完璧主義者はうつ病になりやすく、完璧主義そのものが精神疾患として扱われる場合もある。
人間関係で齟齬が起きやすく、意外なことに本人は自覚のない自然体のつもりであることも。
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仕事を抱え込んだり、いつまでも終わらなかったり、周りに嫌われたりとあまり良いこともなく、治したいと望んでいる人も多い。
完璧主義を治すにはどのような方法があるのだろうか?
完璧主義の理由の大半は【環境】と、そこから作られた価値観、人との繋がり方の認識にある。
典型的な例では親からの【条件付き愛情】が挙げられる。
・【親に利する行為】では褒められる。
・【親の機嫌を損なう】と、叱られる、無視される、嫌われる。
親がアラ探しばかりしている人間だと悪い所が目につき、子供に指摘する。時には嘲笑し、心底馬鹿にする者も入る。
どうも一部は親の方に既に完璧主義の素養が有り、子供に伝染している感じがする。
◆子供が受けたテストが95点だったとしよう。クラスの平均点が80点くらいで。
周りよりは良い出来だ。子供は親に褒めてもらえると期待してちょっと得意気にテストを見せる。
親は言う。「ここ、間違えたね。どうして間違えたの?」。
子供は失望しながら受け答えをし、そして一人になってこう思う。
「そうか、95点じゃ褒めてもらえないんだ。
みんなより良い成績とかじゃ意味は無いんだ。
間違いが一つでもあったらいけないんだ。
100点満点じゃなきゃ駄目なんだ。」
より上を、とか厳しく躾ける、というのもあるのだろうけれど、教育や躾け以前にもっと単純なこと、【認められる】ということが満たされないと子供は不安になる。
子供が親に見捨てられることは野生では死を意味する。子供は必死になるだろうさ。
命がかかっているのだ。本能的に【親に気に入られようとする】。
最悪なことに子供のこの心理を察知し、逆手に取り、コントロールしようとする親さえいる。まぁ将来子供がその親の介護を放棄したとしても不思議じゃないね。
とにかく子供はこう結論付けるわけだ。『次は100点を取らなければいけない』。
この時の子供の認識は、身も蓋も無いことを言えばこうだ。【100点取らないと死ぬ】。
はっきりとこうは思ってはいないだろう、もちろん。無意識的な話だし。
だが完璧主義者の【完璧】に対する言葉通り【必死な】拘りは、【命がかかっている】と思えば納得できるのではないか?理性ではなく、本能で。
「何でもかんでも親のせいかよ」、と言う声が聞こえてきそうだが、親が与える子供への影響は致命的に大きい。人生が狂うほどには。
現に【死んで欲しいくらい嫌いな親】と、感情表現が生き写しなレベルでそっくりな人間は沢山いる。本人もそれに気づいていて、かなり深刻な自己嫌悪になることもある。
確かに些細な事だ。大人でこの程度のことを気にしていたら笑われるだろう。
だが子供によってはトラウマとして脳に刻まれる。もし上記のような体験がたった一度のことでもだ。
実際、子供が親に対して持っている恨みは、親からしてみれば「そのくらいのことで?」と思うことが多い。フォローできるような愛情が感じられないのなら、その体験は消えずにいつまでも残り続ける。
さて、トラウマになると自動思考となる。足りない部分を無意識に探し、見つけたら対処しなければいけないと言う強迫観念として機能する。
幼少期、かつ無意識的なものなので本人に自覚がないタイプの完璧主義者が多い。その分『当たり前だ』と自分の基準を他人に押しつけがちになる。
こちらはわかりやすい。
何か失敗した時に周りに笑われた、バカにされた、こっぴどく怒られたなどの過去のトラウマから、「失敗してはならない」と自らに課したタイプ。
本人もまた心あたりがある場合が多い。
こちらの場合も先ほどの【環境】の話と大して変わらない。
残念ながら(本当に非常に残念だが)人間は群れの動物だ。
ナチス政権が昔実験した所、素手の成人男性が中型犬に負けたとか、ある獣医によれば「人間はチワワに負ける。猫にも勝てない」レベルで弱いとか。鍛えた人間は話が別らしいけどね。
そんな頭でっかちな動物である人間だ、群れていなければ命に関わっただろう。
失敗による嘲笑、罵倒などは、本能は【社会的生命の危機】と捉える。
失敗したら群れからはじき出される、群れからはじき出されたら死ぬ。周りに対して表立って怒ることも反論することも出来ない場面も多い。
ではどうするか?出された結論は【失敗しなければいい】。この場合、行き過ぎて『失敗したくないからやらない』など、消極的な完璧主義者と言うか、自信喪失状態にまで行ってしまうケースも結構ある
完璧主義は認知的な問題であり、考え方を軌道修正するのが効果的だ。
100点取れなかったら死ぬんだったら少子化どころの騒ぎじゃないだろう。当たり前だ。
また、【採点者】に能力が有るかどうかも甚だ疑問だ。
人は思いつきで物事にケチを付けれる。自分より能力が上のものにも、だ。そういう人格障害も有る。
本来の採点基準でパーフェクトだとしても、別の基準から見ればそうじゃないことも有る。
要するに、キリがない。
優柔不断なタイプの完璧主義者には周りの目を気にしすぎるという特徴もある。それが必用な場面もあるが、【要らない・邪魔な意見もある】ということを覚えておこう。
条件付き愛情の例で言えば、それは【親の視点・親の好み】でしかない。
トラウマの例で言えば、評価は所詮【他人の視点、他人の都合】だ。
完璧主義者は他人の視点や評価、価値観に左右されすぎる。
【自分にとって及第点かどうか】。この視点を持ち、育てよう。この辺りはアドラーの【課題の分離】が使えるだろう。
また、フレネミーや自己愛は子供の時から既にその片鱗を見せていることが多い。あざ笑うものがこの手の類の人間なら、気にしてやる価値は全く無い。むしろ毒だ。
完璧主義者は減点方式でものを見る。何か一つでも駄目な所があればそれだけで【失格】としてしまう。
これは自信喪失に繋がる。完璧主義者がうつ病になりやすいのもこの辺りが原因の一つだろう。
思考のバランスを保つために、反対の加点方式の評価も行おう。
・何ができたのか?
・どれだけできたのか?
・前と比べて成長できたか?
コツはゼロから数えること。完璧主義者は【出来て当たり前】だと思いすぎているので、加点対象を見逃してしまいがちだからだ。
はっきり言って、最初はどれだけ加算できても、成長したところを見つけても、大して嬉しくもないし、安心もしないだろう。
だがそれで構わない。目的は達成感を味わうだとか、安心するためだとか、そういったことじゃない。
意識的に加点方式を行なう目的は、認知と思考のバランスを保つためだ。
減点方式を無意識的に行ってしまうのなら、加点方式も同じだけ行い、物事の全体を正確に把握することに努めよう。
『ここが駄目だ』だけじゃそれを直した時、できていた部分が新たにダメになったりする。
『ここが良くて、ここが駄目だ』なら必然的に、ではどうするのか、それが可能なのかどうかも判断しやすくなるだろう。
◆
はっきり言って、私は完璧主義者に向かって『生まれ変われ』というつもりは全く無い(今回取り上げなかったが攻撃手段として完璧主義を名乗っている連中は別だが)。
完璧主義の【偏り】は、上手く自制できれば非常に有効な能力となると考えている。簡単にいえば、『スイッチのオンオフができれば役に立つ』のではないかと。
まぁそうなるためには完璧主義が軽くなり、コントロールできるようになるのが前提になるのだが。
ただ、残念なことに視野が狭いというか、『どうでもいいことにこだわり過ぎ』な完璧主義者が多い。周りの目を気にしすぎるとか最たる例だ。
だからこそ、思考のバランスをネガティブでもポジティブでもなく中庸に保ち、少しリラックスして、本当に進みたいところに進んでいってもらえたらいいんじゃないか、と思う。
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