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「人生疲れた」と思うのはなぜ?

「人生疲れた」と思うのはなぜ?


「人生疲れた」
「人生つまらない」
など、人生に大して漠然とした不満を抱えている人が多い。


漠然とした気持ちなので、何に疲れたのか、どうしてつまらないのか、
具体的なことは本人にもわかっていないケースがある。


彼らは何に疲れたのか?
そこから立ち上がるにはどうしたらいいのだろうか?




・「他人の価値観」を生きている

やりたいこと、続けたいこと、挑戦したいこと。
これらは本来、自然と見つけて、そう思うものだ。


だが大抵は邪魔が入る。必ずと言っていいほど邪魔が入る。
それは親だったり、兄弟姉妹だったり、浅いつき合いの自称友人だったりする。

「そんなことはやめなさい」
「それに何の意味があるのか」
「下手じゃないか」
「出来ないじゃないか」
「失敗したじゃないか」
「自分のほうが上手い」
或いは無言で鼻で笑うなど。

これらの言動は大抵、幼少期より浴びせられ続け、頭の中にこびり付く。
こういった他人の価値観、時にはただの思いつき、時には悪意によって発せられた言葉で、


そのうち「なにか初めたり挑戦してみたりすると恥をかく」と思うようになる。
萎縮してしまうわけだ。




・負の連鎖

大人になった頃には(もしかしたらそれよりはるか前から)、
周囲の人間と同じ言葉を口にし、
他人を諦めさせ、時には足を引きずり、
自分のやりたいと思ったことも同じように否定し、
誰から見ても無難な「つまらない人生」を送る。
そして同じく「つまらない人生」を送っている人間同士で寄り集まる。


だからそうなる頃には新しいこと、やりたいことはできなくなる。
周りの人間達から逸脱したくないから。
端的に言って「恥ずかしく」感じるのだ。


一般的な人生を送れるのは別に問題ないだろう。
だが、人生のフレーバーとでも言おうか、
趣味や好みと言った本来自由であるべき選択すら、
自分で否定して、
自分で可能性を潰して、
自分で諦める。
そのうち「やりたい」という気持ちすら鬱陶しく感じる。




・同じことの繰り返しの人生になる

人生に対するよくある不満の一つ、「毎日が同じことの繰り返し」というのも、
つまりはそういうことだ。
何かが起きるようなチャンスは全部自分で潰している。


そりゃぁ人生が無味乾燥だと感じるだろう。
フレーバー(風味・香味)が無いんだから。


このような、挑戦したい気持ちなどを周囲・そして自分で潰し続けて生きてきた、
年季の入った「無気力」は人生をつまらなくさせる理由の一つだろう。
そして、本当は挑戦したいのに、周りから逸脱したくないと我慢し続けることは、
「人生に疲れる」原因だろう。


なぜならあなたの人生ではなく、
他人が自分の都合で思い描いた「あなたはそうであるべき」という価値観、
そして自分がやられたことを今度は他人にやるという、
「負の連鎖」を行なう人生になってしまっているからだ。






 

・「周りの人間」は人生を左右する要素である

例えばあなたが一生遊んで暮らせるほどの莫大な定期収入があり、
体も健康そのものだったとしよう。
この時点では幸福だ。

極端な話、周囲の人間が全てフレネミー自己愛だったとしたら、
最悪な人生であること間違いない。


反対に人並みよりやや下の収入で、風邪をひきやすい体質だったとしよう。
まぁちょっと恵まれているとは言い難いね。

でも周りの人間が、あなたを好きで、あなたを理解していて、
あなたも彼らを心から信頼していたらどうだろうか?

「幸福」だと言ってもいいのではないだろうか?


周囲の人間に恵まれるのは運が必用だろうか?

残念ながら親兄妹は選べない。
幼少期の人間関係は大体親に決定権がある。
住んでいる所の民度が低ければクラスメイトにも恵まれないだろう。
地域単位の人間性の違いは間違いなく存在する。

では自分で環境を良くするにはどうしたらいいか?


よく言うのが「同じ価値観」「好みが同じ」という条件だが、
これだけでは足りないだろう。
実際、当人が好きなことが、
「大嫌いな奴が好きだったから嫌いになった」というのもよくある話なわけで。


先ほどの他人の価値観、負の連鎖の話を元に考えると、
「価値観は個人個人で違う」ということを理解していること、
フレネミー自己愛のように「まとわりついて邪魔をする」人間ではないこと、
そんな条件を満たす隣人に恵まれれば、あなたはあなたの人生を歩けるはずだ。


隣人は有益である必用はない。それを他人に求めるのはなにか間違っているだろう。
「自分」の人生であるためには、隣人は「無害」でさえあればいい。


同じだけあなたも隣人に対して「無害」でなければいけない。
それができれば人が集まってくるだろう。
あとは人を見る目を磨くだけ。

無害でいられないのなら、そのうち1人になり、
また古巣である「つまらない人生」を送る人々と、
牽制し合いながら一緒に過ごすことになるだろう。

カテゴリ:ライフハック

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