物をよく無くす人
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・物をよく無くす。それも深刻なレベルで、深刻な頻度で。
・例えばしっかりと片付けたとしても(本人はそのつもりでも)、なくす。
・あるいは日常的に使っているものを出かける前に毎日探す。
・彼らは何故物をなくすのか。どこにその原因があるのか。
■目次
・症状
・原因
・分析
・対策
・結局自分がやっていることが原因である
症状
日常的に使うものを無くす
・携帯/スマホすらよく無くす
・財布をいつも探している
・カギを無くす。
・メガネを無くす
大事なものは出てこない
・保険証、通帳など大事なものを無くす。
・というか、どこにしまったか覚えていない。
・大事な物相応にしっかりした場所にしまってあるのに、本人がそれを覚えていないこともある。
・この上で「自分がそんなにしっかりしているわけがない」とか言って変なところをずっと探している人もいる。そっちに適応しちゃいけないと思う。
邪魔なものが多い
・不要なものも「とりあえず」で溜め込む傾向がある。人によっては明らかに異常なレベルで「捨てられない」。
・結果的に整理整頓の邪魔となり、物をよく無くす原因の一つとなっている。
原因
無意識にそこらへんに物を置く
・この場合、どこに置いたかを「忘れた」のではなく、初めから意識してない。
・当然どこに置いたか「覚えていない」。思い出せないのではなく、初めから覚えていない。
仕舞うべき場所を全く考えてない
・どこに仕舞うべきか初めから決めてない。必要になった時は毎回探すことから始めることになる。
・この場合、開いているスペースに物を置くから大体部屋は物が多く、散らかっている。
・どこに仕舞うべきか決めたとしても、気分でそれをよく変える。自分自身が混乱し、「ここにあるはずなのにない!」などと慌てることになる。
分析
ADHD/ADDの可能性を考える
・病気……というか発達障害の可能性がある。
・上記の原因などを見る限りは「だらしがない」の一言に見えるが、本人が真剣に注意しようとしてもこのようなことになってしまう。
・冗談抜きで適当に置いた瞬間、持っていたことが頭から消えるレベルの人もいる。
・この場合、他人からの指摘や注意は逆効果になる。
・ADHD/ADDは知的障害を伴わない発達障害とされる。
・ADHDは注意欠陥多動症の頭文字。ADDはそこから多動性が目立たなくなってきた状態を指す。
・症状としては気が散りやすい、逆に集中する時は周りが一切見えない、落ち着きがない、衝動的なので計画性がないなど。
・幾つかタイプが有り、人によってはある症状、ない症状が違ったりする。
・治療/対処法はある。内容は投薬や日常生活の改善など。
・受信する場合は心療内科か精神科、メンタルヘルス科。
・注意点としては、ADHDは昔は「子供特有の発達障害」だとされており、年とともに症状が軽減すると思われていた。が、そうではなく大人のADHDがあることが分かってきた、という経緯があること。
・つまり「大人のADHD」に対応しているかどうかは事前に問い合わせたほうがいい。
物が多すぎて埋もれるタイプ
・雑多に物が置いてある場合は当然、整理整頓が必要なのだが、「仕舞う場所がない」程に物があるケース。
・基本的に「必要なもの」のハードルがかなり低く、どんなものでも捨てられず、貯まる一方。ここを改善することが求められる。
・簡単に言うとコンビニの割り箸とかアイスのスプーンとか未使用なら取っておく、ホテルに行ったらとりあえず歯ブラシをパクってくる、もらえるものならゴミでももらうタイプ。
対策
「仕舞うべき場所」を決める(変更しないこと)
・簡単な対処としては置くべき場所を決め、「固定」すること。
・物をよく無くす人の場合、細々と「これはここ、あれはあそこ」と決めるとそれを忘れるか、途中で重く感じて適当にやりだすか、「もっといい場所がある!」とか言い出して変更して物をなくす。
・日常的に使うものは専用のスペース(箱を用意する、棚を一段それ専用にする)などと決める。
・できればそこに仕舞うまでは一時的にでも手から離さないこと。「手放したら頭から消える」と心構えをした方がいい。理由は後述。
マルチタスクを止める
・ADHD/ADDじゃないとしても、似たような注意力散漫状態に人はなる。その内の一つが「マルチタスク」、つまり複数同時作業だ。
・特別なことではなく、むしろ人間は日常的に常時といっていい頻度でこれを行っている。
・スマホやテレビを見ながら飯を食うのが最も身近な例だろう。
実はこれだけで自分がどれだけ食べたかわからなくなり、食べ過ぎて太る傾向があると言われている。
それくらい認識力のクオリティは落ちる。
・適当なところに物をおいて、そのまま忘れる人というのは、この傾向が特に強い。
・そもそも「適当なところに置く」のは次にやりたいことを早くやるためだ。
家から帰ってきて、さっさと楽な格好でスマホを弄りたいだとか、食事をしたいだとか、テレビみたいだとか、そちらに頭が一杯になっていたとする。
・そうなると、「片付ける」という作業のクオリティが雑になり、尚且つどこに置いたかもわからないほどに認識力が落ちる。
・「どこにしまったか思い出せない」ではない。初めから覚えてない。もしかしたら見てもいないかもしれない。
・厄介なのは、手慣れた作業なら無意識的にできてしまうということだ。だからあまりマルチタスクをしているという自覚は持てないことが多い。
・何かをしながら別の何かをやる、というのをできるだけ避けるのが現実的な対処法になる。
・そうなると時間がもったいないという問題が生まれることになるのだが、とりあえずは物を片付ける、仕舞う時だけはそれだけに意識を向けよう。
「そこら辺に置く」ことのリスクを知る
・適当にそこら辺に置くことは、リスクしかない。
・第一に、「あるべき場所」に再び置き直さなければいけない。この時点で二度手間だ。
・第二に、「適当においた場所」を覚えている必要がある。忘れたならば、それは「なくした」ということだ。
この時点で意識リソースを割く必要が出て来る。
・つまりそこら辺に適当に置くことは、手間を増やし、「忘れる/無くす」と言うリスクをわざわざ発生させている。
・逆を言えば、「有るべき場所」を設定し、そこに置くことさえすれば、手間は正当な一回分、そしてそこに置いたことは「忘れてもいい」わけだ。有るべき場所を見ればそれがあるんだから。
・「物を置く場所を決める」というのがどれだけ有効であるかわかる。
・片付ける気力もない、ということもあるだろう。ただ、その場合でも嫌でも目につく様な場所に置いたほうがいい。テーブルの上とか。少なくとも目の前にあれば「どこに置いたかわからない」ことだけは避けれる。
・ただし、常習犯になりすぎて、その一時的な置き場所がいつのまにか「あるべき場所」に取って代わったりしないように。多分そのうち家人がブチ切れるだろう。一人暮らしなら楽ができていいかも知れんが。
第三者に見てもらう
・精神的ダメージが予想されるのであなたが逆ギレしない人間性を持っていて、尚且つ相手が人格面で信用できることが望ましい。
・というのも、変な反発心でアドバイスを無碍にする、あるいは問題ないのにケチをつけるなどは珍しくないからだ。
・特に引き出しの中身を含めたデスク周り。第三者から見れば一発で原因が分かることが多い。
・大抵は物が多い、片付けではなく「隙間に詰め込んでるだけ」であることが多い。その上で、本人はこれで「普通」「しっかり整理整頓できているつもり」でいることがほとんどだ。
・簡単に言えば「作業スペース(これにはよく使うものをしまっておく場所を含める)」であるべき場所が、単なる「スクラップ置き場(未処分のまま山積み)」になっているということ。
・これだと「保管」はできているだろうが(つまり「どこか」にはあるだろうが)「使用」には向いていない(必要な時に取り出せない、見つからない)わけだ。当たり前だが。
・実際に見てもらったとして、恐らくこう言われるだろう。
「物が多い」
「整理整頓ができていない」
「捨てるべきものが多い」
あるいは「汚い」とバッサリ切り捨て、本当に汚物でも見たかのように顔をそらすかもしれない。本人が完璧に整理整頓しているつもりでも他人から見たら「魔窟」に見えることはある。
・頼んでもいないのにこうやって口を出された場合には妙な反発心から「どこにあるか自分にはわかっている」「これで困ったことはない」なんて言う者も居る。
・だがその口でスマホがない、カギがない、財布がないと言っていたら、まぁどうみてもアホだろう。
・助言を求めるからには聞く耳は持つこと。
・また、根本的に「基準」が違う可能性を頭に入れておくこと。
つまり自分では全く問題ないと思っていることが他人から見たら「これはひどい」と言う状態である覚悟はすること。
別にその違い自体はどうでもいいが、それで物をなくす、探すのに手間取るなどの実害がでている場合、見直す必要はある。
結局自分がやっていることが原因である
・現実に「物を頻繁になくす」という不都合が起きているかぎり、自分の「整理整頓」あるいは「持ち物の管理」の基準がだいぶ甘いことは薄々分かるだろう。
・仮にADHDが原因だったとしても、あれは知的障害や学習障害ではないから「出来るようにはなる」。楽ではないかもしれないが。
・その証拠に別にADHDでも自転車に乗れるし箸も使えるだろう。新しく習慣や技術を身につけることは普通にできる。
・要するに、「これで大丈夫」なくらいに整理整頓している「つもり」ではある。
だからこそ、物をよく無くすという現象(事実)と自分の記憶力や整理整頓のスキルとの関連性を疑わない、というか盲点になる。
・悔しいかもしれないが、自力で「課題」を発見できない限り、我慢の限界が来た他人にボロクソに指摘されることになるだろう。
・それが嫌だというのなら、それより先に自力でやるしかない。「問題があるから克服する」というのは、誰だって何かしらやっているものだ。それも一生。
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