理不尽な目には絶対に遭遇する
パワハラや
モラハラ、
セクハラなど、あなたを理不尽な目にあわせるのは、自分以外の「他人」の言動や欲を含めた都合、価値観。
被害者を演じてこちらを加害者に仕立て上げ、コントロールしようとする人間もいるし、自分のことしか全く頭にないから何をやっても(例えそいつが親切のつもりでも)迷惑なやつもいる。
他人はコントロール出来ないし、あなたの都合や気持ちを理解しているとは限らない。
故に誰にでも、理不尽な目に遭う可能性はある。
大抵の理不尽は、予測可能・回避不可能。
「諦めて受け入れろ」というつもりはないし、仮にそうやって諦めた人間ばかりになったら世の中が自己愛と共依存だらけになる。
B級映画風に言えばジョックとナードのように。
ジョック(体育会系いじめっ子)はアメリカでは社会問題らしいね。
ホラー映画ではだいたい中盤でみんなを裏切って一人だけ逃げようとしてモンスターに食われて死ぬ役だけど。
ジョックが食われて「ざまぁ」、ってところまで様式美なようだ。
理不尽な目にあった時にどのように捉えるべきなのか
よくあるのは、一時的なことだからやり過ごす、もっとひどい目にあっている人に比べればマシだから大丈夫だと自分に言い聞かせる、といったように我慢するか、自分の認識をすり替えて大したことじゃないと自分を説得するかの2パターンなんだけど、これ悩んでて検索した人とか納得いくんだろうか。こういう答えで。
いやまぁ、ちょっとしたムカつく程度のことでなら、上記のパターンが適切だとは思うんだけど、悩むほど深刻で、例えば夜思い出して眠れないだとか、休日でもフラッシュバックしてしまうような場合。
これらが出来たとしても認識障害というかポリアンナ症候群になるのが成れの果てではないだろうか。或いは限界が来てうつ病とか。
これは最初に言ったとおり、「他人」つまりは相手がいる問題だ。
あなたに悪意を持っている人、ただ単にデリカシーのない人、色々いるわけだけど、単純にあなた一人が我慢し続けてどうなるだろうか。
やり過ごすことは出来るかもしれないが、それが終わることはない。
悪意のある人間やデリカシーのない人間が、自分の行いを恥じて改める可能性はゼロだろう。
少なくとも、それはあなたにとって不快なのだと、相手に伝えるべきだと思う。
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