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とりあえず笑うクセ 絞首台の笑い:交流分析

とりあえず笑うクセ 絞首台の笑い:交流分析




まず言っておくと、「誰でも経験があるだろう話」。


自分の失敗や不幸に対する笑い。「死刑台の笑い」とも呼ばれることがある。









絞首台の笑い Gallows transaction 

具体的には笑い事じゃない状況で笑う。自虐的なイメージであってる。というか自虐ギャグは絞首台の笑いに入るだろう。



どうもこう、ものすごく多い。ものすごくいる。「普通」だと言っていいほどにいる。テンプレとして脳にあるのかもしれない。



ラケット感情とは違い、「表面上の感情表現」のことだとされている。つまりは自分でもやった後くらいなら「これ笑うところじゃなかったわ」くらいの自覚はありえる。まぁ大抵は気付いてない。



ディスカウント(値引き)の一種。値引きしているのは「自分」か「問題」かのどちらかだろう。



ゲーム」に近い。「自分を笑い者にさせて軽蔑させる」という「敗者に見られる交流」だとされている。これは言い過ぎな気がするが。私に言われたくねーか。



「絞首台」なのは大抵自分が都合の悪い状態だからだ。その暗喩。また、「そうして問題を見ないことで結果的に自分の首を絞める事になる」という意味も含んでいるらしい。



「やっちゃった」とかいってテヘペロとかそんなレベルではなく、聞いた相手がドン引きするようなことを笑って言うことを指す。虐待経験だとか、なんやかんやとか。



まぁ大抵に通じる身近な例としては、「ダイエットとしてたけど我慢できなくてバイキングに行った」、「医者に糖質制限を指示されていたが暴飲暴食した」だとか、ぶっちゃけて「自分はダメ人間だ」とするアピールを笑いながらしてくる場合ほとんど該当する。
若者の怪我自慢とか年寄りの病気自慢からオーバードーズとかリスカの痕自慢とかなんかもう色々だ。









絞首台の笑いの「目的」

まぁ目的と言っても無自覚なことがほとんどだが。



ストレートに言ってしまうと「自分の現実から逃げるための笑い」という扱いをされている。



問題そのものが「笑う程度のもの」、あるいは「自分は笑われるような人間だ」という再確認、ということにしようとする心理とされている。前者の場合はまぁ「今を肯定してるからこその過去の軽視」とかならいいんじゃないか。



また「弱みを見せないために笑う」ということももちろん考えられる。これについては私は顔芸腹芸推奨派だから何も文句はない。



だが、無意識にやってしまい、尚且つ自分で「おかしい」と思うなら、大抵の場合ディスカウント由来のものだ。



現在や未来の問題の軽視は「何もしない」という最悪の答えを自動選択するし、「笑われるような人間だ」とアピールするのはなんというか事態が好転するわけがない状態に自らを追い込む。



前者は因果関係分かりやすいから自力でなんとかできそうだ。放っといてもいいだろう。後者が問題だ。「自分はそうであるべき」と思い込んでいる・・・と言っても一見信じられないかもしれないが、ザラにある。



人生脚本と言って、まぁ人生観とか運命感じちゃったとかそんな感じなんだが、「ほぼ七歳の頃には決まってる」という厄介な代物だ。



七歳の頃までの成功体験(善悪を問わない)や他者からの扱い(どんなストロークを得たか)などで決まる。まぁ後から書き直すことも可能だし、心配することはないが。・・・逆に気づかない限りはそれを「実演」し続けるけどな。



また、下位承認欲求の可能性もあるとも言える。「こいつは面倒を見て構う必要がある」と他人に思われたいという欲求。心配され、アドバイスされ、時には叱られることそのものを求める、というかそれを期待して行うタイプ。厄介なことにこれは自己愛メサコンに気に入られやすい。負のスパイラルが始まる。



逆を言えば「こういった人間を気に入る」タイプの人間が身近にいた場合、まぁクセとして染み付くだろう。







もう1つの可能性の考察

もう1つあると思う。「自分からの逃避」。問題を抱えた自分、あるいは失敗した自分からの。



なんぞやっちゃった時に当の本人が笑い、まぁ当然周りも笑うとして、この状態って当の本人からは少なくとも「自分が笑われてるわけじゃない」形になり、「笑われてる奴がいない」状態になる。本人は率先して「笑う側」に回っている。



だが生憎身体は一つだ。脳内でどう補正しようが周りの人間は当の本人を今後ディスカウントしまくるだろう。



こういった脳内での決着を着けているのが結構いるように見える。大抵同じ失敗を繰り返す。その上で、どうもわざとやってるようには見えないんだ。わざとには見えないが、どこか「他人事」のようなスタンスは取る。



「自分の失敗」「自分の問題」だと捉えないから「何もしない」とするのなら。これは自分の課題を「発見してしまい」、尚且つそれからの逃避だろう。可能性の話だが。



◆なぜそのクセがこびりついたか

恐らくは自然学習の成れの果ての一つだろう。ディスカウント自体はなんというか、息をするようにみんなする。します。



失敗したら笑われる、というのはまぁ珍しいことじゃないだろう。当然本人は辛い。恥だの後悔だのもあるだろう。その上で、そいつのことを周りは笑うわけだ。



それに対する同調による先程の逃避。あるいはウケ狙いでやった、分かっててやったという後付の笑い。



また、幼少期は親の保護が必要であり(命にかかわる)、親から構ってもらうのはある意味命題でもある。これは下位承認欲求そのものだ。これが「クセ」になって大人になっても残る可能性。



そんなことを繰り返していれば癖になってもおかしくないし、こんなのは日常茶飯事だろう。







◆「絞首台の笑い」をする人の扱い方

対応だが、「相手につられて笑ってはいけない」というのが挙げられている。



人間は結構ややこしい状態になるもので、大抵の絞首台の笑いは「自分はダメだ」ということの再確認をしたがっている状態だといえる。



絞首台の笑いにつられて笑うというのは
「そうだね!お前はだめだね^^」とか同意するってことになる。
まぁ、トドメだろう。



なので真面目に「それは笑い事じゃないだろう」と突っ込んでOK、とされている。



無視も有りだとする意見もある。どちらにせよ「それは肯定するな」ってことらしい。



ぶっちゃけて相手のことがそんなに好きじゃなかったとしても、肯定するということは「望んだストロークを与えてくれる」ことであり、餌付けのようなことになる。



現実にはつられて笑うと「笑うな!」と怒るめんどくさいのもいるんだが、それでもこの「ゲーム」は成立しているから、それでもあなたにまた話しかけてくるだろう。



ハッキリと言ってしまえば、



「お前は問題解決能力ないんだから何やったって無駄だ」→



「じゃあ何もやらなくていいじゃんひゃっほう!」



とかそんなアホな脳内変換が起きているというかそれが目的だとされているので餌を与えてはいけません。



現実的に考えていくと、さっきの下位承認欲求が特に目につく。要するに「怒られたい」「心配されたい」と言った目的の場合にはツッコミしたらこれまた「餌付け」になる。
あんまりしつこいようなら無視でいいだろう。「その話はもういいよ」って。







◆自分で気づいたら

絞首台の笑いは直接他人に被害を及ぼすものではない。自分に対しては大損害呼ぶと思う。



あんまり逃げちゃいけないとか思い込むと心身を病むしなぁ。絞首台の笑いは「偽のリアクション」だとして、「じゃあ本当はどう思っているのか?」「自分はどうしたいのか?」を問うてみたらどうか。



勘違いしてる人が多いが、「自分が何を思っていて何をしたいのか」も自分に問わなきゃ見つからないよ。



直感的なものは、そりゃただの「反射的な反応」だ。それが心の底からの本音だっていうならチンパンジーと変わらない。元からそういうものだ。直感を意識に分かるように「翻訳」する必要があるからね。それが自らに問う思考だ。



まぁ、いつもの話だが、何ぞトラウマがあったところで「犯人」を処しても性格・人格と言ったクセは治らない。最早個人の課題であり、「原因」からは独立している。



復讐やら何やらの是非は・・・うーん。個人的な視点だが、例えば辛い思いをして、なんか変になっちゃってさ、それでもまっとうでいようとしている人間こそが生きるべきだと思うんだよ。



天然で性格悪いバカの処理なんぞでそれが損なわれてはならないし、そんなのがのうのうと生きてるのは社会の問題であり、個人1人で抱える問題ではないだろう。



まぁ、今回で言えば(犯人がいたとして)相手はどうせ一生他人と自分を見比べて脳内に地獄を作るタイプだから、あなたが「自分の幸せ」を追求すればいい。



テンプレの「馬鹿でもわかる普通の幸せ」ではなくて、自己表現としての幸福を。それだけで相手は眠れぬ夜を過ごすでしょう。



一生人と比べ続けるってのは、「一生自分が見つからない」ということなのだから。相手には一生手に入らない世界だ。



・ぶっちゃけてこのあたりを突き詰めていくとさ。お笑い芸人とか相当やばいんじゃないかって考えが頭を過るわけだが。まぁお笑いも幾つか系統があるけれど、明らかに「笑いもの」になるのが芸風なのっているだろう。



今も昔もああいうのは「子供のイジメを助長させる」とか言って騒がれたりすることがあるけれど(大人でもテレビの真似するバカは多いが)、それ以前に「自ら被害者に立候補する」モデルとなり得る。わかりやすく「構ってもらえる成功例」に見えるからだ



そう考えると「毒電波垂れ流すな」と苦情を入れるのもまぁ、正当な権利な気がしてきた。モンティ・パイソンとか好きなんだけどな私は。



どちらかと言えば例えば放送禁止にするべきだとかそういう話じゃなくて、自分のリテラシー能力鍛えるべきだと思うよ。別に「悪いお手本」はテレビだけじゃないんだから。わざわざ無菌室作ろうとしたら、社会に出た途端にズタボロになるよ。



まぁプロはプロでなんとかするでしょう。ただ、我々パンピーはモニターの中はモニターの中と割り切るべきだとは思うね。
モニターの中の世界は実写だろうがCGだろうが「作られた世界」だ。とにかくこういうのを「ウケ狙いでマネするな」とは言っておく。恐らく「自分」にとって最悪の選択となるだろう。









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