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注意力と集中力の違い

注意力と集中力の違い



 
「集中力がない」「集中力がほしい」「集中力を鍛えたい」という人は多いようだが、どうもそれって集中力じゃなくて注意力じゃないのかってケースが多々ある。
 

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・集中力

「集中」する力。集中するんだから、その分「周りが見えなくなる」。時には必要なことも。
 
特に体感時間が普段と変わる。時間経過を感じなくなる、と言ったほうが良いかもしれない。
 
基本的に目の前のものや思いついたものを追いかけてる状態なので、それ「だけ」は捗ったり、クオリティが高かったり、やり遂げることが出来たりするが、他が犠牲になることがある。
 
ぶっちゃけ段取りが悪くなる。「局所的な」やり遂げる力。その分ハマれば強いが。
 
なのでやることがハッキリしていて他に気を配る心配がないのなら有効となる。逆を言えばそれ以外の状況では他のものを「放置状態」にすることに他ならない。
 
究極とも言える集中状態に「過集中」がある。ADHDに見られるもので、まぁ比喩でも何でも無く言葉通りに三日三晩本を読み続けただとか、そこまでいく。しかも本人からみたら「気づいたら三日経っていた」と言った感じで。
 
もちろんこれは極端な例ではあるが、「止められなかったらいつまで続けていたことか」というような状態。
当然体力的に無理があるから過集中の反動で長期間無気力状態になったりもするらしい。
 
日常生活で必要かと言えば、そうでもない。職人だとか趣味に打ち込むだとかで勝手にこうなる状態だ。何よりも、本能というか脳というかがこの状態になるのを嫌がるフシがある。まぁ野生でエサ取るのに夢中になってたら大体天敵に美味しくいただかれるからね。
 

・注意力

注意を向ける力。俗に言う「気をつける」とは別物だと思っていい。どちらかと言うと「気を配る」。
 
対象を「中心」として、周囲にも気を配っている状態。
また、その注目具合も「適切」である状態。
 
一時期「分散力」なんて言葉があったが、まぁこっち方面だろう。
言い方を変えれば「それだけ」を見ているのではなく、「それを中心に全体を見る」力。
 
だから、集中力を欲している人間が本当に必要なのが注意力であった場合、何かが視野に入ったりそれを認識したことを指して「気が散っている」なんて気にする必要はない。「注目」しなければいいってだけの話になる。
 
禅やマインドフルネスにも通じる話だが、気がそれたことに気づいたら、自分が決めた「中心」に注目しなおせばいいだけだ。
 
注意力を発揮しようとするならば、集中力とは混同しないようにしたい。即ち「周りが見えなくなるくらい」を目指して意識的に集中しようとするのは多分逆効果だ。それが複雑な作業であればあるほど見落としが発生するだろう。
 
ある意味集中力があるADHDだが、こちらの「注意力」に関してはかなりの苦手分野だとされている。これは集中「してしまう」体質とも言えないだろうか。周りに配るべきリソースの分まで。
 
まとめると、集中力は意識リソースの100%を「注ぎ込もうとする」行為。注意力は意識リソースを100%「適切に分配しようとする」行為。
 ◆



・ゾーンやフローはどちらだ

非日常的、超越的な集中状態とされるゾーン/フロー状態。これは集中力、注意力のどちらなのだろうか。
 
改めて考えてみると、ゾーンはスポーツにおいて言われる事が多い。スポーツってのはルールがあるし、勝敗やゴールが明確であり「集中しすぎること」に対しての心配がほぼない。かなり恵まれた状態だ。思う存分集中できるという意味では。実際出来るかどうかはおいといて。
 
また、スポーツは比較的やることがはっきりしている。つまり対象が限られる。ボールを追いかけたり、打ち返したり、はたまたゴールを目指して走ったり。
 
ゾーンは「意識的に過集中になっている状態」といえるかもしれない。対象(プレイ)が終われば自然と解除されるので、過集中に見られるデメリットはほぼないといえる。元から不自然な状態だからどのみち脳が嫌がって我に返ると思うが。
 
対象にも依るか。例えば趣味や遊びなんかでは、それこそ子供なら日が暮れるまで、大人だったらもしかしたら真夜中になるまで没頭していた、なんてことはありえなくはない。いつまでも続けられるようなものだと、別にADHDじゃなくても時間を忘れるくらいの危険性はあるだろう。
 
一方フロー状態は仕事や日常に於いて見られるという扱いをされることが多い。ゾーンと比べて「穏やかな集中状態が長時間続く」ような表現で。
 
こちらはその作業内容に対して適切な注意力のバランスを維持し続けられている状態と言える。
 
なぜなら仕事や日常の場合、基本的にはその時間ずっと何か1つに没頭なんてことはなく、これが終わったら次、アレに注意しながらコレを、あそこから連絡が来るかもしれないからそれまではこっちをと、集中するにしても何かしらを気にしながら色々意識を分配する必要があるからだ。
 
これは集中力だけでは賄えない。集中している間他をある程度意識しているだけの「余力」が必要であり、その確保と適切な分配が注意力と集中力の違いでもあるだろう。
 
ゾーンとフローどちらも「没頭」「没我」状態になり、ある意味心地よさを感じるのは、そちらにリソースを使う分DMN(雑念の発生源。必要ではあるのだが)が大人しくなるからだろう。DMNが一番酸素とカロリーを消費するため、人間はある意味常に「実力を発揮できない」状態だが、そこから開放され、手元にDMNが使っていたリソースが渡されるため。
 
例えばマインドフルネスではDMNが静まるとされている。また、マインドフルネスで集中力が付くともされている。DMNが静まった分のリソースを「使えるようになった」とも取れなくもない。
 
多分集中力、注意力を発揮している状態の方が脳に限って言えば疲れない。DMNという名のキングオブリソース食いが大人しくなるからね。
 




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