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要領がいい人、飲み込みが早い人 頭の硬さと柔らかさについて

要領がいい人、飲み込みが早い人 頭の硬さと柔らかさについて


要領がいい、飲み込みが早い人がいる。予め過去に似たような経験をしていたり知識を既に持っているのだろうと思えるケースもあるが、そうではなく純粋に飲み込みが早い場合もある。彼らのこういった能力の正体とはなんだろうか。


◆目次

・スキーマとは
・頭の固い人:スキーマの変数と「丸暗記」
・要領が悪い人、飲み込みが遅い人
・ベースとなる使えそうなスキーマ、記憶・経験があるか
・「ノルマ」を減らす
・「理解」における注意点








スキーマとは

要領のいい人の特徴としては、情報の消化吸収能力が高い点と、覚え方(方法ではなくて「どういった形で頭に入れるのか」の時点)で他の人と違うようにみえる。つまり「理解のスキーマ」の質が違う。

スキーマは簡単に言えば頭の中のプログラム。行為の手順や思考の方法など、頭を使うどんなものにも当てはまる。

これらは無意識的に機能している部分であり、暗黙知だから自覚がない場合もある。要するに自然とできる、自然とわかる、自然と覚えられる。自覚するのも難しいが、人に教えることはもっと難しい。他人から見れば優れた「学習」のスキーマを所持している人は単純に要領がいい、飲み込みが早い、理解が早い、そんな感じとなるだろう。

すぐに習得できる/理解できるということは、身につける=スキーマの作成 や 理解する=解釈するスキーマの所持 を意味している。

このスキーマの特徴の一つに「変数を持つ」というのがある。別のものが対象でも適応できる柔軟な部分。







頭の固い人:スキーマの変数と「丸暗記」

例えばオセロ知らない人間にオセロを教えたとする。教えるために相手が後手(白)で。大体教え終わって一勝負終わって、じゃあ今度は先手(黒)でやってみようかと言ったら「先手でのやり方は分からない」「黒でのルールは聞いてない」なんて答えが帰ってきたとしたら、まぁ「こいつは馬鹿なのか」とは思うだろう。

その時あなたはこう答えるだろう。「白と黒とでルールは変わらない。同じだ。気にする必要はない」と。この「違うものでも扱いが同じ部分」「気にする必要はない部分」がスキーマの変数(特定されていない部分)だ。その部分には別のものを入れることができる。この場合はオセロの白と黒。

じゃあ変数にいれるのはなんでも良いのかと言えばもちろんそうではない。オセロの石の代わりにどんぐりでも使ったら「こいつはチンパンジーなのかもしれない」と私なら思う。まぁ流石に限度はある。

この「限度」の見当がつかない場合、例え変数だと頭では理解していても「別の何か」を代入するのが怖くなる。誰だってどんぐりでオセロ打つ様な真似はしたくない。人は恥を掻くのを嫌う。「そうかもしれない」可能性は排除したいと思うのは、まぁ自然なことだろう。

変数だと認識していない(変えてはいけない部分だと思ってる)、あるいは「変えたくない」場合に人は既存の方法に固執する。つまり丸暗記した知識しかないか、自信がない時。

全てが「こうじゃなきゃいけない」という覚え方・考え方だと応用が全く効かなくなるのは、まぁ経験したりそういう人を見てきたりしてわかるだろう。俗に言う「頭が固い」状態。まぁ、教え方によっては誰でもこういう覚え方になる可能性はある。

丸暗記してそれっきりというのが代表格だが、そういった「頭を使わない頭の使い方」が癖になってると全然応用が効かなくなる。自信がないのも似たようなものだ。わざわざ誰かに保証してもらわないと分かっててもできないとか。

逆を言えば、既に知っている知識や手順の中で「変数にできそうな部分」を探すだけで出来ることの幅は広がる。





要領が悪い人、飲み込みが遅い人

要するに、使えるはずの既に持っている知識/スキーマを「これには使えない」「これは知らない」と断じてしまっている。自分からゼロの状態に勝手に立って、そこから始めようとしている状態だといえる。

ある意味謙虚だし、これが必ずしも間違っているとも言えないだろう。この姿勢は車輪の再発明に近い。大器晩成というか、理解した時にはそれにかなり詳しくなっているはずだ。尤も、一事が万事この調子じゃ教育係はぶっ倒れるだろうが。

それはともかく正直な所、やる気はあって頭も悪いわけじゃないのに馬鹿扱いされる人がもったいないと思うのだ。
車輪の再発明にしたって分かっててやる分には良いんだが、天然でそれをやっている場合にはどうしても「自分は理解が遅い」「もしかしてアタマが悪いのだろうか」なんてモチベが下がるようなことが頭をよぎってしまうはずだ。尚更自信はなくなっていく。頭の善し悪しと関係ないところで。

知ってる限り要領の悪い人の殆どは、「解ってるけど確信はないから知らないこととする」という判断をするスキーマを持っているし、あるいはもっと酷いと「知ってる?」と聞かれると反射的に「知らない」と答えるレベルであることもある。
これは他人からは「頭を使う気がない・やる気がない」ように見えるし、基本的にやっぱり「自信がない」気持ちがあるようにみえる。

えらく世俗的なことを言うが、「わかったフリ」で通せそうならそれで試してみるのも良いかもしれない。
もちろん知ったかぶりは碌でも無いし、バカが好んでやることだ。ただ、こういった「要領が悪い人」がイメージしている「わかった」というのはレベルが高すぎる傾向がある。
多分こういった人たちが考える「まだ理解できていない」という段階は、それ以外の多くの者が「だいたいわかった」と感じるラインではないだろうか。
完璧主義の傾向とも言えるが。そういった周囲との「温度差」を、感じたことはないだろうか?





ベースとなる使えそうなスキーマ、記憶・経験があるか

これは努力や時間の投資で補える部分でもある。予習、と言うより持っているものの再確認。

未経験。未知の分野。似たような経験もないし、サンプルとなる記憶・経験もない。この状態ならゼロから学ぼうという姿勢が正しい。その「状態」なら。でももしかしたら既に使えそうな知識や経験を持っているかもしれない。

簡単な方法としては似ている物と照らし合わせてみるということだ。卓球のルール知ってればテニスのルールを覚えるのは難しくないだろう。こういったときに「全く同じじゃないのだから違う」と考えて切り捨ててしまうのが「頭が硬い人」であり、使えるものを使っていない状態だ。

もう見えてきたかもしれないが、要領が悪い人は基本的に「細かい」。逆に要領がいい人は適切な「アバウトさ」を持っている。度が過ぎたら自信満々のバカになるのも確かだが、それが嫌すぎて慎重になりすぎているのではないだろうか。

多分バランスの問題だろう。右に傾きたくないから必死に左に自分から傾いているような。で、理想値は中央だからどの道そこからの距離は変わらない、と。






「ノルマ」を減らす

要領のいい人は「覚えなきゃいけないこと」を極力減らす。逆に要領が悪い人はそのまま丸暗記しようとする傾向がすごく強い。教科書を丸暗記すればテストで100点だぜ!みたいな思考。

覚えなきゃいけないことを削っていった上で残ったものというのは、メタ知識に限りなく近い。つまり「覚えなきゃいけないことを減らす」行為は、「コツ」や「本質」を見つける行為そのものとなる。その上でそれを身につければ応用は利く。つまり「要領がいい人」となる。
こうしてみると、彼らは非常に「効率的」な学習・理解をしているわけだ。彼らの思考スキーマは変数が多く、幅広い「万能ツール」のような物になっている。

丸暗記しなきゃいけないことが対象だとしても、「覚える順番」としてはまずコツや本質、全体像を理解した上で改めて記憶しようとしたほうが捗るはずだ。この場合、理解したことが情報の「消化吸収」の一助となる。





「理解」における注意点

複数の視点で情報を集めること。特にサイトやテキストに対して分かりやすい、覚えやすいと感じたら、尚更それだけではいけない。

わかりやすくするためには前述のように「覚えなきゃいけないこと」を極力削っていく必要がある。その上この「要点の取捨選択」は情報提供者の個人的感覚で行われる。言うなれば情報提供者のバイアスがかかっているし、彼の好みにカスタマイズされているとも言える。

結果的に全体像は必ずぼやけてくる。必ず何か「抜け落ちる」。「わかりやすさ」や「伝わりやすさ」は本質を幾らか犠牲にして得られる。

天才は教えるのが下手、みたいな話があるのは、彼らは「自分が理解すること」「それを利用すること」が上手いのであって、それはそのまま他人に使えるようなものじゃないからだ。例え100%の言語化ができたとしても。

前述の覚えるノルマを減らすという話の場合は、「自分にわかるように」物事を解体していったから意味があった。
だが他人が解体したものを手に入れた場合には、(自分にとっては)削りすぎている可能性が出て来る。何が分かりやすいのかには個人差があるし、そもそも「わかる人間」が削ったものだ。「分からない人間」に伝わるかどうかは慎重になったほうが良いだろう。





この点に関しては人づてに伝わる情報全てに言えることだ。この記事も例外なく。いやこのブログだと削ったほうが良いものが満載かもしれないが。まぁうん。

例えばニュースとかで何かが紹介された際、「適当なこと抜かすな」と詳しい人間から声が上がる。取材スタッフは別にそれに詳しいわけじゃない。大学教授にインタビューしたところで変な編集の仕方をされていると後で指摘されるのはよくある。つまり「理解しているかどうか怪しい人間が」「より多くの人間にわかりやすいように」ニュースを編集すれば必ずそうなる。苦情を挙げているような「玄人」には元から向けられたものではない。だから彼らにとっては「不十分」なものになる。

理解するための足掛かりとしては役に立つのは間違いないが、この点に関しては忘れないほうがいいだろう。あくまでも「ベース」として扱ったほうがいい。「分かりやすさ」はあくまでも「初心者」のためのものだ。

この対策のために複数の視点での情報収集が有効となる。多角的に見ても「ブレてない部分」は、その物事の中心に近いことが多いからだ。

同様に「変数」がどこかもなんとなく見えてくる。違う例えで同じものを説明していた場合、「そういった応用の仕方ができる」ことがわかるからだ。複数の実際に違う代入をして機能している知識・技術のサンプルが記憶にあれば、変数の「限度」が見えやすい。そうなると「やりたいこと」や自分の立てた「仮説」にそれが使えるかどうかの見当もついてくる。












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