一貫している考える力・論理的思考:ロジカルシンキングについて
Wikipediaによれば、ロジカルシンキングの定義自体がハッキリしてないというガバガバ具合らしいんだが。
日本においてはビジネスの新スキルとして「売り出された」ようだが、まぁいつもながらの概念の暴走かもしれない。
これらの理由から「ビジネス用語」、「業界用語」とみなすことが出来る、とされている。
また、Wikipedia内の引用によれば、論理的思考とは言うものの最終的には「閃き」であるとなっている。例えば推理小説の探偵のような「事実の積み重ねのみ」で到達すると言ったものではないようだ。
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◆日本人は論理的思考は不向き説
言い回しが回りくどかったりはっきり言わない察する美学なお国柄だったり、ぶっちゃけ裏面交流だらけの「日本語的表現」は論理的とは呼べず、拠って日本人は論理的思考は不向きとする説。
これにはもちろん反論もあるが、それは「日本語は非論理的じゃないよ」というだけであり、日本人が論理的であることは誰も主張していないようで苦笑い。まぁこれについては赤の他人の知性なんぞ補償できるものではないから当たり前だと思うけど。逆を言えば人種関係ないね。個人個人の資質だね。
そういえば、例えばテストの問題文なんかで言い回しがややこしいのをわざわざ作ったりとかあるわけだが、あれは完璧に手段と目的を履き違えている気がする。海外でもああいう嫌がらせはあるんだろうか。
◆ロジカルシンキングの6つのスタンス
-◆MECE
一番大事かもしれない。みーしー。Mutually Exclusive and Collectively Exhaustiveの頭文字。お互いに、重複せず、全体に、漏れがない。「要素を網羅的に視覚化する」って言ったほうが早いだろうか。見落としがないように、重複がないように全体を認識すること。完璧に区分するのは難しいとされている。
結構難しい。ダブってはいけないというのが大抵引っかかる。つまり要素の「分け方」から拘らなくてはならない。例えば「若手社員」と言ってもその中には一年目のこなれて来た者も居れば、昨日入ったばかりの新人もいる。戦力としては同列に扱う訳にはいかないだろう。だからMECEとは言えない。これらは課題次第でわけ方を変えるべき要素ではあるだろう。
もう1つ例を上げれば、例えば「海産物は嫌い」って言ってもイカやタコやウニは好きってのはガバガバだよねと。これは異なるものが中にある、つまり重複してるからアウト。結構ボキャブラリや知識が試される。
ここを怠ると決めつけ、見落とし、勘違いが発生しやすい。例えば「これだからゆとりは」とか「これだから老害は」なんてケンカは多くあるわけだが、当人たちが指しているゆとりや老害ってのはその中の一部、さらに一部の挙動だけだろう。或いは「これだから男は~/女は~」とか。つまりカテゴリがガバガバな結果、差別に直結する。たちの悪い事に本人に自覚はなく。
実際「差別主義者は頭が悪い」という研究結果もある。まぁこの場合、IQの問題というよりは考え方の問題だろうけど。逆を言えば、考え方を間違えれば「これ以外に答えはない」と本気で思って結論を間違えるなんてことがある。
これは問題・状況の可視化。紙やデバイスなどを使わない思考は、時々ループして時間を無駄にする。同じことを考えたりだとかで。それだけならまだいいが、見落としがあるのにわかった気になってしまうことがあるのが特にマズイ。前述の副産物的な差別ってのは、このように「一部しか見えてない」からだ。
例えば、ベタだが物販をしていて売上の向上を考えたとする。販売価格を単純に釣り上げては客足が遠のく事がほとんどだろう。全体が見えていない場合「じゃあ無理だ」となる。ここまでやる気がない店主もいないだろうが。この場合は要素として卸値の交渉や新商品の追加や経費削減などが要素としてある。つまり正確なMECEは思いつく(まともな)選択肢の数に直結する。もちろん、正しく知識があること前提だ。
警戒すべきは、思考の瞬発力というか「見切り発車」だ。普段はこのあたりはすっぽかしていきなり頭を悩ませるので、意識的にスタート地点としてMECEから考えたほうがいいだろう。
また、MECEはその問題に対しては使い回しが効く事が多い。一度やってしまえば(追加や削除はあるだろうが)、殆どの場合次に同じことを考える機会があっても使える。予めやっておいて損はないだろう。
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-◆So What?(つまり?) / Why So?(なぜ?)
何故と問うのは考察のスタートだね。「つまり?」と問うのは先を促し、結論へと導く。これらを細部に行うことは思考を掘り下げる効果がある。
ちなみに、他人に言われると大抵むかつきます。
-◆仮説思考
仮説を立てる→その有用性を確認する流れ。
強調しておくが、これらの思考の目的は問題の答えを「当てる」ことではなく、課題に対して「適切に対処する」ことにある。この中には「時間」を含める。最適解が思いついた→時間切れでした、じゃ話しにならないだろう。つまり解答のクオリティと時間とを両立させる必要があり、「完全な答えに行き着くこと」が目的ではない。
仮説を立てて「通用しそう」ならそれでOK、という話。実際ビジネスでは「行動力」、「適応力」が求められる場面もあるわけだ。「迅速な対応」はそれだけで好印象なことが多いし、適切な対応でも遅すぎたら次のチャンスはこないことは多い。
もちろん全力でやっちゃいけないことをやらかすような真似はしてはいけないが、そんなことを脳内でGOサイン出すのなら、それは個人の頭の問題だろう。
でたらめな仮説を立てるのは時間の無駄だろう。有効そうな仮説を思いつかなくてはならない。そのためには経験を積むことや過去の事例の研究は有効になる。特に後者。また、成功話は
サバイバーバイアスが強いが、失敗話は語り部本人の後悔=改善点がハッキリしていることが多いのでこっちがオススメ。まぁ、人の失敗聞きたがったら嫌われるからこれは文書とかに求めるように。
割と失敗話や後悔をつらつら綴ってるようコンテンツは「考えさせる」という点では価値がある。まぁあんまりみんなそういうこと言いたがらないからレアなんだけどね。
経験を積む際には、日頃から仮説を立てる頭のクセを培うしかない。予め伝えておくが、「だいたい外れる」。一々へこまないように。また、仮説を立てただけで満足してはいけない。必ず「答え」と照らし合わせるため確認し、その仮説の成否を知り、修正すること。そうすればやがて「理解」に到達する。そうしなきゃ妄想を楽しんだだけになる。
-◆ゼロベース思考
ゼロから考えること。白紙の状態から考えること。お察しの通り、手間が余計にかかる。
メリットは先入観に依る「死角」の排除。つまり勘違いや思い込みの余地をなくすこと。また、従来の手法の価値の再確認(車輪の再発明)でもある。
ゼロと言っても頭空っぽにするわけではなく、先入観の排除に努めたほうが良いだろう。「
認知バイアス」についての知識が使える。あれは先入観と勘違いのパターンのようなものだからだ。
自分がそれに陥っていないか、また、自分はどんな思い込みや勘違いをしやすいかを知れば(大抵の人間は状況認識の仕方にクセがある)、その部分の確認を念入りにするだけでも精度が上がる。
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-◆ポジティブ思考
ポジティブという言葉に対しては好き嫌いがはっきり別れるだろうが、それこそそういうのを取っ払ったゼロベースで考えましょう。
この場合のポジティブは、要するに問題に対して「解決するつもりである」、「今よりもっと良い方法が存在する」という前向きな態度のこと。心理学的に「ダメだ」と思ってると出来ることもできなくなるのは証明されているので(ヘタレになる)、これは「全力を出すためのマインドセット(気構え)」程度の認識で良い。
クドいようだが、解答のクオリティは時間とのトレードオフだ。それだって限界があり、一定を超えればいくら時間をかけても良くはならない。「思考」は持てるものを使うアウトプットであり、クオリティは日頃の積み重ねに依るからだ。いつまでも「
もっといい方法があるはずだ」じゃ仕事が遅い奴ってだけで終わる。
-◆フレームワーク思考
フレームワークは「枠組み・骨組み・構造」という意味。体系化された思考や手順を持って思考や行動の重複や抜けを防ぐ。
「パターン化された思考や確認の手順」だと思ったほうがわかりやすいと思われる。
特にビジネス面においては5W1Hやらなんちゃら分析やら色々ある。後述するが、「主題の明確化」は問題解決のために重要なので、5W1Hくらいは知っておいても損はないと思われる。状況把握や、他者にそれを伝える時に役立つ。
When(いつ) Where(どこで) Who(誰が) What(何を) Why(なぜ)したのか? HはHow「どのように?」。これは「順番」が重要だともされているから、そのとおりに。
日常においてのフレームワークとしては、単純に日頃やってることや考え方などを「フローチャート化」すればいい。この場合ビジネス系のフレームワークはお硬すぎるだろう。改めて書いてみると改善点やムダ、抜けが見えてくるだろう。特に自分の思考パターンを視覚化するのは長所短所の把握に役に立つ。
まぁ、対象によっては直視できないようなのが出来上がるかもしれないが、それは「収穫」だ。理想的な改善をしたものに書き直して、実践できるようになればいい。
◆ゴミ箱モデル
冒頭の「最後には閃きだ」ってことの補足について。人間の内部で行われる発案から
意思決定の流れは研究されていて仮説がいくつもあるのだが、その中に「ゴミ箱モデル」という面白いものがある。単純に言うと、人は論理的な思考をすっ飛ばして直感的な決断を下しているということ。
ゴミ箱と言えば聞こえが悪いが、まぁ「箱」だと思えばいい。問題や解、情報などの要素がその箱に「たまった時」、結論が出るという説。
これは別の実験結果でも補足できる。人間の「意志」は、例えば指を動かそうとした場合には、脳の信号→指を動かそうと思う→実際に指が動くという流れであると証明された実験結果がある。これは「意志/思考」よりも先に脳が動いているということになる。要するに元から直感で動いてんじゃないのって話。
また、哲学者ダニエル・デネットの多元草稿モデルによれば、ざっと言えば意識の中では複数の仮説が改訂・編集されながら存在しているとされている。このなかの一つが「ゴミ箱がたまった時」に選ばれる、とすればそれが「閃いた」ということだろう。
この説が真であると(それこそ仮定)するならば、「思考」には意味が無いということになるまいか、とする指摘があるかもしれない。まぁそんなわけないね。ゴミ箱モデルが真だとするならば、その中に入れる物の「質」は問われることになる。言葉通りにゴミを入れたなら、ゴミのような結論が出ることは火を見るより明らかだろう。
質を高めるためには、思考が必要になる。溢れかえったゴミの山ではなく、結論と言う名のオブジェクトを作れるだけの材料を。
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◆哲学では
ストア派の哲学者エピクテトスはこう言っている。
“ 「哲学は人間が自分の外部にある全てのものを手に入れることを保証しないが、代わりにその適切な主題の中に眠っているものを手に入れるであろう。
大工の使う素材は木材や彫刻用青銅であるから、生き方の素材は各人の生である。」 ”
—エピクテトス
まぁ人生とかは置いといて、「適切な主題」、つまり何を考えるべきか、何に対しての答えを出すために考えるのかを決めなきゃ話しにならないわけだが、MECEの話と同様に大抵の場合は問題に頭を悩ませつつも、このあたりを考えることはあんまりしていないようにみえる。問題を認識した際には、いきなり対処法考えたりしないか。まぁ大体はそれでいいと思うんだが。
ゼロベースにも繋がる話だが、こういった「目的」をはっきりさせたほうが思考がブレないのは確かだ。「思考に指向性をもたせること」。洒落ではなく。さんざん時間をかけて悩んだ挙句「あれ、なにについて考えてたんだっけ」じゃ意味が無いだろう。
また、言語化出来ないと殆どの場合思考として取り扱えない。主題を「はっきりと言葉にできるかどうか」。加えて言えば、その主題も後から補足したり編集したりする必要が出て来る。真面目にやればやるほどね。だから始めに決めた主題に拘りすぎないように。主題が正確に出来たなら、ほとんど解決までは一本道になる。
何れにせよ、まずは書きながら考えることから初めてみたらどうだろう。書き方としてはマインドマップ(ググって)とかオススメできる。自分が注目しやすい部分や、どこから考えるかスタート地点のクセなどを知ると見落としは減る。
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