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ストローク飢餓

ストローク飢餓

・ストローク飢餓とは、簡単にいえば人間同士の触れ合い・やり取りに飢えている状態を指す。ストロークという言葉が交流分析(心理学理論の1つ)の用語であり、「人が他者に与える認識、注意、反応」であるとされている。これはプラスのものもマイナスのものも含める。


◆人間の心の飢え

・ストローク飢餓とはすなわち相手に存在を認めてもらえず、且つそれに飢えている状態である。

・ストローク飢餓自体はただの状態に過ぎない。しかしそれに耐えられず、「どんなものでもいいから」「どんな手段を使ってでも」この飢餓感を満たそうとすると、実際の飢餓同様かなりの「悪食」となる。「相手をしてもらえるのなら/他人の注目をあつめることができるのなら、なんでもいい」という思考・行動をする。

実際の飢餓状態を想像してみて欲しい。食べ物の好き嫌いなんて言っていられないだろう。追い詰められれば時には食べ物じゃなくても口にすることもある。セミだろうがヘビだろうがカエルだろうが。或いはもっと、食べ物として認識したことなど一度もないモノもだ。

・ストローク飢餓に陥っている人間は、誰かに「構ってもらいたい」。その焦燥に追い詰められている者の飢餓感が強ければ強いほど、構ってもらうための手段は見境がなくなる。

親に構ってもらえない子供、旦那に構ってもらえない主婦、家族に構ってもらえない老人が万引きなどの問題を繰り返すというのもこれに当てはまる。そして一部の事件に漂う「自己顕示欲」の匂いの元もコレだろう。幾つかの通り魔や殺人事件の犯人の動機にも、ストローク飢餓を挙げられている例がある。





 





◆自己愛や共依存とストローク飢餓

・ストローク飢餓と言う言葉が指し示すものとは、「誰からも気にされない」という集団の中での孤独、そして「自分はいらないのではないか」という自己に対する無価値観だろう。

・この孤独と無価値観、つまりは劣等感というものは、自己愛性人格障害が薄々自覚していて全力で否定するものであり、共依存者の言動の根源でもある。彼らは間違いなくストローク飢餓を抱えている。だからこそ自分から相手に対してアクションを起こす。彼らは受け身ではいられない。そのまま相手にされず、放置されるのが怖いからだ。それが攻撃の形をとるか、協力的な形を取るかの違いでしかない。

そしてとても興味深いことに、自己愛・共依存ともに、自分と同じ孤独感・無価値観にさいなまれる人間を創りだそうとする言動をする。

自己愛の場合は攻撃的に被害者にお前は無価値・孤独なのだと「言い聞かせ」、共依存の場合には間接的にダメ人間にして実際に無価値・孤独にしようとする。いくらかは無意識的だろうが、ある意味共依存のほうが危険かもしれない。

やっていることを見てみると、「自分好みの相手を作ろうとしてる」ようにも見える。本人たちにとってはもしかしたら純粋に話し相手がほしいだけなのかもしれない。だがやっていることは、相手を人間として見ておらず、自己満足のための道具として扱っている。

強迫性障害は人に感染すると言われているが、恐らく自分好みに環境を整えることに成功した自己愛と共依存は、かなり重症な感染者を作り出すだろう。現実として「親にやられたことを自分の子供にやり返す」という負の連鎖と呼ばれる現象がありふれた話としてそこら中に転がっている。

・いずれにせよ、ストローク飢餓を抱え、その上でやり方を間違えたらこういったことになるだろう。






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