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出来ること、やりたいこと、好きなことに対して感じる後回しの心理

出来ること、やりたいこと、好きなことに対して感じる後回しの心理








もうすぐにゴールなのに回り道したがる。知りたかったことが書いてあるページを見つけると別のことやろうとする。なぜなのか。










充実感は過程にあるから

達成感はゴールにある。が、充実感は過程の中にある。調べたり、挑戦したり、考えたりすることそのものが楽しい場合、「終わりたくない」。



だから未完のままで「保存」しようとしたり、引き延ばそうとする心理。



「楽しむこと」への罪悪感

ミニ脚本に「楽しむな」ってあるしね。簡単に言えば楽しむ=不真面目だという思いこみ。



要するに、「辛い思いをしなければならない、そうじゃなきゃ真面目じゃない」みたいな強迫観念。



いつでも誰かに「見張られてる感覚」がしてるなら要注意。実際に見張ってるやつがいるならパワハラかなんかだから録音しとこう。



成功恐怖 

成功不安とも呼ばれるが、人には「成功したくない」という心理がある。達成、ゴールすること自体を避けたい心理。



これには他者からの嫉妬、妨害、敵意を向けられることへの警戒がある。



まぁ人は簡単に攻撃的になるから、誰もが「いつ暴れだすかわからない奴ら」に囲まれて生きてるようなもんだ。「目立つことへの恐怖」は妥当ではある。




今でもあるんだろうが、本来有能な女性が男からの嫉妬を避けるために実力を発揮しないようにセーブする、とかね。



この場合はインポスターシンドローム(詐欺師症候群)と言われる。自分の実力を偶然だと思っており「自分は周りを騙して高評価を得ている」と考え、「いつかそのウソがバレるのではないか」という不安が生じるものだ。



まぁ実力を持っている人がこう考えてしまうわけだけど、普通の人がこうなったとしたら、まぁ成功しそうになったら避けますわな。そんな「目立つことを避ける心理」。



思うに周りにオーバーリアクションなうるせぇ奴でもいたんじゃなかろうか。









自律恐怖

自分を律することへの恐怖、言い換えれば「予定通りになることへの恐怖」も人間は持つものらしい。



例えば起床から就寝まで全て予定が決まっていたとしたら窮屈だろう。分刻みで。そういう話。



なぜこれが嫌なのかと言えば「自由」がないからだ。すべて決まっているのなら、全て「そうしなければならない」で、義務感にどっぷり使った一日を過ごすハメになる。



これは何か努力していて「先が見えた瞬間」に感じるあの「つまらなさ」のことだ。もう意外性はない。もう刺激はない。だからもう、つまらない。だから別の道いっちゃおっかなーなんて思ったり思わなかったり。



ただ、自由すぎれば自由すぎるで人間恐怖を感じるらしい。今度は何やったらいいかわからんと。



以前言ったがこうなるのは必然で、人は攻略法を考えながら「ゴール」に向かってひた走る。その時が一番楽しんでる。



その内ゴールが見えてきて、後どれくらいなのか、そこまでの障害が何かも判る。そうなると消化試合。つまらなくなり始める。



まぁこれは仕方のないことなのだろう。ここまで来たのならさっさとやり遂げて、達成感味わって、次のゴールを探すのが一番いいと思われる。



大抵の場合は「次」とか「他」があるわけで、引き伸ばして楽しんでいる時間があるのかと言われれば、まぁないだろう。



トライアル・アンド・エラーの心構えとその習慣

艱難辛苦の道を歩むつもりで一歩目を踏み出したらもうゴール見えたとかなら、そりゃ拍子抜けぐらいはするわけで。



この拍子抜けを避けるために無駄な苦労を自分で行う。



心理学では「合理化」と呼ぶのだが(私がつじつま合わせって呼んでるアレ)、自分のイメージと現実とのギャップをこうやって埋める。この場合は「苦労してからゴールする」というイメージを再現しようとする。



「苦労しないと成功しちゃいけない」という強迫観念というかマインドセット。



実際苦労知らずの成功者はズル扱いされることは多いね。「幸運」なんて嫉妬のいいマトだ。世間にあふれているミームだろう。



これを自分で言ったり人から聞いたりしているうちに染まっていく。



簡単に言語化すると、「ゴールテープを切るのは疲労困憊でもうダメだって状況じゃなきゃいけない」と思いこんでいる。別に開始一秒でゴールテープ切ろうがケツからゴールしようがどうでもよかろ。







RPGでいきなりボス部屋見つけちゃったら宝箱やイベント探しに戻るアレ

割りとゲーマーには納得されると思うのだが、人によってはRPGでいきなりボス部屋見つけちゃったらもうそれは「道を間違えた」なんだ。なんか落ち着かなくて、道を引き返して、イベントや宝箱を探す。



まぁボス倒すと入口に戻されたり、フラグが立たなくなったり、二度と来れないダンジョンだったりするせいなんだが。



この心理は「まだ見ていない何かがあるかもしれない」といった「未知への期待」だろう。だから好んで遠回りし、「他には何もない」と確信し、そこで初めて最初から分かっていたゴールへ向かう。



ゲームなら終りがあるしこれでいいんだが、人間がリアルでこの思考を持つとフレーム問題みたいな状態になる。つまり考えればいくらでも「別の可能性」が見つかるから、いつまでたっても終わらない。



気持ちはとても良くわかるのだが、こういったクセがあるのなら予め期限などの目処を立てておき、それを過ぎたらさっさとゴールに向かおう。



個人的にはボスをしばき倒してから家探ししたい。もう入り口にボス居ればいいのに。



コーピング

コーピングとは「その人のストレス解消・緩和のための方法」。



まぁ技術や概念としては比較的新しい言葉だが、結構日常的に誰でもやってるだろう。好きな食べ物は最後にとっとくとかの「楽しみ方」や、ストレス溜まってきた時にはこれをするといった「憂さ晴らしのメニュー」などのこと。



つまり人間は日頃からストレスに備える思考を持っている。



ストレス解消になるほどの「充実できること」に対してのホーディング(溜め込み症)



「途中で投げ出す」というのは大体よくないとされるわけだが、投げ出しているのではなくてこういった「とっておきたい」心理の場合もあるかもしれない。



じゃあ本気で好きで、ここ最近はそれだけに打ち込んできたとしたらどうだろう。コーピングとしては「それしかない」のだったら。



言ってしまえばお楽しみどころじゃなくて「心の支え」になっている状態。だからこれを消化してしまったらと考えると、ゴールすること自体が不安になる。



ちなみにコーピング自体は「種類は多ければ多いほどいい」とされている。ストレス解消・緩和のための「好きなことリスト」でも作ってみるといいかもね。









まとめ

これらは形骸化したただのクセのような形で、つまり「思考スキーマ」として意味もなくそうしている可能性も高い。



やりたいこと、好きなことに対してなら別にそのままでも問題ないとは思う。ただ、ゴールしたら多分新しい目標は見つかると思う。人は自然にそういったものを探すものだ。



一方、仕事とか何らかの責任があるような対象の場合、こういった「主観」での優先順位の判断はしないほうがいいだろう。



先が見えた時に感じるつまらなさについては、もう走り抜けてゴールしてしまったほうがいいだろう。
ツァイガルニク効果のせいで後回しにしている間気になり続けるだろうし、そうなると集中力は削がれる。ゴールして達成感を味わって、そこから次を探せばいい。探すのもまた楽しいのではないか?



根本的な解決は、「自分は楽しみを見つけることが出来る」という認識を持つこと。それなら終わりは怖くない。



また、終わらせたら次が来るからそこで堰き止めている場合もある。まぁこの場合は諦めろとしか。








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