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アドラー心理学:課題の分離

アドラー心理学:課題の分離




最終更新:2017/06/23


アドラー心理学で言うところの「課題の分離」とは、多くの人間関係がスッキリしないベタベタしたものになることの説明になる。



◆課題とは何を指すか?

課題の分離とは、要するに自分の問題は自分で解決し、他人の問題に軽々しく口や手を出すな、そして口を出させるな、ということだ。自立推奨ってことだね。
課題とは、本人の都合はもちろんのこと、精神的な側面を含める。特に感情。

本人の都合はわかりやすい。その人がやらなきゃならないことだったり、本人が目指しているようなこと、そして自業自得なことはその人の課題だ。

精神的な側面については、自他を混同する人間がかなりいるせいで判別するのが難しい人もいると思われる。同じくアドラーの目的論にも踏み込む話だが、例えば「お前が悪いから俺は怒っているんだ」と言うのは通らない。その人は怒りたいから怒っている。

それを理由に相手を支配、征服したいという欲を満たす。だから大抵、感情的な人間は「やりすぎる」傾向にある。彼らにとってはやりたいことをやりたい放題にできるチャンスだからだ。

多くの場合、その問題を認識した時点でその問題と自分との関係などが頭を巡る。時には「どう動くか」などの答えも。頭の中にパターンがあり、それに現状を「当てはめる」からだ。この時点で間違っている可能性があるので、思考として切り分けよう。

・あなたが取り組むべき問題なのかどうか

悩みの種やストレスの原因に「他人」という要素が絡むことは多い。それらの悩みの原因を掘り下げていくと、どちらかに「彼は/彼女は私の希望を叶えるべきだ」という姿勢があるのが分かる。

それと対になるように、「彼の/彼女の希望を、私は叶えなければならない」と洗脳される者も出てくる。特に親子関係、夫婦や恋人関係で見られるものだが、親子関係は洗脳が完璧過ぎて疑問に思わないままに、苦しみ続けることもある。親の躾や期待が過度なストレスになるというのは良くある話だ。

やがて家庭を持ち、自らの子供に同じことをする「負の連鎖」のパターンも多い。一家全員おかしくて、そいつら1人も自覚はない、というのはたまにある。

本来、自分の問題は自分で解決するべきだし、そういった問題解決能力を幼い頃から積み上げるように鍛えていかなければならない。そうしないと、いい年なのに人のせいにするか、投げ出すかしか出来ない人間が出来上がる。

・誰の課題なのかを判別する方法は?

では自分の問題なのか、他人に押し付けられた問題なのかをどうやって判別するべきだろうか。

コントロールできる問題なのかどうかが一つの判断基準となる。自分の言動は自分がコントロールできる。だから感情に任せて『やってしまった』なんていうのは無責任だ。ということ。

現実には他人の言動、意見、感情、これらを気に食わない、自分に合わせろ、不愉快だ、と騒ぎ、コントロールしようとする人間がいる。これは『気に食わないと感じた』と言う自分の課題を他人に押し付けているということになる。

ただ、どこまでも一人で抱え込んで我慢しろという話ではない。ガチで有害なら警告なり通報なり訴訟なりしよう。そういうレベルの人間がいるのも知っている。そういった対処をするかしないか判断するのは被害者本人の課題となる。

酷い時には「お前が悪いから、自分は何をしてもいいのだ」と子供でも言わないような理屈で暴れる者も居る。コレが課題の分離がとことんできていない人間のわかりやすい標本だ。目的論とも大分被るが。

他人の評価や感情は、コントロール出来るものでもないし、できてもするべきものじゃない。こういったものを「なんとかしなければ」、「悪い見方をされないだろうか?」と気にしてばかりいるのは問題だという話。

後述するが、別に自分以外の人間は見捨てろという話とは違う。頼られたら、それに応えるかどうかの選択はあなたの課題だ。

もう一つの判断基準は、「それで自分が困るかどうか」だ。自分の問題が解決しなければ、まずその本人は困るだろう。それが他人の問題だったらあまり困りはしない。まぁこれはよく「冷たい」とか言われる原因でもあるのだが、むしろそういう人間が粘着質で図々しいだけであることが多い。

言い方でどうとでも取れてしまうが、自分勝手であれというのも全く違う。どうしても自分のやったことは他人に何らかの影響を与える。だがそれを気にしすぎるな、ということ。

例えばまぁ、あなたが三角関係の当事者として無事に相手と結ばれました、と。はいおめでとう。あぶれた1人に悪いと思うのは、自然なことかもしれないが、「仕方のない事」でもあるだろう、と。割り切れとも忘れろとも気にするなとも言わないが、「責任」を感じるのはおかしい。









 

◆【宿題】

通常、人間は大なり小なり他人に課題を押し付けるし、押し付けられている。課題を宿題に置き換えるとすごくわかりやすいと思う。

・ある者は、「コレは君の宿題だ」と嘘をつき自分の宿題を他人にやらせようとする。

・ある者は、「宿題なんて無い」と嘘をつく。

・ある者は、「君のせいで自分の宿題が増えた」と他人にやらせようとする。

・ある者は、他人の宿題を丸写しにしようとする。

・ある者は、自分の宿題をほったらかして他人の宿題を横取りし、恩を着せようとする。

・ある者は、宿題を出されるのが嫌なので学校に行かない。

子供がやっても大問題だが、大の大人が自覚もなしにやってることだ。

日常の中で有り触れている課題の押し付け合いを、急に「それは間違っている」と言い出したところで周りからはかなり浮くだろう。これは個人的な意見だが、「他人が課題を押し付けようとしてきた時の断る理由にはしない方がいい」。理由は後述。

また、「責任」という言葉で宿題の押し付け合いが発生しやすい。これらやり取りは日常茶飯事どころか一部となりはてており、他人から見たら区別なんてつかないことも多い。だからこそ当人が考える必要はある。

◆他人の課題に寄生する

面白いことに、「わかりやすく」困っている者がいた場合、大抵周りはそれを助ける。

だがその目的の本質は、恩を売りたい、感謝されたい、いい人だと思われたい、そういったものが大半だ。本人たちは決して認めないだろうが。

端的に言うと、「他人のピンチ」を依存関係か、支配関係を確立する「チャンス」として捉えているというわけだ。

手軽に証明しよう。もしも誰かに手を貸して、助けてやった時にだね、相手が礼の一つも言わなかったとしたらどう思う?

大半が強い不快感を示し、「恩知らず」「二度と助けない」と思うだろう。これは期待した見返りを受け取れなかったからに他ならない。

これは「利益が出る」と期待して先行投資して、失敗したというだけの話になる。だからそこにはもう投資しない。親切=善意とは限らないわけだ。

無意識レベルで期待はしているということ。そして、本人ではなく「相手だけが」それを分かっていて、答えようとして勝手に苦労してしまっている可能性がある。

宿題の例でもう一度例えると、人の宿題をやってやった所で、当の本人が何か成長するか?と言う問題だ。

ひどい時には「感謝されたいから」と、相手から取り上げてまで勝手に宿題をやってしまったりする者がいる。「余計なお世話」系親切はこれに当てはまる。

これらはかなり嫌われていて、憎まれていたりもするが、本質的に他人の課題を自己満足のために利用しているからだ。被害者も薄々感づいているが、「親切」という建前のせいで無下にはできないのでストレスを貯めこむ。

彼らはいつまでも「あなたのため」と恩着せがましく粘着する。

では本物の親切とはなんだろうか?いや、本物じゃなくてもいい、これよりまともなら何でもいい。

余計なお世話が嫌われるのは、自分のことしか考えていないある種の「横暴」であるからだ。

では逆はどうだろう。相手のことを考える。つまり、「手を貸すことと貸さないこと、どちらが相手のためになるか?」ということを考える。

例えば、転んで泣いてる子供がいたとして、すぐに助け起こすのか、自分で立ち上がるのを待つのか?

いちいち起こしてやってたら、「自分で立ち上がろうとしない子供」が出来上がる。子供の学習能力を甘く見ないほうがいい。善悪の分別がない分、簡単で有効な手段を学習し特化していく。

そうなると自力で立ち上がらせるのが正解になるが、周りに「冷たい」と言われるわけだ。だが、「一番子供のためになる選択」だろう。何も恥じることはない。周りがそんなことにも気づけないほど薄っぺらいというだけの話なのだから。





◆偽善と断る力

最近かな?巷で『NO』と言える力、人の頼みを断る力、みたいな話をよく見かけるようになったが、これもまた課題の分離につながりのあることだ。


これが受けたことは裏を返せば、今まで断れないのをいいことにベッタベタにまとわりついてきてきた人間が腐るほどいるということを示唆している。

そしてそれらのせいで人生を無駄にする被害者たちの数も相当数だろう。

だから「断れ」というのが支持された。

今までは断らないのが「良いこと」だと主張してきた人間に対しての反旗だ。

彼らがでっち上げた偽りの『優しい人』を実演しようと試みる者は、利用されて吸い尽くされるだろう。それは知っておいたほうが良い。

◆重要:課題の分離はまず自分に対して行なうこと

悩みの原因の殆どは、他人がらみのものであり、当然【相手】という要素が加わる。

ストローク飢餓のような、危害を加える/問題を起こしてでも他人の注意を自分に向けさせようとする人種がいる。
もちろん課題の分離なんてまるで出来てはいない。自分のイライラは他人が全て悪いという態度を取る者もいる。

これは課題の分離を志す者の天敵になりうる。そして危害を加える事に躊躇しない者が相手だった場合は危険すらある。

危ないから教えておくが、彼らは「被害者」あるいは「正義」を名乗る。こいつらのせいで本当の被害者が誰なのかわからなかったり、被害者が名乗れなくなってしまったりすることすらある。

相対的に相手を「存在が許せないレベルの悪」であると設定することになる。そしてそうであるかぎり、いくら何をやっても「やり過ぎ」だとは感じなくなる。

スパッと縁を切れればいいんだが、そういった人種がターゲットに選ぶのは大抵家族や恋人、職場で自分が優位に立てる相手など、「簡単には逃げることができないだろう」と彼らが思うような立場の相手が多い。

正直、周囲の人間の性質によっては危険を伴うかもしれない。ありえないレベルで酷い人間が実在するから。

結果的に、まともな人間の下に他人の宿題が山積みされる傾向にある。それが今の世の中だ。
課題の分離を主張するには、相手次第では危険がある。安全に有効活用できるのは、「自分の気持を整理する時」だろう。腹芸、顔芸は必要なんだ。

特に日常が窮屈に感じている人は、一度自分の問題と他人の問題を整理することをお勧めする。割り切るべきこと、克服するべきことが区別できるようになるだけで、大分楽になれるから。

まぁ、せめても他人に宿題をやらせようとする人間が「このくらい自分でできなきゃ恥ずかしいな」くらいには思うようになってほしいね。

◆課題の分離の危険性

課題の分離が危険と言うよりは、「他者の期待アレルギー」になって勘違いのまま実践しようとしたらとんでもないことになるかもよ、と。
だいたい他者の期待がわかるってのは、「空気が読める」のと同義だ。それ捨てたら浮くよ、と。

始めに心に留めておいてほしいのは「人間は免罪符を手に入れたら暴走する生き物だ」ということ。この欲求は強く、理性でなんとかできるレベルじゃない。というか、理性が共犯を担ぐ上にいつも通り「自覚はまずできない」。

課題の分離って言っても、「知ったこっちゃない」とは違う。開き直ったとか、吹っ切れたとか、そういうのとは違う。気にしてるんだったら、どこかには「自分の問題」の部分はあるんだ。

例えば「誰かに好かれたい。でも自分のやったことを相手がどう思うかは知ったこっちゃない」、というのは、おかしいよねと。モラトリアム真っ最中な子の一部はこんなんだが。

要するに課題の分離とは「問題の内のどこが自分の課題なのか」をはっきりさせるということだ。これをやらなければ、誰も幸せにならないような残念な結果に終わるだろう。

例えば「怒り」という感情。怒りそのものは目的ではない、と言うのはアドラーの目的論やらアンガーマネジメントやらで言われていることだ。怒った、という状態でやることが怒鳴りつけるだとか、絶縁するだとか、暴れるだとか、そういったことでは「怒った目的」はほぼ達成されない。表面上達成できても後を引くだろう。

怒りの感情の内の「目的」が課題であり、要するに相手に何かしてもらいたい、直してもらいたい、止めてもらいたいことがあるわけだ。即ちそれは、殆どの場合怒りの感情の根本的解決法が「説得」に属するものであることを意味する。

が、現実には大抵の人間が「脅迫」のために怒りの感情に身を任せる。だから相手は本能的に身を守るための手段に出る。それは聞き流して聞かないことだったり、真っ向から反発したり。そうじゃなくとも恨みには思うだろう。
まぁ、「上手に怒る」というのはかなり理性的自制的なスキルではある。難しい。

このケースでするべき「分離」とは、自分の「目的」を知ること。どうしてもらいたかったのか。それが自分で見て筋が通らないわがままなのなら、感情が湧いた事自体が間違いだ。
言っておくが、そういうことはある。感情は間違えることはある。勘違いでムカついたことくらいあるだろう。よく確かめるべきだったのに。

要するに、感情は先走ることがある。こうしてみるとメタ認知に近いのがわかる。問題を客観的な視点で見よ、と。

でまぁ自分で妥当だと判断したならば、その目的を果たすためのプランを建てることになる。やり慣れてるなら頭にすぐに思い浮かぶかもしれないが、この場合は「やり過ぎ」になりやすいので注意。「怒りすぎた」とかあるだろう? 怒りに対する後悔は大抵これだ。

その自分で考えたプランと怒りの感情を感じた時に「やろうとしたこと/言おうとしたこと」を見比べてみればすぐわかるだろう。ぜんぜん違うわけだ。そして少なくとも自分で考えたプランは「初めに思いついたことよりマシ」なのも、ほぼ間違いないだろう。

最初の話に戻るが、課題の分離のことを「相手のことは知ったこっちゃないと割り切ること」と認識していたら、どうなるか。感情のままに暴れることを良しとするか、人の迷惑を考えない自分勝手なやつになるか。

これらをどうなるか分かって覚悟の上でやるならいい。だが、彼らの後出しの言い訳はこうだ。

「そんなつもりはなかった」

「こんなことになるなんて思ってなかった」。

じゃあ初めから考えろよと。それでも足りないかもしれないけれど、それなら自分の「失敗」として受け止めることはできる。そうなれば改善はできる。










くれぐれも言っておくが、すべての意見も説も法則も「カノン」ではない。一生をかけて何も考えずに守っていれば幸せになれる、なんてものじゃない。そんなものはない。

使い方、使い所は常に考えなければならないことだ。良いと思ったら信じるのではなく「試す」、おかしいと思ったらやめておくか少なくとも一度「止まる」こと。そうじゃなければ、身がもたないぞ。

ハッキリと言ってしまえば、(少なくとも現代日本で広まっているカジュアルレベルの)アドラー心理学は潔癖な傾向がある。自分と他人は完全に分離しろみたいな言い方をしているサイトがかなり多いが、これらの問題の多くは実際には「癒着」しており、思いつきや心がけ程度で分離できるわけではない場合が多い。少なくとも当人達の主観においては。

この状況下で課題の分離を「信じて」、「思い切って」分離しようものなら・・・・・・。

だからこそ問題と課題を分離しようとした方がいいだろう。「みんなの問題」と、「自分の課題」に。逃れられない状況下だとしても、少なくとも「自分はどうしたいのか、どうするべきか」はわかる。自動的な反応だったり、流されたりではなくて。

前述の通り自分の宿題をこちらに押し付けようとする者達に「気づきもしないで騙される」ことはなくなるだろう。

どの道アルフレッド・アドラーは故人だし、その後彼の研究はそれぞれの者に引き継がれた。「彼の手からはもう離れている」。

基本的にアドラー心理学は正しい。
だが正しすぎる。

我々パンピー軍団がアドラー心理学についての記事を目にするとなんか居心地が悪くなるのは気のせいじゃない。思い当たることがありすぎるからだ。まるで自分が指を差されて語られているかのように。

あなたがこういった知識を得て、実践し、周りの人間にも伝えようとしたとしよう。

ぶっちゃけてしまえば「お前ら全員出来損ないだ。悔い改めろ。」と言っているようなものだ。「その通りだ、君は正しい」と認める人間は滅多にいない。当然反感を買う。

彼らにとっては青天の霹靂であり、そして課題の分離が正しいからこそ、今まで出来ていなかったという事実に対して強い拒絶を示すだろう。このストレスに対して最も簡単な反応が、「それを認めない」ということだ。

お前が間違っている。自分は間違っていない。だからこのままでいい。こういうことだね。

まぁ、これはそれこそ本人の課題である。あなたの課題じゃない。

それに、あなたがこの記事を読んでいるのは、自らこのページへのリンクをクリックしたからだ。おそらく。

そこには「自主性」がある。だからこそここまで読んでいるのだろうし、理解も出来る。私の文章スキルがまともだったらという前提だが。

反対に、いきなり正しいことを指摘されるっていうのは、ある種の「不意打ち」になるということは気に止めておいたほうがいい。混乱時の応急処置として、まず拒絶・否定するだろう。

スムーズに人に伝えたいのなら(それがあなたの課題ならだが)、自分がモデルとなるのが一番良い。良いお手本が近くにいる、これはとても素晴らしいことだ。

あるいは、「やり方」というよりは一種のデータ、考え方として、「情報」として伝えるくらいが抵抗ないのだろう。


何にせよ結論としては「クレバーに行こう」というだけの話。そのために気付くべきものに気付く手法にとどめておいたほうが良い。課題の分離を言われたとおりに実践するには、多分世の中汚すぎる。 最新記事はこちらから



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