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人を怒らせてしまう人はどうしたら良いのか

人を怒らせてしまう人はどうしたら良いのか


  

知らないうちに相手を怒らせてしまう、と悩む人は何が原因なのだろうか。
相手が間違っている可能性ももちろんある。だが、誤解を招くような「何か」がその人にはあるのかもしれない。
悪気がないのに相手を怒らせてしまう。何が悪かったのか自分でわからない。そんな人はどうしたらいいのだろうか。


更新履歴
2017/4/4 加筆修正

§目次

■怒られても「悪い」とは限らない
■「悪気はない」は相手には通用しない
■「思った通りに口にする」のは大体NG
■内言と外言の違い
■何が言いたいのかわからない
■「質問」はコミュニケーションではない
■人は大抵悪く取る
■すぐにできる話し方:アイ・メッセージとユー・メッセージ








■怒られても「悪い」とは限らない

まず言っておくべきことは、相手が怒ったからと言って必ずしもあなたに非があるとは限らないということだ。
図星を指されると怒る人間も居るし、都合が悪いことを認めないための「逆ギレ」の可能性もある。
更に相手を支配するために「怒っていい理由」を探す、または捏造して怒る、というとんでもないのもいる。

これらに対する自衛のためにも、自分の言動に注意を向けたほうが良いだろう。
不必要に相手を刺激するのは得策ではないし、付け込まれる隙を見せる義理もない。

逆に「相手が怒っても仕方がない」というようなことももちろんある。
だが人間同士である限りこれは必ず起きるだろう。状況が悪化するのはむしろその後のフォローの仕方が原因であることが多い。

何にせよ、「怒られるのは自分が悪いからだ」とは限らない。
その判断をするためにも、自分の言動が間違っていたかどうかの自覚が出来るようになる必要がある。






■「悪気はない」は相手には通用しない

怒らせるような言動をしていたとして、それに気付けるのは相手が怒った後がほとんどだろう。
相手はもう怒っているわけで、「怒らせないノウハウ」はこの場面では使えない。

さてまぁ、相手は怒っているわけで、理性的ではない状態だ。
こういう状態の人間は「悪気はなかった」という言葉は通じない。

怒るというのは戦闘態勢になることだ。ハッキリといってしまえばあなたのことを「対応が必要な脅威」だと認識している状態だ。
だからやたらと怒る人間は臆病者だとも言われている。
本当に悪いかどうかは別として、相手が怒ったトリガー、つまりはあなたの言動そのものは実際に言った/やったことである場合、「悪気はなかった」と言う言葉は相手に通用しない。
相手からしてみれば動機がどうあれ、言った/やったことに脅威を感じたのは事実だからだ。


加えて言えば何をどうした所で気が済むこともないだろう。謝られたってスッキリすることはない。
大抵は怒っている側も怒らせた側も双方損をする結果になる。
自分の言葉で相手が怒った場合、理由は2通り。

1.相手が過剰反応する
2.自分が無神経だった

1の場合、前述の通り臆病な人間はすぐに怒る。
そうじゃなくても、何か当人が気にしているようなことをヘラヘラ笑って突っつくような真似をしたのかもしれない。

「相手の逆鱗に触れる」と表現される行為だ。
ネットスラングでは「地雷」と呼ぶが、同じ相手の地雷を何度も踏んで爆死している人間も居る。

地雷は大抵の場合、「話題」か「キーワード」かのタイプがある。
話題の場合、相手はノリ気じゃないか話を変えようとしてくるからそれに合わせればいい。

キーワードの場合、まぁ普通相手の表情でわかるだろう。

相手が怒るのが「地雷」の場合は比較的簡単に避けられる。
相手の地雷を何度も「踏み抜く」のは、大抵喋りだしたら止まらないタイプだ。
客観的には、元から他人の気持ちなんて気にしてもいなくて、自分が楽しく話せればそれでいいように見える。

元から気をつけていたって、いつかやらかすことがあるかもしれないデリケートな話だ。
それを一切気にもしないというのなら、まぁそりゃ怒られるか嫌われるだろう。

2の無神経の場合も似たようなものだが、相手の地雷は踏んで無いタイプ。
これは要するに、相手にとって「怒るほど不快」だから怒った、ということになる。

デリカシーがないだとか、言葉づかいが悪いだとか、話題そのものが不愉快だとか。
特に対人関係においての「普通」は、それまでの周りにいた人間に染まりやすい。

例えば、新卒の社員が大学時代みたいなタメ口を上司にしてしまうなど、単純に期間が長ければ身についてしまい、それ以外の場面でも出てしまう。


まぁ要するに、自分の「普通の話題」が、相手にとって「怒るほど不快」であるケース。
大抵は怒るよりはドン引きするんだが。その後避けるようになる。

コミュニケーションにおいては「相手の普通」は知っておいたほうがいい。
周りと基準がぴったり同じじゃなくてもいいが、そこから大きく外れるようなことがあれば、相手から感情的な反応を引き出す結果になるだろう。








■「思ったことを口にする」のは大体NG

正直は美徳かも知れないが、「正直」を勘違いしている人間がたまにいる。
思ったことを手当たり次第に言うというのは、周りから見れば正直者というよりも何を言い出すか分かったもんじゃない爆弾のようなものだ。
または辻斬り。あるいは通り魔。

厄介なのは「これはいいことだ」と思いこんでいる場合、積極的にこういったことをやるという点。
周りとの齟齬も「自分は正しく、相手が間違っている」と認識している場合、改めることはないだろう。
言っても無駄な限り、嫌って遠ざけるしか相手にできることはなくなる。

正しいかどうかなんてどうでもいいし、正義なんて視点次第でコロコロ変わる幼稚なものだ。
そもそも「相手の怒ることを積極的にやる」と言う時点で正しさを名乗って良いものかどうか。
それは明らかに、相手にとっては「嫌がらせ」以外の何物でもない。
ここで問われているのは「やり方」であり、問題のあるやり方を好んで行うというのなら、まぁ正しくはないだろう。

同様に「親切」が相手の逆鱗に触れることもある。
「助けるのは良いこと」だとしてすぐに手を出そうとするタイプは嫌われる。
手を出されるのが不愉快だと感じる者もいるのだ。

アンダーマイニング効果と言って、「先回りして」手助けをしたり、報酬をちらつかせたりすることはやる気を奪う妨害行為になり得る。

人間には縄張り意識がある。物理的なものとは限らず、例えば「これは自分の仕事だ」と思っているところに侵入されれば不愉快に感じる。
「自分の留守中に自室の掃除を勝手にやられた」ような気持ちだ。
たとえそれで部屋がきれいになったのだとしても、不愉快だろう。

自分では「いい人」だと思っていて、人に「親切にしてあげた」はずなのに、何故か人が怒る/嫌われるという人は空気が読めていないか、相手がその「親切」をどう感じるのかという視点が抜けている。


まずはこんな「間違った美的感覚」がないかどうかの自問自答を。

世俗的な視点だが、「問題を起こさない」事を考えようとしない限りは、問題を起こし続けるだろう。
良かれと思ってそれをやり続ける。





■内言と外言の違い

「思った通りを口にする」ことについての問題点をもう一つ。
人間の思考は非言語的なイメージによる思考だったり、かなり省略された言葉(「アレがああなってそれをこうして」みたいな)で行われている。
これらを「内言」と呼ぶ。
つまりは「思ったこと」そのものは他人に通じる言葉としては存在していない。

普通は相手に伝わるように頭のなかで整理して、言葉を選んでから口にする。
これを外言と呼ぶ。

言葉を話すということは、頭の中のイメージ(内言)を元に「台本」を書いて、それを演じる(外言)のだと思えばいいだろう。
「思った通りに」口にしようとすると、この「台本」がものすごく適当になる。

外言になっていない、内言のままに近い言葉だと相手にはどう聞こえるか。
頭に思い浮かんだ順番で、思った通りの言葉を口にしていると、あなたにとってのその発言の意味とは全く別の意味や想定外の「威力」で相手に通じることは多くある。

それらは誤解の余地がふんだんに盛り込まれ、時には意味不明であり、時には相手の逆鱗に触れる。







■何が言いたいのかわからない

怒るほどではないだろうが、相手がイライラする本人には気づきにくい点として「何が言いたいのか最期までわからない」話し方がある。

前述のような「適当な台本」の場合は特にだ。
そうじゃなくても「自分にしかわからないこと」を元に話していて、他人には初めからさっぱりわからないことがある。

それはあなたが一生懸命であればあるほど相手を警戒させる。
人間は「判別不可能」なものにたいしてかなり強いストレスを感じるからだ。

また、心理学で「裏面交流」と呼ばれる習慣がある。
言葉通りの意味ではなく、そこに裏の意味があるやり取りを指すものだ。
簡単に言えば、メッセージを発する者の「目的」が隠れているメッセージ。
例を上げればコンビニのトイレに「いつもトイレをきれいに使っていただきありがとうございます」と書いてある張り紙がしてあることがあるが、あれの裏の意味は「トイレを汚すな」だ。

親が子供に「宿題やった?」と聞くのも大抵は「帰ったらすぐに宿題やれ」が本音だろう。

特に日本人の場合、「察する美徳(笑)」があるので、むしろこれは推奨されるし、逆に本音をぶつけられたら戸惑うことのほうが多い。
まぁこの点については我々日本人の「仕様」として諦めたほうが早いかもしれないが。

このように裏面交流は「本音」が隠れている。
何が言いたいのかわからない場合、尚更こういった「裏の意味」を相手は探ろうとするだろう。
人は自分の言動は適当だが、他人の言動は「明確な意思を持って行っている」と錯覚しやすい。
さらに人間は何かと悪い意味を見つけやすい。
あなたの言動に誘導、脅迫、攻撃、嫌味などの「存在しない悪意」を見出し、怒るということは在り得る。

あなたにそんなつもりがなかった場合には相手側の被害妄想に過ぎない。
だがそれでも、他者から見た場合明らかに「その言い方じゃ誰だってそう捉えて怒るわ」と思われるような場合もある。






■「質問」はコミュニケーションではない

「仲良くなりたい」側がよくやらかすが、やたらと質問をして相手を怒らせるケースがある。
「質問」すれば大抵の相手は答えようとするだろう。そこに一種のコミュニケーションの成立を感じ、質問することがコミュニケーション手段となっているケース。

まぁ、確かに嘘ではない。メールの返事は来るだろう。
だが、やられてみりゃ分かるがものすごくウザい。

そんなつもりはないかもしれないが、意外と相手は質問に対して「答えなければいけない」と強制力を感じるものだし、確実に時間泥棒でもある。
人間は自分のコントロールを奪い、何かを強制するものは「脅威」だと認識する。

コミュニケーションを取るためだけに頻繁に相手を呼び止めてまで質問をしているのなら、改めたほうが良いだろう。
何度も質問するという「しつこさ」も相手を怒らせる大きな要素だ。

もしも「ちょっと話しかけただけで凄く怒られた」と感じたことがあるのなら、「しつこくないか」を自問自答してみるといい。
単純にしつこくてストレスゲージが溜まっていて、その「ちょっと話しただけ」でとうとう溢れたのかもしれない。







■人は大抵悪く取る



深読みや裏面を見ようとすればするほど、相手は悪い方向にあなたの言動を受け止める。
人間が元から持っている劣等感や過去の「前例」などを投影する余地が存分にあるからだ。

ここまで述べてきたように、「不透明な部分」があると、人は見極めようと目を凝らし、結果マイナスなものを幻視する。
ただでさえ、それらを可能にするような脳の機能、認知バイアスが人間にはある。
ほぼ確実に見つけるだろう。
人間は「わからない」状態が何より落ち着かない。
無理矢理にでも「自分が納得できるようなもの」を見つける。

あなたが「誤解」により相手を怒らせてしまうのなら、自分が思った通りに口にするのではなく、「相手に伝わるように」言葉を選ぶ必要がある。

■すぐにできる話し方:アイ・メッセージとユー・メッセージ

まとめると、

1:相手に伝わるように言葉を整理してから口にする
2:相手に「攻撃された」と思わせない

この二点が必要になる。

言葉を整理するというのは、全くしない人もいる。大抵の家庭のおかんもそうだろう。
アレだのソレだのばっかりで最期まで何が言いたいのかよくわからん。
これはワーキングメモリやボキャブラリーの問題もあるのかもしれないが、使えば頭は鍛えられるし、言い回しや言葉の使い方は覚えればいい。拠って、「癖」と捉えてかまわないだろう。
だったら「頭の中で整理してから口にする」と言う習慣で上書きすればいい。

2には「不必要に相手を刺激しない」ことも含める。人間は感情的になったら相手の話を聞かない。怒った理由が自分の誤解だったとしても。加えて自分が感情的になっている自覚を出来るものは少数派だ。

これさえやってりゃ絶対に大丈夫というわけでもないが、「今よりは確実にマシになる言い方」はちょっとした心がけで実行が可能だ。

 ■ユー・メッセージ

相手に言いたいことがあるとして、人間の「普通の言い方」の多くはユー・メッセージと分類されるものに属している。
言葉通り「あなたは○○だ」と言う言い方。またはそう捉えることが出来る言い方。

ユー・メッセージは批判、決めつけ、指図と捉えられやすい。
大事なのは「相手がどう思うか」であり、どんなつもりで言ったかは相手にとってはどうでも良いという点だ。

一々「あなたはこうだ」なんて聞こえる言いかたをされたら疲れるわけだ。
相手は否定するのもエネルギーがいるし、当たっていた所であなた相手に認めるかどうかも判断しなければならない。
少なくとも「和やかな談笑」には全く向いていないし、こんな言い方しかできないのなら正直話しかけられたくもないだろう。

要するに、相手がやろうと思えばマウンティングや侮辱に近い意味で捉えることが出きる。

もうわかっていると思うけれど、意見の善悪ではないし(そこまで相手に合わせる必要はないだろう?)、正義か悪かという問題でもなく、言い方のせいで「無駄に疲れる」「無駄にムカつく」というのをなくしていこうという話。

だから言い方は「相手に向けて調整した言い方」をした方がいい。
それが難しければ、シンプルに「ソフトな言い方」を心がけたほうがいい。
言い方に拘るのは自分のポジションや「表面的なキャラクター」に拘ることであり、つまりはアイデンティティではない。
嫌われたり怒られたりしてまで貫く価値がそれに本当にあるのかどうかは考えたほうがいいだろう。

 ■アイ・メッセージ

ユー・メッセージの対となるのがアイ・メッセージ。「私は○○と思った」という「視点が自分である」言い方だ。
これは自己開示であり、つまりは相手が裏面を探って被害妄想を炸裂させる余地はなくなる。
尚且つ相手に対しての批判や決めつけではないので「不要な刺激」は避けられる。

少なくとも、前述の「不必要な刺激は避ける」というのはこれで大抵実行可能になる。避けたのに自分から当たりに来るめんどくさい相手も居るが。
これは結構大事な話で、要するにベストを尽くした所でトラブルは在り得る。他人が絡む話に絶対は無い。

が、自分は悪くないとは思える。
不要な自信喪失や、相手の影響を受けて自分の言動を極端に変えるようなことはなくなる。
出来ることはしたのなら。

アイ・メッセージとユー・メッセージ、「自分の普段の言い方がどちらなのか」を認識するだけも変わるはずだ。
自覚は何より大切だ。理屈を知ってても「自分は違う」と思っている限り、全く意味はない。

何れにせよ、言い方には気をつけよう。
その上で相手が怒るのなら、何か原因があるのだろう。
その原因は必ずしもあなたが悪いとは限らないし、まぁ自分に原因があって自分で「これは駄目だな」と思うのなら改めればいい。

もう一度言うが、相手が怒った所で「あなたが間違っていて、相手が正しい」とは限らない。
そんな時に自分を見失わないためにも、普段から自分の言い方はコントロールしておこう。





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