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暗黙知について

暗黙知について

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暗黙知というものがある。経験や感覚など、「身につけた」知識だ。これを言語化するのは結構難しい。

暗黙知の解釈は二通りあり、「まだ言葉にされていないもの」と、「言葉にすることができないもの」がある。

わかり易い例で言えば、「自転車に乗れるように言葉だけで説明しろ」というお題。まぁムリだろう。実際にやってみせて、やらせてみて、そうやって教えるしかない。








教える側には、当然暗黙知がある。教わる側には理解するために必要な暗黙知がないことがある。つまり、聞く下地ができていない。

暗黙知がない側からすると、教える側は特に難しいことは言っていないつもりでも、専門用語の羅列に聞こえる。あるいは言った言葉を“自分が知っている/分かる意味で”「再解釈」する。

一つならともかく、最初から最後までその調子だと理解は難しいだろう。

また、暗黙知は自分で考えるための下地でもある(メタ知識)。これがない状態は、考える材料が足りていないということだ。

必用な暗黙知をどれだけ持っているかで、理解できるかどうか、どこまで自分で考えることが出来るかどうかは決まる。

例えば割り算をするには、掛け算と引き算の知識が必用だ。

この2つができない人間に、割り算を身につけさせることが出来るだろうか?

「このくらいのこと、少し考えれば分かるだろう?」と思う物事でも、相手はその結論に到達するための材料が足りていないケースがある。
だが、お互いに「教えれば分かるはず/教われば分かるはず」と思っているのでいつまも同じ質問、同じ説明を繰り返すケースが有る。

自分で思う『当たり前のこと』は、誰かにとっては決して当たり前ではない。人によってかなりの違いが有ることは忘れないでおこう。





暗黙知の様々な形

・物事の『コツ』というもの


また岩波書店:日本語語感の辞典によれば

「・・・特別の方法を連想させやすい『秘訣』に比べ、長い間の経験から自分で会得した効果的なやり方や留意点などをさす。」

ともあります。
この解釈に従えば、やってみてその人なりに会得してはじめて「コツ」が生まれる、ともいえるでしょう。

この解釈にしたがっても、言葉で説明できる「コツ」はない、とおもいます。

コツとは「これさえ覚えれば大丈夫」と言うものではない。と言う話のコメント。





・非言語思考

まず知って置かなければならないのが、「言葉は全く万能ではない」ということだ。例えば交流分析で言うストローク(言外の交流)だってあるし、だからこそ「人間は見た目で第一印象が決まる」なんて話も出回っている。


こういった情報の送信・受信もまた人間は日常的に行っている。言葉や文字のみでの説明には限界がある。逆を言えばそういった言葉の限界の「外」にある情報・知識が暗黙知だ。


・手続き記憶

暗黙知の一部は『手続き記憶』と呼ばれるものだ。

理屈はわかっていてもその通りには動けない。特にスポーツや、楽器等の何らかの技術を習得しようとした事の有る人なら、そんな経験があるはずだ。

『体で覚える記憶』と言えば伝わりやすいだろうか。

例えば前述の自転車の乗り方や、或いは箸の持ち方なども。これを文字のみ、或いは言葉のみで説明せよと言われたら、かなりの文章量になる。「やってみせたほうが早い」と思うほどにだ。

水泳、ピアノなどの楽器、私が今文字を打っているタイピング、あなたがこのページを読むまでのPCやスマホの操作など、日常の中で色々とある。

一番こういったものを実感するのは出来ない人を見た時だろう。

自転車に乗れない人、泳げない人、パソコン操作が出来ない人などにそれを教えようとした時、自分が出来ることを言葉にする時の膨大な情報量を実感するはずだ。











習熟するほどに暗黙知には気づかなくなっていく

大抵の人間はきび団子と鬼退治、と聞けば桃太郎を連想する。

亀と玉手箱だったら浦島太郎、針の剣に打ち出の小槌と言えば一寸法師。

これは元から知っていて、この単語はその情報を呼び出すキーワードだからだ。

注目したいのは連想できることではなく、ほぼ自動的に連想し、このことに間違いないと確信していることだ。この流れはかなり自然に行われ、自分が判断した自覚もない。
それ以外にはありえない、と思う状態になる。この流れは認知バイアスに酷似している。と言うか、恐らく同じものだろう。

やっと日本語の単語が理解できる外国人がいたとして、これらの昔話は想起されないだろう。昔話や単語の意味は知っていても、単語の意味の理解で精一杯だからだ。

亀と玉手箱、と言われても箱に入った亀を想像して終わりだろう。浦島太郎を知っていたとしても。つまりは思考の熟練度により自然と理解が出来る状態になる。

人間の頭の中には情報が他の情報と関連付けられて収まっている。これが理解していると言う状態だ。

バラバラの情報がひとまとまりのセットとなって、ストーリーだったり、技術として頭に思い浮かぶ。時には頭に浮かぶ前に自然と体が動く。

暗黙知にはこういった思考の『慣れ』の要素が多く含まれる。逆を言えば慣れる・習熟するということは、暗黙知を増やすということでも有る。

いちいちゼロから考えなくて済むように。『これはこう』と見ればわかるように。

もちろん、間違ったことがそのまま暗黙知になってしまうことがある。なので再確認・修正も意識するべきだろう。

間違って覚えたり、体に染み付いた悪癖がなかなか治らないのは言葉通り『身についてしまった』からだ。





古人の糟粕の話

暗黙知を上手く表現した話に、莊子の『古人の糟粕』というものが有る。こじんのそうはく、と読む。「昔の人間の絞りカス」と言う意味だ。
昔、一人の男が読書をしていると、そこに車大工が通りかかった。車と言っても昔だから、まぁ荷車のようなものをイメージしてほしい。

大工は男に声をかける。何を読んでいるのかと。

男は答える。昔の聖人が残した書物だと。

大工は重ねて問う。その聖人はまだ生きているのか。

男はとっくの昔に亡くなった、と答えた。

ではあなたが読んでいるその本、そこに書かれている知識は、死んだ人間の絞りカスのようなものですね、と大工は言った。

当然男は不愉快に感じたが、大工は重ねて言う。

自分は車の車輪を作っていて、息子にその仕事を受け継がせようとしている。

車輪の軸受けの部分を作るコツは、何度説明しても言葉では上手く伝わらない。

未だに息子は軸受けを上手く作ることは出来ず、自分はこの歳でもまだ現役でいなければならない。


軸受け一つですらこうなのだから、きっとその本を書いた聖人とやらはもっとたくさんの『伝えたくても伝わらないこと』があったに違いない。

だから、そんな本は昔の人間の絞りカスだ、と。


本読んでる人間にいきなり喧嘩売った挙句、自分の愚痴を聞かせる暴挙であるが。言っていることは一考の価値が有るだろう。

書物、文章、言葉でもそうだが、自分が伝えたい事と、相手が理解した・思った事というのが本当に一致しているのかどうか、確かめるのは難しい。


というか、『分かった』と思った時点で、人はそれ以上のものを汲み取ろうとはしないだろう。

また、伝える側も全部伝えたつもりでも、やっぱり何かが抜け落ちているから伝わらない、ということがある。『当たり前』と言うものは、自分がそう思っていることすら自覚するのは難しい。

繰り返すが、本質的には『当たり前』なんてものはない。本人が当たり前だと思うことがある、というだけだ。





マニュアルは誰にでもわかるように作れ

スティーブ・ジョブズは言った。『マニュアルは、小学校1年生にも読めるようにすべきだ。』と。

アインシュタインは言った。『6歳の子供に説明できなければ、理解したとはいえない。』と。

これらは教わる側にわかりやすくするのはもちろんだが、丁寧に説明することで、教える側の暗黙知もしっかりと形にさせるべきだという示唆も含まれているのだろう。

ちなみにアインシュタインが相対性というものを説明したのが、
「可愛い女の子と一時間一緒にいると、一分しか経っていないように思える。
熱いストーブの上に一分座らせられたら、どんな時間よりも長いはずだ。
相対性とはそれである。」
ーアインシュタイン

わかりやすいのはいいんだが、アインシュタインの喩え話はやたらと『可愛い女の子』と言うフレーズを見かける気がするのだ。女好きだったのかもしれない。





・言葉だけでは限界がある

そもそも『情報』『知識』『技術』を言語化、または数値化が必ずできて、他人にも説明できるとは限らない。

あなたの部屋の様子を、『見たことがない人間が、まるで見たように理解するために文章・言葉で説明せよ』と例題を挙げよう。

私だったらギブアップする。めんどくさすぎる。『見せたほうが早い』からだ。

だが、見せた所で『意味』がわかるとは限らない。あなたの部屋の家具や小物の配置はあなたにとっては利便性の高い、最適な場所だとしても、それは相手にはわからない。

他人から見たらもうちょっといい配置ができるんじゃないか、と感じるかもしれない。『見えている情報』しか頭の中にないからだ。

部屋のレイアウトに限らず、外から人がやってることを覗き込んで口を出し、嫌われる人間がいるが、この辺りのことがわかっていないわかりやすい例だろう。


自分が汲み取れていない意味や原理・理由(メタ知識)が、まだ何かあるかもしれないという心構えは大切だ。






当たり前こそ何故と問い、考える。

ホンダの二足歩行ロボット、ASIMOの開発だって、人間には普通にできる『歩く』ということを再現するためにかなりの苦労をした。

あれの歩く原理は人間をモデルに、つまり人間の真似をしたわけだが、当然開発者達だって足があり、歩けた。

それでも医者などの専門家に、足について詳しく聞いて回ったり(どこの筋肉や神経を切ったら歩けなくなるか、なんて聞いて怒られもしたそうだ)して、徹底的に調べなければならなかった。

同じことが人工知能にも言える。フレーム問題やディープラーニングなど、人間が当たり前に出来ていたことをゼロから作り上げようとすると、哲学的とも言える問題に大抵ぶつかることになる。

『そもそもなんで自分はこんなことできるのだろうか?』と。ここから暗黙知を探し、理解し、再構築したり何かに活かすための道のりが始まるわけだ。





■文中のリンク
暗黙知について


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