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アドラーの『勇気づけ』:勇気とは何か。どう励ますのか。

アドラーの『勇気づけ』:勇気とは何か。どう励ますのか。



「アドラーの勇気づけ」は特に子育て関係で「使えるテクニック」としての扱いを受けている。

我々大人だって子供の時があったわけで、尚且つ親が「ハズレ」であった可能性は十分にある。

自分が今、何か「こじらせている」ようだったら、その解決の糸口くらいにはなるだろう。

アドラーは何を指して「勇気」としたのか。
どうやって他人にそれを湧かせるのか。
そもそも何故、わざわざ勇気づけが必要な状態になるのか。

§目次:

■アドラー心理学における「勇気」の定義
■対となる「勇気くじき」
▲日常的な「投票」
■勇気づけ
■「言い方」について
▲気持ちだけじゃ伝わらない
▲内言と外言
▲「反対側」
▲「自我モデル」
▲YOUメッセージ
▲Iメッセージ
■放置と介入




■アドラー心理学における「勇気」の定義

アドラーは何を「勇気」だとしたのか。ここを間違えたら話にならない。

Wikipediaによれば、アドラーが言う勇気づけとは、その者のライフタスク(課題の分離で言うところの“課題”そのもの)を解決するよう”援助すること”となっている。

つまりここで言う勇気とは、自らが課題と向き合うための勇気だ。
決して他人の課題を代わりにやってやると言ったものではない。
どちらかと言えば、自分の人生を自力で生きていけるという認識を持たせるための援助。

これは自分の問題で、自分が解決するべきことで、自分で取り組んで挑戦していこう。

「本人がそう思えるよう」に、自覚できるような援助。

■対となる「勇気くじき」

初めにこちらを知っておいたほうがいいだろう。
「勇気くじき」は勇気の反対の自己認識を相手に植え付ける行為だ。

つまりは自分では何もできない、決められない、わからない、考えても無駄だ、どうせできない、そういった自己認識である。端的に言えば「自信がない」状態にさせるような言動。

この自己認識は実際の能力とは無縁に存在する。無能で自信だけが在る者が居るように、実力があるのにいつまでも自信だけがなく、結果積極的に行動できない者も結構な数いる。もったいないだろう。

▲日常的な「投票」

認識を「植え付ける」なんて言えば、よほどの悪意と知識がない限り出来ないと思うかもしれないが、日常にありふれすぎているほどだ。
恐らくきっと、あなたが幼少期に受けた扱いもそうだし、今現在あなたが相手に対しての言動の内、幾らかは(あるいは殆どは)その属性を帯びているだろう。

人間の普段のコミュニケーションは、受け取る相手にとってのプラスかマイナスのストローク(言外のメッセージ)になる。
これは条件付けにおける強化・弱化へと繋がる。

よく聞く話を例に出せば、褒められればそれをまたやる。叱られればそれはやらない。褒める/叱る側もまた、それを期待してそうしているわけだ。
そしてこれらは「すべての言動が」、即ち目線、声の調子、表情、挙動などの言外のものもまたそういった効果があるということである。
尤もこんなもの一々気にしていられない。このあたりの抑制/制御は現実的ではない。

どちらかと言えば、人間は繊細であるということを改めて意識しておいたほうが良いだろうという話だ。
なおかつやっている側は自覚はないし、そもそもそんなつもりもない。
だから「加害者が存在しない」のに、何故か被害者だけが発生する。そんな状態がある。

特に親子関係で顕著だろう。子供が成人後、「あの時のあの言葉、それをずっと気にしていた」と告白したとしても、親は大抵こう言う。

「そんなことあったっけ?」と。




要するに、全てのコミュニケーション(あるいはその者に他人から向けられる全て)は「在り方への投票」としての属性を持つ。というよりも相手は無意識的にそう受け取る。
人間の自然体のコミュニケーションとは基本的には「評価」としての意味合いがある。

日頃のコミュニケーションにおいて、「余計なことを考えず、行わず、やれと言うまで大人しくしてること」に票を入れているのなら、無自覚に勇気くじきをしているわけだ。

一応言っておくが、必ずしもそれが悪いとは限らない。
本気で何するかわからない奴もいるし、挙句の果てに「思いついたら体が動いている」という迷惑な人間も結構いる。
大抵の場合余計なことをするのは何もしないよりもめんどくさいことになるのは事実だ。後始末には手間も時間もかかるし、そもそも取り返しが付くかどうかわからない。
子供相手ではきつく叱ることも時には必要だろう(必要な時にも出来ない親もいるが)。

必要に応じてそういったことを狙ってやるとしたら、私としては構わないと思う。悪目立ちするほうが大抵悪い。事故や事件を未然に防げるだろう。
問題は、その気はないのに心をへし折ってることが結構在る点だ。
その気はないからこそ、やらかしていることにも気づけない。

「相手も気にしてないようだから大丈夫だろう」と思うだろうが、そうではない。
勇気づけ、勇気くじきに関わる「ストローク」やそこから自動的に汲み取られる(実際には推測だが)「評価」は本能レベルのものであり、やられている側が「わからない」ということはない。というか、ストロークは「感じる」ものだ。それが誤解にせよ。

一方、やっている側の自然な言動が勇気くじきそのものだったりすることはある。こちらは自覚がないケースが存在する。
人格障害などのオーバーな話ではなく、大抵は環境からの学習、引き継いだ癖や流儀と言ったものだろう。

もちろんいい年になるまで気づけなかったり(つまりは気にしたことすら無い者)、その「方法」に固執するなら害悪だが。
めんどくさいことに幼少期のトラウマを無関係な者に「やり返す」人間は多い。

勇気づけをする傍らで相手の勇気をベキベキにへし折ってたら話しにならないだろう。

つまりは勇気づけをしたいなら、日頃の言動を意識する必要が出てくる。

■勇気づけ

アドラーが「勇気」と呼ぶものは“自分で自分の課題を解決する勇気”であると先程述べた。
別に張り切って「自分なら出来る、自分ならやれる」と汗臭く暑苦しく言い聞かせる必要なんて無い。

これは言い方を変えれば「自分をコントロールしている実感」だ。
で、先程の勇気くじきは「他人にコントロールを奪われること」または「お前には出来ないよ」と暗に示すこととなる。

加えてその「勇気」は「実感」できなければならない。言葉をいくら重ねても意味はない。すぐに低下する。
というか、そんなんで勇気が出るなら違う意味で心配だ。恐らく騙されやすいだろう。

「実感」するには自分でやるしか無い。プレイヤーは本人だ。
つまりは基本的に他人の「でしゃばり」や「先回り」は全てが実感を得る機会を奪い、即ち勇気くじきとなり得る。

元からあなたが勇気づけたい相手に対して協力的な感情を抱いているとして、どう「応援」したら良いのかと言えば、結局のところ「やり方」「言い方」の問題になる。

同じくアドラーの課題の分離から考えると、どちらかと言えば、勇気づけというよりは「勇気くじきをしない」ことを重視したほうがいいだろう。
本来は余計なものさえなければ勝手に実力相応の自信はつくし、「優位に立ちたい」のは本能であるからして、勝手に成長するだろう。
現実での「そうではない者」の圧倒的な多さは、どれほどの「勇気くじき」が蔓延しているかを物語っている。

分かりやすい勇気づけの方法は、日常において「言い方に気をつける」ことだ。
だからアドラーの勇気づけは、「簡単にできる」とか「今すぐできる」とか、そんなフレーバーをつけて紹介される。

■「言い方」について

▲気持ちだけじゃ伝わらない




まずハッキリといっておかなければならないことは、「気持ちは伝わる」ということを信じているのなら、一度考え直してみてくれということだ。

これを信じている者の一部は「伝わらないほうが悪い」「正しく受け取らない相手が悪い」と言う態度をとりがちであり、自らの言動は改めない傾向が強い。
言い方を変えれば「自分は思いつくままに思ったことを口走っていい」という口実にしている。加えて言うなら相手につきまとって勇気くじきをし続ける口実にも。
ハッキリ言ってストーカーに近い。

これは相手をかなり苦しめ、時には精神を病ませ、時にはそれ以上のことになる。

極端な例だと思うだろうか。
本当にそうだろうか。
気持ちが伝わったことが本当にあるのか。
それは「思い通りになった」だけではないのか。
相手はただ「抵抗することを諦めただけ」ではないのか。
それを「気持ちが伝わった」と呼んでいるのではないか。

まぁ、ただの一般論だ。実際の所あなたがどうかは知らないが。一度自問自答してみるといい。
現実には気持ちが伝わることもあるだろう。
ここで言ってるのは言葉を選ばず衝動的に口にした挙句「自分はこのままでいい」という口実にしているかどうかのセルフチェックを一度するべきということだ。

▲内言と外言

内言と言って、頭の中で考えている言葉はかなり圧縮、短縮、省略されている。実際に言葉にする(外言)際にはある程度の復旧、解凍、加工が必要になる。相手に伝えるためには必要だ。
簡単な例を挙げると「アレ」だの「ソレ」だのの言葉がやたらと混ざっている台詞が相手に伝わると思うか?と言う話。おばちゃんに多いが。主語が無いこともあるな。

要するに、「思ったままを口にする」のは伝えるために必要なことをサボっていることになり、必ず雑になり、癖が出て、誤解の余地が山盛りにある。簡単に言えば、「デリカシーのない言い方」になりやすい。

もう一つ、人間は基本的に何言ってるかよくわからない場合にはとりあえず悪い方向で捉える。そしていつまでも覚えている傾向が強い。
発言者に悪気は恐らくないのだろう。だが、「相手がどう感じるか、受け取るか」を度外視するのはコミュニケーションと言うよりは通り魔に近い。悪意はないが、無神経ではある。

後になって責められて「そんなつもりはなかった」なんて言い逃れをするのは相手からしてみれば憤懣やる方ないだろう。悪意があったほうが憎めるだけ、戦えるだけまだましだ。

何れにせよ、「伝え方」が大事だ。だが、現実には人は「相手に言うことを聞かせよう」という目的で言葉を選びがちになる。その是非は今回割愛するが、「勇気づけ」を実行したいのなら、嫌でも自分の日頃の言動がどうだったかは目につくことだろう。

はっきりといっておくが、人間は他者を操作すること、支配することに喜びを感じている。動機が「他人を操作したい/支配したい」と言うのは、ある意味本能であり、人間としては抑えるべきものだ。
「気持ちは伝わる」と言う信仰は「相手につきまとい、尚且つ勇気くじきをし続ける言い訳」として便利過ぎる。
便利なものの味を知れば、大抵人間は中毒になる。

ただ、本人からしてみれば相手を苦しめたいわけでもないはずだ。心当たりがあったのなら、卒業した方がいいだろう。無いなら別にいい。

▲「反対側」

言い方のコツと言うか、頭の中で整理しておきたい点としては2つ。
「反対側はどうか」という点と、自我モデルの関連性。

「偉いね」と褒めるのは、反対のことをやるのは「悪いことだ」と脅迫していることになる。
子供が手伝いをした時に「偉いね」と褒めるのは、こうして考えると相当すごいことを口走っていることになるわけだ。
もちろん褒められることそのものに対して(相手が幼ければ)喜ぶわけだが、こういった「裏側のメッセージ」もセットで相手には刷り込まれる。

褒めることしかしてないはずなのに、いつの間にか相手の中には「こうでなければいけない」というイメージが出来上がり、強制力を持つ可能性はある。

また、褒めるという行為は他者承認欲求を満たす。これは言葉通り「満たされる」ので、そればかりやるようにもなりかねない。それでは「自分」が育たない。相手にとって都合がいいだけだ。

「反対側」を考えるというのはだいぶ幼い頃から自然とできることだ。対の概念を理解するというかなんというか。
暑いの反対は寒い。高いの反対は低い。右の反対は左。物を教える時もそうやってセットでやってないだろうか。

子供にも自分で考える力はある。子供の時のほうが強いかもしれない。色々と頭の中で組み合わせて、自分なりに結論付けるわけだが、間違っている時がある。

犬の反対が猫とか思ってるわけだ。犬の反対なんて存在していないのだが。

要するに、「どんな勘違いをするのかわからない」と言う怖さが子供にはある。大人だってあるかもしれない。

叱るのが駄目というのは、状況を考えれば分かるだろう。言うことを聞いて叱られるということはまずない。「自分で動いた時」にしか叱られる要素はない。
言うまでもなく、叱るというのは脅迫の属性を帯びる。罰とセットで叱るのなら(叱ること自体が大抵罰か)尚更だろう。まぁ必要なら仕方ないと思うが。

この際も「叱られたことの反対側」は「やっても良いことだ」と思い込むことが在り得る。

「友達と喧嘩してはいけない」と叱ったら「じゃあ嫌いな奴になら何をしても良いんだ」となりかねない。大人でこういう奴も居るが。

子供は「“言葉通り”に捉えた上で、その反対側を妄想する」傾向がある。

大人にもある。「間違った直感」のようなものがある。

だから相手に使う言葉には「わかりやすさ」と「正しい反対側」を意識した方がいい。

時にはあなたも考えたことのないようなことを説明する必要があるだろう。だったら見栄をはらずに一緒に考えればいい。

▲「自我モデル」

さて、自我モデルについてだが、語ると長いので要点だけ。
・「上から目線」での語りかけは「評価」になる。
これは反発心を生む(相手が自分をコントロールしようとしていることは本能的に分かる)。

・自分が思っている自我モデルと他人の態度が食い違っていると「破綻したコミュニケーション」になる。
本人は一人前だと思っていて、相手が子供扱いをするなど。

・「成立するコミュニケーション」は自我モデルと相手の態度が噛み合っている時
自分が一人前だと思っていて、相手も一人前の人間として扱う、など。
アドラー心理学もまた子育てにおいては「子供だから」と言う扱いはせずに一人の人間として扱うべきだと言うスタンスである。

▲YOUメッセージ



言い方を気にする際は、テクニックと言うよりはスタンスを気にした方がいい。自然に最適な言動が出来たほうが楽だろう。

大抵の人間の「言い方」はYOUメッセージと分類されるもので、頭に「あなたは」と言う言葉がつく(あるいはつけることが出来る)。

もうわかった人もいるかもしれないが、これは「評価(決めつけ)」していることに他ならない。言った通り/狙った通りに相手がならなかったとしても「揺さぶる」には十分だ。端的に言えばウザいし、褒められてもムカつくわけだ。

最初に述べたが、ここで言う「勇気」とは「自分をコントロールしているという実感」だ。

「評価」は間接的に相手をコントロールしようとする「支配」に感じられる。
気にしなきゃ良いって? 「こうすれば相手をコントロールできる」と分かっていてやっている以上それは通用しない。

あなたが車を運転するとして、同乗者が助手席に座ったとしよう。
同乗者は制限時速は何キロだが今はそれより早いだの、車間距離が狭いだの、今信号が黄色だったのに止まらなかっただのいちいち言ってくるとしよう。これらは全て「あなたは」と言う言葉が暗に含まれているわけだ。

「あなたはこうだね」→「それはよくないよね」→「直せよ」という感じに相手には聞こえるわけだが、まぁ大抵ソレが本心ではあるんだろうけれど。

YOUメッセージという「言い方」はどうしても主導権争いになる。相手への評価か批判になることが多いからだ。そんなつもりはないにしても。
有効な場面もあるが、少なくとも勇気づけには不向きだろう。

▲Iメッセージ

Iメッセージはその対となる。頭に「私は」と言う言葉が付く、あるいはつけることが出来る言い方だ。
この場合、「評価(決めつけ)」ではなく、あくまでも「自分の意見(提案)」として相手に伝えるということになる。

これにより相手は主導権を脅かされるという本能的な危険は感じなくなる。まぁ簡単に言えば「聞く耳を持つ」ようになる。
要するに「選択肢の提示」。選ぶのは相手。

もちろん、これは初めからお互いにある程度の信頼があり、相手の責任分を相手に「任せる」ということだ。
一応言っておくが、あなたの思い通りになるとは限らない。相手の選択は全く気に入らないかもしれないし、あなたより賢い方法で解決するかもしれない。

だから大事になっているような事態では使えないだろう。むしろ普段の信頼関係の構築にこそ使えるものだ。

妙な話だが、勇気づけの紹介の仕方が「こうすれば子供をコントロールできるよ」的なスタイルになっている所が多いんだが、矛盾している気がする。

■放置と介入

要するに、本人の問題に対して他人がしてやれることと言えば、応援だとか、アドバイスだとか、そういったバックアップだ。それ以上のことをするべきかどうかは考える必要があり、「とりあえず」で相手の課題を取り上げて「やってあげる」のは長い目で見たら悪行に他ならない。

とまぁ、こんなことを言うと何していいか分からなくてじゃあ放っとけばいいのかとなるかもしれない。
放っといていいなら楽だが、まぁ大抵はよくはないだろう。

問題は放置と介入のバランスだ。例えば危険だとか取り返しがつかなくなるとかだったら止めるしか無いだろう。「ドクターストップ」みたいなものだ。
逆にそうでもない限りは失敗も体験させるのはいいのではないか?
幼少期に「上手く行き過ぎる」と人格障害のような性格になるケースも有るし、失敗からの「立ち直り方」を知らないと将来苦労するだろう。

どの道あなたと相手の関係がどうであれ、相手が死ぬまで側にいてやれるわけではないだろう。つまりはその相手は、一人で生きる力を身につける必要がある。「あなたが側にいてやれるうちに」だ。

「育てる」とはそういうことだ。ペット感覚でエサだけやって後はかわいがっていればいいというのは、ある意味虐待に近い。

話を戻すが、ただちょっと失敗しそうだったと言うだけで血相を変えて割り込んでくるというのなら、やりすぎだろう。酷い時には失敗しないように「見張る」者も入るが、まぁ自分でその様子を撮影でもしてみるといい。二度とやろうとは思うまい。

「放置」ではない。見守る必要はある。だからこそ大抵余計なことをしてしまうのだが、その「余計なこと」をしないようにだけ注意すればいい。別に今までのやり方が全部間違っていたということもないだろう。
「もっと改善できる」、これはそういう話だ。

子供が手伝いをするという話で言えば、その動機が「やれば褒められるから」「やらなきゃ嫌われるから」よりも、「あなたが好きだから」の方がいいんじゃないだろうか。あなたもまた、満たされるのではなかろうか。

・バランサーとして一つ警告しておくが、「全て自分で抱え込む」ようにはさせないように注意したい。相談するのはいいし、愚痴もまぁ相手が受け止めてくれるのなら良いだろう。
自力じゃどうしようもないこともあるかもしれない。そんな時、素直に助言を求めることが必要になる。

「自分の力が及ばない」と認めることも勇気だろう。

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