だが、物理的に自慢話を聞くのが有害だという証拠がある。それを紹介しよう。
§大抵は自慢話は下らないしつまらない
§自慢中毒
§自慢話を聞いている時に出るコルチゾール
意気揚々と声をかけてきて、いきなり始まる自慢話。内容はほとんどがつまらないか、下らない。少なくとも自慢できるようなことじゃなかったりする。
誇張があったり、まるっきり嘘だったり、認識障害じゃないかと疑うような自慢をしてくる者もいる。
昔はチンピラだった自慢とか、不幸自慢とか、全くすごいと思わないことを自慢する人間もいる。子供の時、万引きしたことを自慢している馬鹿なクラスメイトがいた。今そいつが社会人をやっているかと思うと気持ち悪い。
本当に「すごい」と思えるのなら聞く価値はあるけれど、そういった話はあまりない。
彼らは本当に下らないことを「すごいこと」だと思っているのだろうか?
自慢話をする時、している側には、快感や多幸感を感じさせるドーパミンが分泌されることが知られている。ようするに「気持ちがいい」わけだ。特に男性は強くこれを感じると言われているが、世の中見渡してみると男も女も関係ないと思う。
「下らない自慢話」ばかりなのもこれが理由だ。ネタはそれほどないが、また快感を味わいたい。だから「自慢できそうなこと」のハードルがどんどん下がっていく。
最終的に同じ話を何度もするか、特別でもなければすごくもないことをさも得意気に言うようになるか、出身地や血液型、性別なんていう「持って生まれた物」に対して優越感を抱き初め、「いつでも自慢できる」ようにする。工夫や努力が欠片もないことを自慢されても学べることは何もない。
簡単に言うと、「なんでもいいから自慢をしたい」というだけだ。
先ほどの馬鹿なクラスメイトの話だが、彼もまた「自慢するため」に万引きをしたのだろう。よく覚えてないが10円くらいの品物だったはず。冒頭のチンピラ自慢も同類だと思う。
厄介なことに快感を感じることは我慢する気が起きない。特に本人に問題意識もない限りはまたその快感を得ようとする。こうしてある種の「常習者」になる。ドーパミン中毒とでも言おうか。
ちなみにアルコールやギャンブルを初め、各種の依存症の原因としてドーパミンが関係していると言われている。
もちろんその対象が健全或いは無害なものであるなら何も問題はない。成長や学習にドーパミンが出るのならそれは習慣となり、その人はとても有能となるだろう。
問題は自慢されている側。自慢「されている」時は、ドーパミンとは反対にストレスを感じる物質を分泌していることが明らかになっている。
ストレスを感じるときにコルチゾールというものが分泌されるのだが、これが自慢話を聞いている時には出ている。
「量によっては」と前置き付きだが、コルチゾールには以下のような体への負担が挙げられている。
血圧を上げる
血糖値を上げる
免疫機能を低下させる
不妊
(大量に分泌された場合)脳の海馬を萎縮させる
海馬はご存知、記憶に関わる部分だ。PTSD患者のMRIからは萎縮した状態になっている海馬が観察されるらしい。
もちろん体が出すものだ、適量ならば体に取っては必用なのだが。睡眠時・起床時のエネルギーを作るのもこのコルチゾール。なんでもかんでも「ストレス物質」って言っていいわけじゃないね。
問題なのは他人が気持ちよくなるため自慢話をしてきて、そのせいで聞いてる側はコルチゾールが出すぎるということだ。他人の中毒で海馬がやばい。
自己愛性人格障害は精神の吸血鬼とも呼ばれるが、納得も行くだろう。加害者は潤い、被害者は枯れるのだ。「吸い取っている」ように見えたり感じたりしても全くおかしくない。
規模は自己愛ほどじゃないが、システムは同じだ。常習性も。説教についてもこれと同じことが言える。というか、説教と自慢が混ざってるような連中が多いだろう。
あまりにも下らない自慢や説教をしてきて、しかも相当しつこいならば、その者との距離感を考えなおしたほうがいい。はっきり言ってしまえば、「蚊が腕に止まったら叩き潰すだろう」。エスカレートしないとも限らない。
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