「やらずに後悔するよりも、やって後悔しろ」とはよく聞く話。こんな言葉が広まるくらいには、行動力のなさに悩んでいる人がいる。
なぜ行動することに抵抗があるのか、なぜ同じことを悠々とやる人間がいるのか?
玉石混交。良し悪しはこれだけじゃ決められない。根拠なく出来ると確信していれば間違っているし、本当にまだ間に合って、先にするべきことがあるのなら問題はないわけだ。
ただ、大きく目立つ違いは、行動力のない人は「やり遂げなければならない・完璧でなければならない」とプレッシャーを感じているのに対し、行動力のある人は「とりあえずやってみよう」程度の割りと軽い気持ちで行動に移すことだ。
これは初めてやるようなこと、過去に失敗した経験があること、そういった物事に取り組まなければならない場合に多い。
アクションを起こすことに抵抗があるのは、失敗を恐れているからだ。誰だって恥は搔きたくないから失敗したくない。失敗したくなさすぎると、行動したくなくなる。
失敗したらそこでゲームオーバー、ではなく、まだまだ人生は続く。はっきり言って、一つもミスなく生きていくのは不可能だろう。人生をノーミスクリアしたいのなら、諦めたほうが建設的だ。ソクラテスは嫁が悪妻で有名、つまりは結婚する相手を失敗しているわけだし(わかってて結婚した可能性もあるが)、エジソンも子育てでしくじっているわけで。
「取り返せる失敗」なら一度挑戦してみたほうが経験値を稼げる。失敗した所でフィードバックして、次に活かせばいい。簡単に言うと、ゲームでボスの攻略情報調べるよりレベルを上げて物理で殴ったほうが手っ取り早いと言う話。
行動力の有る人間の特徴の殆どが「考える前に動いている」感じがするのは、彼らが「やったほうが早い」と思っているからだ。大体の目処が立ったら行動に移す者と、他に問題はないか考える者の違い。
そして失敗したら失敗したで「次はこうしよう」と考える。想像ではなく実体験からのトライ&エラーだから成長も早いだろう。
もしかしたら重要な何かを見落としていて、自分はそれに気づかないまま行動を起こそうとしているのではないか?と言う不安。漠然としていて、根拠が無い不安。
アドラーの目的論で言えば、これは恐らく「やりたくないからやらなくていい理由を探している」状態だ。
まぁ本当に後から「気づくべきだった」と後悔することも有るかもしれないが。でも考えてみて欲しい。「じゃあやめとこう」となった所で、ほぼ確実に似たような問題がまた目の前に転がってくる。
この事の問題は、行動しないかぎり「結局どうすればよかったのか」が永遠にわからないということだ。
出来るかどうかわからないから不安になる。やってみなければ本当に出来るかどうかは分からない。これはちょっとしたパラドックスだ。いっそ本気で一生かかわらないでいられるのなら、それはそれでいいだろう。
問題は、やらなきゃいけない場合。行動には必ず失敗の可能性が有る。必ずだ。これがゼロになるまで考えよう・待っていようとすることは、一生動かないことを選んだも同然となる。その間になんやかんやでなんとかなることもあるが、あまり期待できないだろう。
それ以外の場合は最終的に、「失敗するかもしれないけれどやる」、という行動を選ばざるをえない。だったら失敗対策をしたほうが建設的じゃないか。
例えば知らない街の何処かへ、決められた時間にどうしてもいかなきゃならなかったとしたら、早めに出ればいいだけだ。最悪道に迷ったら、コンビニで道を聞くなり、タクシー呼ぶなりすればいい。
「計画通りにいかなくても対処は出来る」 と分かれば、そしてその実績を積んでいけば、それだけで行動力は増す。
前述したように「絶対に大丈夫」と言う確信にたどり着くことは永遠にない。まぁ【絶対】の定義にもよるけど。
最適解が見つからなくても、やるべきことを終了させる方法はいくらでもある。それこそ手探りでも大抵は終わらせられる。また、未知の部分を含む場合、決して思考だけでは答えにたどり着けない。それこそ「やってみなくちゃわからない」からだ。
そういった問題のいくらかは、その「考えてる時間」を手を動かすことに使えば終わらせることができるものである。
それに実際にやって見たほうが現実的な問題点も見えてくる。終わらせるつもりじゃなくてもいい。「試しにやってみよう、駄目そうなら引き上げよう」程度の心持ちで構わない。様子見とかそんな感じで。
なんというか、行動力のない人はその分行動に対する責任感が「重い」事が多い。「手を付けたからには絶対に完璧にやり遂げなければならない」みたいな。
クオリティを求めるのは立派だが、「出来ることしかやらない」じゃ意味はない。それに、「やってればできるようになる」ということも有る。
失敗が怖い、完璧にやらないといけない。そう思い込んでいる背景の一つに、他人の評価というものがある。
あなたが何かを失敗した時に手を叩いて喜ぶような人間しか周りにいないのなら、そりゃ何もやりたかないだろう。
或いはあなたがやったことにネチネチとケチをつけるとか。
自己愛性人格障害やフレネミーなどの異常者、或いは嫉妬心にかられた自称健常者などはこういったことを執拗に続けるし、被害者にトラウマを植え付ける。あなたがブレーキを踏んでる理由がこういった連中の言動のせいなのなら、その記憶は消去して構わない。別記事でも書いたが、「純白のものを薄汚れていると言い張る連中」だ。
それに物事なんて視点によって良い所も悪い所もいくらでも見つけることが出来る。あなたのやり遂げた成果に対して、貴方自身が誇れるのなら、それでいい。他人の介入する余地はない。課題の分離だ。
気にするべきはゴールまでの距離。自分は進んでいるのか、立ち止まっているのか、遠ざかっているのか。それだけでいいだろう。
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