コンプレックスと劣等感の違い
一般にはコンプレックスという言葉は=劣等感として使われている。
これは日本独特のもので、海外では通じないようだ。
コンプレックス=劣等感ではマザコンやらショタコンやらの言葉は通らないから、薄々気づいている人もいそうだが。
■目次
■劣等感とは
■コンプレックスとは
■コンプレックスと劣等感の違い
■劣等感とは
劣等感は自分と他者との比較の上で生じ、自分が劣っていると感じている状態。
また、自分か周りが設定した自分のロール(義務、責任、能力水準)に実力が見合っていない場合にも陥る。
言葉の通り、他者や理想の自分などの「上の存在」と見比べて「自分は劣っている」という感覚。
これは感情であり、しかも身近なものである。
加えて言うと、そこから他者への嫉妬や自己嫌悪、無気力、逃避などに派生するのなら、それは後述する「劣等コンプレックス」と呼べる。
■コンプレックスとは
劣等感が今まで思っていた「コンプレックス」の意味だったとしたら、コンプレックスという言葉が本来指す言葉はなんだろうか?
有名所の心理学者三名の定義を挙げる。
フロイト:エディプスコンプレックス:息子が考える父親を排除し、母親を得ようとする思考。ギリシャ悲劇にあるエディプス王から。
娘の場合は母親を排除し、父親を得ようとする思考。この場合はエレクトラ・コンプレックスと呼ばれる。
西洋では「コンプレックス」といったらフロイトのエディプスコンプレックスが思い浮かばれるそうだ。まぁ…インパクトはあっただろうしな。(映画タイタニックでもフロイトがどうこうというちょっとした台詞があった記憶がある)。
まぁ、エディプスコンプレックスのWikipediaの記事には詳しく書いてあるので、そちらを読んでもらいたい。あんまり詳しく書くと色々と不都合がある話題になっているので。
フロイト先生はそっち方面に突っ走っていらっしゃったわけだが、ある意味着眼点は正しいのかもしれない。
実際に外見や能力にまつわるコンプレックスや同性への嫉妬、異性への執着はどれもが「自分が伴侶を獲得するため」だと帰結することが出来る。
また、
アイデンティティとして「性別」は殆どの場合大きなベースとなっているはずだ。
ユング:感情に色づけされた心的複合体。無意識下の葛藤であり、「感情」を核とする。
無意識下にあるのに、意識的な言動を左右させるもの。
ユングがこれを提唱したきっかけの一つは言語連想実験である。医師の言う単語に対して思いついた言葉を素早く口にする、というテストなのだが、被験者は特定の言葉では異様に時間がかかったり、連想した答えが一見医師の言った言葉と何の関連性もなかったりすることがあった。
このことから、特定の言葉に対しては無意識下での個人特有の思考が行われており(だから時間がかかる)、そういった「結論」が導き出される(だから一見無関係な答えが出てくる)のだという説を挙げた。
その時の想起される感情、そこからの思考、そして結論(行動・発言)の一連の塊を、複合体=「コンプレックス」と呼ぶ、との概念を提唱した。
アドラー:インフェリオリティー・コンプレックス(劣等コンプレックス)。人はこれを克服し、人として成長するとした。
・逆に自慢話ばかりして攻撃的な人間の動機は「優越コンプレックス」であるとしている。
アドラー心理学は基本的に劣等感を主眼に置いている印象が強い。アドラー自身が色々と劣等感を持っていたらしく、それらと向き合った結果なのだろう。
■コンプレックスと劣等感の違い
・劣等感は「感じる」ものであり(自分が比較している自覚も劣等感を感じる前には無い場合がある)、
認知バイアスに近い。そこからどうするかの選択の余地がまだあり、個人の脳内で完結する場合もあり、本人だけが感じている場合もある。
コンプレックスの場合、何らかの良くも悪くも「核」を中心に形成された行動パターン、思考パターン群の意味合いが強く、その者の「人格/キャラクター」の一部になっている。つまりコンプレックスの核を刺激された後の反応まで含める場合が多い。
また、その核は「劣等感」とは限らないし、意識が「結論」だけを受け取る場合にはその「反応」が奇妙なものであるという自覚はない場合もある。
拠って、基本的にコンプレックスと称される場合は他者観測が可能である。他人にしか分からなく、当人は当然の反応と思っているかもしれない。特にユングの言語連想実験で見たような「奇妙な反応」の形で。
「何故そう反応するのか」を掘り下げれば、本人の無意識下にあるものが見えてくるだろう。気づきたくないのかもしれないが。
・冒頭の誤用の話に戻るが、正直な所、誤用がスタンダードに成り代わるケースは結構ある。
例えば、「気の置けない人」と言う言葉。これは本来、「気を使う必要がない」と言う肯定的な意味だった。
誤用として「油断のならない人」と言う意味で使われている。気を許すことができないとかそんなニュアンスで。
平成18年度の文化庁の調査では、60代未満のすべての年代で誤用の方、つまり「油断ならない」とするのが正しいと思っているという結果が出ている。
あとG。本来は「御器かぶり」という名前だった。辞書に載せられた際、「か」の字が抜けていた。それがそのまま広まったので、Gは一般的にGと呼ばれている。なんかペットにする者もいて、品評会もあるんだとか。世の中広いな。
「本来の意味」はこのまま誤用に塗りつぶされて、「かつての意味」に成り下がるかもしれないし、最近なら自力で調べる方法がいくらでもあるから、そうはならないかもしれない。
まぁ特別問題でもないだろう。元から意味は統一されていなかった。フロイト、ユング、アドラーの説を見ても思考や感情の「集合体」という点以外には結構違っていた。彼らの人生観が投影されていたのかもしれない。
まぁ、「コンプレックス」に於いてはユングの定義が一番ベターなんじゃないか。フロイトとアドラーはそれぞれ性的、劣等感の問題に対して特化している。
読み手、聞き手が「どんな意味でその言葉を使っているのか」は、元から自分で気にするべき部分でもある。
ただし書物でわざわざ劣等感と言う字に「コンプレックス」とルビ振るのはどうかと。
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