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交流分析における「ゲーム」:心理学

交流分析における「ゲーム」:心理学

以下に該当する場合、あなたか相手のどちらか、或いは両方が「ゲーム」を仕掛けている可能性がある。

  • 話しかける方法・目的・理由がワンパターンである
  • 毎回同じパターンで対人面でトラブルになる
  • 話しかけるだけで鬱陶しいと思う/思われる


◆交流分析で言う「ゲーム」とは

「一般的な反生産的社会交流」とされている。即ち逮捕されたり隔離されたりするほどではないが、社会的に好ましくなく、不愉快な結末を迎えるコミュニケーションのパターンだ。

「ゲーム」を仕掛ける側はパターンを組んでターゲットにそれを仕掛ける。

これは他人を勝手に巻き込んで自己満足を得るための「茶番」である。動機、パターン共に豊富で、破滅的な人間関係を実現することが目的である場合もあり、「酷い扱い」をされたがるケースすらある。

「ゲーム」をやりたがる原因

大きく分けて3つの「動機」が挙げられる。

①1つはストローク飢餓。「構ってもらいたい」という願望。

「自分が他人を振り回している」「自分は他人に影響を与える事が出来る」「相手は自分のことに注目している」等の都合のいい解釈から、「陰性のストローク」つまり邪険にされる、嫌われる、否定されることそのものが目的であるケースも有る。

陰性のストロークを求めるのは、自己否定やトラウマなどにより自己肯定感が極端に感じられないことにより陽性のストローク(存在を肯定されるようなストローク)を素直に受け取れないからだとされている。例えるなら「ゲテモノしか食えない体になっている」と言った所。

彼らは陰性のストロークにより「満たされる」ので積極的に仕掛ける。また、すぐに飢えるので執拗に繰り返す傾向もある。

②二つ目は、「自分が思っている世界観を再確認するため」。

例えば人間不信な者が仕掛けるゲームは最終的に自分の人間関係を破綻に導くか、他人の人間関係を破壊しようとする傾向がある。その時彼は/彼女はこう思う。「ほら見ろ、他人なんて信用するからだ」。こういった再確認が目的のケース。思い込みの強化、または正当化。

③最後は「コミュニケーション」。

ゲームのやり口そのものは自然と身につくタイプの物であり、大抵は他人か実体験がモデル。無意識的にゲームを行い続け、それが自然体であり、つまりはそれがコミュニケーションのつもりでいる場合。要するに、一種のコミュ障だ。人間の殆どはこの状態だろう。大抵は自覚がある。気づいてないのは自惚れている者だけだ。

 「他にやり方を知らない」と言えば分かりやすいだろうか。特別悪意は無いが、致命的に他人を不快にさせることもある。

注意しても悪気は無いから反省もせず、繰り返すタイプが多い。悪意がある方がまだマシかも知れない。最終的に「言っても無駄だ」と判断され、避けられる。もっとも、よりまともな方法を学べば解決する問題であり、一番未来があるだろう。

動機が様々である以上、ゲームの手口も加害者だったり被害者ぶったりとバリエーションは豊富。後で基本的なパターンは挙げるが、間違いなく今後新種の「ゲーム」が雨後の筍のように出てくるだろう。バレてゲームが成立しなくなれば、仕掛ける側は新しい物を「発明」するからだ。

注目したいのは、ゲームを仕掛ける本人ですら自己嫌悪や虚しさ、後悔を感じている場合が多いということ。つまりは「悪癖」であり、ゲームに依る結果が望んだ結末ではないことがある。先に挙げた③はこれに該当することが多い。

②もまた、自分の価値観が違う可能性、違う結果(つまり暗い自分の人生観を払拭するようなハッピーエンド)を望んで繰り返すことがあるかもしれない。だがその探し方は他人にとって有害であり、別の方法を探すべきだ。

①はダメだろう。好んで行う限りは同情はしない。カウンセリングを受けるか認知療法でもしてくれ。





 





「ゲーム」に選ばれる相手

仕掛け人によってゲームのカモにされやすい人というのは、攻撃的な嫌味や挑発に反応しやすいCP(批判的な親)の強い人、苦しみや悩みに対して同情して助けてくれやすいNP(擁護的な親)の強い人、愛情不足によって拗ねたりいじけたりしやすいAC(従順な子ども)の強い人であるが、『エゴグラム』における自我状態のバランスが崩れている人がカモとして狙われやすい。

CPやAPなどについては自我モデルを参照のこと。バランスの取れた人間はそうそういるものじゃない。誰もが「遊び相手」に選ばれる可能性がある。



エゴグラムのバランスが悪い者が選ばれるとする理由は、バランスが崩れていると特定の自我モデルの反応をさせやすくなるからだ。要するに、仕掛ける側の狙い通りの反応を引き出せる「弱点」がある者が選ばれる。

「厄介者」として扱われるゲームをしたい人間(怒られたい・注意されたい)にはCP的な口うるさい人間が相手に選ばれる。同情をされたい人間(守ってもらいたい・共感してもらいたい)はNPに偏った人間が選ばれる。

コミュニケーションの癖

「ゲーム」の種類


スタンスとしては「恩着せがましいアドバイザー」、「可哀想な被害者または弱者(のフリ)」、「工作員(スパイ)」の3つだろうか。

交流分析の提唱者であるエリック・バーンが書籍で挙げた「ゲームのテーマ」が以下。

・YDYB: Why Don't You, Yes But.(そうしたら?うん、でも)

弱者タイプ。相手に助言や助力を求めるが、相手の意見は否定/反論するというゲーム。相手のどんな意見に対してもこの態度を通し、相手は疲労感を味わう。

このテーマのゲームは
  • 相手に無力感を感じさせる
  • 相手に自分のために時間を使わせる
等の特徴がある。

・IFWY: If It Weren't For You(もしあなたのためでなかったら)

詳細不明。「あなたのためでなかったら自分はこんなことはしない」というようなものだとしたら、要らない助言者タイプだろう。

・WAHM: Why does this Always Happen to Me?(どうしていつもこうなるんだ?)

 自己成就予言であるとされている。自分で(わざと)問題を起こしておいて被害者ぶるタイプか?

・SWYMD: See What You Made Me Do(あなたのせいだよ)

言葉通り自分の責任や課題を他人に抱えさせようとする。

自分の責任や短所は認めず、自分がしでかしたことは他人の無能/悪意に依る結果であり、自分は被害者であると言う態度をとる。

「ブレーマー」と言ったほうが早いか。

・UGMIT: You Got Me Into This(あなたが始めたんでしょ)

詳細不明。ただ、気の利く人間を演じたいのか「人の手伝いを過剰にしたがる者」というのはいる。当事者が「もう止めてくれ」と言うほどにだ。そう言われた時に「あなたが始めた/言い出したことでしょ」と言う人間はいる。

  また、周囲にはバレないようにターゲットに嫌がらせや挑発を続け、相手がキレると被害者ぶり「向こうから手を出してきた」と周りに泣きつく人間もいる。例えば子供では弟が兄にこのような挑発をするケースを見かけることがある。

これは実力では勝てないからであり、周囲を味方につけようとするからだ。こういった意味では「自称弱者」の卑怯者タイプだと言えるだろう。

こういった子供が成人したとして、急にまともになるわけもない。「ゲーム」もまた強化学習の類であり、無意識的なものだ。当然、大人になってもこういったことをする者が結構な数いる。

・LHIT: Look How Hard I've Tried(こんなに頑張っているのに)

詳細不明。「自分は頑張っているのだから応援されるべきだ/援助されるべきだ」と言う態度の人間は確かにいるが。それのことだろうか。

・断言するが、「正しい努力」でない限り報われることはない。「どう頑張るか」を考える時点で努力しているかどうかは問われている。


・ITHY: I'm only Trying to Help You(あなたを良くしたいだけなんだ)

詳細不明。特に上下がはっきりしている人間関係においては「お前のためだ」と言って自分の思い通りにしようとする者は多い。

また、別サイトで類似したものを見つけた。これかもしれない。
あなたのため……治療熱心な医師と医師の無能さを証明したがっている患者との間で起こりやすいゲームが『あなたのため』である。医師は『あなたのため(患者のため)』という大義名分を持って患者の疾患を治すために様々な検査・治療・投薬を行うが、患者は『効果が見られない』という抵抗を示して、それで自信が揺らいだ医師がますます『あなたのため』ということで無意味な治療法や検査を追加し続ける悪循環を示す。

患者側の態度はYDYBに酷似しているが、「あなたのため」の場合、医師の他者承認欲求と患者の一種の「挑発」による双方合意の(不毛な)ゲームである。が、仕掛け人が医師側だけである場合もある。患者は別にゲームをする気がなかったとしてもだ。

相手だけが異様に張り切るということはある。「尽くす」と言う表現が適切なほどに。違和感を感じるほどに熱心にあなたに親切にするものがいたとしたら、それは相手のゲームか、もっと悪化して「共依存」になっているかもしれない。

・やたらと恩着せがましく、例えば何か贈り物を渡すときにも「自分がこれを選ぶのにどれだけ苦労したか」を長々と語る人間がいるが、話を聞き終わる頃には受けとりたくなくなる。その贈り物が「自己満足の成れの果て」であることがわかってしまうからだ。こういった「恩着せがましい」ゲームなのかもしれない。

・LYAHF:Let's You and Him Fight(仲間割れ)

工作員タイプ。LYAHFの説明は「フレネミー」の一言で説明できる。AとBの人間またはコミュニティの間を渡り歩き、対立感情を煽る。

対立者の間を行き来できる自分を情報源/スパイ/工作員として売り込むタイプと、「人間関係には価値が無い」と言う自分の世界観を強化/再確認するために行われるタイプがある。

チクリ魔、告げ口がライフワーク、そのような人間。諍いの火種そのものも、ゲームの仕掛け人が捏造/誘導したものかもしれない。

・正直な所、細分化にはあまり意味が無いと思う。前述のとおり、必ずバリエーションは今後増えていく。被害者にも加害者本人にもより分かり難くだ。

・ゲームの姿勢は、表面上の態度としては敵味方どちらも在り得る。1人の人間がどちらもを演じることもある。彼らの目的はゲームを仕掛けて目的を達成することであり、手段は選ばないからだ。

・また、「直接的な表現とは限らない」ということも覚えておいたほうが良いだろう。「ストローク」と言う言葉にはそもそも言外のメッセージ性も含まれている。

 例えば口論の末、一言も口を利かなくなったケースもゲームである可能性はある。1人で苦労を抱え込み、愚痴を誰にも言わなかったとしても、それがゲームの可能性はある。この場合はギャラリーを意識するので「他人が見てる所でわざと転ぶ」感じの言動になるが。

・上記のような例には他者承認欲求が強い傾向が見られる。逆に人目に関しては無関心だった場合、強迫観念的にゲームに駆り立てられている可能性が強い。

「ゲーム中毒者」は他人に多大な迷惑、甚大な被害を及ぼすことも在り得るが、狙い自体は自己認識の強化である場合がある。悪意を持って仕掛けると言うよりは、自分のことしか考えていないといった方面だろう。同じように他に交流の方法を知らないコミュ障が、唯一とり得る方法が「ゲーム」であるケースも有る。

「ゲーム」の害
まぁ、害しかないだろう。ゲームを仕掛ける者は本質的にそもそも相手を人として見ていない。過去を再体験するための、或いはトラウマなどの発端となった人物を投影する銀幕である。これではまともな交友関係は築けず、相手もまた関わることにデメリットしか無い。

人間は本能的にも社会承認を始めとした他者承認欲求を持っているが、間違いなくそれが満たされず、「飢える」。「ゲーム中毒者」は他人から距離を置かれるか、嫌われ者になることからもこれは明白だ。

「ゲーム」から抜け出さないかぎりは必ずストローク飢餓になるだろう。さぁ、構ってもらえない嫌われ者が無理矢理にでも相手に構ってもらうためには?

そう、またゲームを仕掛けるしかないと彼らは考える。「自発的な行動」により「他人をこちらに振り向かせようとする」。

そのうち根本的な拒絶をされ、極端なことをし始めるかもしれない。過去にもバスジャックや連続殺傷事件のような事件を起こした犯人がストローク飢餓であるという指摘をする人間はいた(もっとも、情報を浴びるだけの我々は、あくまでもこれは解釈の1つだということを忘れてはならない)。

ゲームと見ぬくために

・結論として、交流分析で言うゲームとは「他人が自分を見て何かを感じる様に、狙って行う行為」全てに当てはまる。無意識的にせよ。実際殆どが無意識的に行われるので、当の本人が「どうして自分はいつもこんな目に合うのか」と思っていることも多い。

つまりは他人が仕掛けるゲームからの自衛、これはもちろんなのだが、自分の頭の中にもゲームを仕掛ける欲求、動機、そしてそのための方法の(経験則的な)知識があり、尚且つ実行していることも自覚しなくてはならない。

ここで自分に 「自分のキャラクター」を意識してから行動を決めていないか? と問うてみよう。いや、常に疑い自分の言動を監視してみると良い。自分のキャラとは即ち「他人にどう見られたいか/扱われたいか」だからだ。

恐らく心当たりはすぐに見つかるはずだ。それがあなたの「ゲーム」だ。自分の癖を知っておくのは、いざ自制せねばならぬ場面では絶対に役に立つ。

例えばついウケ狙いに走りたくなったり、必ず遅刻ギリギリに付くように「調整」していたり。真面目な完璧主義であろうとしたり、人の相談に親身になって乗ったり。そういった時に「自分は何を期待しているのか?」を考えてみると良い。

自然体でそれなら(今回は)別に構わないだろう。だが、「そう見られたい」というのが動機なら、一度そのままで居続けるかどうかは気にした方がいいだろう。

何も無理をしてまで道化や機械を演じなくてもいいじゃないか。あなたはもっと真面目になってもいいし、肩の力を抜いても良い。時と場所を選び、自己責任の範囲なら。

さて、他人からのゲームをどうやって防ぐかに移ろう。


他人のゲームから抜け出すには?

・前述のとおり、エゴグラムのバランスが取れている人間は珍しい方だろう。大抵は偏りが有り、それがそのまま相手がゲームを仕掛ける為に利用する、あなたの「弱点」になる。

また、「ゲーム」はほとんどが無意識的な「交流の悪癖」だ。こういったものは本人が最も気づけない。結果的に、自制も働かず、巷には「ゲーム」が溢れている。悪気すら無いことも多い。

・ゲーム中毒者は「同じことを何度でも繰り返したい」ものだと覚えておこう。大抵は根本的な不安からの逃避であり、ゲームはその場しのぎでしか無く、つまりはすぐにまた不安になってくるからだ。

こうなればゲームを仕掛けられないポイントが見えてくる。つまりは「同じリアクションをしないこと」。いつも安定して同じリアクションを引き出せるなら、相手はいつまでも繰り返す。

逆にゲームが不成立になる場合には繰り返されない。仕掛け人が満足しないかぎりはゲームは失敗だからだ。相手は手口を変えてくるかもしれないが、大抵は違うターゲットを探し始める。

・結構、空気が読めるというか、気が利くというか、「相手がどんなリアクションを望んでいるか」が分かる人は多い。だが、そういったタイプは裏を返せば「どんなゲームのカモにも出来る」ということでもある。


相手の望みが分かるのはスキルとして有用だが、リアクションは相手の望み通りにタダでくれてやる筋合いはない。それは野生の猿を餌付けするようなものだ。どんどん図々しくなるに決まっている。あなたはあなたとしてリアクションするべきだ。

・まぁゲームを終わらせるのは簡単(?)だろう。「このやり取り、前にもあったよ」と言って自分の仕事に戻ればいい。







◆関連リンク
カテゴリ:思考・意識

ストローク飢餓 
http://embryo.blog.shinobi.jp/_page/258


自我モデル P/A/C:交流分析 
http://embryo.blog.shinobi.jp/_page/259


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