人を見る目を養うには?
人間不信の大元の原因は、大抵は「人に裏切られた経験」からだ。もう傷つきたくないから、人と関わることそのものを避ける。
自分勝手な連中に、人生を台無しにされてもつまらないだろう。1人では生きていけないから、嫌でも他人と関わらなければいけないわけだし。
人を言葉だけで見るな
大抵の人間は「いい人」に見られたい。言動を取り繕うし、時には嘘もつく。中でも「言葉」は何よりも偽装しやすい。名台詞を暗記して口にすれば、それでかっこよかったり、立派な人だろうか?それならカラスや九官鳥だって出来るではないか。
「言ってることとやってることが違う」というのは大きなポイントだ。また、発言がブーメランだったりするのもよろしくない。自覚がないか、バレてないと思っているか。
これらは意識無意識、悪気のあるなしにかかわらず、程度の差こそあれ人間ならやらかすことだ。結局のところ「あんな人だとは思わなかった」というのは往々にしてある。一生取り繕えるなら、本物としてみてもいいと思うけれど。それは「理性的」ってことだからね。
そんなわけで、多くの人間が自分を飾る。必要なのは人間に対しての「鑑定眼」なわけだ。分析して、総評を決める。
だからこそ決め付けや偏見というものは、悪人を招き入れ、将来の親友になったかもしれない人を遠ざけることになる。
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決めつけてはいないか?
ダメなお手本として血液型がある。A型がどうこう、B型がどうこうと。初対面で血液型を聞き出してきて決め付けるタイプの人間も居るね。
さて、血液型教信者は人の血液型を知ったらもう「そういう性格の人」にしか見えなくなる。自分の血液型のイメージと一致する部分しか見えなくなる。確証バイアスというものだ。
こういった偏見・決めつけは、実は相手と距離があるなら実害はない。あなたが決めつけによる害を相手に与えているかもしれないが。(ブラッドタイプ・ハラスメント呼ばれ、迷惑な存在になっている)
だが、まぁ深い仲になれば、嫌でも今以上にいいところ、悪いところは見えてくるわけだ。その時に「騙された」「付き合う前と今とじゃ違う」なんて言ったところで、手遅れなわけで。
人はわからないことを、わからないままにしたくない。だからとりあえずで「あの人はこういった人」と決める者も入る。だがこれは、先程の「鑑定眼」の例で言えば、金メッキだから全部純金だろうというアホな鑑定結果でしかない。
こういったなんらかの「決めつけ」をする限り、人を見る目は成長しないだろう。確証バイアスなどで後付で「そういうことにしてしまう」ことができるから。
決め付けそのものは無意識的にやってしまうかもしれないが、「自分は今のところ、とりあえずこう思っている」程度の認識にしておこう。
いずれにせよ、その人に対して仮説と修正を繰り返す必要はある。別に練習として赤の他人と新しく知りあう必要もない。今回りにいる人たちを見る目を、一度リセットしてみたらどうだろう。
少なくとも、「自分には人を見る目がないんじゃないか」と思った人は、そこら辺の人間よりも成長したってことじゃないかな。
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