「やる気」と前頭葉
やる気と脳の前頭葉には関連があるとされている。どのようなもので、どうすればいいのか。
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やる気と前頭葉
「やる気」と前頭葉は関係があるとされている。この部分がちゃんと機能している場合、意識的に決めた「やるべきこと」に注意を向け、そしてやり遂げることが出来るようだ。
やる気に関連した前頭葉の機能としては、
- 思考
- 行動力
- 集中力
- 決断力
- 分析
- 気を散らさないでいられる
など。
前頭葉は、まぁ脳の上半分の前半部分を占める。結構でかい。図によって前頭葉の大きさが違う場合があるが、それは「前頭前野」のみを前頭葉としている場合があるからだろう。そうじゃない場合には運動野、運動前野も含めている。
意欲、実行力、逆に欲や衝動の制御、そして
ワーキングメモリ、計画を立て、そして実行する能力、その他動物はやろうともしないで人間はできなきゃおかしいってことのほとんど全般はここが司っているとされている。「性格」や「理性」にも関わっている。
なので、前頭葉はその者の「人間性」に関わる、とも言える。
この前頭葉の働きが弱い状態だと、
- 我慢ができない
- 思いつきを実行する
- 思いついたら口が喋っている
- めんどくさがりになる
- ぼーっとしている
- コミュ障になる
- 好き嫌いが激しい、を通り越して態度に出る、顔に出る、嫌いならやらない。
- 幼稚な性格
- 計画能力の欠如
- 実行能力の欠如
- 先延ばしグセ
ああ、まぁ、症状は個人差があるらしいが、フルコースだった場合「やる気がなくてだらしなくて感情的で好き嫌いが激しい」。わがままか。
要するに、衝動や欲望に対して現実に実行に移していいか、つまりそれがやっていいか妥当かどうかやったらどうなるのかの「検閲」「シミュレート」の役割を果たす。「理性」そのものだね。
認知症の場合もほら、「さっきまでなにやってたんだっけ」とかお決まりのセリフはワーキングメモリが弱まってるといえる。ただの高齢に拠る認知能力低下の場合はどうもワーキングメモリ全体じゃなくて、「気づき」の部分だけが弱まっており、他はそれほどでもないらしい。
どのみち「注意を特定の対象に向ける」というのは前頭葉の働きなのだが。ちなみに前頭葉を物理的に損傷した場合、目についたものに本人の意志とは関係なく勝手に注目してしまうという「注意力の暴走」が起こるケースがあるようだ。
過集中状態に似ていると言えば似ているか。
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前頭葉のトレーニング
掃除や整理整頓
これらの行為は色々頭を使うし、効率的な手順の把握や実行に拠って鍛えられる。
また、前頭葉=ワーキングメモリと考えるならば、掃除や整理整頓以前に汚れた乱雑な部屋であることのマイナス効果にも注目するべきだろう。汚れた乱雑な部屋の場合、脳が無意識にどこになにがあるのか、今不要か必要かを把握しようとして勝手にワーキングメモリを使う。物が多いだけその「処理」は増える。
簡単にいえば「居るだけで気が散る部屋」になっている。だからこういった部屋を見た他人は見るだけで頭が痛くなり、こういった部屋に住んでいる本人は「片付けようとすると」頭が痛くなる。普段住んでいるときにも負荷はかかっているはずだが、それが日常なので気づかない。
運動
有酸素運動が良いとされている。前頭葉には運動を司る部分を含めるし、血流が良くなれば活発にはなる。
ADHDや認知症に於いて症状の改善として勧められているし、いい方向で頭が活発になる行為の代名詞とも言えるだろう。
ウォーキングが良いとされて入るが、時間がなー。30分とか1時間とか毎日このために使えるかって言うと厳しいね。
また、「慣れ」は避けたほうがいいようだ。脳に刺激を与える全般に言えることだが。慣れるとそれほど脳は動かない。だから例えば散歩のコースも「知らない道を歩く」などの一工夫はあったほうがいいとのこと。ルーチンワークじゃ意味がないってこと。
音読と黙読
音読するとセロトニンが出る、と言われている。本はなんでも良い。精神安定、快眠、意識を明晰にするなどの効果がある。幸せホルモンとか呼ばれてるね。
前頭葉にセロトニン受容体がある。安心だとかを「感じる」のは前頭葉だと言える。この上で、セロトニンを受け取ると前頭葉が活発になるようだ。
前頭葉トレーニングとしての音読の場合、「出きる限り早く読むこと」とされている。まぁトレーニングだから負荷をかけなきゃ始まらない。
さて、音読が気楽にいつでもできる環境ならそれでいいが、そうじゃない場合には、「クチパクでも効果がある」ことだけ覚えておこう。口の周りの筋肉と連動して脳が活性化するんだとか。
ただ、人間は自分の声の調子でテンション変わったりすることがある。いるだろ、延々とハイテンションで喋り続けるやつ。また、怒鳴り散らす奴はいつまでも怒りが収まらないものだ。出来るなら、「落ち着いた、理知的な声で」、音読したほうが良いとは思う。
黙読については、まぁ私達が普段やってる読み方だね。というかあなたが今やってる読み方だ。黙って読むこと。まさか音読してはいまい。前頭葉のトレーニングとしては、「イメージを働かせる」ことを重視して行うと良いとされている。このため、文学的なものだとか、まぁラノベでもなんでもいいか。想像力使えそうな本がいいということになる。
慣れないこと・新しいことをやる
慣れないこと、新しいことをやる場合、脳は活発になる。日常的なことでも、ちょっとした条件を付け加えればこれはクリアできるだろう。わかりやすいのは、ちょっとスピードアップしてみるだとか、もうちょっとクオリティを上げてみるだとか。
ともかく、「慣れ」ているものはあまり刺激がない。これは、他人から見てどれだけ繊細で、頭使ってそうでもだ。「知ってることをやる」のと「考えながらやる」ことの違いであり、言ってしまえば脳の使う場所が違う。
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前頭葉が本当に「弱い」のか
まぁ、綺麗に「前頭葉を鍛えましょう^^」で終われば良かったんだが、疑問が残る。
前頭葉の機能はどんな人間でも(嫌でも)酷使していそうなものばかりだからだ。むしろ(上手い下手は置いといて)ある程度出来てなきゃ刑務所にでも入っていそうな。
ADHDにしたってそうだ。一例としては「ちょっとここで待っててくださいね」と店員に言われたADHDの女性がその場から「一歩も動かずに」待っていたらしい。これ、やろうと思うのも実行するのも前頭葉が必要そうな話だろう。しかもどう考えても過剰に、つまり「やりすぎ」に。言われてるとおりに前頭葉が「弱い」だけなら、目に入ったものを追いかけてとっくにその場から消えてるだろう。そういったことももちろんあるらしいんだが。
彼ら彼女らは前頭葉の「体力」を速攻で使い果たし、疲弊するような思考パターンを持っているのではないのか。現に彼らは極端な白黒思考、満点か0点か、オール・オア・ナッシングな思考をしがちだと言われている。
また、
うつ病もそうだ。彼らは自分に厳しすぎる傾向が目立つ。自らを叱咤激励し、「頑張り続けた結果」にうつ病になる、というパターンは多い。というかうつ病になった後でも内面でそれを続けている事が多い。うつ病では気力が根本的に湧かない事が多いが、これは「疲れ切ったから」ではないのか。
で、調べてみたら前頭葉の血流がうつ病の人間は低下しているらしい。というか前頭葉の血流が少ないと心の病全般にかかりやすいらしい。
前頭葉の機能が弱い、或いはまともな使い方をしていない、そういったケースももちろんあるだろう。だが、大半の「普通の人間」がやる気が出ないといった場合(逆説的に今まで多少はあったということでもある)、前頭葉の機能は「疲労して一時的に低下」しているだけということはないのか。だとしたら「やる気が無いのは前頭葉が弱いからだ。だからトレーニングしよう」なんて言って酷使するのは逆効果と言える。
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つまり調子こいた、もとい、「やる気がある状態」そのものが、その後の「やる気がなくなった状態」の「予約」に成り得るのではないか。躁鬱気質のように。
そして私たちは、ある意味「やる気がある状態」の中毒とも言える。テンション上がって、活力がみなぎり、何でもやり遂げられるような気分になるからね。そしてやる気がない状態の時、また「あんな状態」を待ち望むではないか。あれは本当に自然体の範疇の「ベスト」な状態なのか。何かの間違いで「興奮」していた異常な状態なのではないか。「あの状態」に滅多にならないのは、私たちが普段理性的な証拠なのではないか。
どうもADHDの「過集中とその後の燃え尽き症候群」の構図と似ていると思う。あまり「やる気」を望み、頼らないほうが良いのかもしれない。
つまり、この場合はこう言える。「やる気がでないのは、やる気を使い果たしたからだ」と。実際、ADHDもうつ病も比較的調子がいい時に「次はないかもしれないから今のうちに」みたいに張り切って動き回ってまた力尽きるみたいなことをやってる人もいる。それで正解かどうかはわからんが、一度そういったときでも「穏やかに日常を過ごす」とか試してみてもいいんじゃないだろうか。案外次の日もその気分が続くかもしれない。勝手な想像だけどね。
また、前頭葉の機能のいくらかは「抑制」の属性があるといえる。「やってはいけない」「やるな」といった方向で「活発に働いた」場合には、まぁその通りになるだろう。こういった「我慢」状態でも前頭葉は活動している。
今回割愛したんだが、「前頭葉は言い訳/自分に嘘をつく部分だ」としている所もあった。根本的に「やりたくない」場合にやる気が無いのは、むしろ前頭葉が「やらないために全力で動いている」可能性が、無いといい切れるだろうか。
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どーもこう、余計な方向で働いてる可能性のほうが高いんじゃないのか。つかこれ、
セルフ1だろ。
交流分析のドライバーとストッパーとも言える。そうなると前頭葉が「日常的に働きすぎて肝心なところで疲れる」、あるいは「いらん場面で駄目な方向に超張り切って全力でブレーキ踏む」みたいなことになってるんじゃないか。
例えばドライバーとストッパー。ドライバーは完全であれ、急げ、もっと努力せよ、他人を喜ばせろ、もっと強くなれ。ストッパーはありのままでいるな、自由になるな、楽をするな、自分を優先するな、ありのままに感じるな(我慢して平気なふりをしろ)。これらを自分に「言い聞かせる」。前頭葉クサイだろう。
まぁ、いつもながらの「バランスの問題」といえるか。ゼロだったらやばいのも確かだし、足りなければちょっと鼻つまみ者になるのも確かだろう。他の部分とのバランスもある。鍛える必要がある人間もいるだろう。
だが、前頭葉鍛える必要がある人間ってのは私見だが、「好き嫌いが激しい上にそれを隠そうともしない」だとか、「ストレスを感じない人間」の方だと思う。その上で周りにストレス振りまくようなそんな野生児。挙句「自分は困ってないからなにも問題ない」とかいう奴。
大抵の人間の場合、他者評価はどうであれ内面はこういうのとは逆の人間性してるだろう。「やらなきゃいけない」、「辛いけど我慢しなきゃいけない」みたいなさ。そういった場合は、「使いすぎた」可能性も考えてみたほうがいいんじゃないのか。
私たちは普通コンプレックスの上に悪目立ち恐怖症だ。前頭葉が弱い訳がない、と思うね。
やる気が無いというのも色々パターンがあるが、例えば「考えただけで疲れた」というのは、前頭葉がシミュレート張り切ったからではないのか。結構目の前のことしか見えてないようなヤツの方が行動力あるじゃないか。それでいいとは言ってないが。
また、コントロールの問題とも言える。「
仮面が外れない」、例えば職場のルールを家庭に持ち込むだとか、そういったオンオフが出来ない、あるいはオンオフをつけるつもりが初めから全くないなどは明らかに前頭葉が「働きすぎ」だろう。
これは常時オンの状態であり、まぁ心身を病むのも時間の問題かもしれない。それより先に周りが我慢の限界になるかもしれないが。でもこれは結構多い。「休日を楽しめない」ってのは。オフにするのも何かのエネルギーが要る? そうなると、前頭葉の「稼働するための体力」の問題になるのか。
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ともかく、全く逆の可能性がありそうな気がする。なんとかやる気を出そうとアレコレする前に、「疲れ果てた」可能性があるのではないか。個人的にはものすごく「寝たほうがマシ」だと感じるんだ、この話題。しっかり休息を取って脳を休めて、それでもダメならそこで初めて前頭葉のトレーニングを考えても遅くはないのではないか。
また、トレーニングするにしたって「休憩」すること考えないと、疲弊するよねそりゃ。今回端折ったが(といって結局書いてるんだが)、前頭葉はドーパミンを消費する、というか減らすことがあるらしい。過剰にテンション上がりすぎたりはっちゃけたりしないようにね。前述の通りセロトニンの受容体もある。これらがエネルギー源或いはスイッチだとすれば、物理的に「店じまい」になることは在り得る。
まぁ音読したりウォーキングしたら鬱になりましたなんてこと聞いたことねーからどうでもいいかもしんない。
あと多分だが、「集中したほうが脳が疲れない」というのはある。
DMN(暇な時に勝手に始まる脳のアイドリング)がカロリーと酸素を大量に消費するわけだし、意識的な集中状態、つまり
マインドフルネスだとかやってる時は逆にDMNは沈静化するのだから。この点から見れば「仮にそうだとしてもやったほうがいい」ということにはなるのだが。
ただ、「断捨離しまくったらうつ病になりました」ってのは聞いたことがある。環境を激変させたから、或いは「
決断疲れ」の可能性もあるが、まぁやるなら無難に散歩か音読から初めておいたほうがいいだろう。
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