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共依存とは

共依存とは


共依存とは相手を自分に依存させ、自分もまたそのおかげで自分の居場所、自分の価値を感じる関係を作ろうとする傾向である。

ドメスティックバイオレンスやモラルハラスメントをする夫の被害者の中に共依存の傾向を持つ者は多い。自分の居場所を失い、自分の価値を見失うことに直結するので、有害だと分かっていても相手と別れることができない。

このように第三者から見ると「切るべき縁」であることは間違いないのに、我慢をし続ける人々がいる。

※注意:恐らく大抵の人間が「自分にも当てはまる」と思うだろうが、自力でそんな考えに気付いて自制できるなら普通。




◆共依存者の特徴

DVやモラハラなどは「自分が上だと思わせ(或いは思い込み)支配する」といったスタイルを取るが、共依存者の場合は「相手が自分に依存するように仕向けて支配する」というスタイルを選ぶ。簡単に言うと相手を甘やかせることが多い。

・人の面倒を見たがる

・自分は周りよりも格下だと思っている

他人が困っていると喜んで首を突っ込む。ある意味自分を売り込む「チャンス」だからだ。このため人の悩みを聞いたり相談されたりすることを好む。自己愛も同じ。その後のリアクションは違うが。

・「しなければならない」「こうでなきゃいけない」と言った強迫観念を持ちやすい

「自分の価値や物事の正解は他人が決める」という考えを持っている。他人の意見が基準だから力加減がわからずに極端に何かをやったり、或いは徹底的に避けたりする傾向がある。


そんな日常だから抑圧的であり、常に何かを我慢していたり、本当の自分を極端に見せないように自制する傾向が強い。
また、これらを利用して相手に指図をしたり我慢させたりとコントロールしたがる傾向もある(特に親子関係)。この点は自己愛性人格障害と同様だろう。

・現実を直視しない

根源に自己からの逃避がある(自分の価値は低いと思っている)。このため、他人の相談に乗ったり手助けすることで自分の価値を認識しようとするし、他人の問題に対応すること自体が自分の問題と向き合わなくて済む口実になっている。

同様に、「何かに依存せずにはいられない」とも言われている。人にかぎらず、モノ、行為などにも。特定のイデオロギー、またはドグマに対して盲信・固執することもある。要するに自分の問題を忘れられれば何でも良く、騙されやすいし、時には自ら進んで騙される。

他にも他人との境界・距離感を取るのが下手であることや、コミュニケーション能力の弱さなどが指摘されている。これはそれぞれ依存したいという欲求と、自分への自信のなさの表れだろう。

◆愛情という名の支配

ターゲットを定めた共依存は「愛情という名の支配」と表現される。相手を受け入れることで相手を自分に依存させ、離れさせなくするからだ。

愛情といえば聞こえは良いが、コンプレックスの解消(逃避)という自己中心的な願望が根源にある。そのため「相手のことを考えた行為」では無く、他人を利用した自己満足の偽善だ。だから大抵やることが「相手のためにならない親切」になる。

過保護に育てられた子供をイメージすれば理解が早いだろう。その子供は1人では何もできない。何をするにも親を頼り、自分の人生設計すら親の指図を待っている。そんな状態の親子関係があったとして、これは親が完璧に子供を支配している状態だと言える。そして親は「自分が必要とされている」と感じることが出来、その行為の中毒であるということは子供に依存している状態だと言える。

共依存の問題は、このように大抵相手側を無能に貶め、或いはある意味で孤立させることで自分に依存させようとするということだ(手段は違うが自己愛も同じことを狙う)。冒頭のDV男やモラハラ男の件でも、実体験として「大きな子どもとして扱い、甘やかし、なんでも受け入れることで解決した」とする話を幾つか見かけるが・・・。

その「解決法」の是非は、こうして文字にすれば嫌でもわかるだろう。これでは相手は絶対に治らないし改めない。恐らく一生だ。DVやモラハラの程度にもよるから「やってはいけない」とまでは言えない。逃げ場のない(少なくとも被害者本人がそう思っている)状態で打てる手段は限られている。だが、少なくとも最善の方法ではない。これは相手をダメ人間の状態に「固定・維持」する。もっとも、直してやる筋合いも無いのかもしれないが。

同様にアルコール依存症の患者が自立する機会を、それを一見支援しているように見える家族内の共依存が邪魔をすると言う話もある。「自立されたら困る」からだ。


ミザリーという映画をしっているだろうか。スティーブン・キングの。実際の共依存者は自分の欲求に自覚がないからあそこまでアグレッシブでもないが、もしもアクティブな共依存がいたらあんな感じだろう。ちなみに映画ではハンマーだったが、聞いた話では原作は斧らしい。

最大の問題点は、依存される側がある程度「まとも」だった場合、ダメ人間にされる(されてしまった)ストレスから精神異常になったり、死を選ぶこともあるという点だ。つまり共依存者は相手次第で被害者ともなるが、それと同時に相手を追い詰める加害者にも成り得る。

ちなみにイジメる人間とイジメられる人間の関係も一部は(全てではない。決して。)共依存関係である場合もある。どの道エスカレートしてそれどころがなくなるだろうから、一時的な話だろうが。だが、エスカレートせずにそのパワーバランスで(悪い意味で)安定してしまっている人間関係というものも実際に見かけることがある。





 





◆共依存の動機・問題点

共依存の動機は「自分の価値・居場所を感じたい」という欲求だ。これ自体は別に珍しい物じゃない。だから共依存な関係に対してある種の憧れを持つ人間すら居る。「お互いに必要としあっているのが羨ましい」と。あいにく現実には死人が出る可能性がある代物だが。

また、自分を安く見ているせいで、からかわれようが、いじめられようが、相手をしてもらえればそれでいいというような考え方をしてしまっている者も入る。もうちょっと健康的な「自分を好きになれる方法」を考えることを勧める。

共依存的な欲求・行動自体は適度であれば問題はないとされている。例えば子育てに於いては、子供の面倒を見なければ始まらない。それが「子育て」なのか「過保護」なのかの違いは何か?と問われれば、当然「程度の問題」だろう。面倒を見ることが適度であれば子育てであり、度が過ぎて面倒を見れば過保護となる。

要するに適度なら問題ないのに共依存者は「やり過ぎ」であり、限度を知らない。自分に対する自信喪失・無価値感のせいで、誰かの面倒を見ることで一瞬は満たされるとはいえ、すぐにまた不安を感じ、それを拭うために他人に感謝されたい、他人の面倒を見たいという欲求が湧いて出る。簡単にいえば共依存関係に対して中毒になっている。

治療法だが、統一見解は現状存在していない。だが治療不可能というわけではない。逆に様々な手段が用いられている。薬物療法・心理療法など。

共依存者はアドラー心理学の「課題の分離」ができておらず、他者と自分の問題の混同(或いは意図的なすり替え)をしている(課題の分離ができてる人間の方が珍しいんだが)。だが課題の分離はスキルであり、少しずつ身に付けるタイプの思考法であり、マニュアルを読みながらできるようなものでもない。恐らく自分でやっても初めはバイアスが邪魔をするだろう。

恐らく自力で治すというのはかなり困難となるだろう。共依存的な価値観・思考が本人にとって「自然なもの」であるかぎり、そもそも思考のズレに気づけるかどうかからして怪しい。

自分の思考パターンを客観視するというのはその道のプロでも難しい。サイコパスの研究者が「サイコパス診断」を作ったら、自分がサイコパスであると発覚したなんて話もある。

そのため現実的には専門知識があり、なおかつ第三者である人間が望まれる。専門家にアドバイスを求めたほうが有効だろう。第三者から見た自分とパートナーの現実の距離・力関係がどうなっているのかをまず知ろう。

だが、これら専門家側が共依存者に依存されないようにと警戒しているものだということも覚えておいたほうが良い。共依存者はある意味危険視されている。カウンセラーに距離感を感じ、「親身になって聞いてくれない」「気持ちをわかってくれない」なんて思うだろうが、それこそが共依存の傾向だ。いちいち被害者ぶってないで、相手のアドバイスをしっかりと聞くべきである。

また、共依存者は自分の怒りの感情に対して鈍感だという指摘もある。例えばDVやモラハラなどの相手に我慢し続けるのではなく、距離を取る、時には警察に連絡するなども必要な行為だとされている。基本的に依存先の相手と物理的に距離を置くことで治癒に向かうケースが多い。

・冒頭の、夫がDVやモラハラでなおかつ離婚も切り出せないと言う話は多いが、どうも深層心理として「離婚したら自活しなきゃいけない=社会にでるのが怖い」というのがあるようだ。それを裏付けるようにパートなりなんなりで働いて自分で稼ぐことが出来、自分は社会でやっていけるという自己認識を身につけた女性は対等に加害者とやりあったり、離婚に成功するケースが見られる。

これはある意味「自分自身が強くなった・成長した」ということだ。そうすることで選択肢が増えた。

・「誰かに必要とされたい」というのは身近でありふれた願望だろう。だがハッキリ言っておくが、「相手は選べ」。人にはその自由がある。あなたの価値が高かろうが低かろうが、その自由がないということはありえない。そして相手にもその権利が有ることもまた忘れてはならない。






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