誰もが部分的に「子供の時のまま」である、生き辛さの理由。
7歳の子供が書いた人生脚本。
綺麗に全部のパラメータが「大人」のラインを超えている・・・ってのは見たことがない。
そりゃまぁ好きなことやってはっちゃけるのも結構だしそういうことじゃなくて。
例えば何かに対しての態度やイメージだけが、まるで「子供の時と同じように」堅く続いているだとか。
例えそれが今の時代、今の自分の立ち位置では通用しない、歓迎されないと頭では分かっていても。
人生脚本という概念があって、子供の時の世界観や人生観を人はずっと抱えてるって話。
これが言動や、そもそもの「
物の見え方」に影響を与えるから、だんだん生き辛くなってくる。「適応」しないから。
◆
◆
◆ストローク
いつもの。まぁ交流分析の話だと
ストロークは言っておかないと。心の栄養みたいなものだと思えばいい。それは人との交流で得ることが出来る。それはプラス(肯定)とマイナス(否定)がある。
それは足りないと「飢える」。ゼロよりはマイナスのストロークでいいから欲しい、となると
ストローク飢餓の状態、つまり問題起こしてでも、嫌われてでも構ってもらおうとなる。
わっかりやすい例だとあれだ、小学生男子が好きな子に意地悪するようなもの。そうすれば少なくとも「注意」は向けられるわけさ。無関心よりは嫌われてでも注意を向けられたい、ってこと。というか「なんとかこっち見てもらおう」とか思った果てが嫌がらせなんだろうね。
あれ女子側からはガチで
トラウマだそうで、同窓会あたりで犯人から「俺、お前のこと好きだったんだぜ」とか言われて心の底から鳥肌立った、なんて話も結構ある。キモいストーカー扱い。まぁ、好きな子には優しくしましょう。
ストロークを食べ物で例えて言うなら「味の好み」ってのがある。素直に考えればプラスのストロークが「美味しい」わけだが、中には味覚障害のようにプラスのストロークが味わえない(受け取れない)のもいる。
そうなると味がするのはマイナスのストロークだけになるね。さっき言ったとおりストロークは「ゼロが一番いや」らしい。前述のストローク飢餓も「プラスのストロークを受け取れない状態」のことが多い。
理由の一つとしては自己評価の低さが挙げられている。「私はそれを受け取るに値しない」と思っているから、褒められたり尊敬されたり、心配されたり励まされたりしても「ウソ」に見えるわけだ。
また、人は「安定してストロークを得るパターン」として「
心理的ゲーム」を構築する。相手の関心を得られた成功例からパターンを得る。これはそのうち「餓えてくるとゲームを仕掛ける」形になってくる。
さっきの小学生の例で言えばわかると思うんだが、普通に「かまってもらいたいから嫌われるようなことをする」という思考パターンが出来上がることも結構ある。
これは
オペラント条件付けになっている。ストロークという「報酬」を得るために繰り返す行動は「強化」される。そのある意味「勝ちパターン集」が人生脚本だ。
が、これは七歳くらいまでに出来上がったストロークを得るため「だけ」の勝ちパターンであり、尚且つ無意識レベルで「世界の見え方」「自分の人生観」の根底に根ざすというクッソ迷惑なものだ。
勝ちパターンが「嫌がらせ」しかなかった場合、寂しくなったら嫌がらせする厄介さんになるわけだ。
それでもストロークは得られるから、「ストロークを得る」という視点だと「目的は果たしている」ことになる。
だから自然にはあまり修正されない。よほど痛い目に合えば別かも知れないが。
◆
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◆人生脚本
交流分析(TA)で言われる心理学理論。
大体7歳までには出来上がるとされている。
人生脚本の『ネタ』となるものは、幼少期の体験だ。
幼少期の「日常」
自分が生まれ育った環境は「基本」となる。そりゃそうだ。
幼少期の「教育」
文字通り。ただ、
反発心だとか親が自分が言うこと自分でできてないタイプだったりの場合は「反転」することもある。正反対に行くことが。「影響を受けている」という点では同じなのだけれどね。
幼少期の「役割」
機能不全家庭(家族崩壊)などが代表的だが、子供がなんらかの「役割」を背負うことがある。このタイプは「アダルトチルドレン」と呼ばれるものが体系化されていてわかりやすい。
ちなみにチルドレンっつっても現在大人なのも該当する。むしろ幼少期の「役割」のクセが大人になっても抜けないという点から大人が悩む話だ。人生脚本と範囲が丸かぶり。
クラウン:
まぁ・・・。「家庭内芸人・アイドル」とでも言おうか。ウケ狙いしたり、可愛がられたりするポジション。被保護対象として見られたがる。他者承認欲求が強い分、自己評価は低いとされている。
ケア・テイカー:
親が親として機能しないがために「世話役」になったタイプ。
この内でさらにリトルナース(家庭の問題のサポート)、
イネイブラー(家事担当者)、
プラケーター(仲裁役・慰め役。愚痴を聞いてやる役回りが多いとか)がある。
恐らくだがケア・テイカーは
全部自分のせいだ、みたいな「問題を抱え込みやすい」気質が育つだろう。最後の命綱みたいな役回りばかりだったから、「自分が逃げたら崩壊する」というイメージは強いと思われる。他人に「課題」を押し付けられやすいかもしれない。
◆
◆
プリンス・プリンセス:
優等生タイプを想像すればそれであってる。「親の言いつけをちゃんと守る/親の期待どおりに生きる子」。
自分の無さと、誰かに頼られたいという願望を抱える、とされている。他人から見たら問題なさそうだが、実質的には親の「偶像」に位置し続ける。プライベートの時間ゼロのタレントみたいなもんだ。そりゃ「
自分がない」って悩むさ。
ヒーロー:
他者の期待を一身に背負う。自立心が強い。
簡単に言えば、例えば父親が早急にお亡くなりになられた結果、子供が「早く働いて母を養わなければ」みたいな使命感を感じるだとかそういう話。他者に対して支配的、あるいは自他に対して完璧主義的な傾向があるとされている。
スケープゴート:
生贄。「自分が問題を起こすことによって家族がひとまとまりになる」から自ら問題を起こし、嫌われ役になる。悲しいね。まぁ、実際にやることはグレたチンピラとかなんだが。問題を起こし注目を得る傾向が強く、内心には「見捨てられた感覚」があるとされている。
ロスト・ワン:
いない子。いらない子ではない。「いないふり」をして家庭の中で生き延びてきたタイプ。心配させないという点では良い子だともされている。内面では孤独に耐えられる程に自立しているが、対人面では「NO」と言えない傾向が強い、とされている。
一応言っておくが、別にこれは「後遺症」のようなものではない。そうは捉えないで欲しい。そのペルソナ(仮面)を使ってきたからそれが育った、ただそれだけの話しだ。
問題は「
仮面が外れない」ことだが。だから問題は「外し方」にある。生まれ変わることではない。この外し方は、ここで言う「人生脚本の修正」となる。
さてまぁ極端な例を挙げたけど、いつもながら事の大小を問わなければ幾らか当てはまるだろう。特にクラウン、ケア・テイカー、スケープゴート、ロストワンのどれかには心当たりがあると思う。
幼少期の「成功体験」
成功体験と言えば聞こえはいいが、これは例えば運動会が嫌だから仮病を使った→運動会いかずに済んだ、というのも「成功」に入る。要するに「思い通りになったパターン」というのは学習する。してしまう。
幼少期の「トラウマ」
成功体験とは逆のケース。「恐怖」の原記憶。
わかりやすい「モデル」
大抵の場合は人生の「先行者」になる。要するに身近な大人。だから親がモデルになるのが一番多いだろう。
子供の頃、漠然と親と同じ年で結婚して、親と同じ年で子供が出来るとか思ってなかった?
◆
◆
これら、なんらかの「幼児期決断」が脚本に書き込まれていく。
こういう話だといつもながら大抵親の影響大きい。まぁ、くれなかったもんはしょうがないだろう。恨みに思って介護放棄でもしたければすればいい。ただ、親がどうなろうが自分は治らんからね。
「最早別の問題」、もっと言えば「自分の問題」になっているから大変なわけで、恨み言を言うのは結構だが、「犯人」には「それを治す能力」は毛ほどもない。どうせ相手は何が悪いのかよくわからんだろう。そんなもんだよ。
しっかり言っておくが、多くの人は性格、人格と言ったモノに対して「運命/宿命」と同質の絶対性を幻視する。
だから追い詰められたり自分が嫌い過ぎたりして「生まれ変わりたい」なんて思っちゃったりする子もいる。が、別に後から書き換えられますので。そのためにも自分の脚本がどんななのか知る必要はあるけれどね。
総じて「馴染んだこと」「印象が強かったこと」は「刻まれる」。これらを元に「自分はこんな人生を生きていくんだ」というイメージが出来上がる。
特に対人面。まぁイメージ程度で済むなら良いんだが、あろうことか無意識レベルでそれを「実現」しようとする。
物事の見方、人との接し方、それらの根本的な「方針」として作用する。
アインシュタインは「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを指す」と言った。
それと同じように、それより前の段階で、人生脚本という「人生に対しての偏見」がある程度身につく。
◆禁止令
●●するな、の形で自らに課した「己の在り方」。
存在するなとか、健康であるなとか色々あるんだが、「正気であるな」というケースすらある。
奇行をしたら親にかまってもらえただとか、不和な両親が協力して問題を解決しようとしただとか、そういった「成功体験」由来のものとされている。
さっきのアダルトチルドレンの殆どが該当するだろう。そういった「キャラクター」である限り、自分には「居場所」がある、と。
だから「
キャラじゃない」ことは「してはならないこと」として自らに課す。子供の頃、こうやって生き延びてきたとして。
大人になって、もう自力で自分の自由も、安全も確保できたとして、それでもこの頃の「クセ」が出てしまう、ということがある。
「クセ」の問題なのかと言えば、ちょっと怪しい。「世界観」がそうだから、そういった反応が「最適解」としてアウトプットされているのかもしれない。
また、「他の手段を知らない」ことが結構問題になってくる。ストロークはゼロよりマイナスのほうがまだマシだと人は感じる、と先程言ったが、同じように「未来」や「世界」に対して「分からない」ことよりは「ろくでもない世界」の方が人はマシだと思うらしい。
要するに「生きる指針」を失うくらいなら、「クソのような人生の指針」のほうがあるだけマシだと本能レベルでは判断するっぽい。
「ゲーム」について調べていけば自ずと分かるが、破滅願望を通り越して自爆テロみたいなパターンもある。
うん、まぁ、自力でまともな指針を作ろうか。
だって元からあるのって7歳の子供が作ったものだぞ。
大人が三輪車乗るか?
7歳で三輪車もないが。
◆ミニ脚本
ミニ脚本(ミニスクリプト)はドライバー、ストッパー、ブレーマー、ディスペアの4つだが、それぞれ駆り立てるもの、止めるもの、復讐するもの、終末感情との訳がある。人生脚本を「実演させる」もの。
スタートとなるドライバーの「動機」だが、「もしも自分が●●だったなら、自分はOKなのに」という理想の発見からだとされている。正直この価値観からして植え付けられたものの可能性も高いのだが。
人は理想に向かって努力するが、「行き止まり」になることがある。これがストッパーの状態。「理想の自分になれない自分」に直面し苦手意識、恐怖感を感じている状態とされる。
自分はベストを尽くした、なのに理想の自分、望んだ状況にならないのは自分以外の誰かのせいだ、と「八つ当たり」を始めるのがブレーマー。復讐者と言っても正当性はなく、赤の他人に気に食わないからケチつけるような状態になる。
自他ともに含めて全部ダメだ、となるのがディスペア。絶望状態。
この流れになってしまうのが、そもそものドライバーが張り切りすぎたから。つまり「過大な理想を求めたから」だとされている。念の為に言っておくが、これは思考の話ではなく、感情や衝動のレベルでの話だ。頭じゃ焦ってたりやりすぎなことを理解してても止まらないような。
自分で決めたんだったら結構だが、いつどうやって何がきっかけでそれを決めたのか思い出せるのか。物心ついた頃からそう思っていたのなら、それは外部からの「刷り込み」かも知れない。
厄介なのはこれは「価値観・世界観そのもの」であり、本人の人生において問題の発生源だったとしても「犯人」だとは気づけない点だ。
この場合「問題」に対して、「敵」を設定し、それを非難し、周りの同意を得ようとする。「敵」に自分の問題をなんとかしてもらうために。
セイギノミカタの誕生だ。実質悪質なクレーマー、ただの
ブレーマーだ。
この構図は各種の宗教、イデオロギー、果ては礼儀やら常識やらまで殆どに該当する。まぁ当然非難されて然るべき人も居るけどね。そういう人間はむしろセイギノミカタを名乗るがね。
◆
◆
◆インナーチャイルド
インナーチャイルド。「内なる子供」。わかりやすいのは「傷ついた時の当時の自分」がずっと心のなかに居続ける。「消化不良の感情」であることもある。まぁ人生脚本の擬人化だ。
「あの時」、こうしなきゃいけないと思った、こうすればいいと学んだ、その時の自分。七歳の。
その子がずっと、心のなかで泣いている、叫んでいる。
傷ついたときと同じような場面に出くわしたら「怯える」し、善悪関係なくうまくいったときと同じだったら「はしゃぐ」。
そんな感じ。
◆自己イメージ
結局の所、能力の限界だとか役割だとか、はたまた「教育」の賜物だったりトラウマだったり成功体験から通じて得た「自己イメージ」が心の奥底にある、ということ。
そしてそんな「自分」がやっていけるような「生き方」の計画を立てるし、実行するから身についていく。
これらを上書きするためには本当に自分が自分の思っているとおりなのかどうかの「確認」をする必要がある。自分をよく観察しろってこと。内面も実際の言動も両方。
だが最早世界観であり、人生観であり、「そこから」世の中を見たりどうするべきかを考えるから、時には存在にすら気づいていない。これらは自己イメージの「肯定」として働きやすい。「ほら、やっぱり思った通りだった」と。
実際「ゲーム」の中には自分は好かれるに値しない、世界はろくでもないものだ、などの人生観の「再確認」が目的のものもある。異なるものは例外として切り捨てるか、見えないか。
◆人生脚本の「書き換えの方法」は何があるのか。
まず
自我モデルの構図は知った方がいいだろう。
基本的には「養育的な親」の立場から、「自由な子供」あるいは「従順な子供」・・・まぁどちらも7歳あたりの自分だが、その子に語りかける感じになる。ちなみに活力だとかやる気だとかが湧いてくるのは「子供」の部分。
逆を言えば「支配的な親」の状態でそれらをイジメまくってるのが日常ってことになるな。真面目すぎると鬱になりやすいってのもまぁ、納得だろう。
◆
◆
◆許可証=アローワー ドライバーやストッパーの解除
「許可証」。自分に対して「やってもいいよ」「そうじゃなくてもいいよ」って許可を出すこと。
●●しなきゃならない→まぁ努力目標で。
●●してはならない→まぁ努力目標で。
私が結構言ってることだけれど、冗談抜きで生真面目な人間はそれを緩めることを努力した方がいい。自他共に実際苦しいだろうに、まだ続けるのか。
当たり前の話だが、時と場所と力加減は考えてからじゃなきゃならない。
別に「やってもいいよ」→「別にやりたくないからやらない」でも構わない。反対の方向に義務感感じないように。それじゃドライバーがストッパーに、ストッパーがドライバーになるだけだ。
はい。・・・どう考えてもアローワーが新しいドライバーになる可能性がありますね。実際なんというか、「吹っ切れた」感じになって正反対の方向に突っ走った挙句行き倒れる感じの人間もいるね。
まぁそんなわけで、正反対を目指すというよりは「中和」するつもりでいたほうが健全だろう。元からバランスの問題だ。
人生脚本はおかしいレベルで優先順位が高い。優先順位が高いから「実行する」。実行すれば身体、思考、感情の
スキーマに経験値が入り、レベルが上がり、次からもっとやりやすくなる。悪循環。
相手は「七歳の子供」だということは忘れない方がいい。大げさに捉える可能性は高い。反対の方向に「駆り立てる」のではなく、「解除」を目的としたい。簡単にいえば、安心させてやれってこと。
◆ゴーワー 進行させるもの
自前でストロークを供給する。自家発電。
簡単に言えば自分で自分を褒めて盛り上げる役。まぁ別に人物像はどうでもいいだろう。好みのタイプの架空の異性だろうが松岡修造だろうが。
「達成感」とかちゃんと感じようってこと。もっと言えば「素直に喜べるようになれ」ってこと。「やるじゃない、自分!」みたいな。
大抵これができない人ってのは自分に対する批評眼が厳しい上に大きな目標立てて「できるかできないか」の二極に陥りやすい思考を持っている。
これだとゴールするまでずっと辛いし、途中で力尽きたら無駄骨になって自己嫌悪しまう。ゼロかマイナスかの世界観。マルチタスク好きそう。
目標は大きくても別に構わないが、「いま、ここ」でやるのはどのくらいか、改めて「目の前の目標」を立て、それを「達成する」のが一番手っ取り早い。本当に小刻みな目標でいい。むしろその方がいい。
すぐ終わらせて「はい次」ってのが理想。
別に当たり前のことを当たり前にこなしただけでも喜んでいいだろう? それだって望んだ自分でいられてるってことだし。
何にせよ、体の栄養は気にするんだから心の栄養(ストローク)も気にしろよと。自家発電でいいんだし。他人に見て貰う必要すらないんだから。
◆
◆
◆
まぁ、どう考えても私達「
普通の人間」は多数決で普通なだけで「まとも」とは違いますね。傷ついて、歪んで。何れにせよ、個人の問題を解決していくしかない。
人生脚本は所詮本能的な学習機能に過ぎない。だが、それこそが問題だ。ただ覚えただけ。ただ身についただけ。ただそれだけなのに、とんでもなく優先順位が高い。
おっそろしいことに状況判断や理性よりも優先順位が高い。というかこれらの「システム」が先走るので状況判断や理性がそもそも発生しない。
人生脚本の内容は把握しておいたほうがいいだろう。じゃなきゃ何が自分を苦しめているのか、自分が苦しんでいるのかどうかすらわからない。「思い通りになっていて苦痛」な状態なのだから、思ってることが間違ってるのは明白だろう。
ちょっとパラレルワールドでも想像してみようか。
一組の親子がいる。
子供は7歳くらい。
親は子育てをそれなりにはしたが、残念ながら下手だった。
このままではその子は親のコピーになるか、何かしら拗らせるだろう。
「自分」というものがないままに。
見かねた「あなた」がその子を引き取った。
あなたは、「その子」を「育て直す」つもりだ。
「あなた」は大人なんだから、その子に教えてあげればいい。わからないんだったら、一緒に考えてあげればいい。
あるいは自分が当時傷ついたとき、不安だった時に「どうしてほしかったか」。それを「その子」にしてあげるといい。
まぁほら、妄想するだけならタダだし。
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