁を切ることも視野にいれたほうが良くなってくる。頭の中はどうあれ、そこに所属する限りそう振る舞わなければならないからだ。
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