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強迫観念とミニ脚本

強迫観念とミニ脚本 



投稿日:2017/07/12

強迫観念は過去の記憶や本人の思い込みのせいで「こうでなくてはならない」「こうであってはならない」など、価値観とその実行を「強く迫る」心理的現象だ。


病気としての強迫性障害は、原因は不明であり、男女比はほぼ同数、35歳以上での発症は少なく、ほとんどが20代での発症とされている。代表的なのは潔癖症と完璧主義










・・・まぁ、中年は平気なんじゃなくて、同化したか、隠すのがうまくなったか、付き合い方を学習したかのどれかだと思うが。
だってほら、我々は普通、常識、アタリマエなんていう強迫性障害にかかっているわけだから。マナーにうるさいおっさんとかそこら中にいるだろう? 自分は守らないくせにさ。


カジュアルな言葉としては、何かしらの「やらなきゃいけない」「こうじゃなきゃいけない」「これはあってはならない」といったような何かに対する強い「思い込み」と、そうであろうとする/そうじゃないものを矯正しようとする「衝動」を指す。


これらを元にした言動は、かなり素早い反応であり、ほとんど「反射」と言っていい。つまりはこうじゃなきゃいけないというイメージがすでに頭の中にあり、監視あるいは制御として常に頭の中で作動している。


恐らくは脳はそういった情報の覚え方、活用の仕方を元からするのだろう。実際に「あってはならないこと」などに対して正常に作動するなら、全く問題はない。
まぁ例えばあなたが後ろを振り返ったらなんでか炎が燃え盛っていたら、消すか逃げるかするだろう。慌てて。


問題は「度が過ぎている場合」と「内容」次第だ。強迫観念に駆られた人間は、それこそ「炎を慌てて消すかのような」反応を見せる。必死で、感情的で、時にはパニックになって、急いで対処しようとする。


特に「どうでもいいこと」に対しての過剰反応が、他人にとっては迷惑で当人にとっては後悔するものだろう。まぁ当人にはどうでもいいことに見えないのが問題なんだが。


身もふたもないことを言えば、強迫観念に駆られたものは他人から見ると「存在しない物が見えている」ような状態になる。


例えば肝試しでもやってたとしてさ、自称霊感があるって奴が
「あそこに何かいる!何かいる!怖い怖い怖い!」
とか叫んでパニックになってたとしたら(うるせえ)恐怖を感じるわけだが、それはそこに何か居るかもしれないのが怖いんじゃなくて、むしろそいつが怖いんだろう。
強迫観念に駆られた者に対しての戸惑いと、不気味さはこういった感じのものだ。


普通奇抜なことをやらかすなら思いついて、逡巡して、やったらどうなるか考えて、覚悟を決めて、その果てにやるもんだが、そういうのがない。


「そうであるべき」、あるいは「そうしなきゃいけない」、若しくは前述のような「見えている」かのような、それこそ「強迫観念」としか言いようがない強い義務感的な衝動を持って「反射的に」行動している。


これは結果的には軽率さとなんらかの暴力性を伴った言動になる。まぁ要するに他人には「脅威」に映る。








交流分析のミニ脚本

さて、強迫観念についてだが、これとそっくりなものがある。エリック・バーンの交流分析、その中の「人生脚本」と呼ばれるものだ。


本来は幼少期に得る親からストローク(言外のメッセージ)のせいで世界観、人生観が歪み、それが後を引いて「自分はこういう人間になるのが運命なんだ」「自分はこうやって生きるべきなんだ」と人生に影響を及ぼすという概念だ。
大体7歳位でこれが決まるとされている。


7歳の子供の世界観、人生観だ。大人になってから不都合吐きまくるに決まっているだろう。
巷じゃ良い人生脚本ならそれで問題ないみたいに言ってるところもあるがどうだろうね。おめでたいのは本人の頭の中だけかもしれないね。


いちいち言うのが最近めんどくさいが、別に親が悪いとも限らない。どちらかと言うと親からのリアクションを見て子供が「勘違い」している事が多い。


この上で、人生脚本を「成就」させるために(しなくていい)機能をしているのが「ミニ脚本」と呼ばれるものだ。それぞれドライバー、ストッパー、ブレーマー、ディスペアとされ、余計なことをする。というか当人にさせる。ディスペアはちょっと毛色が違うんだが。


これは「極めて短い時間に起こる行動パターン」とされている。要するに反射的なスキーマだと思えばいい。


思考の過程を経ずに反射的に出る反応のため、アクションスリップ、つまりヒューマンエラーに近いのではないかとも思う。つまり当人の感覚としてはついやってしまう、あるいは気づいたらやっていたかのような。


このミニ脚本が、強迫観念とそのための行動にそっくりなんだ。


「やれ」「やらなきゃいけない」ドライバー

「駆り立てるもの」。「やらなきゃいけない」という焦燥。


主なものは5つ。


「完全であれ」


「急げ」


「もっと努力せよ」


「他人を喜ばせろ」


「もっと強くなれ」


全体的に「完璧主義」である。


一見健全な努力に見えるのだが。


この完璧主義が無理レベルなので大抵の場合破綻する。


悲しいことに、多くは無意識レベルでこれらを守ることが「自分が生きていていい理由」になると思い込んでいる、とされている。
つまりこれを守ることが自分の存在価値だという認識をしている。強迫観念に限らず、多くの人が。


これが強いと休憩や休日に罪悪感を感じたり、落ち着かなくなる。「ドライバーを実行していない」からだ。


「真面目な人間」が彼らの言うところの「怠け者」「容量が良い奴」に対して取る殺意が入ってる嫌悪具合を見れば、心地いい精神状態ではなさそうだね。


このドライバーに基づく行動は、異様にスパンが短く、5~20秒単位だと言われている。

身に覚えなんて無いだろう? でももしもこれが本当だったとしたら、私たちは本当に人生脚本を叶えるために生きていることになる。おぞましいね。






「やるな」「やってはならない」ストッパー

「禁止令」を自らに課す。


ミニ脚本での内容は、
存在するな、


自分自身であるな、


自分の性であるな、


子供であるな、


成長するな、


成功するな、


重要であるな、


所属するな、


近づくな、


健康であるな、


考えるな、


感じるな、


(なにかを)するな


はい。ひどいね。まぁ全部発動してるってことも無いと思うが。


もちろん直接言われるということもそうそうないだろう。邪魔だからあっち行ってろくらいは言われるかもしれないが。


まぁなんだ。四六時中こんなこと言い続けてるやつがまとわりついてきたら、殴るね。


ちょっと解説はしておこう。


例えば「自分の性であるな」。
これは父親が女の子が欲しかったとか言って男子の髪伸ばさせたり女装させるとか、
女の子に「初めは男の子が良かった」とか親が言っちゃうとか、
そういった「その子の性の否定」だ。LGBTはどうなるんだろうなこれ。


他には「健康であるな」もパッと見わからないかもしれないか。
これは例えば普段は構ってくれない親が、自分がインフルエンザにでもかかった時には右往左往して心配して、つきっきりで面倒を見てくれた経験があるとかの話。
これで「健康じゃない時には構ってもらえる」という学習をしてしまうケース。


「成功するな」は失敗して落ち込んでる時に周りは優しくしてくれた、という記憶と、それを「再現」しようとすることから。


「子供であるな」はもう●才になったんだから、とか弟や妹ができて「もうお兄ちゃん/お姉ちゃんでしょ」と言うとかだね。
あるいは父親が早々に死んだり蒸発でもして、自分が代わりに母を支えなければならない、あるいは弟妹の面倒を見なければならないと自らに課すなど。
生きてて家に居たとしても、崩壊過程だったとしたら割とありえる話だ。


まぁ、極端な経験がないにせよ、日常の接触からそういった態度を読み取り、思い込む。さっき言っただろう。子供側の勘違いの場合もあるって。
性については大体親が悪いこと多いが。悪いっていうか、無神経? まぁ思いついたことをそのまま言ったら大抵デリカシーがない感じになるものだが。


意外と親の言う言葉を、子供は分かっているよ。そして自力で解釈する。大体オーバーに。それが心に刻み込まれる。


だが強弱はともあれ、ほとんどは誰もが経験しそうなことでもある。強迫観念として考えれば、問題になるのはこれらが強すぎることだろう。


ブレーマーもよっぽどだが、ストッパーのほうが強迫観念としては近いだろう。さっき炎に例えたが、それを慌てて消すかのような「あってはならないもの」に対する反応を、彼らは見せる。


ドライバーとストッパーは矛盾している。「そのままでいてはいけない」と「そうなってはならない」と。ぶっちゃけてこのクソ脚本は千切って焚き火にでも投げ込むべきだと思うね。邪魔な上に発言権だけはあるとかどこの上役だよ。








「それは悪いことだ」「なぜしっかりしないんだ」ブレーマー

これは「他者に対しての態度」だ。自分に課したルールを無関係な他者に投影する。
・・・そういや、通り魔やらかした奴でこんなこと言ってるのいなかったっけか。


自分のドライバーやストッパーを守らない他人を責める傾向。守るわけ無いだろう。知らないし知ったこっちゃないんだから。


前述のマナーにうるさいおっさんとかがこれに当たる。例えば挨拶しろよとか言うくせに自分からは絶対にしないアホとかザラにいるが、まぁブレーマーだよね。だから挨拶してもらえないのにね。


まぁ威張りたいだけの場合性格悪いおっさんってだけの話になるが。一応覚えておいたほうがいい。普通、常識、アタリマエはせこい奴らに悪用されまくっている。日常的に。


だがこの威張りたいおっさんの場合でも、ドライバーの「強くあれ(優位に立とうとする)」と、挨拶はするべきだという「マナー」という名の強迫観念で自分からは挨拶「できなくて」、
その矛盾を他人から挨拶することを強制することで解消しようとしている、という解釈をすると正しくブレーマーになる。


で、相手に強制させることに成功したところで、「自分からは挨拶できないおっさん」なのは変わらないから、延々と繰り返すだろう。


以上のように考えると、こういった人間は、こういった行動をするのが予め確定していると見ていい。「自分の力じゃできないから」、「他人に何とかさせようとする」。情けないね。


別パターンとしては、「相手はルールを守っていないから自分のほうが偉い」というバカ理論によるマウンティングの場合もある。


例えば、喫煙所に乗り込んでタバコはやめろと喚く女、
ファミレスの喫煙席に座ったのにタバコ吸ってる人にタバコやめろと喚く子連れの女、
新幹線の喫煙車両に入ってタバコ吸ってる人にそのことを責め、後で喫煙車両だと気づいて顔真っ赤にして捨て台詞吐いて逃げてく釣り帰りの中年男。
これ全部実話らしい。


致命的にバカなのは、自分ルールと社会的なルールの区別がついていないことだ。上記の3つの例、タバコ吸ってる人は何も悪くない。ルール守ってるよね。


1匹目と2匹めのバカはそこにわざわざ乗り込んで騒いだ。3匹目のバカも状況判断を疎かにした。まともな頭してたら確認くらいするよね。


この手の人間は、嫌煙家からすら嫌われている。「あんなキチガイと一緒にされたくない」と。


加えてこの手の人間は「マナー」と「ルール」をかなり混同する。マナーは気配りだ。ルールとして強制した時点でキチガイだ。挙句にさも「法律」であるかのような態度だ。どうしようもないね。


ここまで頭が悪いことをやらかすのは、これらが当人にとって「あってはならない」ことに見える、あるいは「自分のほうが正しいから自分に従うべきだ」という考え。この認識が発生した時点で行動を実行することが確定し、それ以上の思考をしようとしない。


そして根底に「自分のルールに合わないやつは許さない」という迷惑な攻撃衝動がある。さっきの挨拶できないおっさんが可愛く思えるレベルでこっちのほうがヤバイ。


ブレーマーはご覧の通り理不尽な道徳(笑)を元に攻撃的な振る舞いに出る。ハッキリ言ってここまで来ると頭おかしい部類に入る。周りからはキチガイ認定されるレベル。


基本的に自分のことは棚に上げる。というよりも、「見えてない」という印象を受ける。頭の中の軋轢で必死なんだろう。自分のルールに他人が「違反している部分」しか見えてない。自分が頭の中で大量生産してるストレスもそれらのせいだとする。


で、こういうのがそこらへんにいて、それこそそれが「普通」なわけだ。とっ捕まえて診断させれば病気扱い出来るかも知れんが、まぁ数は多いから現実的ではないだろう。


晒し者にでもしてやれば同じことやろうとする奴らは萎縮するかも知れんが。実際にそういったおかしなやつに絡まれた被害者撮影の動画とかUPされることが時々あるわけだが、犯罪レベルの言動であることが多い。






「自分は脚本通りに生きられない」 ディスペア

絶望という意味。ある意味現実を理解した分ブレーマーより人としてまともだと思うが。


脚本通りに演じることができない自分に対して無力、無能を感じている状態。ドライバー、ストッパー、ブレーマー全てが過活動を起こしている状態ともされる。


問題は、元から悩む必要が無いはずのことでここまでになっちゃったことだ。繰り返すが、7歳の子供が思い込みで勝手に書いた「未来日記」の通りになれないってんでこうなってるんだぞ。馬鹿馬鹿しいだろう。


ドライバー、ストッパー、ブレーマー、ディスペアは順番通りにそのルートを通るわけでもない。多分ドライバーストッパーは同時に活動していて、誰にでもある裏表のようなもの。ブレーマーにはならずにディスペアになったり、どちらにもならないこともある。


余談となるが、パニックやヒステリー起こしてる人間の感情的でしつこくて攻撃的あるいは泣くなどの「言動の幼稚さ」は、その言動スキーマのモデルが当時の自分だからだとも言われる。


要するに、一時的且つ部分的に幼児退行していることになる。これだと人生脚本どころじゃない、七歳当時の自分そのものが頭の中に「居る」ことになる。


和解なり教育なり慰めなり励ましなりをする必要があるのかもしれないね。その子に対して。


まとめ

これらは強迫観念からのやらかしと、後から湧いてくる後悔のパターンによく似ている。


強迫観念のコアとなる記憶やスローガン、それを「実行せねばならない」、「守らねばならない」、「守らない奴・否定する奴を許すな/できていないから直ちに解決せよ」、その果てに「なんであんなことをしてしまったんだ」と。


強迫観念はミニ脚本そのものとは別物だとは思うが、システムというか「流れ」は似ているように思う。思うにこういった思考パターンが元から脳に備わっているのではないか。


「やらなくてはならない」「やってはならない」と思い込む→焦燥に駆られた反射的な言動→実行不可能あるいは不完全燃焼な場合の認知的不協和のはけ口としての「八つ当たり」「憂さ晴らし」→現実を受け止めたら凹むというパターン。


ミニ脚本で言うと、この問題の解決法は「ドライバーのハードルを下げろ」と言われている。「ドライバーは完璧主義だ」と言ったが、そこの合格点を緩めることだと。


要するに、完璧主義の視点だと絶対に「減点方式」になるんだ。だめな部分だけ探す。他は見えない。


思い込みと決めつけが強いブレーマーになってる人間の些事に対しての「絶対に許さない」という極端な姿勢はここから来ている。
100点の上でまだアラ探ししてるような奴と、99点はOKなのとじゃ天と地ほどの差があるのが判るだろう。「肯定できる部分を探すつもりがあるかないか、理解するつもりがあるかないか」の差だからだ。


だから、そうじゃない奴は「判るつもり自体がない」。つまり「話が通じない」。


強迫観念でも、強度が弱ければ「こだわり」程度で済む話だろう。問題は強さにある。この点でもミニ脚本と同じだろう。


まるで宗教のようだ。親という名の神、子と言う名の信者、神の言葉を「絶対視」した挙句に曲解した信者が書き記した、人生脚本という名の「聖書」。


そして全ては過去の出来事であり、手元に残っているのは7歳の子供が書いた「聖書」だけだ。


・・・そのままの内容で、人生をかけて実行するに値するか? 
修正や改良の余地があるのではないか?


強迫観念もまた、元となる経験は何らかの「教訓」となり得るものなのだろう。その記憶や教訓を「絶対視」しすぎていないか。曲解はないか。






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