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あなたが「それ」をしてしまう理由:ミニ脚本:心理学

あなたが「それ」をしてしまう理由:ミニ脚本:心理学

何か事が起こった時、つい言い過ぎてしまう、やり過ぎてしまう。
何か事を起こす時、無理のある計画を張り切って立て、最終的に出来ないとわかると人のせいにしたり自分を攻めたりする。


誰もが経験のあるだろうこれらの事の裏側に、そうさせるシステム「ミニ脚本」がある。名前はしょぼいが深刻だ。



・物事に対してあなたが取る態度を決定している。


・これもバイアスと呼んで差し支え無いだろう。つまりは無意識レベルでの認識の誘導/誤認の原因となる。


・同様にあなたの目的を設定し、日頃の言動を支配する。

・テイビー・ケーラー、ヘッジス・ケーパー(共に心理学者)が提唱したもの。


人生脚本に比べて短期的なもの。人生脚本を「実演」するための細かなルール/決まり事、或いは動機・衝動そのもの。これは人生脚本を補足/強化する作用を及ぼす。

・ミニ脚本には、ドライバー、ストッパー、ブレーマー、ディスペアの4段階がある。

ドライバー:

「駆り立てるもの」と呼ばれる。ミニ脚本の先駆けとして機能し、以下の情動・焦燥を発する。

  • 「完全であれ」
  • 「急げ」
  • 「もっと努力せよ」
  • 「他人を喜ばせろ」
  • 「もっと強くなれ」

・適度な場合、これは「やる気」として機能する。
大抵は「理想主義」「完璧主義」。やり過ぎなほどの。

・能力がこれに追いついている間は「出来る自分」に満足し、自己肯定感を得られるだろう。

だが、そうでなかった場合(大抵はエスカレートする)には達成できない己に対しての無力感や自己否定につながる。

・理想/目標の初期設定が高くなりがちであり、実力以上のことをやり遂げても「この程度しか出来なかった」と言う自己評価を下しやすい。


また、それ以外は「出来て当たり前だ」という認識を持つ。要するに達成感を感じられる瞬間が人生を通してほとんどなくなる。完璧主義者によく見られる傾向である。

・一番怖いのは、ドライバーに汚染されている人間は「努力家」「真面目」だと世間に評価されることだ。

「彼は素晴らしい。君もそうあるべきだ」と推奨し、時にはドライバーに汚染された本人が「自分を見習え」とばかりに主張する。やがて力尽きるとストッパーやブレーマーが動き出すことになる。

ストッパー:

「○○をやるな」「○○になるな」といった類の禁止令を発する。「自罰」の傾向がある。

ほぼ呪いのような内容であり、

  • 「ありのままでいるな」(無理をしてでもやりとげろ)
  • 「自由になるな」(自分がやりたいことなんてやってる暇はないぞ)
  • 「楽をするな」(そのやり方は【ズル】だ、それは【インチキ】だ)
  • 「自分を優先するな」(人の都合/迷惑を考えろ)
  • 「ありのままに感じるな」(ただひたすらに我慢しろ)

以上が主だったものとされている(別の禁止令など諸説あるがベクトルは同じ)。ドライバーと見比べると、対になっているというか、補足するような形になっているのがわかるだろうか。

「やれ」とドライバーが命じるものの反対を、ストッパーが「やるな」と命じている。反対側を禁止することで強制度がより上がっていくことになる。

・強迫観念の類はストッパーに汚染されているのだろう。根本にはドライバーが勝手に張り切って作り上げた「高い目標」がある。

・やはり一番怖いのは、ストッパーに汚染されている人間は「大人しい」「良い子」「真面目」だと評価される傾向にあることだ。社会自体がこういったものを強化/固定するようになっている。上っ面だけのこの評価が、ストッパーに対しての疑問を持たせない。

・この手のタイプの人間が事件を起こした際に決まって言われるであろう「そんなことをする人には見えなかった」と言う言葉がどれだけ空疎に聞こえることか。




 





ブレーマー:

ストッパーが他人に対して働く状態。責任転嫁や指示厨などの「他罰」の傾向がある。

blamerは非難する・咎めるといった意味。


・ストッパーの禁止令を、他人に投影する。これは、自分の問題を他人の責任にすり替えているからだ。

・興味深いことに、ブレーマーだけは交流分析とは別に多く語られている。性格の悪い批判者で、関係なくても口を出し、自分の問題を他人のせいだとこじつける、そのような人物像で。

◆ヒューストン大学ソーシャルワーク大学院の教授、ブレネー・ブラウンは、自らが過去ブレーマーであり、当時の思考回路を伝える話がある。

その日、ブレネーは家にいた。白いパンツにピンクのセーターを着て、キッチンで2杯目のコーヒーを飲もうとしたところ、ガシャーン!カップをタイル張りの床の上に落として、コーヒーをぶちまけてしまった。

 カップは粉々に割れ、私の洋服はコーヒーまみれに。そこで最初に出た言葉は 「スティーブのバカ!!!」

 スティーブはブレネーの夫である。なぜ夫を責めたのか?その時の彼女の頭の回路はこうだ。

 夫の趣味は水球である。前の晩、彼は友達と水球をした。夫には「10時までに家に帰ってきてね。あなたが帰ってくるのを確認しないと、私は眠れないから」と言っておいた。
ところが、夫の帰宅は10時半。それによりブレネーの寝る時間も遅くなった。つまりはこうだ。

 「もし夫が時間通りに帰宅していたら、ブレネーは時間通りに寝れたはず。そしたら、今朝こんなに眠くなかった。だから2杯目のコーヒーを飲む必要がなかったんだ。そしたらこんな悲劇も起こらなかった。」

 ブレネーはカップを落とした途端、夫のせいにするストーリーが完全に出来上がっていたのだ。


下らない見栄を張らずに、正直に自己分析が出来る人間ならわかるだろう。この責任転嫁はとても身近で、尚且つ一瞬で行われる。

・全く無関係の出来事、全く無関係の相手に対してもこれは発動する。事件・事故の「犯人探し」に無関係の人間が躍起になって参加するのは、自分が抱えている問題によるストレスを「発散」できるためだと言われている。

・要するに、「人のせいにする」「話を逸らす」といった仕事をする機能だ。他人からも、そして自分からも。


・ブレーマーは「目前の危機/ダメージを回避する」為にしか作動せず、そのせいで本質的な問題の解決や、するべき成長からは遠ざかる。

・この衝動自体を無くすのは難しいだろう。だが、やり方が下品にならないようには気をつけたい。

ディスペア:

絶望・落胆。ドライバー・ストッパー・ブレーマーの3つが強化されるとなる状態。言葉通りに絶望している状態を指す。



ミニ脚本の「実演」の流れ

・まずドライバーが作動する。大抵の人間が予定や計画をたてる際に状況や条件を軽視/無視し、「高い目標」「都合のいい計画」になりがちなのはこれのせいだろう。

・「高い目標」が破綻し始めると、ストッパーかブレーマーが作動する。これは予定通りじゃない現実に対して、原因/責任を自分に求めるか、他人に求めるかの違いだ。


ただ、この段階ではまだ計画を実行するつもりではある。そのための犯人探し/原因探しとその「対処」を行おうとする。そもそもの計画がおかしいので大抵冤罪か八つ当たりだが。

・最後にディスペア=絶望。どうあがいても自分には実現不可能であると理解し、無力感、無能感に苛まれる。

・これは完璧主義者がうつ病になる流れそのものだ。

「やらかす」原因はどれだ?

・ストッパーとブレーマーは「浄化/矯正/修正されるべきだ」と言われている。だがドライバーからおかしいのは明らかだろう。ドライバーが「張り切らなければ」起こり得ない問題だからだ。

・ドライバーが設定する水準が、所謂「ちょっと頑張れば達成できる」といったラインなら、ステップアップで成長し続けて自己実現を達成し、本質的な意味での自信を持つことも可能だろう。


だが、大抵の人間はドライバーに背中を押されるどころか、尻を蹴られながら生きている。我々人間の、どこかズレてる生真面目さとは、これが発端なのだろう。

・このような暴走したドライバーに対しての根本的な違和感が、「なぜそこまで気合を入れなくてはならないのか?」という点だ。さっさとやればいいだけの話なのに。

これには他者承認欲求が絡んでいるだろう。即ち、目的を達した所でギャラリーの「好み」のやり方じゃない限りは認められないからだ。完璧に、手際よく、かっこ良くやらないと「誉めてもらえない」。目的がこうだから、際限なく難易度は上がっていく。

・一部の完璧主義に見られる「失敗が怖い」というのもこれに該当する。彼らが恐れているのは、本質的には失敗そのものではない。それによる「他者からの評価」だ。彼らは失敗した瞬間、周りを見回す。「誰かに見られていないか?」と。見られなきゃ問題ないというのは、「恥の文化」に通じる所がある。

要するに、ドライバーには二種類あるのだろう。「成長欲求」に根ざした健全なものと、「こうで無くてはならない、出来なくてはならない」といった強迫観念と。あなたのドライバーはどちらだろうか?

・これら「自動的」なシステムの大半は、幼少期に他者からストロークを得た前後の記憶がモデルになっている。特に成功、不快、屈辱の体験がそのまま採用されることが多い。成功でも、例えば嘘をついてその場を切り抜けた、褒めてもらったと言ったような間違った成功も含める。

場所が違っても、相手が違っても、同じような立ち位置・同じような関係になり、同じようなことをやってしまい、且つそれに苦しんでいるのなら、自分の原体験が何だったのか探ってみる価値はあるだろう。今に至るまでそれをトレースしている可能性は高い。時には当時被害者だった自分を、加害者に置き換えて再現する。

ただし、その「犯人」が両親だろうが、小学校の時の教師だろうが、彼らを攻めることは少なくとも解決にはならない。彼らが土下座して腹を切った所で、暴走したドライバーを始めとした一連のシステムは大人しくはならないだろう。ブレーマーに問題の本質をすり替えさせてはならない。

だが、原因を認識するだけでもだいぶ変わるはずだ。元々は「ただ経験しただけ」であり、別に運命ではない。それを知り、本当に気にするだけの価値があったのか、脚本として採用するだけの価値があったのかを再考するだけでも、あなたは自分のコントロールを少しは取り戻せるはずだ。

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