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脳の可塑性とイメージトレーニングの効果から見るトラウマ、フラッシュバック、自動思考の悪影響

脳の可塑性とイメージトレーニングの効果から見るトラウマ、フラッシュバック、自動思考の悪影響





・自動思考をDMNとするのなら、これそのものは誰にでもある。なきゃそいつは多分死んでる。



・誰にでもあるのに、一部の人間だけが極端に自動思考、トラウマ、フラッシュバックと一般に呼ばれる「嫌なことを鮮明にその時の感情を伴って思い出す」という現象に悩まされる。



インナーゲームで言う「セルフ1」が手段として選ぶ可能性もあるが、今回は脈絡なく、特にリラックスしている時、暇な時に嫌なことが思い浮かぶことについて。










◆脳の可塑性とは

可塑性という言葉は、簡単にいえば「粘土みたいに形が変わる」ということ。脳の可塑性とはそのまま、脳は形を変えるということ。



どうも諸説あるようだが、例えばピアノ引けない人間に2時間ピアノの練習をさせてCTスキャンを撮った所、指を動かす部分が肥大していたという話がある。次の日にはもとに戻っており、4週間後に「定着」、つまり発達したまま安定したらしい。



また、脳内にある幹細胞が細胞分裂する際に可塑性は起きる、としているところもある。細胞分裂→成長ホルモン→睡眠とつなげれば、「睡眠に拠って記憶が定着する」というのは辻褄が合う。



脳の可塑性といっても脳には色々な部分、機能があるため「脳の可塑性とはこうだ」という調べ方・覚え方では間違いが出るかもしれない。諸説あるのはこのためだろう。



・例えば記憶については神経細胞を連結しているシナプスの中に記憶があり、その両端の細胞が刺激される際に育ち、そうでもなければ弱まることが発見されている。スパイクタイミング依存性可塑性(STDP)と呼ばれているようだ。長い。



・ピアノの例もそうだが、脳は「使えば鍛えられ、使わなければ劣化する」傾向が顕著にあるということ。わかりやすいね。誰だって知ってるわって突っ込まれそうだが。



・詳しく言っておくとしたら、「思っていたよりもすぐに育ち、すぐに戻る」こと、そして「繰り返せば定着すること」、何よりの朗報として「年齢関係なく脳にはこの働きがあること」。



◆イメージトレーニングと可塑性

・次。脳の可塑性は「イメージトレーニングでも発生する」ことについて。



・例えば前述のピアノの話の中で、イメージトレーニングではどうかという実験も行われているのだが、実際に効果はあった。初日だけピアノを引いて、後はずっとイメージトレーニングという形。



・ただ、ピアノ自体は大してうまくなってなかったらしい。脳だけ発達して。その場でのフィードバックの重要性が伺える話だ。イメージするだけの前提知識や記憶が無いとどうも捗らないらしい。



・日頃練習している人間がイメージトレーニングをするとどうなるかだと、バスケのフリースローでの実験がある。実際に練習する、何もしない、イメージトレーニングをする、の3グループに分けて20日後に結果を見ると、成長率はそれぞれ24%、0%、23%となった。



・これは「具体的なイメージが出来るならイメージトレーニングは本当の練習と遜色ない成果が出る」と言える。



・ただ、心理学的スキルを最も実践として扱うことに長けているのは、恐らくスポーツ心理学だ。成果主義の世界だし。スポーツの世界のこういったテクニックは一般よりも発達していると思われる。何よりコーチがいないから、一般の人がイメージトレーニングを行っても23%の成長とまではいかないのではないか。







◆トラウマ、フラッシュバック、自動思考などとイメージ

・さて本題だが、ここまで述べてきた「脳は粘土のように形を変える」、「イメージは現実同様に実際に脳を変えるだけの影響力がある」という点を並べた上で、カジュアルな意味での、つまり医者がガチで入院や治療を勧めるのではなく一般の人が日常生活の中で煩わされ、苦しめられるようなトラウマ、フラッシュバック、自動思考などと呼ばれるまぁ要するに「嫌なことが勝手に浮かんできて辛い」という現象を考えてみると、まぁ、ちょっとやばくないかと。



うつ病を例に取ると、「セロトニンが受け取れなくなる」とはよく言われるが、物理的に脳の一部は大きくなり、一部は小さくなっていることが観測される。「脳が変形している」と言える。まぁ可塑性として考えれば「元に戻る」ことも十分ありえるからあんまりオーバーに取らないでもらいたいが。



・勝手に浮かび上がる「嫌なこと」はネガティブな思考の「反芻」であり、そのまま「反芻思考」とも呼ばれる。反芻は知ってるだろうか。牛は4つ胃袋を持ってるんだが、食って消化して口に戻して消化してってして一度の食事から効率的に栄養を吸収している。反芻とはこの行為である。



・多分だが、うつ病じゃない人間が「反芻思考」を常日頃日常的に意識して行った場合、多分うつ病になるんじゃないか。脳の可塑性とは「それをやりやすくするための適応」であり、反芻思考のために脳が「最適化」されるとしたら。「思い出しやすくなり」、「勝手に思い浮かべやすくもなる」はずだ。言ってみればそういった「練習」をしているようなものなのだから。



・デフォルトモードネットワーク(DMN)、要するに「自動思考」をするように脳は出来ている。うつ病の場合DMNは過剰に働いていることが観測されている。脳のアイドリング状態とも呼ばれ、「何もしてない時」こそ活発になる。禅や瞑想、マインドフルネスでは「精神の放浪」、「頭の中のお喋り猿/モンキーマインド」なんて呼ばれてたりする。



・で、DMNが活発な時、つまりぼーっと何かしら思い出している時は、「いつも似たようなこと」を考えていないだろうか。具体的に完全に一致、というのではなく、その「方向性」「属性」「種類」が。例えば「今日誰かが言った酷いこと」を思い出すか「昔誰かが言った酷いこと」を思い出すかの違い、或いは「今の状況の不安」か「将来の不安」と言ったように、「カテゴリ」は同じではないか。



・DMN自体は別に悪いものではない。思考や記憶のこのような「撹拌」や準備状態のおかげで、人は即座に動けるし、新しいアイデアが思いつく。マインドフルネスでDMNは大人しく出来るんだが、日常において常にそれを行っていた者が「アイデアがさっぱり浮かばなくなった」と語ったらしい。やめたら元に戻ったんだってさ。



◆いやなこと「だけ」思い出す/思い浮かぶことについて

・概念的な話になるが、記憶は感情に紐付けられて格納されることが多い。記憶や思考回路はそれぞれのカテゴリで格納されていると思って欲しい。実際、トゥレット症候群、つまりチック症の一つに「汚言症」というものがある。意味はそのまま暴言や卑猥な言葉を突発的に脈絡なく叫びたくなったり実際言っちゃったりする症状だ。



・これは、「普通の人間なら日常で口にだすことはない」言葉だ。逆にその症状が出るとそれを「言いたくなって」口にする。また、躁状態の人間でも他人に対して「言ってはいけないこと/相手が気にしていること」を狙って連発して泣かせる事があるらしい。



・つまり、「言ってはいけない」というカテゴリでこれらのボキャブラリや記憶は格納されていると思われる。通常は「口にだすことはありえない」のもこのためだろう。人の記憶やボキャブラリー/知識は「種類別」にまとめられている可能性がある。どちらかと言えばこれは結果論で、シナプスが結合している=同じまとまりとして扱われているのかもしれないが。



・「先にシナプス結合ありき」の点で簡単な説明は、パブロフの犬だろう。餌を与える際にベルを慣らす。繰り返すうちにベルの音を聞けばヨダレを垂らすようになる。ベルの音とエサは本来関係ないが、環境を操作して同時に体験させ人工的に関連付けた結果、「関係がある/同じもの」と犬に学習させた=犬の脳内でベルの音とエサという概念がシナプスにより結合した。



・要するに、反芻思考とは「ろくでもない記憶・思考」というカテゴリへのアクセスを頻繁にすることだ。そしてアクセスすればするほどそのルートは「強化」される。獣道や轍を想像すればそれであってる。



・強化されれば、つまり道で言うなら踏み固められた獣道を通り越して「舗装された快適な散歩道」になるのなら、それこそ精神の放浪、つまりは「頭の中の散歩(自動思考)」の際にそこを通ることは自然と増えるだろう。「歩きやすいから」。



・そしてその「カテゴリ」に入り浸るほどにその場所は「発展」する。つまり、脳が「それがやりやすいようにさらに最適化する」。ものすごい悪循環だ。







◆対処法・予防法についての考察

・反芻思考はやめなければならない。これは確実だ。「やりすぎ」だからだ。内容がポジティブにしたって「しつこすぎる」場合には逆方向でダメだろう。これじゃ死んだ目をするかイッちゃってる目をするかの違いでしかない。



・つまり、根本的に「頭の中から抜け出す」ことを意識した習慣を身につける必要がある。メタ認知能力を鍛えるだとか



・別方向の思考的習慣を身につける、例えば無理にでも良かった探しする習慣を身につけることもアリと言えばアリだろう。人間は一度に一つのものにしか注目できない。一つの視点でしか一度には物を見れない。少なくとも後述する「虫にエサをやる」ことは避けられる。



・また、自動思考に対して「反応」するのは「強化」につながる可能性が高い。個々の記憶はダニエル・デネットの言うところの「注意のひったくり」、つまり承認欲求こじらせた奴が犯罪犯してまで注目を浴びようとするがごとく「あなた」の注目を浴びようとし、注目されることそのものが強化となり、「次もまた同じ手を使って注目を浴びようとする」可能性。



・まぁこれについてはなんというか、意識や記憶は個々の虫なり動物なりだと思えばいい。虫のほうがオススメかな。昔から虫を使った内面を表現する言い回しは結構ある。虫の知らせ、虫酸が走る、悪い虫が騒ぐ、虫が好かない、虫が嫌う、塞ぎの虫、虫がかじる。これら全て人間の感情や内面の描写だ。記憶の数だけ、欲の数だけ、思考パターンの数だけ、行動パターンの数だけこういう「虫」がいる。



・そいつらは「自分が餌を食うことしか考えていない」。そして本人がそれの「相手をすること」自体が、つまりリアクションし、連想すること自体が餌となる。なんてことはない、反芻思考とはゲテモノ牧場に足繁く通ってマメにゲテモノの世話をする行為だ。兵糧攻めしてやればいい。「相手をしない」という。相手をすれば言葉通り「味をしめる」。「無視が最大の攻撃」になる。虫だけにな!



・問題は、というか恐らくただの勘違いなのだが、「思い浮かんだ時点でアウト」ではないということ。結構いるんだが、「こんなこと思っちゃいけない」とか「こんなことを思い浮かぶのだから自分は悪人なのか」とか悩む人。逆だろう。それを知覚してスルーまたは制御することこそが人間性だ。そして、「勝手に思い浮かぶ」のは止められない。そこは「自動」思考なのだから。弱化はできるだろうけどね。



・とにかく、本来は即時対応のためのそれこそ「アイドリング状態」なのだろうが、まぁなんというか、「育ちすぎた」のだろう。寝ても覚めても準備運動ばっかやってて筋肉痛になるような。そして気になり始めたら、気にする限りは「エサ」を与えることになる悪循環となる。となると、悪化し続ける原因もまた見えてくる。



◆悪化する原因

・超厄介なことに、自動思考は導入が自然すぎる。前述の虫の例で言えば「気づいたらゲテモノ牧場にいてゲテモノまみれでした」って状態が多い。



・この上で、現実にいつも同じこと/似たようなことを考えている自分に気づくから、「自分はこれほどまでに気にしていているのか」「きっと自分にとって重要なのだろう」という「勘違い」をすることがある。真面目なタイプに多い。



・まぁ確かに獣道と牧場の例えで言えば、自分の足で歩いて行って自分からゲテモノまみれになってりゃ自分はゲテモノ好きなのかと思いますな。



・主観的にはそうだが、客観的には「ただ覚えてただけ」、「ただ思い出しただけ」な上で、その「虫」、つまり記憶や思考が何かの間違いで頼んでもいないのに「育ってしまっただけ」な可能性は十分にあったりする。そもそも本能的に嫌な記憶は残りやすい。危険予測に使えるからだ。



・そういった可能性があるのに、本人がなんか「これを乗り越えなければ自分には明日はない」的な使命感感じちゃうことが結構ある。これは確実に悪化する。明らかに「強化」される。



・トラウマや自動思考に悩んでいる人は、恐らくだが「あんな経験をする前の自分に戻りたい」という気持ちと「あんなことが現実にあるということを忘れることが恐ろしい」という気持ちのジレンマに悩まされているのではないだろうか。



・この状態は「ダブルバインド」に近い。本来は対人関係で言われることだが簡単に言うと、



1.否定的な命令/メッセージ
2.1と矛盾する否定的な命令/メッセージ
3.1と2から「逃げてはならない」という命令/メッセージ
4.結果、「世の中はそういうもの」として世界を見るようになる



というもの。前述の話にそのままあてはまる。「忘れたい」+「覚えていなきゃ怖い」+「自分にとって重要な問題だ」=自分の一生は/世の中はそういうもの。



人が怖い、社会が怖い、人生が怖いというのは、こういった状態ではないか。ダブルバインドは酷いと統合失調症のような状態になると言われているし、そうじゃなくても被害妄想、あるいは逆に言葉通りにしか受け取れない、または緊張して逃避するといった傾向が強まるとされている。



・一応ポジティブなことも言っておくと、「治療的ダブルバインド」というのがある。「どちらを選んでもいい二者択一をさせる」というもの。



見方だけ変えてやってみようか。「忘れてもいい(楽になれる)」+「覚えていてもいい(用心できる)」+「気づいたらどっちか勝手に選んでるだろ多分」=「なんかもうどうでもいい」。悪いが後半ふざけたが。



・だがこの例は結構真面目な話で、「使命感」を「選択肢」に変え、そして「放置することができる問題である」可能性への自主的な考察や分析、そして何よりも、虫の餌問題の根本的な解決である「気にしない」という精神的態度を身につけることにつながる。







◆「気にしすぎ」

・多分人から言われたこともあるだろう。「気にしすぎ」って。実際に経験した体験が同じでも悩む者とそうじゃない者に別れる理由はここにある。



・例えばコーヒー嫌いな人がいたとして、理由を聞くと大抵「苦いから」なわけだ。コーヒー好きな人にとっては「それがいいんじゃないか」って感じになる。体感している感覚は同じだ。別にコーヒー嫌いは味覚が鋭いってわけじゃないだろう。常飲者が麻痺してる可能性はあるが。



・で、コーヒー嫌いの人がコーヒー飲んでみた場合、大抵一口目でギブアップする。やっぱだめだー的な。薄く入れてもこうだ。他の「苦手な飲食物」でもこの傾向はある。なぜか。警戒し、備え、最大限の緊張と用心を持って事にあたるということは、飛んできたボールを顔面キャッチするようなものだからだ。痛いさ。手でとりゃいいのに顔で受けりゃ痛いさ。ご丁寧に匂いを嗅いだり「味も見ておこう」って舐めるのと同じだからさ。



・皮肉なことに「最大限の注意」は、どうしてもその対象に対して「注目し、警戒する」ことになる。一挙手一投足を、常に警戒して。即座に、機敏に反応するために。これが物理的に実害があるような、例えばスズメバチが飛んでるから近寄ってきたらはっ倒そうと思ってるとかならいいが、今回の場合、仮に過去に「犯人」がいたとしても、現実の問題は「頭の中」に発生する部分だ。やってることが逆効果になる。イメージトレーニングに効果があること同様、脳は現実とイメージの区別をあまりしないのだから。



・もう一度言うが、「相手をしてしまうこと」はこういったことになる。思い浮かぶのを避けようと/止めようとしたら、こういったことになる。「来ることを望んで待ち構えている」ことと同じことになる。自動的な部分は勝手に動き回る。「私達」ができる部分は、相手をしないことだ。



・まぁ、「ちょっとは気にしろよ」ってのもいるから、いつもながらバランスの問題だろう。



◆その他

・マインドフルネスでDMNは沈静化する事が証明されている。能動的に「静かになる」唯一の方法だろう。可塑性も加味して考えれば「余計なことを考えない体質(脳)作り」になる。



・無限ループする思考を「切り上げる」事ができることを自覚した方がいい。気づいたらゲテモノ牧場にいたというのなら、そこから出ればいいだけだ。今まではここで「自分はゲテモノ好きなのだ」と勘違いしてせっせとエサをやっていたということ。



・方法は(口で言うのは)簡単だ。「この考えは今回はここまで」として切り上げて、別のことをする。それだけ。・・・今、「別のことをする」という部分に拒絶反応がでたとしたら、多分相当煮詰まってるから尚更別のことで気晴らししましょう。「逃げてはいけない」という禁止令は一部の人は頻繁に発生し、かなり強い。



・「今回はここまで」程度に思ったほうがいい。もう一生悩まないと誓う必要はないし、逆効果だ。自動思考は直接コントロールできる部分ではない。その誓いは必ず破られ、あなたは自己嫌悪に陥るだろう。それに「いつでもやめれる」と自覚できれば、そもそも気にすることも=餌を与える機会も減る。



・向き合うことは時には必要かもしれないが、そればかりではなく、時には「気楽になれるような工夫」をしたほうが建設的なこともあるのではないか。



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