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最終更新:2017/09/29
アスペルガー障害のパートナーが直接の原因でうつ病のような症状になることを指すが、本人はなぜ自分が苦しいのかがわからないことが多い。
そしてトドメになるのが周囲の無理解。
■目次
■アスペルガー障害とは
■カサンドラ症候群とは
■アスペルガー障害の夫との結婚後
■周囲の理解が得られない
■なぜ噛み合わないのか
■診察
■「副作用」
■距離感
■共依存
■アスペルガー障害とは
参照:
・一種の発達障害。知的障害は伴わないが、対人関係などで不具合が出やすい。100人に1人くらいの割合と多い。その中でも男が多い。
遺伝的な因子に加えて、様々な環境的な要素でその種が「発芽」するのではないか、と言われている。
白黒思考、頑張っても起きる対人トラブル、相手の表情を読めないなど「言葉で言われないと伝わらない」傾向などがある。
一般的には「人の気持ちがわからない」「自分勝手」だとされやすい。
また、どれか一つの感覚(視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚)が異様に鋭い傾向がある。
些細な物音がしただけで騒音のような捉え方をしたり、シャワーやブラッシングなどが苦痛だったり。
夫が自分勝手である分、妻がヒステリックになることが多いとされている。元からか後からかは不明だが、ストレス溜まるので後天的にそうなることは多い。
重要なことだが、先天的なものなので「治らない」とされている。
参照:外部サイト:
というか、そもそも病気や障害かどうかから意見が別れている。
どの道、身近な人間がストレスを感じて心身に異常をきたすほどの「個性」ならば、付き合い方は工夫する必要はあるだろう。
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■カサンドラ症候群とは
・アポロンとカサンドラ
由来はギリシャ神話から。
プリアモス王の娘カサンドラは、太陽神アポロンに愛され、「自分の愛を受け入れれば、百発百中の予言能力を授ける」と誘惑した。
カサンドラはこれを受け入れる。
その瞬間、カサンドラはアポロンが自分を弄んで捨てる未来を知り、アポロンの愛を拒絶する。
これに怒るアポロンは、「カサンドラの言葉は誰も信じない」という呪いをかけた。
アスペルガー障害者について、妻が「本当のことを言っているのに誰も信じない」という点にかけてカサンドラ症候群と呼ばれるのだろう。
ちなみにアポロンと言わずギリシャ神話の神々は大体こんなん。特に親父(ゼウス)が酷い。
・カサンドラ症候群
始めに言っておくが、妻がアスペルガーなケースも当然ある。「両親どちらもアスペルガーだった」という人もいた。
統計上は100人に1人くらいはいるわけだから、恐らく誰にとっても他人事ではないだろう。
症状としては、
- 偏頭痛
- 体重の増減
- 自己評価の低下(自信喪失、他人に対して低姿勢)
- パニック障害
- 抑うつ
- 無気力
病名としてのカサンドラ症候群は、精神障害マニュアルでは認められてはいない症状である。
現状ではアスペルガーの伴侶とのコミュニケーションの不成立で起きる「現象」の様な位置づけになっている。
まず、パートナーとのコミュニケーションがうまくいかない。このことから自分のコミュニケーション能力に自信がなくなってくる。また、結婚後に高圧的に振る舞ったりなどの夫の態度の豹変が珍しくない。
通常、健康的なコミュニケーションはお互いにエネルギーを高め合う方向に作用する。
カサンドラの場合、妻は夫に「分かってもらおうとして」エネルギーを注ぐが、それらは空振りに終わる。
これが毎日続くので、妻は精神的に疲弊する。
次に世間的には問題なく振る舞える夫の「問題点」を他人に話した所で「信じてもらえない」。
特に女性は共感能力が強く、問題の解決まで至らなくても「分かってくれるだけでいい」というケースが多い。
というか、男が解決しようとアドバイスすると「そうじゃない」と言われることもあるね。
しかし、「わかってもらえること」すら封じられる。悩みは1人で抱え込まなくてはならなくなる。
ここでも「分かってもらおうとしてエネルギーを使う」が、やはり分かってもらえない。
カサンドラ症候群に於いて特に問題となるのは「分かってもらえないことに依る孤独」だ。
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・カサンドラ症候群の判断基準
正式な病気にはなっていないが、診断基準は存在している。以下はWikipediaから。
大きく分けて3つのカテゴリーの内、一つずつが最低当てはまることが条件。
1.パートナーの内、少なくとも一人が、
低い感情知能
(自分の感情のコントロール能力)
アレキシサイミア
(自分の感情が分からない傾向を指す。空想・想像力が欠ける。「感情がない」とは違う)
低い共感指数
(他者の感情の知覚能力)
であること。
2.人間関係において、
- 激しい対立
- 精神肉体を問わず家庭内虐待
- 人間関係の満足度の低下
- 及び質の低下
3.以下の精神的、肉体的症状があるかどうか
- 低い自己尊重
- 混乱、当惑の感情
- 怒り、抑うつ、不安の感情
- 罪悪感
- 自己喪失感(※アイデンティティの危機※)
- 社会恐怖症や広場恐怖症
- PTSD
- 疲労感
- 不眠症
- 偏頭痛
- 体重の増減
- 月経前緊張症
以上。
誤解の無いよう付け加えるが、これらの症状は別の原因でも十分にありえる。2と3は
うつ病や
ストレス障害なら当てはまる。
1においても一般人が「そう見える」だけでは十分ではない。専門家の診断は必要だ。後述するが、「アスペルガーだと思う」として妻同伴で診断を受けた人間の内、8割位は別の問題だったらしい。
・アイデンティティ崩壊の危機
アイデンティティは、自分の信念などではなく、どちらかと言うと「自己認識」に近い。
カサンドラ症候群で言えば、まぁ結婚まで行った仲のはずの相手とコミュニケーションが取れない。言動の理解ができない。やるはずのことをやらない、出来るはずのことをしてくれない。
そういった「混乱」は、今まで上手くやっていた(そしてこれからもやっていけるだろう)という自己認識の「崩壊の危機」だということ。
「状況/環境」もアイデンティティになり得る。「幸せな家庭」だったはずが例え家に夫が居ても「家に1人きりで全ての問題を片付けなければいけない」という心境に変わる。
要するに過去への不信と将来への不安だ。後述するが、アスペルガーの夫の場合、結婚後か子供が生まれた後で態度が変わるケースが有る。
人によってはこれで「騙された」と感じることもある。「騙されて(人生的な意味で)ここまで連れてこられた」のだと感じたら、不安にもなるだろう。
ただ、この結果カサンドラ症候群の人間が家庭内暴力、虐待などの「加害者」になることもある。
そして夫婦間のとばっちりは大抵子供に行く。
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■アスペルガー障害の夫との結婚後
1.恋人気分のままだった場合
子供が出来ると問題が生じる。子供をライバル視し、子供にかまける妻を「裏切った」とする。彼らにとってはこれが「浮気」に感じられるようだ。
「妻」というよりは「自分に関心と愛情を注いでくれるもの」つまりは「母親・保護者」としてパートナーを初めから見ていたのではないか。
こう言った人間が子育てを継続して行うためには、経済的なメリットを提示するか、医師や教師から「評価される必要がある」とwikiに書いてあるが、なんというか「どうやってワガママな子供に手伝いをさせるか」みたいな感じがする。
2.「身内」として認定する
「釣った魚にエサはやらない」形になる。最早パートナー相手に取り繕う必要はなく、「ありのままの自分」として振る舞おうとする。
彼らは基本的に一般的な「普通・当たり前」が「しんどい」。できなくはないようだが。
結婚前の妻に対しての振る舞いは「結婚する」と言う目的・利益・ゴールを目指して「頑張った行動」だったわけだ。「自然体」ではなく。
ちょっと調べてみたら、ハッキリと「今までのは全部ウソ」と言い放った男もいるようだ。
言っておくが、「悪気はない」のと「悪くない」は違う。天然だとしてもこれではただのドクズだ。
拠って結婚後に同じ振る舞いはしない、ということになるらしい。
具体的には嫁のネグレクトというか、基本的に「空気として扱う」感じになるタイプ(1人が一番気楽だから)。
もう一つはワガママな自分ルール全開。亭主関白というか、威張りだし、妻を見下し、山猿のボスのような振る舞いになるケースもあるようだ。
こちらのタイプは家庭内の問題などを「妻の責任」にすることが多いらしく、尚更妻を追い詰める。
何れにせよ、結果的に妻は夫の「自然体」を「初めて目の当たりにして」、戸惑うことになる。
どちらも妻が「孤立」を感じるには十分だろう。
1は1人で子育てしなきゃならない。と言うか子供が増えてる。
2は「全部お前の責任だ」と問題を押し付けられる。そしてイジメられている。
そしてどちらもその状況を「誰も分かってくれない」。
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■周囲の理解が得られない
・「そんなものだよ」
カサンドラが悩みを共感しようと話しても、大抵こう返される。実際によく聞く話だからだ。
例えばかまってもらえない、家のことは何もしない、結婚したら態度が変わった、子育てに協力しない、など。
例えば自分の親にそう言ったとしても、「うちもそうだったよ」と笑って返されて終わる。
多かれ少なかれどこでもある。どこでもあるが、「程度」が全く違うわけだ。しかし、カサンドラ症候群本人からしてその違いに自覚がない。
誰に言っても「そんなものだよ」と返される。
では「普通」が耐え難い自分が異常なのか?
自分が普通ではないのか?
自然と思考がそう傾く。
だからカサンドラ症候群は自信喪失状態で、対人関係が怖くなる。前述の症状に自己尊重の低下、社会恐怖症、広場恐怖症があったね。
この構造はガスランティング(被害者に偽情報を与え続け、本人が自分の正気を疑うように仕向ける心理的虐待)に似ている。
・「何で結婚したの?」
じゃあ独身者に相談してみよう。としても大抵「そんなやつと結婚するのが悪い」と返される。
まるで暗に「お前に人を見る目がないのが悪い。自業自得だ」と言っているかのように感じられるだろう。
だが、前述の通り夫が結婚後に「豹変する」のだから、妻の「人を見る目」だけの問題ではないだろう。人を見る目と言うかアスペルガーの知識がないと無理。
そしてこちらも、誰も原因が分からない。カサンドラの妻は「自分の人を見る目がなかった」と自分を責めるかもしれない。
「自分の失敗」なのだとしたら、自分を責めることしかできない。こうして症状は酷くなっていく。
ちなみにだが、アスペルガーはある意味「天然」でこれだが、「狙って騙す」男も当然いる。
特に自己愛性人格障害の「外での猫かぶり」と「家での亭主関白ぶり」が非常に類似しているように見える。
カサンドラ症候群は、今のところアスペルガー障害に纏わる話に留まってはいるが、現実には加害者と何も知らない周囲の人間が共同で行う「ガスランティング」に近い。
参照:
→モラハラの加害者と共犯者
・言葉は万能ではない
言葉では伝わらない理由は、問題が「頻度」「程度」だからだ。確かに1つ1つの出来事は、「どこにでもある」「誰でも経験する」ことかもしれない。
それが毎日、何度も、そしてこれからも永遠に続くであろう結果がカサンドラ症候群であり、相手にはそれがわからない。
「頻度」はかなり伝えづらい。記録でもない限りは難しい。その都度言っても相手からしてみれば「またその話?」くらいにしか受け取られない。回数を言っても盛ってるだろうと思われる。
これは
モラハラ被害者が心身を病み、孤立する経緯と非常に酷似している。
例えば、すれ違って肩がぶつかった、としよう。これと一日に10回すれ違うたびに肩をぶつけてきてそれを毎日続けてくるやつに狙われてる者と、「同じ」かと言えば全く違うよね。
この上で後者が「アイツが肩をぶつけてくる」と言われた側は、「一回」だと思う。自分の「すれ違った時に肩がぶつかった経験」、つまり前者を思い出して。
「誰にもそのうちあるかもしれないことだろう? そのくらいでなに?」
そして相手が善良で友好的であり気持ちをわかってくれようとしても、想像できるのは一回ぶつかった場面だ。「しつこさ」に対しての具体的イメージは難しい。似たような経験があるのなら話は別なのだが。
アスペルガー & カサンドラ の構図は、モラハラ加害者 & モラハラ被害者 の構図とほぼ一致しているように思われる。天然か故意かの違いがあるが。
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・そもそも相談しようと思わなかったケース
つまり、「初めから何も人には言わずにずっと1人でなんとかしようと抱え込む」という形になるケースも有る。
・この状態から「我に返った」流れを一つ紹介しておく。
アスペルガーの夫によるストレスで重度の不眠・無気力と言った各種ストレス障害が発生し、尚且つ常日頃からの夫の言動に我慢の限界が来て「出ていって、私はおかしいから(つまりこの時点では自分のほうがおかしいと思っていた)」と夫と別居。
その後女性用の家庭の問題の相談所などに相談した所、「それは虐待にあたるのでは」、と各種手続きをスムーズにおこなってくれた。このタイミングで目が開けたというか、頭の霧が晴れたというか、そんな気持ちになれたらしい。
生憎虐待扱いにはならなかったらしいが、「現実に他人が話を聞いてくれ、助けようとしてくれた」というこの経験はブレイクスルーになったらしく、親しい友人にも相談できるようになった。
その友人たちは「絶対におかしい」「何か障害でもあるのでは」と指摘。調べたらどう考えてもアスペルガーでした、つまり自分はカサンドラでした、という流れ。
後日、障害者センターのソーシャルワーカーに相談したら「一番厄介なタイプですよ」とのこと。「自分は困ってないから問題ない」と言い張るタイプだったらしい。その後正式に発達障害と診断。
ちょっとおさらいしておこう。当人がブレイクスルーだと感じたのは相談所の人間が親身になってくれたからだ。だが本質的にはこの点ではなく、「相談所に行った」事そのものだ。
この点、まずは近くの友人に、だとやっぱり無理解が返ってくるかもしれない。今回の場合友人たちは理解を示してくれたわけだが、
【後知恵バイアス】の可能性も否めない。つまり友人たちは相談所でそこまでやってくれたという話を聞いたからこそ、夫のほうがおかしいのでは、と思ったのではないか。
そうじゃなきゃ「うちもそうよ~、ケンカなんてしょっちゅうよ~」とかで終わるんじゃなかろうかという懸念。だってほら、今のセリフ声付きで脳内再生余裕だろう。
つまり、「初めにプロに相談に行った」。ここがターニングポイントだったのではないかと思う。
■なぜ噛み合わないのか
・本人にも配偶者にもアスペルガー障害の自覚/知識がない
本人は「普通」にしているわけで、そこにケチを付けられても困る。
配偶者にしてみれば、「普通」じゃないわけで、そこは直してもらわないと困る。
加えてこれらは「一緒に暮らしてなければ見つからない問題」であり、他人にはただの「よくある愚痴」にすぎない。
夫からしてみれば、「普通」にケチを付けられるストレスを妻から受けており、実際妻を「敵視」しているケースも珍しくはない。
また、アスペルガーは大人になってから発症するわけではなく、物心ついたときからその傾向はある。その分周囲に説教やダメ出しはよくされることは多くなる。そしてその「対応」が身につく。
例えば相槌を打って返事をして実は何も聞いていない、話を打ち切る、話を逸らす、逆ギレするなど。簡単にいえば話し合いに対して「逃げグセ」が身についていることが多い。
まぁ、アスペルガーに限らずADHDとかでもこの傾向はあるし、さらに言えば別に発達障害でもなんでもなくてもこの「処世術」が身についていることはあるのだが。
この上で妻は夫を「なんとかまともに直そう」「わかってもらおう」としており、「何度言ってもできない夫」、そもそも「自分と向き合ってくれない夫」、「話を聞いてくれない夫」に対しての怒りが溜まっている事が多い。
この「夫が話を聞いてくれない」というのもまたわかってもらえない部分だろう。よくあるからだ。言われた側はここまで根本的だなんて思わず、せいぜいが「かまってもらえない程度」だと想像する。
加えて世の夫側からしてみれば、妻が語る終着点がない最後まで聞いてもスッキリしない会話が苦痛だったりするもので、まぁスルーする傾向は元から高い。解決脳と共感脳の違いってやつだね。
・カサンドラ症候群とは、アスペルガー障害とそうじゃない人間とのコミュニケーションの問題になる。
双方がアスペルガー障害について理解し、状況をコントロールする必要はある。
双方、「視点」がかなり違う。「普通」が違うから当たり前なのだが。
そしてもっとも重要なことが、どちらも「自分の普通が正しくて、相手の普通が未熟/間違っている」と思っている点だ。
人間同士のトラブルはほとんどこれなんだが。自分の普通/正義を担いでの殴り合い。
この上でアスペルガー障害の場合、衝突を避けて逃げまわるか、真っ向正面で一歩も譲らないかの二極の傾向が強いらしい。
わかり合おうとしたところで毎回カサンドラは「不完全燃焼」で終わる。解決に至らずとも「共感」さえしてもらえればまだマシかも知れないが、それは誰からも得られないのだとしたら孤独だろう。
■診察
wikiによれば、妻同伴で診察に来て、実際にアスペルガーだったケースは全体の2割ほどだという。
別の病気だったり、コミュニケーションそのものの問題だったりすることも多いようだ。
逆を言えば「夫がアスペルガーじゃなくてもカサンドラ症候群にはなる」。
診察の場合、当の本人が「俺は病気じゃない!」とかなり抵抗するケースばかりだが、なんとか連れて行った人の話しによれば、「どれだけの名医で、精神的なケアをすることによりどれだけのメリットが有るか」を「プレゼン」したらしい。
まぁなんというか、前述の「子育てに協力させる方法」に似た利害で動く面が見て取れる。
実際の診察だが、全ての医師がアスペルガーについて精通しているわけではないので下調べは必要になる。
現代では発達障害外来やADHD外来なども病院によってはある。診察とまではいかなくとも、大人の発達障害についてのプロに依る有料相談もある。
やはり大きな課題は本人をどう説得するかになってくるだろう。
特に「自分は何も困っていない」という返しが多いようだ。これについては「こちらが困っている/苦しんでいる」ということを何日もかけて説得した、という話をよく見る。
ただ、前述の通り夫が妻を「敵」だと思っているケースがある。
そんな相手に「お前はおかしい、病院に連れて行ってやる」みたいなことを言われたら感情的な反発は容易に想像できる。
いっそ「どうやって説得するか」からプロに相談してみるのもいいかもしれない。実際、最初は自分ひとりで相談に行ったという話もあった。
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■「副作用」
カサンドラ症候群から抜け出す際、「副作用」が現れるとの指摘が在る。
「感染」
アスペルガー障害は「究極の男性脳」と呼ばれもする。論理的なこと「しか」わからないから、だとか。
このため、相手と成立するコミュニケーションを取って付き合っていくためにカサンドラは「自分の思考や感情を論理的に説明する」必要がある。
こちらも自己主張し、合理的に物事を考え、論理的に説明する。
こう言った日々が続いているうちに、それらが思考的習慣となり、言動がアスペルガー障害と同じになる。
この結果、自分で「嫌な性格になってきた」と感じたり、夫以外の人間とは逆にコミュニケーションが取れなくなってくる。
これまたアスペルガー相手に限らない話だ。人は、周りの人間の影響を嫌でも受ける。心底嫌いでも。
「求めたものは存在しなかった」
アスペルガーに対して理解をしたとしても、「普通」が違うことには変わらない。
思い描いていた「暖かなコミュニケーション」を相手は決して与えてはくれないことを知ってしまい、思い描いた「暖かな家族風景」はその通りの形ではこの相手とは絶対に得られないと悟ってしまい、やはり寂しさは残るらしい。
■距離感
「離れるしか無い」とまで言われていたりすることもある。
・バラとサボテン
※
(詩の要約)
サボテンを気に入ったバラだが、サボテンに合わせて砂漠に住むのは難しかった。
生きていくために水がほしかったが、少しずつしおれ、やがて何も感じなくなった。
サボテンの愛し方を知らず、バラに変えようと一生懸命だった。
サボテンはバラのように振る舞ったが、一人のほうが心地よく、孤独に戻っていった。
しおれたバラを、ほかのバラたちは仲間はずれにした。
やがて、サボテンには別の愛情の示し方があると知り、サボテンは変種のバラではないと気づいた。
二人が同じ植物になるより、違いを受け入れ、お互いを大切にし合おう。
二人の子供は、バラの野生・繊細さ・色鮮やかさと、サボテンの頼もしさ・強さ・人を惹きつける魅力を併せ持つだろう。
※
※
無理なことは本当に無理で、諦めなきゃいけないこともあるのだろう。
別の距離感としては、「別居したら上手くやっていけるようになった」と言う話を結構見かける。
何れにせよ、「上手くやっていける距離感」を見つけられるかどうかは重要だろう。
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■共依存
厄介なのが、妻側が
共依存になっていることが多いこと。
アスペルガーの人間は何らかの魅力を持っていることが多い、とされる。その上で天然で、子供っぽい部分がある。
恐らく人によっては「母性をくすぐられる」。
だからいつまでもどこまでも世話をしようとする傾向がある。自分がすり減っていくことに気づかずに。
アスペルガーの人間は自分が起こしたミスやトラブルに対しても自覚がなく、パートナーか状況のせいにしたりすることが多いとされている。
一方共依存の妻は「それらはたしかに自分の責任だ」と抱え込むなど、一種の「生態系」が出来上がっている。
アスペルガーに「自分のせいでミスやトラブルが起きる」と自覚させるためにも一時的な別居は有効だとされている。
しかし共依存の妻の場合、「まず距離を取る」という発想自体が恐らく湧いてこないだろう。「自分がいてあげなきゃならない」だとかそんな感じで。
・さてまぁ、私がさっきから「パートナー」という言葉を使っているのも今回は意味がある。
実際の所は夫が「協力者」「共に歩むもの」「伴侶」ではなく、「面倒を見なきゃいけない人」になっていることが多い。
特に共依存の場合は相手のことをそう認識している。
自覚の有無は置いといて、妻の心境的にはシングルマザーや要介護の両親の面倒を見ている人に近い。
その上でそれらと違うのは「周囲の理解が得られない」ことだ。だから孤独を感じるし、実際に1人だけ(他人の分も)問題を抱えまくっているのだからそれはそうだろう。介護うつだってかなり深刻なのに、それ以上だ。
どの道、いつまでも一緒にいるつもりなら、なおさら「自分の分」は自分で背負ってもらったほうが良いだろう。
あなたは世話係ではなく、パートナーなのだから。
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