自分に勝つか、負けるか。 インナーゲームについて
大抵の人間は、「自分に負けている」と思ってるか、なんとかギリギリで立っていると言った心境ではなかろうか。もしかしたら「自分が嫌い」だなんて思ってるかもしれない。
その「犯人」と、「勝ち方」について。
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◆インナーゲーム
W.ティモシー・ガルウェイ(W. Timothy Gallwey)が提唱したスポーツ心理学。この中で彼は人間の意識はセルフ1、セルフ2の2つに別れていて、セルフ1(命令者)がセルフ2(実行者)の邪魔をしている、とした。
彼はテニスコーチとされているが、ビジネス方面でも著名。インナーゲームの概念もテニスやその他スポーツに関わらずビジネスでも採用されている。
アウターゲーム(外側の勝負)とは別のインナー(内面・心理的)のゲーム。
セルフ1は失敗への恐怖、警戒やそれに対しての叱責、罵倒、強制の形でセルフ2に「語りかける」が、実際の所抑制、萎縮しか生まないのが問題となる。
簡単にいえば、勤務中に
パワハラモラハラしかしてないバカ上司みたいなのがセルフ1、黙ってプルプル震えてるのがセルフ2。まぁ、実力発揮するどころじゃないね。
このセルフ1は「批判者」ともされる。セルフ2が何かやろうとした時に「失敗するぞ」と野次を飛ばし、実際にヘマやらかしたら思いっきり罵倒する。
◆セルフ2は言葉がよくわからない
脳的にどの部分に該当するのかは情報がないのだが、セルフ2は「言葉があまりわからない」とされている。でもセルフ1は言葉によって命令を下すので、「何言ってるかわかんないから実行できない」という状態になる。
例えるなら上司がヴォイヴォディナ自治州出身でパンノニア・ルシン語でなんか怒鳴ってきてるようなものだ。しかもそれしか喋れない。
なんか言ってる。なんか怒鳴ってる。表情とか声の調子とかでそれはわかる。でも何言ってるかわかんない。つまり「どうしていいかわからない」。
さぁリアルでこの状況なら(ねーよ)どうするか。「萎縮」するだろうね。何もできなくなるかもしれない。なにせ何が悪いのかどうしたらいいのかさっぱりわからないからだ。セルフ1がセルフ2にやってることはこれと同じだ。実際緊張状態では筋肉のこわばりなどが確認され、脈拍も上がるし、呼吸も荒くなる。
挙句の果てに、セルフ1はセルフ2に言葉が伝わらなかったことから「次はもっと強く」セルフ2に言い聞かせるようになるのだという。完璧に悪循環。
うつ病の直接の犯人もセルフ1じゃなかろうかと思ってる。彼らは異様に自責の念と自己嫌悪が強い。一部のうつ病患者が「頑張りすぎた果て」「自分を律しすぎた果て」だと言われているのも頷ける。
余計なお世話だろうが、一度「張り切ってる時の自分」や「真面目な時の自分」がセルフ2が「ヘマをやらかした/やらかしそうになった時」にどんな言葉をかけているのか、書き出したほうが良いと思う。これは客観的に文字などで見ないと恐らく自覚できないが、私はゾッとした。元から口が悪いのが原因の8割位を占めてるが。普段より酷い。
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◆セルフ1は邪魔するために産まれてきたのか
まぁ、実際かなりの場面で邪魔なんだが、これ多分後天的に発生したエラーだと思う。
人間が言葉も持たない動物だったときのことを想像してほしいのだが、その人類的な何かは「自己制御」をどのようにして行っていたのか。
言葉以外の「持っているもの」を使っていたと考えるのが自然だろう。つまりは五感。そして五感による思考=イメージだ。実際猫や犬でも夢見るらしい。「想像力」は動物にはあるということ。
人類が直立歩行するようになったのが600~700万年前、対して言語を獲得したのははっきりはしていないが4~5万年前頃には言葉を使っていたらしい。まぁようするに、言葉は後から作られた。だからセルフ2には言葉はよくわからない。「まだ」。
対してセルフ1は思考の方法をイメージから言葉に「乗り換えた」。後天的と言ったが、個人の経験にも拠っている。親は子供に言葉を教える。赤ん坊の頃から語りかけるだろう。「人」に思考を伝えるのは「言葉」だ、と早くから学ぶ。
対象が自分でもこれは変わらない。「人」だからね。おそらくこのようにして後天的に自らに対しての語りかけに言葉を使うようになる。
◆セルフ1を黙らせれば良いのか
まず、この概念は、「実行フェイズ」に於いてのことだということは、言われるまでもなく気づいていなきゃならない。スポーツの練習においてもセルフ2への信頼を培い、セルフ2自身が学習するというのが効率的だとはされている。ではセルフ1はどこで役に立つのか。予定・計画・考察段階だ。
やってることがパワハラモラハラなせいで見落としがちかもしれないが、セルフ1はおそらく必要だろう。これは1つの質問で説得することができると思う。
即ち、「自分の本能、衝動、感情、欲求に”自分”を任せられるか?」と。理性を手放せば、即ち犯罪者なのだから、これは歓迎されないだろう。
実際、セルフ2は視野が狭い傾向がある。今では手紙なんて出す機会もないだろうが、手紙を出す時は「一晩置いて読み直せ」なんて言われてたりする。その時のテンションでは気づけなかったミスや言い回しなんかが、後日改めて見ると見つかるからだ。つまり実行とその確認はそれぞれ「別の意識」で行われている。
最初に言ったが、セルフ1は命令者だ。セルフ2は当人のポテンシャルの全てではあるが、知能は子供だと思ったほうが良い。「できることは完璧にこなし得るが、考えることは苦手」だと。セルフ2には「どこへ向かうべきか」が分かっている者が必要だろう。
インナーゲーム理論が最も成立するのはスポーツという「決められたルール」の中でのさらに「アウトプット」であり、その中での振る舞いが体に染み付いているからこそ「脱線」はしない。テニスやっててラケットを相手にぶん投げるとか噛み付いたりはないだろう。
じゃあ枠組みが曖昧でただでさえ「空気を読む」のが美徳の「察する文化」なこの国での日常生活ではどうか?
よく考えてみれば分かるが、社会においては「一度の失敗」すら殆どの場合歓迎されない。
社会が悪いのか何なのかは知らんが(どうせ手に負えないし)、まぁぶっちゃけ社会というクソゲープレイヤーたる我々としては「失敗したくない」わけだが、それ故にセルフ2に「任せたくない」という心理が働いている。
確認や予測においてガバガバなのは事実だからだ。「
集中状態を怖がる心理」にも通じるものがある。
この上で失敗ではなくて本質的には「恥をかくこと」、「叱責されること」を恐れているというのを見逃す訳にはいかない。
要するに「自分に問題がなくてもケチを付けそうなやつがいるから自粛する」ことが非常に多い。
ツイッターとか、クソリプや粘着を防ぐために予防線張るだろう。変な奴らさえいなければ自然体でいられるのに、予防線張りまくった結果どことなく冷たい感じになっちゃったりしてね。こういったことに対しての予防線、或いはシミュレート能力としてはセルフ1は必要になる。
簡単にいえば、セルフ1は「アグレッサー(敵役)」としても機能している。だから迷いが産まれた時点で自分を責めることはない。これはただの「予測できる可能性が提出された」だけであり、その上で覚悟を決めるなり、やっぱりやめておくなりすればいい。
もう一度いうが、セルフ1が問題になるのは「やると決めた/やるしかない時にうるさいから」であり、問題はそれだけだ。「実行する時だけ」黙ってればいいし、それ以外の場面での命令はもうちょっとセルフ2に伝わるやり方にすればいいだけ。
能力的には十分なはずで、その上で「阻害」が起きている場合にはセルフ1は黙るべきだ。セルフ2に対しての「信頼」が必要になる。しかし野次を飛ばしてダメ出しをしまくってるのは信頼する気がないとも言える。
ただ、実際の人間関係でもそうだが、初対面で全面の信頼を相手に寄せたら、馬鹿もいいところだ。何より実際に信頼していいのかわからんのだし、実力を知らないのだから。
セルフ2の実力を知るために(成長/学習能力を含める)「小出しにして」、「少しずつ任せて」、信頼していく必要があるだろう。思うに「自信」とは、セルフ2の能力をセルフ1が信頼することと、成果を改めてセルフ1がしっかり確認してセルフ2を認めるサイクルが出来ているかどうかだと思う。
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◆セルフ1攻略法
基本的には「やるしかないならお前は黙ってろ」って話になる。セルフ1の主観的には「セルフ2に任せるしかない」状態なのだ。これに耐えられず野次を飛ばし、あまつさえ取って代わろうとするから実力が発揮できない。普通に邪魔してる。
基本的にはセルフ1が黙っていれば実力は発揮できる、とされている。このための方法が「他に注意を向けること」、もちろん全く関係ないことではなくて、実行していることに関わることに。
面白いのが「叱責しているセルフ1を黙らせようとして自らに語りかける」ことは、セルフ1がセルフ1に行うことになるのだが、これでは効果が全く無いということ。つまり、セルフ1は「黙ってろ」ということ。諦めてセルフ2に任せたほうが実力は発揮できる。
テニスの場合は「ボールの縫い目を見るように」とされている。実際にできるできないじゃなくて、そうしようと注意を向けることでセルフ1が喋る余地をなくすという理屈。
ブルース・リーの「考えるな、感じるんだ」ってセリフがまぁよく引き合いに出されてるようだが、そういうこと。
スポーツ以外の場合ではちょっとイメージが湧かないかもしれないが、以前の
フロー状態についての記事のような「対象に注意を払うこと」が使えるだろう。「集中」よりも注意を払うとしたほうがやりやすい。
◆理想の考察
そんなわけで多分だが、セルフ1にも消えられちゃ困る。単純に普段はお呼びじゃない場面ででしゃばりまくってるだけであり、それ以外では必要だし、問題は「やり方」の面が非常に強い。逆を言えば、セルフ1がセルフ2に通じる言語で、尚且つ不愉快でないやり方を学習すれば何も問題はないとも言える。
結局の所、「和解」が必要なのだろう。というかセルフ1が勝手に盛り上がってるだけだったっぽいが。セルフ1とセルフ2が「連携を取る」必要はあるだろう。
スポーツ心理学としてのインナーゲームは「その場(ゲームのステージ)に居ること」自体が当人の目的であるが(だからやる気になれる余地が多い)、それ以外の場所では「場面」は他者によって動かされることも多い。勝手に巻き込まれることもある。それに予測・適応するためにスポーツよりはセルフ1は必要になってくる。まぁ言葉以外で。
私達が思っている以上に言語はかなり高度、かつ重要なものらしい。何らかの理由で幼児期に言語(手話などを含む)が獲得できなかった場合、人間としての人格が形成されないと言う。裏を返せばセルフ2は自分の中の「人間じゃない部分」なのかもしれない。だとしたらセルフ2に何かを伝えるためには、動物に何かを教える手法が役に立つかもしれない。
で、犬の躾とか見てみたが、「厳しく叱っても飼い主を怖がるようになるだけ」と思いっきりセルフ1、セルフ2とかぶったことが書いてあった。「通じなきゃ意味がない」のは当たり前だ。逆効果になってる上にセルフ1(つまりは意識的な自分)が「それしか知らないし黙ってもいたくない」のなら、ドツボだね。この時点で「上手に伝えるか」、「黙るか」の2つのどちらかをやるしかないということになる。
ちなみに犬が悪さをした際は「その場を立ち去ってしばらく遊んであげない」ことでこれはいかんのだと認識させるそうな。
セルフ1が使えて、セルフ2にも伝わる言語。まぁさっき言っちゃったが「イメージ」だ。言葉は伝わらない。だがイメージなら伝わる。イメージトレーニングの有効性はスポーツの分野では証明されている。
その「伝え方」だが、昔から言われているが「否定形は伝わらない」と思っていたほうが良い。例えば「アレは絶対にやっちゃいけない」ってことを視覚イメージで伝えようとして、最悪の結果をイメージした後でそのイメージにバツでも付けたとしよう。頭の中で。多分これだと「最悪なことのやり方」しか伝わらない。セルフ2は記号もわからないと思う。
要するに「禁止」が恐らくだができない。出来ないというか、セルフ1からそのメッセージは「届けられない」。恐怖や嫌悪と言った形でならできるかもしれないが、あまりやらないほうが良いだろう。夢に出そう。
これだとセルフ1の「言おうとしていること」自体が、言い方を含めて既にセルフ2にとっては不適切だったことがわかる。大抵の場合その言おうとしていることとは「アレをやるな」だとか「ちゃんとやれ」だとか言葉に頼った表現をしているわけだが、逆を言えば「言葉でしか表現できない」のならまずセルフ2には伝わらない。できるのならイメージで伝えればいい。
セルフ2に伝わるのは「こうして欲しい」と言った形だ。そしてまずはそれをセルフ1が思い描かなくてはならない。
交流分析で言う「禁止令」そのものが苦痛なのは、セルフ1がセルフ2に「言葉で強制する」からかもしれない。特に
ミニ脚本のドライバー、ストッパーなんかははっきりと言語化出来ている。
また、幼少期の体験が生涯に影を落とすのは言語能力が未発達な時期故に「五感(+感情)としての記憶」の側面が強いからかもしれない。だったらこれ、五感によるイメージで上書きできないのだろうか。そして「言語的な処理」とは、心理的ダメージを軽減させる効果があるのではないか。
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◆まとめ
人間は、自分で自分の邪魔をしまくった挙句自分を罵倒するというアクロバティックなパワハラ・モラハラを自分自身にやっている。
まぁ、「犯人はお前だ」って話だが。そして「勝ち負け」という概念ではなく、ディスコミュニケーションだったというオチ。だから「伝わる言葉」で自分に向けて喋ろうね、と。冗談抜きで人間は、自らに対して相当な内弁慶だ。さっきも言ったがこれは完璧主義や強迫観念、うつ病なんかに関わっていると思う。
簡単な所から始めるとすれば、セルフ2に対して「強く」言おうとするのはやめたらどうだろうか。
山本五十六は言った。「やってみて、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」。自分に言う事聞かせたいのなら、自分(セルフ1)が自分(セルフ2)にまずそうするべきなのだろう。この場合の「~させてみて」までは「イメージ」に該当する。
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