完璧主義者。なんでも完璧じゃないと気が済まない。
周りからは大抵ちょっとめんどくさい人だと扱われる。
何故か自分が完璧主義であることに苦しんでいる人がいる。
それどころか、「うつ」の原因となり得るとさえ言う。
驚いたんだが、完璧主義は精神医学では精神疾患の一つとされることも多いそうだ。
・・レオナルド・ダ・ヴィンチは、手がけた作品数が多い割には完成させた作品が少ないことが知られている。手法の研究に熱心だったのも理由の一つだが、やはり完璧主義だったことも理由の一つとしてあげられている。
どのくらい完璧主義だったかというと、自分の葬式のプログラムすら綿密に考えていたと言う話もあるくらいだ。
好意的に見れば妥協せず、責任感が強い。
悪く言えば融通がきかず、柔軟性がない。
完璧主義者は「決められたことを完ぺきにこなす」タイプの職業には最適だそうだ。
100点満点でなければ「意味が無い」。彼らは100点満点以外は【0点】に等しいと考える。
無駄な苦労はしないほうがいい、ということで初めから手を付けない。または途中で投げ出すなどが増える傾向にある。
残念ながら人間は完璧には出来ていない。だからこそ挑戦と成長が求められる。
完璧主義的思考はそれらの機会を避け、潰す。
どうもこれらの考え方には、彼らが特殊な【他人の目】を想定しているのではないかと思う。
これには不可抗力な部分と自業自得な部分がある。
他人には「これで大丈夫」なことを必死にそれ以上にしようとやっていると、当てつけがましく見えるから嫌われる。態度に出さなくても。これはまぁ、不可抗力な部分。
もう一つの原因は、完璧主義者はあらゆる評価を「減点方式」で行うことだ。完璧なのが100点。駄目なところを見つけて減点していく。一つでもあればアウト。
物の見方がこのスタイルだと、100点満点なんて存在しないことに気づくだろう。問題はいくらでも見つけることができるからだ。
他人にもこのスタイルでいるのなら、お前はダメだと騒ぐうるさい奴になる。周りは良い気はしない。挙句「向上心がない」「やる気があるのか」と失礼なことをいい、嫌われる。
物事の折り返し地点というものは、ちょうど半分の位置だとは限らない。
100点満点の道への中間地点が70点だった場合、100点の作業を一つするのと70点のクオリティで2つを仕上げるのとが同じ労力、同じ時間になる。
合格ラインが70点以下なら尚更だ。そこから先は自己満足の領域になる。
これが仕事だった場合本人は完璧な仕事に満足するかもしれないが、仕事としては「いらない細かさ」でしかない。結果的に「アイツは仕事が遅い」となる。
ただしこれは何かの訓練や練習においては該当しない。その状況ならば100点を目指すのが正しい姿勢だ。
自分に対しても害がある。脳に。何かをやり遂げたり、困難を乗り越えたとしても報酬系が働かないからだ。いつまでも満たされず、ストレスが溜まる。そのうちやる気が無くなる、鬱になる、注意力散漫になるという可能性がある。
自分の成果に満足できないため、常に欲求不満の状態となっている。
人は満たされたい欲求を持っている。ドーパミンが分泌されるのは何かを得たときだが、人間関係におけるコミュニケーションで「満たされた」と感じられた時にもドーパミンが出る。(一説によると、こういった人間同士の社会的な充足感の方が、単純な欲求を満たすことよりも満足感が強いらしい。)
さて、前述のとおり自力で満足感を得られない完璧主義者は、何かでそれを補わなくてはならない。
そして人間が対象の方が満足感が多い。
本人は「完璧主義者」だ。
これだけ材料が揃えばどうなるかは自明の理だ。「自分はここまでできている」「お前達はできていない、やろうとすらしていない」と周りを馬鹿にし、満足感を得るようになる。
自力じゃ得ることができない満足感。
他人を馬鹿にすればそれを得ることができる。
言うなれば、勝手に断食初めて我慢できなくてそこら辺の人間に齧りついてるようなものだ。周りは迷惑以外の何物でもない。言ってることは一応まともなので表立って反論もしない。水面下でヘイトは高まり、気づいた時には周りに誰も寄り付かなくなる。
彼らは目の前の問題に全力で取り組む。100点を目指して。
その問題に【100点満点の答えがあるのか、そしてそれが必用なのか】は考えずに。
これは自分で合格ラインを決められないからこそ。100点満点じゃないと落ち着かないからだ。この部分に【条件付き愛情】の影を見ることができる。
【出来無いからやらない】の項目で少し書いた【他人の目】の話。
これは大体は親に仕込まれるものだ。
簡単に言うと
と言った風に調教される。子供が思考、自由などを持つことを許さず、コントロールしたい願望を持つ親が大体の原因だとされている。子供を自分の付属物やペットのような扱いをする親。
行き着く果ては「自分で考えるな。何が良くて何が悪いかは親が決める」と言うところまで洗脳する。親によっては無意識に、善意で、「教育」「愛情」「躾け」と称して。
「言うことを聞かなかったら」が大きくなるにつれ、人の心の機微が分かるようになり、無言の期待(要求)を察するようになる。そして「期待に答えられなかったら見捨てられる」に成長してしまう。
染みこんだ価値観が「完璧じゃなければ見捨てられる」と思わせる。
人の目が有るときはもちろん、それを通り越して一人でいる時でも見張られている感覚を持っている人もいる。
周りが迷惑しない程度には自分で決めていいんだよ?と言う話。
前述のとおり完璧主義者のイメージする100点満点が求められる機会自体があまりない。完璧主義者にとっては無能がのさばってる世界に見えているかもしれないが、彼らは効率よく本来の合格ラインの点数を稼いでいるのだろう。
本人が自分の性分に苦しんでいるのだと仮定した上での話だが、100点を99点にするだけでも意味がある。失敗を織り込むことができるからだ。
立場上求められるクオリティを損なってはいけないが、自分で決めた通りにできないという話なら、例えば一つまでなら許容するというのはどうだろう。
別に一生できないままじゃない、気になるなら後で練習でもすればいい。それだけでも周りとの齟齬、特に【時間泥棒扱い】は大分マシになるのではないだろうか。
完璧主義者が70点のものを100点にしようとする労力・時間で、もう一つの70点の仕事が出来るのではないか?と考えてみたらどうだろうかと言う話。
仕事でもプライベートでも、一つのタスクだけ終わらせれば一日の作業が終わるわけではないだろう。他にもやるべきことは有るはずだ。
マラソンで42.195キロ走らなきゃいけないのに、スタート時点で全力ダッシュしたら一位どころか完走すら不可能だ。完璧主義者が途中で投げ出すことが多くなるのはこれが理由だ。過集中に近いのではと思う。
要するに、ペース配分せずに走り続けるから倒れる。そのうち走れる距離しか走らなくなる。もうマラソンじゃない。ジョギングだ。
まず一定の期間、一日でも、仕事の終了予定日でもいいけど、そういった長い期間で見て、完走することが出来るペース配分で作業に当たろう。労力・時間ともに。恐らくすべての作業に100点満点を目指している余裕なんて無いはずだ。「目処」をつけなくてはいけない。
大抵はそういったスケジュールで物事は進む。完璧主義者に必用なのは自分で合格ラインを決めることだ。恐らくだが、普段はこれを決めていない。「合格ラインがわからないからやり過ぎるぐらいまでやろう」、こんな感じなのではないだろうか。
これは前述の条件付き愛情などの弊害とも言える。自分でゴールが決められないのは、「親がそれを決め続けてきたからだ」と。まぁ親じゃなくて別の誰かかも知れんが。
彼らは、だからこそ、思いつく限りのベストを尽くそうとしてしまう。そして問題は次から次へと出てくる。探し続ける限り、見つかり続けるだろう。
理由は簡単だ。価値観を切り替えれば良い物が悪いものになるからだ。全ての価値観に於いて完璧に文句なしの物事は存在しない。ステーキは普通食べ物だが、ベジタリアンにとっては動物の死体だ。
問題を探し続ける限り、自分のやったことに対してこういったマイナス評価をする価値観を見つけてしまうだろう。必要以上に。
前述したとおり、決められたことを完ぺきにこなすことが求められる職業にとって、完璧主義は最適の人材ではあるだろう。
人命が関わるような、交通機関などでは勝手なことや適当なことは許されない。
また、職人はクオリティを追求してなんぼだ。
一般的にはこれらはプレッシャーだが、完璧主義者が今のままで受け入れられる環境としては候補に上がるのではないだろうか。
なんでもかんでも「良かった探し」すればいいわけじゃないが、できてるはずなのに評価が不安だとか、そういった気苦労を抱えている人には有効だろう。
明らかに減点方式の思考回路が発達している状態ならば、この考え方もまたバランサーとして機能するだろう。ただし、意識的にする必要はある。なにせ完璧主義者の減点方式は無意識的に動いているからだ。
注意点として、完璧主義者は特に加点対象であるポイントを「当たり前」だとスルーしがちだということだ。なのでむしろ【できて当たり前の部分がどれだけできているか】と言った考え方をしてみたほうが良いかもしれない。
当たり前のことをいつもしっかりとやり続けるのは立派なことだよ?
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