視点を切り替える:悩み、不安、心配から問題解決へ。
人生の悩み事とかでずっと同じこと悩んでる人は「視点を変えれば見えてくるものも変わってくる」なんて言われたりするが、これは事実だ。
これは「思い込むこと」とはちょっと違う。なんか混同してるとこもあるけど。
今回は言葉通りに「視覚」を使っての説明。
以降の画像は全部Wikipediaからの「引用」。探せば他にも色々と面白いものはあるかも。
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錯視から見る「問題の見え方」
理由は後で話すので、まずは錯視いろいろ。
ミュラー・リヤー錯視
「横線」は全部同じ長さ。
ツェルナー錯視
線は「平行」。
ヘリング錯視
赤い線は「直線」である。
エビングハウス錯視
オレンジの円は「同じ大きさ」である。
フレイザー錯視
渦巻きに見えるが、
「円」である。これはかなり強力だろう。私は指でなぞらないと確認できなかった。
チェッカーシャドウ錯視
AとBのマスの色は
「同じ」。
これらを並べた目的は、「わかったところで間違って見える」あるいは「答え聞いてもわからん」という点を知ってもらいたいからだ。大抵の場合は「余計なもののせいで違って見える」。
それが「問題」においては失敗の経験だったり、ヤジだったり、被害妄想こじらせた味方(邪魔)だったりする。
錯視には他にも例えばポゲンドルフ錯視という「見えない部分を想像するクセを利用した錯視」がある。このタイプの「錯視」も問題に対して起きる。
「わからないから/不安だから大事と捉える」ことはあるだろう。特に「他人の思惑」などを過大評価することは大きい。悪意とか。
念のためにそう捉えて用心するならそれでかまわない。例えば未来のことはわからないから保険に入っておくだとか。
でも、大事過ぎて諦めるしかない(ように見える)上に諦めきれないというのなら、この点を疑って見るといいだろう。理解した上での結論か、それとも想像か。
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だまし絵/隠し絵から見る「視点の切り替え」
「ルビンの壺」
有名所だね。顔と壺。
「妻と義母」
こちらは老婆と若い女性。わからない場合のヒント 目=耳 口=首飾り
教科書で見た人もいるだろう。私はそうだった。
その時教師が「2つ同時に見ることはできない(ドヤァ)」とか言ってたから何言ってんだこいつ意地でも2つ同時に見てやんよとか思ったが無理だったね。
重要なのは、「同時に2つの意味には見れない」ことと、「実際に複数の意図があって描かれた物」だという点。隠し絵は英語で Double Image ダブルイメージっていうらしい。教師よ。貴様は正しかった。顔も性別も覚えていないが。
「問題」もまたそう見えてる限りはそう見えるし、「意図」もまた一つとは限らない。逆に何も意味がないことかもしれない。
そして一番大切な「見ようと思うように自分で見方を変えられる」こと。技術もマインドセットも必要ない、ただそうしようとするだけで。「ある」とさえ分かっているのなら、視点は切り替えることが出来る。探す気にもなれるだろう。
要するに、木を見て森を知ったつもりになっているというかなんというか。「悩みの正体」はそういったものの可能性。
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◆「そこ」から「そう」だと思って見るなら、そう見える。
一つの視点から見て思ったことというのは、それはそれで一つの考察、一つの結論だろう。逆を言えば、「結論はでた」わけで。それが気に食わないなら対抗策練るなり視点を切り替えて新しく考えるなりするべきだ。
少なくとも、1つの視点だけで考えて、それが気に食わないのに、「これが結論で、それ以外にはありえなくて、つまりもうだめだ」ってのはまぁ、もったいないかなと。
もうちょっと悪あがきできるよねと。
「諦めるのが目的」ってこともあるんだけどね。そうじゃないのなら、できることはまだある。少なくとも「答えを探せる場所」はまだある。
これらは「割り切り方」としても使える。代表例としては、「あんなこと気にしたくないのに気になってしまう」というのなら単純に「
いま、ここ」に視点を切り替えればいい。劇的にスッキリするわけじゃないけどね。
◆システム1 システム2 ファスト&スロー
意図的な視点の切り替えについてもうちょっと掘り下げておきたいんだが、さっきのルビンの壷や妻と義母、まずパッと見で「どちらか」にまず見えたはずだ。
今回もったいぶらずにさっさと顔と壺とかバラしたのは、言えば大体「もう片方に見ようと目を凝らす」からだ。で、その後で「もう片方に意識的に見た」と思う。普段の私が丁寧にヒントなんて出すわけないじゃないか。
つまり「認識」「解釈」には2段階あるんだ。直感レベルと、考察と。「
ファスト&スロー」と呼ばれる2つの思考形態。2つっていうか二重っていうか。
まぁ妻と義母を例に上げるが、パッと見でババアだった場合、そこで終わればあの絵は一生あなたの記憶の中では「ババアの絵」のままだ。
その後「妻」にも「見えた」時に初めて絵の全体像が理解できたといえる。
まぁ現実の何らかの問題に対していちいち全部知ろうなんてやってたら寿命がいくらあっても足りないのは事実だとは言っておくが。
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じゃあ次からはパッと見で「妻」に見えるかと言えば、大体の場合そんなことはない。「次もまずはババアに見える」。この点を忘れないで欲しい。これは
ヒューリスティクスであり、言わば無意識の自動的な解釈機能であり、「意識」とは別の領域だ。
ただ、「自分はまずこういう見方をする癖がある」という理解と、
「最初に見えた以外にも答えがある可能性」、
そして「後から視点は変えられること」を知って都度修正していれば(これらは今すぐできる。実際さっきできただろう?)、ただのクセだから「上書き」は出来るだろう。
それでもフラットに物事を見る能力は大切だと思うけれど。それは捨てないほうがいいだろう。
ただ、大きな問題となるが「
自分のキャラじゃない視点」は正しくても「落ち着かない」。
ネガティブが平常運転ならポジティブな視点を持っても落ち着かない。その視点から見えるものに対する「対応」は、やったことがあんまりないからだ。単純に経験不足って話。だから不安で落ち着かない。
それで無理をし続けて、「やっぱり無理だったー」と前よりもひどくなった例を何人か知っている。開き直るから前より悪化する。
ある程度「今の自分に馴染む視点」から初めて、ちょっとずつ伸ばしていったほうが良いと思われる。
まぁなんというか、長い旅のつもりで少しずつのほうが良いと思う。どうせ「自分」とは後何十年も付き合ってくんだろうから。
◆困ったちゃん共から見る「1つの視点しか見えない状態」。
ネット上でよくあるが、例えばイラストでも上げてみりゃ「パース/デッサンが狂ってる」ってとりあえず言ったり、まぁ
とにかくひたすらケチつけまくるのとかがいるわけだが、まぁもうわかるだろう。「そうみたいからそう見ている」。
こういうのは大抵「他の連中は気にしてない」レベルの重箱の隅を突くマネだ。
アドラーの目的論が分かりやすいだろうか。「ケチをつけるのが目的だから」「ケチを付けれそうな部分を探す」。
「●●ファシスト」なんて言われる
性格悪いセイギノミカタもわかり易い例だろう。だってほら、あいつら「パトロール」してるじゃん?
彼らは客観的に見れば、多くの人間が「恥ずかしくてできない」ような真似をやるわけだが、あの「周りの見えて無さ」「自分の正義への盲信」は1つの視点しかないからだ。それが「全部」だから、全力で叩く。根本的に「それがやりたいことだから」ってのもあるね。迷惑な。
1つの視点しかないってのはもちろんいい方向にも持ってけるとは思うけど、それだって客観的に考えれば「知らないからできた」ということであり、そういう成功者だって実際いるわけだがあんまりそっちには私は行きたくないな。
物事を都合良く見るなら見るで「そういう風に見ている自覚」くらいはしていたい。
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◆どんな視点がいいかはちゃんと考えること
別のもっと都合の悪い視点を探そうってのもリスク管理としては正解だ。
逆にやる気が出るような視点を探そうってのも
モチベーションから見て正解だろう。
どちらも現実味がないとただの空想だが。
「目的」はハッキリと持とう。「何のために視点を切り替えたいのか」は。
切り替えることが出来るという認識だけでも気楽になれる。知識じゃなくて認識ね。
ともかく、視点を変えるだけなら気持ち一つなんだが、問題はその後。「キャラと違うと馴染まない」という経験不足由来の不安になる。
まぁ予習なりなんなりの対応策も「そこから見れば」みつかると思うから、思考の迷宮ではなく「開けた道」を探す所から始めよう。
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