「勉強」がしたければ教科書でも読むべき。ここにあるのは「私見」。
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【自信】の本質とその身につけ方

・自分に自信がないと不必要に緊張し、挙動不審になる。
自分の本来のスペックを発揮できないので、失敗の確率は上がる。
そうなれば更に自信はなくなるだろう。悪循環だ。


・他人に自信をつけるように促すのもまた難しい。
また、実力がないのに自信満々な、【根拠の無い自信家】もいる。


・ほんとうの意味での自信とはどのようにあるべきか?
正しい形で自分に自信を持つ方法とは、なにがあるのだろうか?




§自信の種類

自信にはいくつかある。
いっそ無い方がいいような、歪んだ自信もある。

◆1.自分の経験からの結果の予測

・それが出来ると思えるなら自信がある。できないと思えばそれに対しての自信はない。

・過去に実際に出来た経験、出来なかった経験があれば、その認識はより強固なものとなる。


つまりは自分の能力への信頼の有無だ。その根拠は記憶。
だれだって自分の得意分野にはそれなりに自信はあるだろう。

だが人間は、強い印象を受けた記憶だけを選別して覚えている。
人によっては一度の成功、一度の失敗で「出来る・できない」が固定化されやすい。

初めできて次にできなくても、反対にできないことが出来るようになっても、
最初の印象を強く引きずり、バランスの悪い自己評価になる。


◆2.他者からの評価

・育児でよく取り上げられるが、「褒めて育てる」というスタイルなら自信が付く。

・反対に、叱られてばかりだと自信はつかない。


これは外部に根拠を求める自信だ。
これは度が過ぎると有害な人間が出来上がる。

いちいち自分と他人を見比べる悪癖が身につきやすく、
まぁ、それ相応な人格になる。

完璧に外部からの評価だけしか目に入らなくなると、
自己愛性人格障害や境界性パーソナリティ障害のような心理学的な問題につながるだろう。
どちらも【他者の評価と他者から見た自分の価値が気になって仕方がない】異常だ。

他人に自身をつけさせようと試みる時、この手段しかないだろう。褒めるだとか、認めるだとか。
だがこれは、歪んだ自信というか、勘違いをさせやすい方法でもある。乱用は厳禁だ。


◆3.今は例えできなくても自分はそれが出来るようになれる

・行動を起こすことそのものが目的だったりして活動的になる。

・最初から学習のつもりなので失敗は失敗でデータを取り、次に活かす。

これだけが、ほんとうの意味で、自分を信じるという意味で「自信」ではなかろうか。
自分は成長し、出来るようになれる。そういった自分そのものに対しての自信。

これならば積極性を保てるし、何よりも失敗がマイナスにならずに経験値になる。


もっとも、そう思い続けていたいから何も挑戦しないとかだったら本末転倒だが。
「本気を出せば出来る」とか「やればできる子」と言うのはダメ人間を粗製乱造する言葉だ。

本気を出したかどうか、やったかどうかの方がよっぽど重要だ。


§自分に自信がない理由は?

・自信がないとどうなるか

自分に自信がない人間は、自分のスペックを低下させている。
「出来るかどうかわからない」
「どうなるかわからない」
等、不安を抱えているので心身ともにどうしても過剰に緊張してしまう。


その結果、本来できるはずの事ができなかったり、
反対にやりすぎて逆効果になってしまったりする。


・自信とは何か

自信とは、文字通り自分を信じることだ。
実力はあるのに、自信がなくて本番では実力が出せない者や、
実力がまったくないのに、自信だけがある人間などがいる。

このように自信は実力とは独立している。
だが、正しい自信の量とは実力に釣り合った分だけの自信ではないだろうか。


問題はどちらも【実際の実力と自分で思っている実力が食い違っている】という点にある。


己の実力を理解して、信じて良い分だけ信じればいい。
もっと信じたいのなら、まずはもっと成長すればいい。
だが大抵は、「自信だけ」しか見ておらず、自信だけをつけようとする。


つまり、自信には2つある。
ただの【思い込み】と、
【正確な自己評価】だ。


・なぜ実力と自信は違うのか

なぜ自己評価が本来の実力よりも上下するのだろうか?
ここには多くの人間が陥っている勘違いが一つの原因としてある。


つまり、「自分のことは、よくわかっている」という勘違いだ。

だからこそ、「自分はすごい」と思えば自信過剰になり、
「自分は駄目だ」と思えば自信がなくなる。
要するに、【自分が考えた通りの自己認識】になっている。
実力とは関係なく。


・自信の根拠は?

では「すごい」「駄目だ」という基準はどこにあるのか?
大抵はこの基準は「周囲の人間」だ。


無意識に、そしてかなり頻繁に、人間は自分と他人を見比べている。
そして簡単に、相手より上なら「自分はすごい」、
下なら「自分は駄目だ」となる。


更に厄介なことに、
人によっては「自分はすごい」と思いたいがために勝てる相手を見つけ、
人によっては「自分は駄目だ」という証拠を無意識に探している。
これら認識した物事への上方修正、下方修正を認知バイアスと呼ぶ。思考の悪癖だ。






 


・自信と記憶

別のケースとしては根拠として【記憶】がある。
運が良かっただけといった、まぐれな成功体験に固執したり、
失敗やトラウマなどをずっと抱えていたり。


いちいち周りと自分を見比べずにはいられない状態よりは
証拠があるだけマシかもしれないが、
この場合、一つの記憶にかなりこだわりすぎる傾向にある。


たった一度の成功、
或いはたった一度の失敗、
もしかしたら他人からのたったの一言、
そういった記憶、ただそれ一つだけで自分の全体の価値を決定してしまう。


実力によっての成功、自分の甘さによっての失敗、
そういった記憶からの自分への評価ももちろんあるだろう。
だが人は変わる。成長するし、衰えもする。
いつまでも記憶を根拠に自分の価値を決めていてはいけない。




・変化する実力と更新されない自己認識

一例を挙げよう。
毎年、秋の辺りに必ずと言っていいほど50~60代くらいの登山者のグループが遭難する。


これの原因の一つと言われているのが、「自分の体力への過信」だそうだ。
通常登山をするときは登山計画を立てるらしいのだが、
この時点で計画に無理があるケースが存在する。


彼らは特別初心者の集まりというわけではないらしい。
そこそこのノウハウがあってなぜ、計画の時点で無理があるのか?


その答えは「加齢による衰え」を計算に入れていないからだそうな。


「昔はできた」、「去年は出来た」。

「「だから今回もいけるだろう」」。

そういった考えで計画し、実行し、遭難する、と。
これも結果的には自信と実力が食い違っているということになる。
ちょっと切ないが。


これは逆を言えば、実力相当の登山計画にすることや、
本番に向けての体力向上トレーニングなどで防げたかもしれない。
つまり自己認識ができていれば防ぐ方法はいくらでもあったという話になる。

まぁ全部が全部これが原因、ではないだろうけれど。


話を元に戻して、過去が良かろうが悪かろうが、
「今の自分はどうなのか?」ということを考えたほうが、
正確な実力の把握が出来るのではないだろうか。


§自分に自信を持つ方法

◆まずは応急処置を

・前述のとおり、自信がないということは自分の能力(特に行動力・表現力)に下方修正がかかっている状態だ。

・これは酷い時には日常生活に支障が出ている。
しかし周囲の人間からは、その人本人のスペックがこの程度なのだと判断するだろう。


・そうなるとまぁ、説教したり、叱ったり、見捨てたり。
「もっと自信を持て」なんて言われる事態そのものが、自信を持てない根拠にもなりうる。


・とりあえず、応急処置として考え方を変えて楽になり、そこから改めて実力をつけていこう。


◆一時的にハードルを下げる

・自信がない人の多くは目標・理想が高い傾向にある。これ自体はいいことだ。
だが、理想が高すぎて現実との距離が大きすぎる場合、「自分は駄目だ」となる。


自分がやりたいこと、やるべきことに対して「出来て当然、あたりまえ」と考えていると、
出来ない時に自分自身に失望する。
特に完璧主義者はこうなりやすい。


・一時的にそういった理想・目標のハードルを下げてみよう。
別に忘れろとか諦めろと言っているわけじゃない。
それらはどちらかと言うと【最終目標】に近く、元々出来て当然でも当たり前でもなかったりする。


今現在の自分から見て、「これができたら少し成長できたということになるな」というような目標をまずは建てよう。


・どうも自信のない人は【成長】という概念がすっぽ抜けているように見える。
「だめだ、できない、自分は一生このままなんだ」みたいな。
そんなことはない。良くも悪くも人は学習し、成長する。
大切なのは成長する方向性と、どれだけ成長したかだ。


・ちなみに何もしなくていいレベルにまでハードルを下げると一気にダメ人間になるので注意。
自称中級者が素人相手にドヤ顔で勝ち誇るような、痛々しい光景を時々目にするので。
というか、こういった連中への嫌悪感から自信を持つことに対して抵抗がある人もちらほら。


◆自信をつけるために、減点方式ではなく加点方式で自分を評価してみる

・自信がない人は「出来たこと」よりも「出来なかったこと」を見つけるのが上手い。

課題発見能力として見るならこれはこれで価値がある。


・だがやはりダメな部分を見つければ見つけるほど自信はなくなっていくのも事実だ。

減点方式での自己採点は自然と出来るのだから、反対の加点方式の採点を意識的にしてみよう。

・今日はどんな収穫(学び・気付き・成果)があったか?など、自分の一日を振り返る。

あくまでも【加点方式】の視点で振り返ること。
減点方式の視点はやろうとせずともやってしまうだろうからここでは意識してオフに。


・ハードルを下げるにせよ、加点方式にするにせよ、初めは心からの安心など到底出来ないだろう。
だが、マイナス一直線だった自己認識に対して反対方向の思考を育てることは、
心のバランスを取るための一歩となれる。

§自信過剰と自信喪失

◆自信の有無は上下する。

わかり易い例で言うなら、
告白してオーケーされれば有頂天、「やっぱなし」と言われればヘコむだろう。

特に他者からの評価に基づく自信は上下しやすい。
彼らの感情やテンションが安定しないのもこれが原因の一つだろう。


冒頭の3つの例で言うなら


1.自分の実績への自己評価→上がりっぱなしか下がりっぱなし

2.他者からの評価依存→他人の言動次第で乱高下する

3.自分が成長することを信頼している→一番安定しており周囲には流されにくい


というわけで、自信過剰・自信喪失が頻繁な人間は、
ほとんどが【他者からの評価依存】の自信を持った人間だ。

簡単に言うと周りを気にしすぎ、ということになる。


◆自信過剰について

自信過剰は「実力以上に自信がある」状態だ。
能力がない人間がでしゃばった結果、致命的な自体になることもあり得る。

できないくせに「できる」
やってないくせに「やっている」
など、酷い時には言葉が通じない。

極度のナルシストの自惚れでもない限り、こうなる理由は他者からの評価依存に他ならない。

また、この状態は本人にとっては万能感が有り、心地よいものだ。
その状態を維持しようとして、自分が有能な証拠をかき集めようとすることもある。

時には他者を見下したり、判断基準をねじ曲げたり、
結果的に1のタイプの上がりっぱなしの自信になるケースも有る。

自信だけを身につけようとした成れの果てとしてこうなってしまうことも多い。
自信家のすべてがそうだとは言わないが、自信は実力の後からついてくるものだと知った方がいい。


◆自信喪失について

自信喪失は二種類ある。

自信過剰が分相応に「落ち着いた」状態と、
元からあった自信に対して、何らかのきっかけで疑問を持つようになった状態だ。

前者はまぁ、どうでもいいや。自業自得ってことで。
後者については更に何が原因だったのかを考える必要がある。

・他者からの否定的な意見
・自分ができると思っていたことができなかった
・当たり前と思っていたことが当たり前じゃなかった


悪意ある他人の言動から理不尽な認識を植え付けられることもある。
その自信喪失が当然のことなのか、そうではないのかは一度考えておいた方がいい。
さて、やっぱり本当に自分は思ってたより大したことなかった場合。

・成長してできるようになるか
・綺麗さっぱり諦めるか
・いつまでもそのままか

極端だがこの3通りしか無いだろう。


出来るようになれば本来の自信を正当な形で取り戻せるだろう。
実力があるという確信を持つおまけ付きで。


きっぱり諦めるのもそれはそれでメリットは有る。
終わったこととして気持ちの整理ができるし、
次の目標に進んだり、探したりはできるだろう。


いつまでもそのままなのはおすすめしない。
こんな状態にいつまでもいたい人もいないだろうが。
精神衛生上よくないし、積極性が死んでいく。
行動しないから成果もなく、「自分は駄目だ」という確信が強まってしまう。

最終的には克服するか、諦めるか、そのどちらかを選ぶことにはなるだろう。
ただし急ぐことはない。はっきり言って、気分次第で人間の出す結論なんぞ変わるものだ。


・落ち着いたら

何か一つが期待通りじゃなかったとしても、全てがそうではないだろう。
自分は何をやってきたのか?自分は何が出来るのか?
加点方式で自分を見なおしてみよう。


§緊張して実力が発揮できない

自信がなくても、やらなければいけないという場面はある。
そういったステージに立たされて、緊張してしまうこともあるだろう。


基本的に不安や恐怖は記憶しやすいし、思い出しやすい。
これは人間が野生だった時の名残、本能だろう。
危険に対して鈍ければ、絶滅するからだ。


そういった危機が予測される状況になると、人の体は緊張する。
逃げるか、戦うか、すぐに選べるように目の前のことだけで頭がいっぱいになり、
すぐに対応するために脈拍が上がり、呼吸が荒くなり、血圧も上がる。


災害時などの危機的状況では適切な状態だろうが、例えば何かの発表会だとかプレゼンだとか、そういった時にはこれは間違った準備となる。


さて、本番当日に緊張するのは仕方のないことだ。
うまく出来るかどうかはやってみなくてはわからない。
未知のことに対して不安が生じるのは自然なことだ。


やるべきことは、「実力を発揮すること」。
そのためには緊張は和らげる必要がある。


まず、「緊張してしまった」ということに対して自分を責めないように。
これは自然なことだ。練習は十分でも、本番の経験が豊富と言うのはなかなかないのだから。


そして他人の視線や評価はまずは置いておき、自分のやるべきことだけを考えよう。
評価はやったことに対して下される。
本番前や最中に気にしたって仕方がないし、気にした結果パフォーマンスが落ちたら本末転倒だ。


この場合は、自分が本番までに積み重ねてきた練習や準備を信じよう。
「やれるだけのことはやったのだ」と。そういった意味での自信を持とう。




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